第三百十一話 聖女式カウンセリング





◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第五中間点・<正偽統合天城:オリュンポス・ディオス・パルテノン>・メディカル・ルーム



 腹の痛みというものは、個人的に一番嫌いな疼痛とうつうである。

 なんというか腹を下すと、生きている事を否定されているような気がして無性に情けなくなってくるのだ。


 腹が悪けりゃモノが食べれなくなる。

 食欲がごっそりと抜け落ちて、無理にでも食べようとしたら直後にリバース。


 痛みと悪心。

 気持ち悪さがずっと続いて熱っぽく、ジクジクズキズキと何かが絶え間なく暴れ回るこの感覚は、まさに拷問と呼ぶに相応しく、いっそのこと「楽にしてくれ○にたい」と邪な考えを抱いちまうくらいには地獄的だ。



 俺は昔からストレスがお腹に出る体質だった。

 苛立つような事が起こったり、上手くいかない事が重なると勝手に自分で自分の身体を責めちまい、気づいた時にはポンポンがペインになってハードラックを踊っちまう。


 上の口も下の口も大騒ぎになって、落ち着くまでトイレさんのお世話になるなんて醜態は茶飯事だ。

 痛み止めの薬はいつでも飲めるように財布とピルケースに忍ばせていて、ポーションだって大人買いさ。


 しかしそれでも、これだけの準備を行った上でなお、腹はストレスに負けて泣きだした。


 ……いつもこうだ。どれだけ用心して対策を積んで万全な態勢で挑んでいるのにも関わらず、予測できないイレギュラーが急に空から降って来て、それで全部がご破算になる。


 ついてないにも程がある。

 なんだよ“十三道徳”と太公望のダブルパンチって。

 聞いてねぇよこんな糞イベントが発生するだなんて。



 もう嫌だ。全部嫌だ。お家帰りたい。“保全禁止”ルールのせいで帰れない。



「どうせさ、この後も信じられない事が沢山起きるんでしょ。知ってんだ、俺。何もかもが上手くいかないように神様が調整してるんだよ。……嫌われてんだよ俺。神様に……うぅ、ぐすっ」



