第11話:俺のワンちゃん

 それは、兄のアレクサンドルが珍しく店番を代わってくれたことから始まりました。


「ジェル、見てくれよこれ!」


 声の方を見ると、茶色い子犬を抱いて子供のようにはしゃぐアレクの姿があります。


「その犬どうしたんですか……?」


「おぅ! ワンちゃんだぞ! ドアの外で入りたそうにうろうろしてたのが窓から見えたんだよ。なぁ、可愛いだろ?」


「ドアの外? それは変ですね……」


 この店は誰でも気軽に入れる仕様ではありません。


 以前、うちに来た氏神のシロから聞いた話ですが、シロのお使い番の犬がワタクシの施した特殊な結界の為にこの店に近寄れなかったんだそうです。

 神様のお使い番ですら近寄るのは無理なのですから、ただの犬なら尚更、店のドアの前をうろうろなんてことはできるはずないのです。


「これはどういうことでしょうね……?」


 ワタクシは警戒してアレクと子犬を見つめましたが、彼はそんな視線などまったくお構いなしで子犬に夢中です。


「おーおー! オマエ、図鑑で見たことあるぞ。えーっと、たしか柴犬だ! 柴犬は日本の犬だな! お兄ちゃん日本大好きだぞー! よーしよし!」


 彼はすっかりご満悦で歓声を上げ、抱きかかえながら子犬の頭を撫でています。


「よしよし、俺はアレクお兄ちゃんだぞ。覚えたか? ……そうかそうか! 良い子だな、ハハハ!」


 子犬は彼の呼びかけに応えるようにクンクン鳴き声をあげ、ちいさな尻尾をピコピコと振ります。

 その姿は非常に愛らしく庇護欲ひごよくをそそるもので、アレクはデレデレとしまりの無い顔で子犬を撫でていましたが、ふとワタクシの方を見て何か言いたげな顔をしました。


 ――あぁ、この後あなたが何を言うかなんて察しがついてますよ。


「……なぁ、ジェルちゃん」


「いけませんよ」


「まだ何も言って無い」


「あなたがワタクシをジェルちゃんと呼ぶときは、ロクでもない話があると相場が決まっています」


「そうかなぁ。――なぁ、飼っていいだろ?」


「ダメです。うちでは飼えません」


「俺が面倒みるからさぁ」


 よくそんなことが言えたもんです。世界中を旅する人がいつペットの面倒をみるというのでしょうか。

 そうやって過去に押し付けられた生き物は、金魚から羊や馬にいたるまでたくさんあるのです。

 それらが天寿を全うするまで、どれだけワタクシが世話をしたと思っているのですか。


「絶対ダメです! それに既にどこかで飼われてる犬かもしれないでしょ?」


「ちぇ~。そっかぁ。なぁ、オマエどこの子だ? ――おっと」


 抱きかかえ直そうとして彼の手がゆるんだ隙に、子犬は腕の中から飛び出し、店の一角へトコトコ歩いて行きました。


「あっ、こら、そっちはダメだ!」


 彼が追いかけて捕まえようとすると、子犬は立ち止まりショーケースの中を見ながら小さな声でキャンキャン吠えます。その目線の先には小さな箱がありました。


「どうもこの犬はうちの商品に用があるみたいですよ」


「そうなのか。よしよし、どうした? このケースの箱が気になるのか? 残念だがエサもオヤツも入ってないぞ?」


 アレクがショーケースから小箱を取り出すと子犬はあきらかにそれに興味があるらしく、クゥーンと鼻を鳴らして顔を近づけます。


「これ、なんだったっけかな?」


 箱の中には三センチ程度の小さな翡翠ひすい勾玉まがたまが入っていました。


「これは……なんでしたかね? ずいぶん前からここに置いてましたが」


「ん、忘れちまったなぁ。どうしたオマエ、これが欲しいのか?」


 子犬は勾玉に顔を近づけクンクン鳴いています。


「あっ、良い事思いついた! ちょっと待ってろよ。……そうだ、待て。ステイだ。よしよし」


 アレクは子犬の頭をひと撫でして、勾玉を片手に店の奥に消えました。部屋に何か取りに行ったのでしょうか。

 子犬は逃げる様子もなく、彼が消えたドアの奥を見ておとなしく座っています。

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