補話「ある研究論文」

記憶とはどこに蓄積されていくのだろうか。

脳髄?心臓?

断じてそんなところにはない。

結論から言おう。

記憶とは、全身に蓄積されているのだ。

脳髄にある?

だとしたら頭を入れ換えてしまえば別人になってしまう。

だが現実はそうではないだろう?

心臓にある?

だとしたら心臓移植をしたらその人がその人でなくなってしまう。

だが現実はそうではないだろう?

普段からバットを構え、素振りをしている人に、バットを渡すと、振りたくなってしまうように。

長年、自衛隊に入っていた人が、起床の合図で否応なく起きてしまうように。

記憶と経験は密接に結び付いているのだ。

たとえ両足を失くしたとしても、歩き方を忘れたりはしないだろう?

たとえ視力を失ってしまったとしても、長年見ていた家族の顔や、部屋の形を忘れたりはしないだろう?

つまりはそういうことなのだ。

記憶とは身体のどこか一部にあるのではく、

全身でひとつなのだ。


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