第52話:アレクと謎の箱

 ワタクシと兄が経営しているアンティークの店「蜃気楼しんきろう」の店内――ではなく、その奥に繋がる家のリビングでは「アチョー! アチョー!」という奇妙な声が聞こえておりました。


「はぁ……またすぐ影響されて。アレクにカンフー映画なんて観せるんじゃありませんでしたね」


 リビングには、半裸でアチョー! と叫びながらヌンチャクを振り回す兄のアレクサンドルの姿がありました。


「アチョー! どうだジェル! お兄ちゃんカッコいいだろ⁉」


「はいはい、でもリビングではやめてくださいね。もし、ガレの花瓶を割ったらヌンチャク没収ですからね!」


 それを聞いて彼は、飾り棚の上に置かれたアンティークの花瓶にちらりと目をやりました。


「わかった。じゃ、店の前でやってくる!」


「営業妨害はやめてください!」


 そんなことより、出かけないで遊んでいるなら店のことを手伝って欲しいんですけどねぇ。

 ホント何でもすぐ影響されるんだから。


「何にでもすぐ影響される……」


 ――あぁ、ワタクシ良い事を思いつきました!


 そして翌日。

 リビングでは頭にハチマキをして、鏡の前で構えてポーズをとるアレクの姿がありました。


「おー、ジェル! カンフーも良いけどカラテもカッコいいな!」


 あの後、試しにまた別の映画を観せてみたのですが、どうやら無事に彼は気に入ったようです。


 ――さて、ここからが重要なのですよ。


「アレク。店の床と窓の掃除をお願いしたいのですが……」


「えー、やだよ~。お兄ちゃんさぁ、一撃必殺のカラテキックを研究するのに忙しいもん!」


 えぇ、そう言うと思いました。アレクはごっこ遊びが好きですからね。だからこそ、彼はこの後ワタクシの言うことを聞かざるを得ないのです。


「あなたは昨夜の映画で学ばなかったのですか?」 


「ん? 何をだ?」


「床を磨く動き、窓を拭く動き。これはすべてカラテの修行ですよ?」


「カラテの修行……おお! ワックスかける! ワックスとるだな!」


 ワタクシの言いたいことを察した彼は、目を輝かせて散歩に行く前の犬のような活き活きした顔をしています。


 それもそのはず。昨日観た映画の内容は、主人公がカラテの師匠から掃除やペンキ塗りなどの雑用を命じられ、一見それはカラテに何も関係が無いように見えるのですが、実はそれはすべてカラテの修行だった――というお話なのです。

 

「そうですよ、アレク。すべてはカラテマスターになるための修行なのです!」


「よし! 俺に全部任せておけ!」


 アレクは上機嫌で掃除道具を持って店に行きました。作戦は大成功です。

 あまりにも上手くいきすぎて、彼の脳みそが心配になるレベルですが、たぶんカラテブームは一週間も持ちませんので問題は無いでしょう。

 わずかな期間ではありますが、ワタクシはその間、せいぜい楽をさせていただくとしましょうかね。


 こうして首尾よく休みを手に入れてリビングで紅茶を飲んでいると、店の方から賑やかな声が聞こえてきました。


「あら~ん、アレクちゃん。お掃除してるのね~」


「違うぞジンちゃん! カラテの修行だ!」


「あら~、そうなの。偉いわねぇ~♪」


 あぁ、この低い声にそぐわないオネェな話し方は、ランプの魔人のジンですね。

 また何か商談でもあるのかなと思い、ワタクシは店へ続く扉を開けました。


「ジン、いらっしゃい」


「あ、ジェル子ちゃん。ちょうど良かったわ~! あなたに鑑定をお願いしたいヤバい物があってねぇ……」


「やれやれ。うちはヤバい物を持ち込む為の店じゃないですよ?」


「そう冷たいこと言わないでよぉ、アタシとアナタの仲じゃな~い!」


 ワタクシの牽制けんせいなど物ともせず、ジンは指先をパチンと鳴らして魔法で木製の箱を出現させ、カウンターの机に置きました。


「なんですかこれは?」


 箱はノートより一回り大きい程度のサイズで、厚みは五センチ程度。持ってみると中に何か入っているであろうしっかりした重さを感じます。


「これねぇ、魔法なのか呪いなのかわからないけど、どういうわけか箱が開かないのよ~」


 たしかに一見、木製の普通の箱です。しかしいざ箱を開けようとすると蓋が吸い付いたように外れません。

 外からは留め具があるように見えず、何か引っかかっているようにも見えないのに開かないのです。


「接着剤でも使って開かないようにしたんでしょうかね?」


「やぁだ、そんな単純な話ならアタシでも開けてるわよ~。どうもアタシの魔法でも干渉できない物らしくってねぇ」


 ジンはアラビアンナイトに登場する有名な魔人です。そんな彼の魔法が効かないということは確かにやっかいな物なのかもしれません。

 興味をそそられたワタクシは、カウンターの引き出しから呪いを可視化できる特殊なルーペを取り出しました。


「どれどれ……なるほど。これは持ち主本人にしか開けられない呪いがかかっていますね」


「まぁ、やっぱりそういうことなのねぇ~」


 ジンは頷いて、箱について話し始めました。


 それはアジアのとある高名な僧侶の遺品で、生前に「何があっても絶対に開けるな、自分の墓に埋めるかもしくは燃やして灰にしてくれ」と言っていた、いわく付きの品なんだそうです。


「そのおじいちゃんねぇ~、スゴイのよぉ。百八十歳も生きたの。人間の寿命的にありえないわよねぇ」


「長寿のギネス記録の最高齢は百二十二歳ですから、もし百八十歳が本当ならすごいですね」


「だからね、この箱に長寿の秘密が隠されていたんじゃないかって噂になってねぇ」


「それは有り得るかもしれませんね。厳重すぎるくらいに封印してますし、何があっても絶対に開けるなとまで言ってるわけですから」


「でしょぉ~! ジェル子ちゃん、箱の中身が気になると思わな~い?」


「興味深いですね」


 あきらかに乗り気のワタクシの表情に、ジンはやはりここに持ってきて正解だったとでも言いたげな笑顔を浮かべています。


 あぁ、こんなことだからヤバイ物を持ち込む為の店だと思われるんですよねぇ……でも好奇心には勝てないじゃないですか。


「しょうがないですね」


「うふふ、頼んだわよぉ~♪」

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