第121話:ミダス王とパクトロス川

「たしか……ミダス王は、酔っ払った老人に親切にした結果、手に触れた物を黄金に変える力を酒の神様から授かったんです」


「完全に俺と一緒じゃねぇか! それでミダスはどうなったんだ?」


「それがですね、最初は何でも黄金に変わるので彼はとても喜びました。しかし手にした食べ物や飲み物、そして触れた周囲の人間まで何もかもが黄金に変わってしまうことに気付き、絶望するのです」


 ――そうか、触ったら黄金になっちまうってことはトーストも食えねぇし、ジュースも飲めねぇのか。


「ジェル、今日の朝メシは、あ~んってして食わせてくれ」


「嫌です」


 ジェルは真顔で即答する。さすが長年一緒に暮らしてきた俺の弟だ。容赦ない。


「じゃあ、俺ずっとこのままなのか? 何か元に戻る方法は無いのかよ?」


「ありますよ」


 彼は、あっさりそう言った。

 なんだ、元に戻す方法があるなら早く言ってくれよ。


「……でも、せっかくですから、その前にちょっとひと儲けしましょうね!」


 あ、ジェル。お前、悪いことを考えているだろ。

 その笑顔は、お兄ちゃんを利用しようと考えてる時の顔だぞ。


「アレク、リビングでちょっと待っててくださいね!」


 ジェルは俺をリビングに待機させて、家中から捨てようと思っていたガラクタやゴミをたくさん持ってきた。


「さぁさぁ、これに触れてください!」


 俺は言われるがままに、割れたツボや、壊れた家具、読まなくなった雑誌などを次々と黄金に変えた。


「ふふ……今の金相場はいくらでしたっけねぇ。これだけあれば大儲けですよ!」


 ジェルはゴミが黄金に変わったのを見て、満足そうにニヤニヤしている。

 天使のような綺麗な顔なのに欲にまみれて台無しだ。


 俺達、別にお金に困ってるわけじゃねぇのに、どうしてジェルはこうなんだろうか。


「……さて、アレクを元に戻しましょうかね」


 ジェルはリビングの床に魔法陣を描き始めた。たしかこれは転送の魔術用の魔法陣だったと思う。


「なぁ、どうやって元に戻すんだ?」


「アレクはこの魔法陣の上に立ってください」


 俺は言われた通り、魔法陣の上に立った。もしかして、俺をどこかに転送させるつもりなんだろうか。


 そう思っていると、ジェルはミダスの話の続きを語り始めた。


「ミダス王は、自分の能力を元に戻してほしいと神に祈りました。その願いは聞き入れられ、神からお告げが下ったのです」


「どんなお告げだ?」


「…………」


 ジェルは俺の問いには答えず、転送用の呪文を唱え始めた。

 俺の足元の魔法陣が光り輝き始める。


「おい、ジェル! どんなお告げだったんだよ⁉」


「――神は言いました。パクトロス川で身を清めなさい。そうすれば元に戻るでしょうと」


「えっ、川ってあの、今、真冬なんだけど⁉ おい、ジェル! オマエまさか……」


「すぐに迎えに行ってあげますからね――」


 その言葉を最後に、俺の体は光に包まれた。

 転送される時にいつも感じる、独特の浮遊するような感覚がする。


 そして、急にキーンと冷たい空気が肌に触れたかと思うと、俺の体は川に向かって落下していた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 ザバーン!!!! ゴボゴボ……


 急に冷たい水に包まれて、俺は溺れそうになりながらも必死でもがいて、なんとか水面に浮上した。


「グヘッ、ゲホッ、クソッ……ジェルめ……」


 そのまま冷たい川の中を泳いで、俺はなんとか岸辺にたどり着いた。

 着ていたはずのガウンは川に落ちた衝撃で脱げて、そのまま流されてしまったようだ。


「よりによって川の上に転送するとか鬼かよ……へっくし!」


 今にも雪が降りそうなどんよりした曇り空の下、パンツ一丁の俺は大きなくしゃみをした。


「――アレク、大丈夫ですか?」


 急に俺の目の前に、ジェルが姿を現した。

 どうやら本当にすぐ迎えに来たらしい。


「大丈夫ですか、じゃねぇよ! 無茶苦茶しやがって!」


「でも、元に戻ったみたいですよ」


 そういや岸辺に上がる時には何も起きなかったし、俺は今も地面に手をついているが、黄金に変わる様子は無い。


「本当だ……」


「パクトロス川がどこにあったのか解明されていないので、適当に勘でその範囲で現存する川に転送したんですが、それでも大丈夫だったみたいですね。さすがワタクシです!」


 ジェルは自画自賛して、満足そうにニコニコしている。

 適当に勘で俺を川に突き落としたのかよ。もし違ってたらどうするつもりだったんだ。


「いやぁ、よかったですねぇ。アレクは元に戻ったし、ワタクシは黄金が手に入ったし、ハッピーエンドです!」


 ハッピーエンド……? まぁそうなるのかなぁ。


 釈然しゃくぜんとしないまま、俺は上機嫌のジェルに連れられて、転送魔術で自宅のリビングへ再び帰ってきた。


 すると、さっきまで黄金だったはずの物が、全部元通りのただのガラクタに戻っている。

 俺の部屋も確認したが、金色だったドアノブもベッドもパン男ロボも全部元通りになっていた。


「そんなぁ、ワタクシの黄金がぁぁぁ~~!」


「――なぁ、ジェル。世の中、おいしい話ってのはそうそう無いもんだぞ」


「くっ……そうですねぇ」


 そして、ジェルのせいで真冬の川に突き落とされた俺は、見事に風邪をひいて寝込んでしまった。


 その代わり「ゴールデンパン男ロボ」を買っても良いと許可がもらえたので良しとしよう。

 風邪が治ったら買いに行く予定だ。


「楽しみだなぁ」


 俺は毛布を握り締めて、それがもう黄金に変わらないことにホッとしながら眠りについた。

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