第三百十三話 帝釈天
◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第二十九層・<正偽統合天城:オリュンポス・ディオス・パルテノン>コントロールルーム
遥達と突然変異体の戦いが始まった。
地獄に満ちる金色の殲光。
対峙するは星座の様に煌めく蒼と黒緑の流星達。
雷の速さで動く彼等の戦闘は相も変わらず派手で、猛々しく、そして何をやっているのかがまるで
ならばこそ、足手まといな俺達にできる選択肢は、退避の一択であった。
怪物達の激戦を尻目に、一目散にポータルゲートへと向かうオリュンポス。
「あの、凶一郎さん」
それは<天城>が宙を翔け、次の次元を目指すその最中の出来事だった。
コントロールルームに配置された全天周辺モニターを睨む俺の横に腰を置く花音さんが少しだけ遠慮がちに尋ねてきたのである。
「凶一郎さんは、今回の作戦について、時間稼ぎかこちらの強化の二択だからどう転んでも私達に有利だって仰いましたよね」
「言ったね」
「だけどこの作戦ってもう一つ裏目が存在しませんか?」
「……というと?」
桜髪の少女の表情が我が意を得たりとでも言いたげな輝きを放つ。
「ズバリ、突然変異体が、はー様達が撤退に追い込まれる程の強敵であった上で、追っ手側に簡単に狩られて
「……」
不覚にも言葉を失ってしまった。
彼女の慧眼があまりにも的を射ていたからでは勿論ない。
むしろ逆というか……いや、厳密には逆ではないのだけれど、その、なんというか
「(ソレ、会議の時に会津がガッツリ指摘したヤツじゃん!)」
この子イヌ系後輩、恐らく途中から話がついていけなくなってたんだ!
だけど思春期特有の強がりというか、あるいは会議の流れを止めちゃ悪いなと思ったが故の気遣いなのかは知らないが、とにかく彼女はいわゆる「知ったかぶり」をしたまま会議を乗り切ってしまい、そして今になって件の指摘を思いついたのだろう。
会津とソフィさんが何を言ってるんだこいつはという眼で、桜髪の少女を傍観する。
二人共、大変空気の読めるキャラであり、コミュニティの輪を尊重できる人材だ。
だから表だってダメだしを入れるような無粋な真似は致さない。
なので後は俺がイイ感じでこの
「流石は……花音さんだぜ」
俺が褒めると、何故か後ろのギャラリーが「おおっ!」と歓声をあげた。
「実にクールで良い質問だ。確かにそこは気になるよね」
「はい!」
とても純真な笑顔! この微笑みを絶やしてはならないと胸に誓いながら、俺は優しく、易しく「何時間か前にぶったばかりの解答」を繰り返す。
「オーケー。それじゃあまず始めに結論から言うと、この選択はどれを選んでも裏目が存在するんだ。例えば一見、安全牌にみえる“何もしない”って選択肢を検証してみようか。……花音さん、もしも俺達が何もしないでここを素通りしたらどうなると思う?」
「繭の中の怪物は放置されたまま、目覚めません」
「その後は?」
「姜子牙さんが裏切った場合は、そのまま悪い人達が二十九層を無事に通り抜けると思います」
「だけどもしも敵があの繭を見つけて、そして天啓欲しさに攻撃をしかけたら?」
突然変異体にも幾つかのパターンがある。
『月触』の死神の様に突如として現れて、周りに害を為す発生型。
自身の縄張りを周回し、見つけた獲物に襲いかかる回遊型。
そして『オリュンポス』やあの繭のように普段は動かず特定の座標に居座り続けるシンボルエンカウント型。
発生型の突然変異体を初見で突き止めるのはそれこそゲーム知識でもなければ無理な話だろうが、後者二つ、特にシンボルエンカウント型の突然変異体を捕捉するのは別に特筆した技術や知識がなくても、
特にあんなアホみたいに大きくて場違いな輝きを放つ「繭のようなナニカ」があれば、余程の阿呆でもない限り気づくだろう。
……あっ、これヤベェなって。
そして好戦的なプレイヤーは、ほくそ笑むだろう。
天啓獲得のチャンスが来たぜってな。
「普通の冒険者なら、そりゃあスルーするだろうさ。だけど俺達を追ってる奴等はどうやらまともな相手じゃなくって、下手したら俺達が何もしなくても繭を攻撃して、突然変異体と争いを始めるかもしれない」
俺達にとって最悪のシナリオは、『降東』の突然変異体がポリコレ達の足止めとして機能しないままに天啓を奪われて、結果奴等だけが得をするという未来だ。
このバッドエンドに辿り着くルートは大別すると二つ。
花音さんが指摘したように「遥達が撤退した上で、ポリコレ達が突然変異体に圧勝するパターン」か、今俺が語ったように「こちらがスルーした突然変異体を奴等がわざわざブッ倒して天啓を獲得するパターン」のどちらかだ。
「放置と戦闘、どちらを選んでも最悪に辿り着く裏目がある。選択肢は二つ。そしてバッドエンドも二つ。だったら俺達はどうすればいいか?」
「……その二択だったら、私は戦う方を選びたいです」
