第3話 序観~公園、不気味な影~




 幸いなことに道には迷わなかった。

 途中に分かれ道はあったが、幼いころの記憶に導かれ、無事に公園に辿り着く。



 住宅街の中にでかでかと陣取るこの藤森ふじもり公園は、昔の古墳跡の上に建てられたとかなんとかで、不自然に広い。

 公園は周りを街路樹で囲まれているため、丁度東西南北の四つの入り口からでしか自転車では侵入できないつくりになっていた。

 

「あー、そうだった。この公園、やけに出入口が限られてるんだっけか。」


 仕方なく俺はちょっと迂回して入り口に行ってみるが……

 当然なことに、夜十時を過ぎた公園には人気がない。

 おまけに外灯も少ないので、辺りが暗くて懐かしさにひたるどころではなかった。


「……まぁこんだけ暗いと、この公園も不気味だよな。」


 鬱蒼と枝を伸ばした街路樹がまるで手のように道にはみ出している。

 住宅街側の見通しが悪く、誰か人が居てもなかなか気づけないのではないか?


「こーゆー雰囲気に乗じて、例の通り魔ってのも暗躍してるんか…?」



 夜道に一人歩く男性を標的にしてるらしいと噂の、口裂け女の話。

 既に一週間に三人の被害を出しているっていうんだから只事ではない。

 『神出鬼没の通り魔』………、語感に人外めいたものを感じさせるな。


「どれ、俺もその口裂け女って奴を探してみるか。どうせ暇だし。」

 時間を潰す意味合いも込めて、公園には歩きで入ることした。

 




―――今思えば不思議だった。

何故なら普段の自分より

自分に言い聞かせるというよりは、誰かに聞かれていることを想定した、

そのような独り言である。

そして目的の公園に着いてからというものの、

恐らく、あの時の俺は心の一端に何か不安めいたものを感じていたのだと思う。

その得体の知れない恐怖の源泉を、俺は無意識の内に巷の怪談事件にすり替えて克服しようとしていたのだ………




  ***




 「……あれこんな感じだっけか?もっとこう……広々とした空間だったような?」


 ライトの灯った外灯が幽かな遊具のシルエットを映し、誰も乗っていないブランコが風に揺れてキコキコと鳴った。

 丸く柔和なデザインを基にして作られた雲梯や登り棒が、何故かその奇形なフォルムを強く印象付ける。

 かつて多くの子供たちに彩られた空間が、今は見る影もなく寂しく置かれていた。


 「まぁでも俺も背が伸びたしな。昔よりちっちゃく見えるんだろう。」


 そんなもんだろうと見当をつけると、公園を囲む遊歩道に沿って俺は遊具スペースを後にする。


 公園は北側にグラウンド、南側に遊具スペースがあって、その中央を小高い丘が仕切っている(恐らくここが古墳跡地なのだろう)。その丘のうえには公園全体を見渡せる東屋があって、よく高校生か中学生のカップルがそこでイチャイチャしていたのを覚えている。

 この時間帯に人が居るとすれば、多分そこしかないだろう。


「……うーん、やっぱりあそこにも人はいないな。件の口裂け女も、さすがにデートスポットには行かないか。」


 丘の上に建った東屋には人影は見当たらなかった。途方に暮れて、一体俺は何をしているんだろうという虚無感に襲われそうだったが、折角なので公園の北側にも足を向けることにした。




 次第に遊歩道の灯りが薄暗く白む。北側の遊歩道は並木林の気配が一層濃く、蝉の抜け殻を探す少年には格好の狩場であったが、夜道に通る分には鬱陶しくてたまらない。


 それに何故かここには何のために作られたか分からない、祠がある。

 ちょうど公園の北東に位置してるため、風水的観点から作られたのかと思うが、

いずれにせよ気味が悪いのであまり近づかないようにしていた記憶がある。


「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」




―――その時だった。外灯の照らされた道の先に、道端にうずくまる人影が見えた。

 


 黒のニット帽に軽そうなダウンジャケット。十分に着込んだ外見だというのに、俯きがちに背を縮め、寒さに身を震わすように両手で肩を抱いている。

 人らしいことだけは確かであった。ただ、その体勢で道端に微動だにせずうずくまっていて、なんとも不審である。

 髪もニット帽で隠れて性別も分からない。だが、自分にはという気持ちが湧いてきた。


 恐らく例の通り魔の被害者だ。そう思い慌てて人影に駆け寄った。


「ちょっと!大丈夫ですか!?」


―――だが、帰ってきた反応は意外なものだった。



「………ッ!オ、お前、………!?」


 顔をあげたのは老人だった。肩に手を貸そうとして近寄った俺を、驚愕の相貌で見つめ返す。顔には汗がびっしりとはりついていて、キッと開かれた瞳孔が落ち着きなく右往左往している。


「お、おじ、いや、年配の方でしたか!何か体調でも悪いんですか!?」


チラリと胸や背中に血痕はないか確認する。切り傷のようなものは見当たらない。

老人がただ座り込んでいただけかと思ったが、どうにも様子がおかしい。


「……おまえさん、どうやってこの公園に入った?」

「え……どうって?…普通に入り口から入ったけど……え?」


怪訝そうな顔で尋ねてくるが、その瞳には真剣さが宿っていた。


「――では、お前さんにはが見えておるのか?」




―――見えるか、と問われて初めて気づいた。

いや、それは突然現れたと思う。

老人の背後、距離にして5m先の、寒小林の裏で佇む、不気味な影。

電柱かと見紛うほどの体躯に、突き出た鋭い鉤鼻。

口からぬらりとした牙を覗かせるそのかおは、狐のように思えた。

だが牛のように睫毛の長い目は、ジッとこちらを見つめて何とも不気味だ。

硬そうな体毛が装甲のように上半身を覆い、肉の剥き出した両腕には大きな鎌を持っていたが、その獣のような外見に反して、毛並みに透けて見える肌は生々しい真珠色の肉質を保っていた。

下半身が蛇の腹のように膨れ、その先に九本に分かたれた尻尾が伸びて……――。

化け物という言葉が相応しい、その凶貌。


――何故こんな現実離れした存在に、今まで気づくことが出来なかったのだろう。



「じ、じいぃさん!!!い、いる!!なんかいる!!道の向こうに、バケモンみたいな奴が俺たちを見つめているぞ!!?」

「………ではさっきまでは気が付いておらんかったということか。ふむ、なかなか厄介な性質の持ち主だな。」

 

 老人はやけに冷静だった。俺の動揺にも動じず、決して振り向くことなく辺りを観察している。


「ともかく、礼を言おう。アンタが声をかけてくれなきゃ、ワシはアレにやられてたかもしれん。…助かった。」

「助かったって………はぁ!?どういう意味だよそれ――」

「だがな、お前さんがここに来てしまった以上、ワシだけが助かっても意味は無い。だから覚えておいてくれ、そしてその胸に刻んでくれ。」


 



 『見た。聞いた。理解った。……お前はもうこの呪縛からは逃れられない。己の不運を呪え、もしくは――――背負ってみせろ。』





                そう。これが俺の奇妙な出会いの始まりだった。

              怪異に触れた夜は、己の宿命に出会った夜になった。

               いまでもこの言葉が楔のように心に穿たれている。

                  まさしく、この出会いは呪いであったのだ。

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