 医務室のベッドに横たわりながら、人前では決して見せられない弱音を吐く。

 お腹の痛みは心の痛みだ。俺は今、弱っている。そして相当面倒くさい方向にいじけている。



「……いいじゃんか、たまには全部トントン拍子に進んだって。ストレス展開なんて今日日流行んねーんだよ、ばーか」

「えっと、遥様、凶一郎様は一体どうなされたのです?」

「あぁ、これは防衛本能みたいなもんだよ、ソフィちゃん。凶さんはね、色々いっぱいいっぱいになると子供に戻っていじけちゃうの。幼児退行……みたいなやつ?」


 はるかのはつげんに、ソフィさんが驚きの声をあげる。


「それは……! 大丈夫なのですか!」

「大分マシな方だよー。だってちゃんとイヤイヤできて、甘えてくれるんだもん。ねっ、凶さん」

肯定う○ち


 くびをたてにふる。

 なんでもいいから、早く「とんでけ」して欲しかった。



「凶さんの場合、本当に危ない時は逆に強がって大丈夫な振りをし始めるから、むしろこの状態で甘え沢山甘えさせてあげた方が健全なのですよ」

「……! 分かりましたっ、一先ず《癒しヒーリング》の方から始めさせて頂きますね」


 決意をかためたソフィさんの手の平がぺかーと光る。

 とてもまぶしいまぶしいだった。





「いや、本当に申し訳ない。こんな見苦しい姿をお見せしてしまって」



 腹痛はすぐに収まった。ソフィさんの《癒しヒーリング》は効果覿面で、あれだけ痛くて苦しかった俺の身体が今は噓の様に軽い。


 気分も心なしか落ち着いている。……うん、大丈夫そうだ。この精神状態メンタルなら、何とか最後まで乗り切れそうな気がする。


「ありがとう、ソフィさん。お陰で助かりました」

「いえいえ。お役に立てて何よりです」


 俺の言葉に優しく微笑むお下げの少女。

 なんというマジ女神。

 祈祷で腹痛治せるとかそれだけで平和賞ものだよ。


「併せて《鎮静の祈り》も施術させて頂きました。これで凶一郎様のご負担が少しでも軽くなれば良いのですが」

「あぁ、それでか」



 《鎮静の祈り》は、ゲーム時代、精神に作用する状態異常を治療するスキルとしてプレイヤー達に長じられてきた。


 毒とか麻痺とか石化ではなく、混乱や狂乱化バーサーク、魅了なんかを治すスーパーメンタルヘルスケア。


 聖女の《鎮静の祈り》ともなれば、その効能は神の御業と呼ぶ程にすさまじくあれだけ暗く淀んでいた心模様がなんとか頑張れる程度にまで快癒している。


「……あの、凶一郎様。さしでがましい事を申し上げるようで大変恐縮なのですが、相当お辛かったのではないですか?」

「? ……いや、辛いには辛かったけど、そこまでじゃなかったよ」


 天城編を100とするなら、65くらいだ。


 キツイが限界って程じゃない。もしも遥がいなければ200くらい行ってた可能性もあるけれど、今回は大分……というか、かなりマシな方で。


「凶一郎様」


 ソフィさんの美しい眉毛が少しだけ吊りあがる。


「過剰な痛みに耐える事は美徳ではありません。人生で最も辛かった経験と比較して、“まだ良い”となる程の痛みは、全くもって大丈夫ではないのです」

「……いや、でも俺はリーダーだから」

「リーダーである前に、凶一郎様は一人の人間でございます!」



 驚いた。何が驚いたってソフィさんに怒られた事だ。


 ソフィさんと言えば、誰にでも分け隔てなくその慈愛を恵み与える聖女であり、常にほわほわーとした翠色の粒子が周囲に漂う優しき御方というイメージがあったのだが、目の前の少女は今、確かに怒っている。


 ……怒っているのだ。


「もちろん、一人で抱えたい時もあるでしょうし、わたくし達に迷惑をかけたくないという凶一郎様のお気持ちは良く分かります。その方が上手くいくケースも、えぇ、それなりにあるでしょう」



 身体の中で何かがゾワゾワと動き出す。気がつくと鳥肌が立っていた。

 恐怖? 違う。

 委縮? 違う。


 多分、この気持ちは



「ですが、今回の場合は違います。凶一郎様は今、明かに弱っております。貴方の言葉は最悪かおと比べて大丈夫だと仰っておりますが、身体はとうに辛いと泣いているのです」



 感動に、近いのだろう。



「……ぐぅの音も出ない正論だ」

「わたくしの正しさなど、どうだっていいのです。もっと建設的な話をしましょう。凶一郎様のお身体を悩ませる根本的な原因は何なのでしょうか?」


 彼女がおれの為に怒っているという事象が、何故だか無性に嬉しかった。



「原因、か。そりゃあ勿論、今回の一件で色々と考えなくちゃならなくなった事と、」

「はい」

「『天城』の時もそうだったんだけど、リーダーとしての責任感というか、みんなの命を守らなくちゃならない事への重圧感というか……あっ、でもこれは決してマイナス的な側面ばかりじゃなくて、この重圧感があるからこそ俺は必死に物事を考えられる良い原動力プレッシャーになっているような気もしてて、重荷というよりも支えになってると思うんだ」

「凶一郎様は、とても頑張り屋さんですものね」

「うん、うん。だから、多分今回腹を下した原因はプレッシャーのせいじゃなくて、もっと違う理由がある感じっていうのかな?」



 フライパンの上に敷いたガーリックチップが徐々にきつね色に染まっていくようなペースで、吐きだす言葉も尻上がりに熱を帯びていく。


 愚痴を吐きだしている時のねばっこさではない。

 ちゃんと正しい事をしている気になれるというか、聖職者に懺悔をしているような、そんな高揚感。


「――――結局、俺は加害者になる事が怖いんだ」


 気づいた時には、ぽろりとそんな台詞が口から外へと逃げて行った。



「不運とか、不幸とか、理不尽とか、そういう“悪い事”に襲われている時は、まだ全然平気なんだ」



 そりゃあ、嫌な事が起こったらちゃんと凹むし、嘆くし怒る。

 だけど、その痛みは――勿論、程度の問題ではあるのだけれど――決して俺にとって耐えられない痛みではないのだ。


 だって被害者だから。

 酷い目にあわされて、だけど負けないようにと、運命に抗うようにと自分自身を鼓舞する事ができるから。


 だけど、



「だけどさ、情けなくて、すごく身勝手で許されない話なんだけど、俺は自分を悪者にしたくないんだよ」


 防衛機制という概念がある。


 危機や困難に直面し、受け入れがたい苦痛に苛まれた時に発動する心理的な軽減効果の事で、要するに自分が壊れないように心の中で無意識に働かせる防御スキルのようなものだ。