「どうして?」
花音さんの瞳が、少しだけ賢さを帯びた。
「放置は、こっちが一方的に損をする可能性があるからです。相手があの繭をスルーすれば盤面は何も変わらず、仮に相手が繭を見つけてチョッカイをかけたとしても、時間内に攻略されれば向こうの戦力を増強させるだけ。唯一の“当たり目”は、向こうが繭を攻撃した上でなおかつ、戦闘が長引くパターンですが……」
「それをやるなら、最初からアイツをけしかけて確実にマッチアップを組んだ方がいいよね?」
どちらの選択肢にも「敵側に天啓を獲得される」というバッドエンドがある。
そしてこのバッドエンド条件をブチ破る為には①こちら側が先に突然変異体を打ち倒すか②相手が金色の繭を放置するか③目覚めた突然変異体が時間内に相手側に打倒されない(つまり時間稼ぎが上手くいったパターンだ)のいずれかの条件を満たさなければならない。
だが②の「相手が金色の繭を放置する」パターンは、その条件を満たしたところで、こちら側に何の得もない。
ゲーム盤が道士の手の平の上にあるという状況は何も変わらず、戦力の増減もないまま……いや、厳密に言えば「例え奴等が天啓を獲得していなかったとしても、こちら側にそれを確認する術がない為、結果余計な考察を入れなければならない」という
“禁域”『降東』の
こいつの有無は、確実に今後の戦況を左右する。
だからリスクを可能な限り軽微なものにする為に、せめてどの陣営がソレを得るかだけでも明瞭にしておきたかったのだ。
折角の先行特権をみすみす手放すのも、なんだか損な気がするし。
「(……状況を不審に思った道士がやって来るならそれはそれでって感じだしね)」
ウチと道士とポリコレ。
この三つの勢力が同時にカチ合わせた場合、最も勝ちやすいのは俺達だ。
だって遥とガキさんは組んでいる。対して“
四者の戦力がほぼ拮抗していると仮定した場合、彼等の戦闘の図式は必然的に2対1対1となり、こちら側に相当優位な展開となるわけだ。
――――想定されうるポリコレ来襲イベントが最悪たる所以は、怪物達の戦闘に巻き込まれた俺達が為す術もなく死ぬ点と、それに呼応するように会津が“十三道徳”側に寝返る部分にこそあり、逆を言えば
だからこの局面で奴等を釣る事ができるのならば、それはそれで儲けものなのさ。
「(あの二人が『降東』の突然変異体とやり合えば、姜子牙が来ようが来まいが確実に“時間稼ぎ”が成立する)」
時間稼ぎというのは、何も最終階層到着までの妨害だけを指した言葉ではない。
勿論、そうなったら理想的だ。だけどゲーム時代のデータと今の遥達の戦力を分析すれば、現実的な答えは大体見えてくる。
……だから俺が「本当に稼ぎたい時間」は、別にあった。
「(今から約三時間、二十九層は遥達と突然変異体が激戦を繰り広げ、万が一イレギュラー達が乱入を決めたとしても数的優位で押し切れる)」
三時間は稼いで欲しいという密命を、二人は快く引き受けてくれた。
彼等の献身的な協力によって生まれた凪の時間。
この貴重な
「(お前を“攻略”してやるぞ、会津・ジャシィーヴィル)」
――――その時は、目前まで迫っていた。
◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第三十層
三十層のボスである帝釈天は、二十層の階層守護者である『
“
“天帝”インドラより分かたれた神性は護法神話の一部として新たな在り方を獲得し、やがて独自の法則を得る領域にまで至った。
『雷禍ノ試練、越エテみヨ』
雷が雨のように降り注ぐ夜の荒れ野に佇む白色長髪の貴人。
端正な顔立ちに、閉じた双眸。体躯は俺達とさして変わらず、僅かに着崩した白の法衣が実に面向不背といった出で立ちで趣に富んでいらっしゃる。
こちらの戦力は四人。
内一人は完全なるサポート特化型で、実質的な戦力を担うのは俺、花音さん、会津の三人になる。
「(
轟く雷鳴。
集束する雷。
赤みを帯びた白き雷霆が、雷の武神の周囲に降り注ぎ、彼の霊力を飛躍的な速度でヤバい領域へと高めていく。
「凶一郎さん、オリュンポスの使用は?」
「無理のない範囲で控えてくれ。貴重な亜神級最上位とのガチ戦だ。ガンガン限界超えていこう。会津……!、お前さんは好きに暴れてくれていい。効きそうなら即死コンボを狙ってくれて構わない」
「了解です」
「ソフィさんは、おれが」
「は、はいっ!」
聖女を抱き寄せ、赤嵐による防護を完成させる。
色々考えたがこのフォーメーションが一番丸い。
花音さんと会津に気兼ねなく暴れてもらった上で、俺が戦況をコントロールする。ソフィさんには指一本触れさせない。
「行こうぜ、みんな! 本日最後の大一番だ!」
かくして『降東』最初の亜神級最上位戦は、特記戦力不在のまま鮮やかに幕を開けたのである。
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