第1話 序観~駅近の塾、瑠璃川澪と~




「レン。全国模試何点だった?」

「――やけに自信満々じゃん。…心なしか口角も上がっているような気も?」

「……っ!別にニヤけてないわよ。あんまり酷かったら、笑ってやろうと思っただけ。」



 駅近の塾には全国模試の結果が届き、志望校判定に一喜一憂する生徒の熱気がこもり俄かに騒々しい雰囲気を醸成していた。

 同じ私立高校に通う瑠璃川澪るりかわみおは長い黒髪をなびかせて、共に自習室に向かおうとする際にそんなことを言いだしてきた。



「総合600点は超えた。けど思ったより数学の成績がイマイチだったな。おかげで前回からの志望校判定がランクダウンだ。」

「……ふふ。勝ったわね。」

「コラ。フェアじゃないぞ。」

「私は630点強ってとこかな。第一志望も当然A判定ね。蓮君の第一志望も、悪いけどA判定を取らせてもらったわ。」

「何てことをしてくれるんだ……!?」



 俺と瑠璃川の点差は約三十点差。

 つまり彼女の余計な介入が俺の志望校のボーダーを引き上げたことになる。

 およそ無邪気と言える、露骨なマウントに俺は思わず苦笑してしまった。

 瑠璃川という少女が勉強に対して背負う、親からの期待とその責任感に。



「でも、凄いわよね。うちの普通科って馬鹿ばっかりなのに、レンは独学で難関大コースの内容についてきてるもの。今すぐにでも、特進科に来ればいいのに。」

「……俺にも事情があるんだよ。普通科に通いながらでも、大学受験はできるさ。」



 そう。俺と瑠璃川は同じ私立山背やまき高校に通っているが、学科が違う。

 俺の在籍する普通科というのは、大学受験なんてまるで考えていない、精々専門学校に進学する生徒がわずかにいるぐらいの、お気楽な連中が通う学科だ。

 当然文理選択もないので、俺はこうして授業でやらない教科や範囲を塾や自習で補っている。


 対して瑠璃川の在籍する特進科、所謂特進クラスはバリバリの進学コースである。

 授業や勉強に対する姿勢も違っていれば、クラスも違う。

 本来であれば接点のない二人だが……。故あってこうして一緒に自習する仲である。

 いや、今思えば出会い方は一方的だったような……?



「いやでも、実際うちの普通科の評判悪いわよ?最近だって普通科の不良連中が深夜遅くに駅前で補導されてたって、SNSで流れてきたもの。」

「心当たりは……あるけど。でもそういう連中は意外と賢いから、俺みたいな陰キャには声掛けてこないよ。」



 正しくは同じ人種として見られていないというべきか。

 わざわざ話の合わない人間に、余りあるコミュ力を向けてこようとするほど彼らは馬鹿じゃない。

 要は、相手に『俺は至極つまらない人間ですよ』と認めさせることが肝心なのだ。



「他人事じゃないわよ。ただでさえ近頃はなんてのもあるし、変な人に突然絡まれることだってあるんだから。」

「連続通り魔事件?」

「えっ知らないの?」


 ニュースになってたじゃない、と瑠璃川は言う。

 初耳だ。しかもどうやらここの近辺で起きている事件らしい。


「ここ一週間で既に三件。人気ひとけのない住宅街で、夜道を一人で帰る男性が刃物を持ったに襲われるらしいわ。」

「被害者が男性で加害者が女性?なんだか妙じゃないか?」

「そうね。一般的に力の劣る女性が男性を襲うなんて珍しいもの。だから、ネットではって言われてる。」

「口裂け女って……確かポマードポマードって唱えればいいんだっけ。」

「違うわよ。犬が来たって大声で叫ぶんでしょ?」

「ふーん。そうだっけか。」



 口裂け女と言い出した時には「冗談だろ?」と思ったが、なるほど、瑠璃川も半ば迷信だろう、と真に受けていないらしい。

 口裂け女とは、都市伝説でまことしやかに語られた猟奇的怪異の一種だ。ただの変質者と思われがちだが、文献を探ると少なくとも江戸時代の頃からそういった怪談話があるらしい。それが現代風にアレンジされることにより、今や小学生でも知っている怪談テンプレートの一つとなった。

 


「被害者は全員男性なのか?」

「らしいわね。大体十~二十代の若い男性ばかり。犯行の手口としては背後から刃物で斬りつけるらしいのだけれど、抵抗する間もなくその場から立ち去ってしまうの。」

「……?何だか想像と違うな。普通口裂け女と言ったら『私、綺麗?』と問いかけてくるまでがお約束じゃないのか?」

「どうも違うらしいわね。でも被害者は全員『マスクをした女性に切りつけられた』と証言してるらしいのよ。」

「マスクをした女性、刃物で切りつける……なるほど。口裂け女説はここからか。」



 点と点が結ばれたが、どうにもお粗末な推察だ。実際被害はこの近隣で起きているらしいが、なんとも胡散臭い。

 ネット特有の、他人事だと思って面白おかしく吹聴された与太話に過ぎないのではないか?



「でも意外だな。瑠璃川もこういう浮わついた話題、好きなんだ。」

「………別に好きじゃないわよ。なんとなく息抜きにスマホ開いたら、たまたま目についただけ。そんなに興味湧かなかったけど、一応レンには伝えよって思っただけだから、………何よその目はっ!」

「ハハ、ホントぉ?」


 その割には被害者の証言だったり、口裂け女の撃退法だったり、詳しかった気がするけど?


「ちょっと。親切心で教えてあげたのにそれはないんじゃない?」

「あーっと、ごめんゴメン。ほら、これあげるからさ。」



 そういって俺たちは自習室の長机に参考書と筆記用具を広げる。

 この時間帯は人が少ないから、こうして二人で隣同士に座っても注目を集めることはない。たまにこうやって適当に会話しながら、二人でお菓子をつまむ時間が俺と瑠璃川の数少ない交流なのだ。



「ポッキーチョコ。しかもアーモンドクラッシュだぜ?」

「ブルジョワなチョイスね。すぐ無くなっちゃうわよ。」


 長机の端に置かれた互いの筆入れの隙間を埋めるように、箱に押さまったポッキーチョコが置かれた。食い意地を張ってるとおもわれないように、頃合いを計りながらお菓子に手を伸ばす。

 ふと、視界の端に瑠璃川の端正な横顔が映った。

 黒い艶のかかったロングヘア―を耳にかける所作がなんとも上品だ。

 お互いの気遣いが消える瞬間、こういった異性の芳香を漂わせてしまう一瞬に、

 俺は己の恥ずべき本性を自覚せずにはいられない。

 何気ない友人との付き合いに、このような劣情の生まれる瞬間があることなど、彼女にとってして見れば恐怖ではないのか?



「そういえば、瑠璃川の第一志望は俺のとは県も学科も違うよな。どうして判定先に俺の志望先を書いたんだ?」


「そんなの決まってるでしょ。レンに嫌がらせするため、ただの思い付きよ。」


「そうかい。じゃなくて良かったよ。」



これは確認だ。ここまで丁寧に探り当てた心地よい境界線を、誤って踏み越えてしまわないための。互いが異性であることを認識した上での、橋渡しのせめぎ合い。


この妙な緊張感と好奇心の応酬が、俺にとってのモラトリアムに違いなかった。

 














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