第5話 実家、初日

 2021年 8月1日。日曜日。

 今朝になって、(昨日と同じ服装の)啓介さんが実家に顔を出した。

 どういう風の吹き回しか『美兎の骨折が完治するまでの間、金曜日の夜~土曜日いっぱいは僕が亮の面倒見に引き取りに来ますね』と言うおまけつき。

 文字通りおむつの替え方すらわからない人に預けるのはとてもとても不安を覚えるのだけど……。

 私の血縁者は皆、啓介さんの肩を持つので『さすが、お手本のような旦那様だ』だとか『お仕事大変なのに偉いなぁ』とか散々褒めちぎるので私はとてもとても居心地が悪かった。

 何故か、哲兄だけは終始無言で不愛想だったけど。

 でも、それもこれも私が怪我をしたせいだもんね、仕方ないよね。

 一から十まで私が、全部、一人で、亮ちゃんのお世話しないといけないのに……。

 でも今日の来客はそれだけじゃなかった。

 お昼過ぎ、啓介さんから話を聞いた義母が実家を訪ねてきた。

「美兎さん、この度は災難でしたわねぇ。息子がいない時にそんな事になるなんてねぇ、可哀そうに」

 お義母さんは物腰が柔らかい、丁寧な人……つまり啓介さんとよく似た性格の人だった。

 そもそも啓介さんの態度が変わり始めたのはドラマでよくある姑の嫁いびりが発端で、私がそれに何でもはいはいと素直に従っているのを見て『強く出ればどんな無茶難題でも受け入れてしまう人だ』と言うことを学習してしまったからだと、私は思っている。

 つまり私からするとゲームで言えばラスボス的な存在が突然訪問してきたというわけで……啓介さんがやってきた午前中よりよっぽど緊張していた。

「ほんとウチの美兎がとんだご迷惑を……しっかりこちらで療養させてお返ししますので……」

 形式的な物なのかわからないけど……お母さん、昨日私が電話した時はしぶしぶ了承した感じだったのに。

「いえいえ、本来であればこちらで何とかする所ですのに、こちらこそご面倒おかけしますけどよろしくお願いしますねぇ」

 その考えは、今の今まで微塵も頭に浮かんでこなかった。

 つまり、義母を頼るという考え。

 そりゃラスボスに頼る主人公なんていないよ……。

「美兎は本当にいい所に嫁いだねぇ」

 私にとってあまり好ましくない来客が帰った後。

 お母さんがふとそんな事を言い出した。

「え?」

「離婚してるとは言え、しっかりと息子さん育ててさ。やっぱりこの親にしてこの子ありなのかねぇ」

 ずず、とお茶をすすりながらそう続けたお母さんの発言に私は心底ぎょっとして目を見開いた。

「あら美兎。どうしたの? お母さん何か変な事言った?」

「あ、えぇっと……その……」

 どう伝えたものか、いや伝えたところで信じてもらえるのかどうか等と思案をしているとお父さんが横から口をはさんだ。

「母さん。そりゃ悪い意味で使う言葉だ。失礼だろう、美兎だってそう言いたいんだよ。なぁ?」

「いえいえお父さん。二つの意味があるんですよ。そしてもちろん良い方の意味で使ってるんです~」

「……そうかい」

 的外れなツッコミだった事に不貞腐れるでもなくごろりと畳に寝転がるお父さん。

 今回はお父さんの発言で言わずに済んだので、ほっと胸をなでおろした直後。

「まぁでも美兎がいてくれるなら商売も少しは楽になるだろうしな」

 と、お父さんが少し出っ張ったお腹をさすりながら呟いた。

 実家は商店街からちょっと外れた所に出店している和菓子屋で、お父さんでもう8代目を数える古い店なんだ。

 哲兄はじめ、子供たちは誰も跡目を相続しないのでお父さんの代で終わりになってしまうけど。

 もちろん私に和菓子を作るスキルはないので店番や裏方の手伝いをするという意味だろうけど。

 そうだよね、実家にいた時は当たり前のようにお手伝いしてたもんね。

 実家にいるなら実家の手伝いをするのが当たり前。

 でなきゃ私はここに置いて貰えない、その意味や価値が無くなってしまうもの。

 不要な物はいずれ捨てられてしまうから、不要にならないようにたくさん頑張らないといけないんだ。

 じゃあ、必要なのに捨てなきゃならない事があるとしたら、それはどんな時なんだろう?

 その時、これまで終始無言だった哲兄が血を分けた妹に向けているとは思えない重いトーンで口を開いた。

「……怪我が治ったら出てけよ。俺は赤ん坊が嫌いなんだ」

「ごめんなさい……そうします……」

 彼女がいた事は何度かあるけど、齢40になってもまだ独身で実家暮らしの哲兄は最近女性や家族、家庭というものに対してかなり否定的な言動をするようになっていたので、妹とはいえ私はその区分に分類されてしまっているのだと思った。

「哲、そんな大層な事言う前に結婚相手でも見つけるんだな」

 数年前からお父さんはそんな事を度々、哲兄に言うようになっていた。

「ふん、その気になれる女がいるならな」

 やれやれ、とお父さんはそれっきり口をつぐんで本格的に昼寝をしたいのかごろりと一回、寝返りを打って向こう側を向いた。

「哲兄はイケメンだし優しいからきっとその気になればすぐだよぉ」

 ふにゃりとした笑みでフォローをしたけど、哲兄は何か面白くなかったのか、

「うるせぇ。兄貴を差し置いて結婚決めた人生の勝者にんな事言われたくねえわ」

 とぶっきらぼうに返してきた。

「ごめんなさい……」

 私の発言はこうして血縁者でも怒らせてしまう。

 どうして余計な一言を言ってしまうんだろう……。

 私がそんな事言わなければ皆、にこにこ笑っていられるんじゃないのかなぁ……。

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飼いならされた兎は高く跳べない 高宮 紅露 @KTpresents

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