 単純に逃げたり、自分のやっている事を正当化したり、あるいは失恋したから勉強に励んで良い大学を目指すなんていう風なプラスに働くケースもあったりと、人の防衛機制は千差万別で、各人が各々に適したやり方で人は己の罪を希釈する。



 俺の場合は抑圧(気づかないふり)、合理化(俺は悪くないと正当化する)、同一視(アーサーのふり? でもアレは『天城』の時限定だったから、もしかしたらコレは違うのかもしれない)、ちょっと進むと退行を起こし、本当にヤバくなると反動形成を起こしてもすごく「大丈夫な振り」をする。


 

 全ては無意識の為せる業。

 しかし良くも悪くもこれを自覚してしまうと、人は今自分がどういう状態に在るのかを意識できるようになってしまう。


 俺は、


「俺は出来る限り正しく在りたいんだと思う。この正しさっていうのは、社会的正義とか順法精神とか宗教の教義みたいなものとはちょっと違うもので……」

「凶一郎様は、凶一郎様自身を裏切りたくない――そうですよね?」

 

 あぁ、その通りだ。

 俺はいつだって、自分オレ自身に胸を張って生きていたい。


「(そうか。だから“ちぐはぐ”だったんだ)」


 清廉な白色に包まれたメディカルルームの一角で、俺はその時確かな気づきを得た。


「本当にありがとうソフィさん。お陰で一本、つかえが取れた気がする」


 ソフィさんは特に誇るでもなく、しかしとても嬉しそうに微笑み、ポンポン、と優しく俺の頭を撫でてくれた。



◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第五中間点・<正偽統合天城:オリュンポス・ディオス・パルテノン>・ゲストルーム(凶一郎と遥の部屋)



「ねー! ソフィちゃん、すっごいイイでしょー!」


 治療を終え、部屋を戻るや否や元気にはしゃぎ始める遥さん。


 そのかんばせは、見事なまでのドヤ顔だった。


「あの子、いつもはおっとりしてるけど、言う時はちゃんと言ってくれるからねー。そういうところが好きなんだ!」

「あぁ、分かる気がするよ」


 普段はニコニコしてるし、率先してガヤガヤ喋るタイプじゃないけれど、ちゃんと意見を持ってて、いざという時にものすごく頼りになるタイプ。


 話すだけで心が軽くなるし、その人に認めらえるとなんか許されたような気持ちになってさ、自己肯定感がこうニョキニョキと育つんだ。



「あたしも『嫉妬』にいた時、すっごく悩んでた時期があってさー。そん時しょっちゅうソフィちゃんに相談してたんだよ?」


 遥曰く、俺に会えない寂しさと、俺が誰かに取られるんじゃないかという不安で夜も眠れなくなり、一時期は『天城』に乗り込んでやろうとまで考えていた遥を抑え鎮めてくれたのがソフィさんだったらしい。



「ソフィちゃん、間違った事したり悪い方向に進もうとしてる人に対してはちゃんと怒るんだけど、その後一緒に悩んでくれたり、受け入れてくれるんだ」


 正論を盾に説教するわけではなく、さりとて何でもかんでも甘やかすわけでもなく、


 罪を憎んで人を憎まず、干渉して欲しい時に干渉してくれて、同じ目線で痛みに向き合ってくれる。


「もしもあの子がいなかったら、きっとあたし自分の嫉妬心に呑まれてた気がする」

嫉妬之女帝あぁ、そうだな

「ちゃんと自分の気持ちに折り合いをつけて、君との距離感を掴めるようになったのもソフィちゃんのおかげだよ」

ソフィさん、さまさまレヴィアタンだな」

「なんだよー!」



 ぽこぽこと肩を叩かれてしまった。

 すごく優しい猫パンチだ。痛くないどころか拳が触れる度に心がじんわりと温まっていく。

 遥はこの辺の加減がとても上手い。


 ……それはそれとして、まるでソフィさんと一緒に己の嫉妬心しゅくごうを乗り越えたみたいな感じで歴史を捏造するのはやめて頂きたい。



「まぁでも、ありがとな遥。ソフィさんのところ行って本当に良かったわ」

「なんか悩み事とかあったら積極的にソフィちゃんに相談しに行くと良いよ。カウンセリングって事で特別に許可してあげます!」


 遥が家族以外との異性との会合をこんなにあっさりと認めるなんて!

