第三百二十二話 再始動





◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第六中間点・<正偽統合天城:オリュンポス・ディオス・パルテノン>ゲストルーム(凶一郎と遥の部屋)




「馬鹿なのかにゃ!?」


 俺の悲壮な決意に対する猫師匠の第一声は、驚きと怒りだった。


「誰がそこまでしろって言ったのさ!」

「分かってる。お前に責任をなすりつけるつもりはない。全て俺が自分の意志でやった事だ。俺は自分の心に従って、自分の分身を――――」

「だから馬鹿なのかにゃ!?」


 今度は明確に怒気が込められていた。

 眉根はきりりと吊りあがり、両手がわなわなと震えている。

 ……封印コレでは足りないという事なのだろうか?



「あのね、凶さん。良い機会だから話しておこうと思うんだけどね」


 小さな溜息が彼女の口から漏れた。呆れと怒りと申し訳なさとありがたさと愛おしさが混じり合った複雑な溜息だった。


「君はそこまであたしの為にしてくれなくていいの」

「たった一人の恋人を大事にするのは当たり前の事だろう」

「うん。正しい。正しいよ。正しいし、感謝してるし、すっごい嬉しいんだけどさ」


 恒星系の目が申し訳なさそうに伏せられ、声のトーンが一オクターブ下がる。



自己犠牲ただし過ぎて不健全の域に達しちゃってるんだよ。自分の健康の為に、好きなもの我慢し過ぎて逆にストレス溜まっちゃう的なそんな感じのアレですよアレ」


 衝撃が走った。

 ダイエットの際、過度な糖質制限や脂質制限、更には十六時間断食オートファジーといった『食べる事を我慢』する方向性で頑張った方々が、最終的に痩せて禿げたという例は枚挙にいとまがない。


 要するに幾らその行為が“善き事”だとしても、自分の心を蔑ろにするといつか手痛いしっぺ返しを喰らうぞという事なのだ。


 そして今の俺の行動様式は、どうやら『痩せて禿げる』パターンにあるらしい。



「すまない遥、俺はまた」

「違う、違うんだ凶さん。謝るべきなのはあたしの方で、君は悪くないの」



 ワケが分からなかった。何故こいつが頭を下げているのか俺には全く心当たりがない。


「君は優しくて、すごく気遣い屋さんだから、あたしが嫌だなって思ったり辛いなって感じた時はいつだって素敵な方法で解決してくれるよね」

「そう在ろうと努めてはいる」

「うん。それはありがとう。本当にありがとう。だけどあたしは、凶さんを犠牲にする形の幸せは望んでいないんだ」


 反論しようと口を開くが、パーの形をしたハンドサインで「今はあたしに喋らせて」と告げられる。



「『天城』出発前に言ってくれた言葉も、あの旅行の最後に教えてくれた告白もすっごく嬉しかった。嬉しくて幸せな気持ちになって舞い上がっちゃって、だから君に“あたしが機嫌悪くなった時は何かを捧げればいいんだ”って、そういう解決策パターンを覚えさせちゃったんだよね? ごめん。ごめんね、本当にごめんなさい、心から反省します」



 醸し出されるシリアスアトモスフィア。どうやら俺は虎の尾ならぬ猫の尾を踏んづけてしまったらしい。


 遥の左人指し指が、件のブツを差す。


「コレは違います。君の尊厳を傷つけてまで優先すべきあたしの幸せなんてどこにもないの」



 そうして俺はようやく思い出したのだ。バトルの時の圧倒的な強さやジェラシーモードの振る舞いばかりに気を取られて見落としがちだけど、元来の遥は利他の人なのだ。


 産まれて来た時からつい最近までひたすら家族や道場の為に強い自分をこなし続けて、買い食いも夜の世界を歩いた事もなくて、恵まれている自分はその分だけ頑張らないといけないとずっと良い子であり続けたそんな人格形成キャラ


 ……だから遥は、俺を独占したいと考えるのと同じくらいに俺に幸せになって欲しいと思っている。


 そんな優しい彼女からしてみれば、この提案は確かに受け入れるわけにはいかないものなのだろう。


「いや、俺の方こそごめん」


 そしてまた俺自身も俺の事を思い出す。

 ――――昔からの癖だった。

 何か問題が起こった時、まず一番に自分を都合のいいフリー素材として勘定に入れる。

 だって自分テメェだけは自由に使って良いから。全部自己責任俺の為で片付けられるから。


 人の本心なんて分からないし、思い通りに動いてくれるとも限らない。

 だから確実なリソースであり、事実上のノーコストである俺をどれだけ上手に働かせる事が出来るのかが世渡りのコツだと考え、それを実行に移し続けた。


 しかしどうやら、事実上のノーコストは本当のノーコストではないらしい。


 遥は言った。


「ううん。あたしがもっと早くに気づいて、止めるべきだった。嫉妬してばっかで、君の優しさに甘え過ぎてたの」


 「それは違う」と俺が言い、

 「そんなことない」と遥が反論する。


 そんな当事者達にとっては重要で、傍から見れば不毛な堂々巡りの謝罪ラリーを繰り返した後、俺達はようやくこの件に関する落とし所を見つけたのである。



「ソフィちゃんの件は、あたしが許可します。その代わりソフィちゃんとお話しした分だけあたしともお喋りしてください」

「ありがとう。俺も、出来るだけ自分を不幸せにするような解決策プランを立てないって約束するよ」



 小型のエッケザックスは、役割を失った。





「で……本題はここからですよ遥さん」

「いよいよアレに斬り込みますか凶さん」


 湯呑みに淹れた温かいヨモギ茶をすすりながら二人揃って「はぁっ」と溜息をつく。


 テュポーンとソフィさんを巡る最大にして最悪の嵐は、かくして一つの決着を迎えた。

 しかし災害の本番が往々にして、俺達の前にもまた、事後処理という名の地獄が待ち受けていたのである。



 会津。会津・ジャシィーヴィル。仕方がなかったとはいえ、俺達は千載一遇の好機を逃してしまった。


 これについて遥を責める事はできない。というか遥は最大の功労者にして救世主だ。ただでさえ負担のかかる『降東』の突然変異体戦をこなし、更には俺の危機に颯爽と駆けつけてくれたのである。


