「右手に箸を。左手に茶碗を」

「あの、申し訳ないんですけど、どちら様でしょうか?」

返ってきた返答は、他人行儀で、端から見ればわたしが失礼なことをしているように捉えられかねないものだった。

しかし......


「どんなに覚えていなくても、わたしはお兄ちゃんの妹だし、いつか......」

泣かせてしまった......のだろうか?

声を掛けてあげたほうがいいのだろうが、生憎僕にそんなスキルは持ち合わせていない。

こんなとき、あの人だったら気のきくことができるのだろう。

............

......ん? あの人?

あの人って誰だ?


いつも通っていた場所。

いつも通っていた時間。

なにも変わってないはずなのに、今日は「いつも通り」じゃなかった。

紺色の服を着て、同色の帽子を被った人が何人もいる。

すぐそばには自分の乗っていた車と同じものがある。

これから現場検証とやらが始まるのだろう。

環境だけ整えても意味ないのに。

事故が起きた事実しか、

そのことしか見えていないのだろう。

なんなんだ。本当に。

全部アイツが悪いのに......


病院食が出された。病気ではないので、結構しっかりとした量だった。

「............」

さっきからずっと女性が見てくる。

チラ見とかいうレベルじゃない。

「あの、あんまり見られてると......」

困るんですけど。と言おうとした瞬間、泣き始めてしまった。

この人は情緒不安定なのか?

またしても、泣いてることに対して、 僕は女性にされていたように、ただ見ているだけしかできなかった。


「タイヤ痕が残っていないことから、あの人はぶつかるまで気付かなかったのでしょう」

部下の報告を聞きながら俺は考える。

あの人、山西は昨日話を聞いている限りでも、一ミリも罪悪感を抱いているように感じられなかった。

寧ろ、「ぶつかった相手が悪い」とまで思っているような......

兎に角、他にも当時の山西の状態がわかるものがないと、なんとも言えないな。もしかしたら飛び出しかもしれない。


お兄ちゃんの様子を見て、「あぁ、良かった」とこころの底から思った。

多分わたしのことを覚えていないことから考えても、きっと家族のことも覚えていないかも知れない。

だけど。だけれど「もしかしたら」という不確定なものに希望を見出だしてしまった。

わたしを忘れてて、家族を覚えていたら、きっとショックを受けるに違いないのに。

今日の夜ご飯にはお母さんの作った肉じゃがを出してもらった。お兄ちゃんの好きなものではないけれど、とても思い入れのある料理なのだ。

それを食べたお兄ちゃんは、果たして、涙を流したのだ。

肉じゃがのことは、覚えていたのだ。

良かったと思うと同時に、辛くもなった。

自分で思ってる以上にこころに来たのか、わたしも泣いてしまった。

なんでこんなことしたのかと、一瞬でも後悔してしまった。


箸を持つ右手に水滴が落ちてようやく気付く。

“僕も泣いていたのだ”

なぜかはわからない。失くした記憶と関係があるのかすらもわからない。

なんでだろう。

覚えている限りで初めて、覚えていないことに憤りを感じた。


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