 すげぇな、ソフィさん。滅茶苦茶信頼されてるじゃん。


「とはいえ、俺が元気になったところで諸々の問題が解決したわけじゃないんだよなー」

「おおっ! 急に話し飛んだね!」

「いやだって、あんまりソフィさん褒めすぎるとレヴィアちゃんの身体に触るだろうし」

「……にゃあ」



 気まずい沈黙が流れる。遥はまるで「何をトンチキな事を仰ってるのやら」みたいな顔をしているが、さっきからレヴィアちゃんがお腹パンパンに膨らませながら苦しそうに床下でモゾモゾしてるんだよなぁ。



「実際のところ、お前さんはどう見るよ?」


 俺は褐色童女をお風呂に入れながら、パートナーに相談を持ちかける。


 ……情けない話だが、万が一奴等が襲来した時にこちら側の応じ手として機能できる駒は、現状遥とガキさんだけである。


 だから対応策を考えるに辺り、まず彼女の意見を耳に挟んでおきたかった。


「うーん」


 猫師匠が小首を傾げる。


「まずですね、凶さんの情報を聞く限り姜子牙さんはこっちの動きを全部把握してるわけじゃんか」

「あぁ」


 陰陽眼。捉えた対象の位置座標を次元の隔絶すらも超えて観測する最強の探知能力。


 アレを持っている姜子牙がいる限り、このゲーム盤は奴に支配されているも同然であり、如何様にでもシナリオを調整されてしまう。


「昨日戦ってみた感じ、あの人大分ヤバいよね。下手したらガキさんよりも強いかも」

「そんなにか」


 まだ羽化途中の身とはいえ、現時点で“龍生九士”を名乗る事が許されているガキさんよりも上(かもしれない)って。

 ヤベェな姜子牙。天下の偉人属性は伊達じゃないって事か。


「で、そんな強くて賢い人が全部分かってるっていうのは、大分やばばーな感じだと思うのですよ」

「うん」


 イレギュラーの介入により、ルールの変わってしまったゲーム盤。

 約束された破局を逃れる為に、俺達が講じれる策はあまりにも少ない。



「稀代の大軍師様に位置を読まれてるってのが致命的だよな。おまけに昨日の小競り合いで、こちら側の戦力の大半を測られたっぽいし」

「でもそれはこっちも同じでしょ? 凶さんの知識を使えばあの人の秘密を丸っと暴けちゃう」

「それはそうなんだけど……」



 肝心のポリコレについては殆ど何も分かっちゃいないからなぁ。

 道士に掌握されたこの『降東』で、ゲーム未登場の“十三道徳”と争わなければならない鬼畜シナリオ。


「なんかビックリさせたいよねー」


 おもむろに自身の髪をヘアゴムで纏め上げる恒星系。

 遥のヘアスタイルは気分によって都度変わるが、ポニーテールを決める時は大抵「一生懸命考えますよ!」という証だ。



「目には目を、理不尽イレギュラーには理不尽イレギュラーをみたいなノリでさ、こう道中にチョチョッとトラップを仕掛けてビックリさせる事ができれば、少しはあの道士様も驚くんじゃない?」

「罠って言っても、ダンジョンは二十四時間周期でリセットされちまうからなぁ」


 午前零時を始終に行われるダンジョンのリセット。

 地形構造が入れ替わり、このダンジョンに出現ログインしている雑魚敵は一度締め出され、冒険者も強制的に外へと弾かれる。


 ぷるぷるさん達曰く“保全禁止”の禁忌法則がある『降東』においては、冒険者を滞在させたまま“世界の再構築”が行われるという特殊ルールが採用されてるらしいのだが、いずれにせよ「生物以外の全ての事象がリセットされる」という二十四時間ルールの根本的な原則は変わっちゃいない。



 術式も、トラップも二十四時間経過時に跡形もなく消えてしまう。


 なので俺達があの化け物達相手に「仕掛けられる罠」なんてものは、それが生物でもない限り無いも同然と断じても過言では――――




「それだ」



 アイディアが降ってくるとは、まさにこの瞬間の事を指すのだろう。


 ゲーム知識。

 位置を把握し、少なく見積もっても遥級の力量を持つ相手を出し抜く方法。

 罠。

 二十四時間ルールに左右されない生命存在。

 そして、たとえ俺達にとって有利に働く鮮美透涼せんびとうりょう裏技アイディアが、



「ありがとう、遥。やっぱおまえすげぇわ」



 たった一つだけ、あった。





◆◆◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第五中間点・<正偽統合天城:オリュンポス・ディオス・パルテノン>ブリーフィングルーム:『極光英傑戦姫』空樹花音



 午後十二時十分、凶一郎さんが突然「突然変異体イリーガルを攻略しようぜ」とわけの分からない事を言い始めた。



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