第194話:羊を探せ!

 それは粉雪のちらつくある日のことです。

 アンティークの店「蜃気楼」のカウンターでは、両手を広げてワタクシに旅行のプレゼンをする兄のアレクサンドルと、それに耳を傾けるワタクシとテディベアのキリトの姿がありました。


 ニュージーランドで採れる珍しい鉱石が錬金術の研究に必要だという話をした途端、彼の猛烈なプレゼンが始まったのです。


「なぁ、ジェル。ニュージーランドはいいぞぉ~? 暖かくてラグジュアリーなオーシャンビューのリゾートでビーチに沈む夕日を見ながらプリプリのムール貝とワインとか最高だと思わないか?」


「ふむ……確かに日本はクソ寒いですが、向こうは夏ですからねぇ。それにオーシャンビューのリゾートでいただくムール貝とワインは心惹かれるものがあります」


「うんうん、そうだろう! 旅行のややこしいことは全部こっちで手配するからさぁ。お兄ちゃん達と一緒に行こうよジェルちゃん!」


「アレク氏、“お兄ちゃん達”ということは小生もメンバーに入っているでありますか?」


 私の隣でスマホを見ていたテディベアが不満そうな声をあげます。


「あぁ、キリトもニュージーランド行きたいだろ?」


「小生は不参加であります」


「キリトはオーシャンビューのリゾートに興味ないんですか?」


 ワタクシの問いに、キリトはモコモコのクリーム色の手を顔に当て溜息をつきました。


「こういう時のアレク氏の言うことは話半分で聞いた方がいいでありますよ? どうせ、もうしわけ程度に海が見える場所でキャンプするくらいが実情だと思うであります」


 アレクの方をちらっと見ると彼は大慌てで首を振りました。


「いや、キャンプとかじゃねぇし!」


「本当ですか? まぁ鉱石も手に入るなら一緒に行ってもいいですけど……」


 ここのところ寒い日が続いて少し気が滅入っていたので、たまには暖かいリゾートで過ごすのもいいかもなぁ。


 ――そんな理由で、アレクの誘いに乗って一緒にニュージーランドへ来てみたのですが。

 