 遥はまるで俺が彼女の為に日夜我慢しているように語っていたが、そんな事はない。彼女はどんな時でも俺の身を案じてくれて、力を貸してくれて、心の支えになってくれる。

 だから俺も日夜可能な限りその恩義と愛に報いたいと考えているのであって、それを我慢と称されるのは些か一面的な意見であると反論せざるを得ない。

 

 話を戻そう。紆余曲折の末、仕方なく一回休みを選んでしまった俺達は会津攻略への足がかりを失ってしまった。


 被害者面をするつもりはない。最悪のタイミングで出張ってきたアンチクショウに対しては「くたばれ!」と罵詈雑言を並べた挙げ句あのスカした面を思いっきり殴ってやりたい気持ちでいっぱいであるが、それは結局のところ自分で自分をぶん殴っているに過ぎない。


 つまりテュポーンの不始末は、清水凶一郎おレ達の失態なのだ。

 だからどうするもこうするもない。俺達はただ粛々と目の前の難問を解いていく他にないのである。



「突然変異体の二体目みたいなのはいないの?」

「いない。ここから先はボス戦まで一方通行……ではないんだけど」

「? あぁ、三十五層のボスにはちょっと特殊なイベントがあるって言ってたね」



 三十五層のボスは『降東』の明王と因縁のある神格であり、戦闘の最中で彼に認められれば最終層で力を発揮する特別な神器アイテムを頂けるのだ。


 最終階層守護者との因縁を持つボスとのイベント――――『降東』というダンジョンを一つの物語として例えるならば、むしろようやくここからメインストーリーが動くと言っても過言ではない。……過言ではないのだがしかしその一方で事件は全てボス部屋で起こる為、これを利用して道士達への妨害工作を立てるという事は不可能なのである。


「なら、どっかで時間見つけて交渉やるしかないねー」

「そうなるよなぁ」


 安全保証がない状態でスパイの攻略に臨むのは不安しかない。

 万が一話し合いの最中にポリコレが現れたら確実に状況は詰む。

 来る聖夜決戦において、彼は代えのきかない無二の役割を持っている。

 獅子身中の虫を頼れる二重スパイにクラスチェンジできるかどうかは、この旅の行く末にかかっており、そしてその旅の道程も最早終盤戦に差し掛かっていた。



 最後の中ボスが控える三十五層。

 これまでの中ボス達が一堂に会するボスラッシュの四十層。

 それが終わればいよいよ最終階層守護者戦だ。


「今夜やろう」


 つまり答えは最初から一つしかなかったのである。



「第八中間点まで上がって、そこで改めて仕掛ける」

「なんで第八中間点?」

「これ以上中ボス戦がなくて、おまけに逃げ場がある」



 精神の宮殿でテュポーンの野郎が言っていた言葉を思い出す。



“それにこれは推測だが、おれが奴等の立場なら『明王』の目前で仕掛けるね”


“一網打尽を狙うなら、ここ以外あり得ないだろ? 唯一の逃げ道が『明王』の御前だなんて死刑宣告にも等しいだろ?”


 広く開けた森の入口か、あるいは逃げ場のない断崖絶壁か?


 獲物を追い詰める時にどちらの方が有効かって話ならそりゃあ断然後者だろう。


 『陰陽眼』の力で俺達の位置座標を捉えている姜子牙は、好きなタイミングで盤面に干渉する事ができる。


 しかしそれは、裏を返せば彼の行動指針もまた「俺達の位置座標」という絶対的な情報源に引っ張られているという意味でもあるのだ。


 無論、確証はない。今この瞬間にも姜子牙が立てこもりを解き、怒れるポリコレを伴ってこの第六中間点に現れる可能性もゼロではないのだ。


 今現れるかもしれないし、思いも寄らぬタイミングで現れるかもしれない。しかし最も確率が高く、同時に彼等に現れて欲しくないタイミングは『明王』前の最終中間点一択だ。



「どの道もう、安全な場所なんてどこにもないんだ。だったら比較的マシなタイミングで仕掛けるべきだと思うんだけど、どうかな?」

「賛成であります! 隊長殿!」


 頼れるエース様からの信任も頂いた。

 破壊神の理をテュポーンから学ばなければならない都合上、どの道明日は丸一日休まなければならない。


 だからこうした方がいいと言うよりは、こうする他にない。


「んじゃあ、今日も一日よろしく頼むぜ遥」

「昨日の件で遅れちゃった分は、今日の頑張りでまとめて返そうね、凶さん」



 拳を固めて小さくカチリとぶつけ合う。


 四日目。今度こそ正真正銘会津攻略に向けて、


「気合入れて」 

「行きましょう!」



 俺達は、走りだしたのである。





―――――――――――――――――――――――



・更新頻度につきまして


 色々考えましたが、とりあえず木曜日と日曜日の週二更新を定期更新としてお送りしたいと思っております。



 また、引き続きのお願いになってしまいますが、7月26日に発売したばかりのコミカライズ版の方を何卒よろしくお願い致します。何卒お力をお貸し頂けますと幸いにございます。


・次回の更新は8月25日(日)を予定しております。お楽しみにっ!

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