第197話:アレクと琵琶さん

 雪もおさまって気温が少しだけ上がってきたある日のこと。

 兄のアレクサンドルがベロンベロンに酔っ払って帰ってきました。


「うぉ~い、可愛いジェルちゃ~ん! キリト~! 皆のアイドル、アレクお兄ちゃんのご帰宅だぞ~!」


 とりあえず出迎えた玄関先で見たのは、人間らしきものに肩を借りた状況で帰ってきた彼の姿でした。


 人間らしきもの、とワタクシが言ったのには理由があります。

 酔っ払って足元がおぼつかない様子のアレクを介抱してくれたその人物は、頭が大きな琵琶の形をしていて、体は蓑らしきものを着ているのです。

 ハロウィンでもないのに仮装とはどういうことなのでしょう。


「琵琶さん、ここが俺の家~で俺の弟~! あと、キリトはたぶん奥でゲームしてると思う」


 アレクに肩を貸していた琵琶さんと呼ばれた人物は、出迎えたワタクシの顔を見て会釈しました。


「あぁ、どうもどうも。弟さん?」


「……あっ、はい。初めまして、ジェルマンと申します。兄がお世話になったようですみません」


「いやぁ、たいしたことはしてねぇよ。俺はたまたま居酒屋で隣で飲んでたんだけど、意気投合しちゃってね。つい飲ませすぎちゃって、家が近くだと言うから送らせてもらったんだ」


 琵琶そっくりの頭をした彼は、仮装した姿のまま室内に入ってきました。

 それにしてもよく出来たかぶり物です。かなり年季の入った琵琶を模した物で、制作にはそうとうお値段がかかったことでしょう。


「それじゃ、俺はこれで」


「なんだよ琵琶さん、うち泊まっていけばいいのに」


 アレクがご機嫌な様子で調子のいいことを言います。

 そんな急にお客様を泊めるなんて、大変なんですけどねぇ。


「いや、家で琴が待ってるから。心配してるだろうし帰るよ。ありがとう、楽しかった」


「そっかぁ~。また飲もうぜ」


「あぁ。またな」


 琵琶さんは、軽く片手を上げて挨拶すると帰って行きました。


 その様子を見ながらワタクシは、あの姿どこかで見たことがあるような……と思ったのですが。

 アレクに水を飲ませて部屋に連れていかないといけないので、それ以上追求せずにいたのです。


 なので奇妙な琵琶さんの正体を思い出したのは翌日になってからのことでした。


「アレク! 昨日の琵琶さん、もしかして百鬼夜行絵巻の琵琶の妖怪ではないのですか⁉」


 ワタクシは倉庫に保管していた巻物を引っ張り出してきて、リビングのテーブルに広げました。

 百鬼夜行絵巻はたくさんの妖怪を描写した絵巻物のひとつです。

 最古の物は室町時代のものですが、日本の各地に無数の写本があり、ワタクシの手元にもその内のひとつがあったのでした。


「ほら、見てくださいここ! 昨日見た琵琶さんにそっくりです!」


 指し示した絵には琴の妖怪を引っ張って歩く琵琶さんの姿がありました。

 そういえば“家で琴が待っているから”って言ってましたっけ。


「おー、琵琶さん有名人だったんだ。サインもらえばよかったなぁ~」


「何のんきなことを言ってるんですか! あれは妖怪ですよ、妖怪!」


「ジェル氏、悪魔や神様が家に来るんだから、妖怪が来たっておかしくないでありますよ」


 一緒に絵巻を見ていたテディベアのキリトが、冷静につっこみを入れます。

 たしかにそうなんですけども、絵巻物に登場する妖怪なんてめったに見られるものではありませんのでつい興奮してしまいました。


「それで、一緒に飲んだ時にどんな話をしたんですか?」


「えっ、別に普通の話だけどなぁ。好きな酒のつまみの話とか」


「酒のつまみは何だったんです? やはり妖怪ですし、蛙の目玉とかどこかから攫ってきた人の肉とかだったりするんですか?」


「いや、枝豆と焼き鳥だけど」


「普通すぎませんか⁉ もっとこう妖怪らしいエピソードとか――」


「うーん……」


 ワタクシの問いに、アレクは軽く唸りながら首を傾けて考えるそぶりをします。


「焼き鳥はタレ派だったなぁ」


「いや、そういうのじゃなくて」


「好きな寿司ネタは玉子だってさ」


「お寿司食べるんですか⁉」


「玉子焼きも出汁巻きより砂糖入ってるのが好きって言ってた」


「甘いの好きなんですね! もう結構です」


 アレクの話はちっとも妖怪らしいエピソードがありません。

 琵琶さんが甘い物好きなことがわかったところで何の役に立つのでしょうか。

 それならいっそ、ワタクシが現地に乗り込んで直接話を聞いた方がよっぽど有益なことが聞けるでしょう。


「アレク! ワタクシを琵琶さんに会った居酒屋に連れて行ってください。彼に直接インタビューして、なんなら絵巻物にサインをしてもらいます!」


「えっ、ジェルも行くのか? 俺は構わないけど」


「ジェル氏は、妖怪のサインが欲しいんでありますか?」


「もちろんです。本物の妖怪のサインが書かれた絵巻物ならきっと高く売れるじゃないですか」


「ジェル氏は、書いてもらったサイン色紙を平気でメル〇リに出しそうで人の心が無いであります」


 なんだかキリトに馬鹿にされた気がしますが、彼の毒舌はいつものことなのでまぁいいでしょう。

 それよりも今は居酒屋に行くのが重要です。もしかしたら琵琶さん以外の妖怪の姿も見られるかもしれません。


「これは楽しみですねぇ」


 そんなわけで、我々はアレクが琵琶さんに会ったという場所に行ってみたのですが。


「これは、どういうことですかね?」


「おっかしいなぁ。確かにここなんだけど……」


 ――そこには竹藪があるだけで、居酒屋なんてどこにもありませんでした。

 しばらくその近辺をうろうろしてみたのですが、何の痕跡もなく。


「狐か狸にでも化かされたんでしょうか」


「そうなのかなぁ」


「やはり、妖怪なんてそう都合よく見られる存在ではないのですかねぇ」


「……でも琵琶さんは、帰り際に“またな”って言ってくれたからなぁ。だからまたいつか一緒に飲めるんじゃないかな」


「その機会があったら、今度こそ妖怪らしい話を聞いてきてくださいね」


 そんなことを言いながら、ワタクシ達はすっかり日が暮れてしまった空を見上げたのでした。

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