「え、ちょっと。これはどういうことですか⁉」


 ニュージーランドの空港からアレクの運転するオープンカーに乗って、リゾート目指して海の近くを走っていたはずなのに、なぜかそのまま車は海を通り過ぎてしまったのです。


「ねぇ、アレク。ビーチに沈む夕日を見ながらムール貝とワインをいただくんじゃ無かったんですか? どう見ても山の方へ向かっているように見えるんですが」


「そりゃあ山に向かってるからなぁ」


「え、どういうことですか……?」


「まぁまぁ。オーシャンビューだから細かいことは気にするな」


 どういうことだろうと思いながらそのまま乗っていると、車は牧場が併設された家に到着しました。


「全然最初の話と違うじゃないですか! オーシャンビューはどこにあるんですか⁉」


「ほら、あっち。海があるだろ?」


 アレクが指さした先には、遠くの方に海が小さく見えていました。


「酷い、そんなの詐欺です!」


「まぁそう言うなって。アットホームな牧場で可愛いヒツジと触れ合えるからさぁ。ほら、ジェルちゃんは白いふわふわとかモコモコしたのとか大好きだろ? なっ?」


 アレクは媚びるような声音で調子の良いことをつらつらと並べます。

 でも柵の向こうにいるのは小汚い灰色のゴワゴワした感じのヒツジばかりで、白いふわふわモコモコとは程遠いのです。

 すっかり騙されてしまいましたが、ここで帰ったら「やはり小生の言った通りだった」とキリトに馬鹿にされることでしょう。それは悔しい。

 まぁ帰るのはいつでもできるし、とりあえず妥協しましょうかね。


「――晩御飯にムール貝は出ますか?」


「そこは何とかする」


「ワインもお願いしますね」


 そんなことを言っていると家のドアが開いて、中からあごひげを生やして作業着を着た人懐っこそうな雰囲気の男性がやってきました。


「よう、アレク! ――おぉ! これはまたずいぶん綺麗な彼女連れてきやがったなぁ!」


「ジョージ! ちげぇよ、よく見ろ。彼女じゃなくて弟のジェルマンだ」


 ジョージと呼ばれた男性は親しげにアレクと挨拶を交わしています。


「彼はジョージ。趣味で牧場を経営しててさ。前に来たときにも泊めてもらったんだ」


「よう、初めましてジェルマン。よく来たなぁ、ちょうど人手が欲しかったんだよ。早速、明日からアレクと一緒にヒツジの世話を頼むぞ」


「えぇぇぇぇぇぇぇ~⁉」


 可愛いヒツジと触れ合うどころか、思いっきり家畜の世話じゃないですか。

 どういうことだと無言でアレクの方を睨みつけると、彼は目を逸らしてヒツジを触りに行ってしまいました。


「お、見たこと無いデカいヒツジがいるな。新顔か?」


 たしかに群れの端に、他のヒツジに比べてひときわ大きなヒツジがマイペースに草を食べています。


「あぁ。そいつはベンジャミンって名前でな、他所の牧場から引き取ったんだよ。気難しいやつだが頑張って世話してやってくれ」


「おう、任せてくれ。よろしくな、ベンジャミン!」


 アレクが名前を呼んだ瞬間、ベンジャミンは耳をぴくっとさせた後、お尻を向けて去って行きました。


「自分の名前が呼ばれたのをわかっていながら、あえて無視したって感じですね……」


「ハッハッハ、ヒツジは賢いからなぁ。まぁ二人とも、よろしく頼むぞ!」


 こうしてワタクシは不本意ながらもアレクと一緒に牧場に滞在することになったのです。


 そして翌朝、作業着に着替えさせられると早速ヒツジの世話が始まりました。


 ヒツジ達を小屋から出して牧草のあるところへ連れて行き、牧草を食べている間に小屋の掃除をして水を取り替えて……といった感じなのですが、これがなかなか大変なのです。


「もう! さっさと小屋から出てくださいってば!」


「メェェェェェ。メェェェェェェ~」


 とにかくここのヒツジ達は自由気ままでまったく言うことを聞きません。

 この農場には牧羊犬といった気の利いたものも居ませんので、とにかく何とかしてワタクシ達が小屋から追い出すしかないのです。


「ほら、ご飯の時間だぞ! ――おいこら! やめろ、いてぇ! やめろっての!」


 アレクは前に来たときも世話をしていたはずなのに、何故かヒツジ達に舐められているらしく、さっきから頭突きされまくっています。


 こうしてワタクシ達がもたついている間に、開いている扉から一頭のヒツジがさっさと出て行き、そのまま柵の向こうへと走って行きました。あれは昨日の……。


「あっ、ベンジャミンです! アレク! ベンジャミンが逃げましたよ!」


「えっ。おい、こら待て! 俺が捕まえてくるから後は頼んだぞ!」


「え、ちょっとアレク⁉ この状況をワタクシ一人で捌けと⁉」


 アレクはしつこく頭突きをかますヒツジを回避して、ベンジャミンを追いかけて行きました。

 それから三十分後。

 メェメェ鳴いて抗議するベンジャミンを抱きかかえた彼が、牧草地で合流しました。

 捕まえるまでに相当苦労したと見えて、体中が泥だらけです。


「まったく、脱走するとはふてぇ野郎だ。すげぇ遠くまで行きやがって。おかげで大変だったぞ」


「メェェェェェェ……」


 しかし、事件はそれだけでは終わりませんでした。

 ベンジャミンはその後も毎日、何かと隙を見て脱走してはワタクシ達を困らせたのです。

 ヒツジは群れで行動する生き物なのに、どうしてこの子はそんなに群れから脱走したがるのでしょうか。

 

 その理由がわかったのは、牧場に来て五日目の夕食の時でした。

 ジョージさんが夕食のポテトとビーフステーキを食べながら、ベンジャミンの身の上を話し始めたのです。

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