赤と緑の思い出

真堂 美木 (しんどう みき)

 赤と緑の思い出

 赤いきつねと緑のたぬき、私はどちら派なのだろうか。どちらが食べたいのかと聞かれれば「その時の気分次第」と返答できるが、どちら派なのかと問われると迷ってしまう。どちらも懐かしい味だから。


 私が中学生の頃はまだ学校は土曜日も午前中だけ授業があった。授業と言っても気分はもうお休みモードで「今日は半ドン」と朝からテンションが高めだった。半ドンという言葉が全国共通語なのか方言的なものだったのかは解らないけれどお楽しみの日であったことは間違いない。

 そんな土曜日の帰宅後の昼食はたいてい赤いきつねだった。母は四十歳を過ぎて私を生んだ。知らない人はそう聞くと「可愛がってもらったんでしょう」と、よく言うがそうでもなかったと思う。記憶の中の母はいつもしんどいと言っておりあまり穏やかな家庭とは言えなかった。種々の要因があったかもしれないし一概には言えないのだけれど母は当時更年期の影響もあったのではないかと今になって推測する。何故なら私の知る母は高齢になってからのほうが元気で晩年病に侵されるまでは、外出が好きでカラオケをしたり小さな畑で野菜を育てたりなどとても活き活きと楽しんでいたから。

 しんどいと言っていた当時の母の顔は険しかったが「これが一番美味しい」と何度も言いながら赤いきつねを食べている時は穏やかな表情だった。

 その影響からか私はあのコクの効いた出汁の香りを嗅ぐとほっとした気分になる。そのためについ赤いきつねばかりを手に取ってしまい緑のたぬきは気になりつつもなかなか食べる機会がなかった。


 そんな私に緑のたぬきとの思い出ができたのは二十年以上前のこと。その味わいと共に年越しという言葉とシャンパンが連想されるようになった。

 その頃は夫の両親も元気で年に何度も数時間の道のりを舅の運転で我が家に泊りに来ていた。正月もわざわざ地元の用事を済ませてからやって来て一緒に過ごすことが定例だった。年末は冬休み中の子供たちの昼食の準備に加えて舅や姑へのおもてなしに重点を置いた正月準備が普段の家事に追加された。大掃除も手が抜けなかった。その為に核家族で共働きの私は年末になると結構負担を感じていたものの、今から思うと忙しさに心を無くすことなく楽しめていたような気がする。ただ泊まっていた姑さんから朝食のあとに「お布団をもう、あげてくれていいよ」と、言われた時にはここは旅館かしら、おもてなしが過ぎたかしらと少し皮肉に思ったことはあったのだけど。今となってはそれも懐かしい思い出のかけらの一つとなっている。

 だが、何故そうなったのかは忘れてしまったけれど例年とは違い年末年始にこちらが夫の実家へ帰省した時があった。私の仕事は元旦のみが休みで大晦日も出勤だった。したがって、私だけがお留守番の年越しをすることとなった。

 その年の大晦日は天候不良だったが、山間部に住んでいた私たちは雪道には慣れており少々の雪は問題ないと楽観視していた。だから、朝の出勤前に夫と子供たちが出かけるのを見送った私はいつもとさほど変わりなくお昼過ぎには到着しているものと予想していた。

 当時看護師として外来透析に従事していた私は、馴染みの患者さんとその日の夕方に自然の流れで年末年始の過ごし方についての会話になった。

 「あれ、帰省って大丈夫なのか。高速道も止まってるし、里雪だから下道も大変で。大橋も止まってるで」

 「えっ、里雪なの。知らなかった」

 「いや、テレビでやってたで。ご主人と子供たちこっちに戻ってくるかもで」

 そのような会話だったような気がするが、話しながら動揺した。里雪は危ない。一概に決めつけてはいけないが、雪道に慣れていない里の人たちは数センチの積雪でも渋滞したり事故を起こしてしまう可能性が高い気がする。その事故に巻き込まれてしまう恐れもある。大丈夫だろうかと無事を祈りつつもこちらに戻ってきたときの年越しの準備が頭をよぎる。どうしたものか。とりあえず安全確認のためその場を離れて夫の携帯電話に連絡した。運転中だったら出られないかもと思ったが案外すぐに夫は電話に出た。その時は丁度フェリーに乗船中だった。海を渡ってしまえば今日はもうこちらに戻ることはないし行程の大部分は完了したようなもの。私は安堵したが夫と子供たちにとってはまだ大変な一日のさなかだった。

 無事に夫達が辿り着くことを願いながらも仕事の帰りに寄った店で、年越しそば用に緑のたぬきと一緒にいつもよりは少し高いと感じるシャンパンを自分の為に購入した。

 そのあとに自宅近くの温泉に行った。温泉といっても宿泊施設の無い山の中のこじんまりとした所。大晦日の閉店時間に近いことから従業員の方たちに申し訳ないと思いながらも、露天風呂の岩風呂や寝湯にも浸かった。そこには他に人はおらず静けさの中で湯の流れる音だけが響き、頬を撫でる空気は凛とした冷たさだった。寝湯の浮力に体をまかせると視線の先には漆黒の空に無数の星たちが煌めいていて特別な時空を漂っているようだった。

 帰宅後に夫や子供達と電話で一日の出来事を聞いた。高速道路は大橋も含めて通行止めで、渋滞のなか何とか港に着いたがその場所もひどく混雑していた。夫は車から離れることができず、当時まだ小学生だった子供たちで乗船券を買いに行ったそうだ。初めてのお使いの気分だったのだろう。子供たちからその時のことを興奮気味に聞かされた。

 電話を終えた私はいつもは使わないグラスにシャンパンを注いだ。一人だけの部屋にはテレビから流れる音楽に緑のたぬきをすする音が重なった。

 緑のたぬきとシャンパンはとても相性が良く美味しかった。その事があってからは時折緑のたぬきにもお世話になっている。


 いつのまにかかなり年齢を重ねてしまったけれど、振り返ると赤いきつねと緑のたぬきのどちらにも大切な思い出があった。人生のかけらが双方の出汁に溶けている気がする。

 



 

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