第2話 自宅での日常
「はぁ? ばっかじゃねーの? 何で俺が育児しなきゃなんねーんだ、よっ」
「ひっ!」
怒鳴り声と共に飛んできた『何か』はたまたま運が良かったのか、わざと外してくれたのかはわからないけど私に当たる事なく居間を通り越してキッチンへ盛大な音を伴って着地した。
「お前なぁ? 母親だろぉ? 母親ってのは育児するモンじゃねぇの? 俺は父親だからな? 外出て金稼いで来るのが役目だろ? え?」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、じゃねーんだよ。どうなんだよ? って質問してんの。わかる?」
「ごめんなさい……」
怖い。
もう、『ごめんなさい』は私の口癖だった。
「だからさぁ……質問に答えろ、つってんの!」
さらに語気を強めて糾弾してくる啓介さん。
どうして謝ってるのにもっと怒ってくるんだろう……。
「その通りです……」
「だろう? じゃあどうしたらいいかはわかるよなぁ?」
「はい……」
「お前の実家には俺からもよく言っておくから。そっちで育児してくれ」
「はい……」
病院での診断結果と、お母さんからの質問をそっくりそのまま話した直後の出来事だった。
育児は女親がするもの。
お父さんもお兄ちゃんもそう言ってたし、それが普通なんだよね。
『イクメン』とかはテレビの中の出来事で、現実はこっちが正解なんだ。
「ああそれと俺、明日出かけるから。その間に準備しておくように」
先ほどとは打って変わって猫なで声で指示を出してくる。
「わかりました」
明日、出かけるってどこに……。
土曜日だし仕事じゃないのは確かだけど。
そんな事を聞いたら『いちいち詮索すんな』ってまた怒鳴られちゃう。
「あのさぁ、俺だって怒りたくて怒ってる訳じゃないんだよ。でもお前と亮の事考えたらそれが一番だって思うんだよな。な? わかるだろ?」
「わかります……ごめんなさい。明日には実家に行って療養しますね」
ああそうしてくれ、と言い残して啓介さんは寝室へと居間を後にした。
ふぅ、と小さくため息をついてから先ほどキッチンに飛んで行ったモノの残骸を片付けようと傍らにある松葉づえに手をかけた時。
あぁーっ……あぁーっ……んぎゃぁぁぁぁ…………
あ…亮ちゃんの夜泣きが始まった、行かなきゃ。
普段はまだ私の目の届く範囲で寝かしつける時間だけど、今日は啓介さんに話をしなくちゃだったので(そしてきっと、私が怒鳴られると思っていたので)寝室に寝かせていたんだ。
「美兎! 泣いてんぞ!」
続けて啓介さんの怒鳴り声が家じゅうに響き渡る。
「はっ、はーい! 今行きます!」
私の役目だもんね、私がやらないと。
杖と座卓を支えにやっとの思いで立ち上がると、ひょこひょこと跳ねる感じで廊下を渡って寝室の扉を開くと……。
「!!」
室内の光景にハッと息をのむ。
危うく支えの松葉づえを落としてしまう所だった。
過去、何度か見た光景だけど……やっぱり見慣れて良いものではなかった。
目を逸らしたいけどそこに息子がいる事を考えるとそうするわけにもいかない。
「あの……亮ちゃんをこっちに……」
「遅ェよ。秒で来いよ。たったこれだけの距離移動するのにどれだけの時間かけるつもりだよ?」
「……ごめんなさい」
自分はベッドにどっかりと腰かけたまま、サッカーのボールリフティングの要領で足の甲に乗せた亮ちゃんを私にと向けてくる。
前に、止めて欲しいと懇願はしたのだけどその時もやっぱり怒鳴られて、それがさも当然って言われて、やっぱり私は「ごめんなさい」と言うだけだった。
納得できないのは私が理解できないせいだし、怒鳴られるのは理解できない私が悪いから。
私は啓介さんと違って中学高校とサッカー部に所属していたわけではないから、サッカー経験者の深慮遠謀なんて到底推し量れるものではないよね。
でもやっぱり自分の息子をボールと同じように扱うのは見ていて気持ちのいいものではなかった。
これも私が分かってないのが悪いから。
ううん、今はそんな事よりも。
何とか夫の足から亮ちゃんを引き取ると、今だに泣き止まぬ赤子をあやす。
「よしよし、誰もいなくて怖かったね。ごめんね。もう大丈夫だよ~」
「おい、明日早いから俺はもう寝るからな。もう夜泣きさせんじゃねーぞ」
「はい、ごめんなさい」
とは言ったものの……あんまり夜泣きしない亮ちゃんだけどする時はするし、幼子の夜泣きなんて止める手立ては無いと思うの。
せいぜい私が寝ないで泣いたらすぐあやす、をするくらいかなぁ……。
うん、頑張ろうー。
私がやらなきゃね。
翌朝。
寝ないようにとスマホで韓流ドラマを観ていた私はしっかり寝落ちしてしまって……結局鳴き声で起きる事数回。
出かける直前、啓介さんから「泣き声が煩くて全然眠れなかった。事故ったらお前のせいだからな!」と言われてしまった。
私は、「ごめんなさい」の回数を増やしてしまった……。
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