第三百六話 死にたがりの道士
◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第四中間点
月満ちる空の下、第四中間点の中心で並び立つ四つの影。
俺達の立ち位置は何一つとして変わってはいない。
十五メートル先に白黒の道士。右に遥、左にガキさん。そして二人に挟まれる形で俺が
「(とりあえずのところは沈静化成功って事で進めて良いんだよな……?)」
未来視と合わせて彼の動向を伺ってみるが、姜子牙が動く気配はない。
九つの孔が再び開く未来も今のところはない。
アレは、かつてのケラウノスと同じく「決められた条件下で自動召喚されるタイプ」の精霊だ。
だからその条件を達せていないこの状況では、彼女は出たくても出られない。
そしてゲームの設定に従うのであれば、姜子牙本体は決して争いを好む性格ではない。
故にこちら側さえ矛を収めれば、交渉テーブルは成立するのだ。
……というか、どっかの誰かさんが喧嘩を吹っかけたりなんてしなければもっと簡単かつ穏便にこうなっていた筈なのにあぁ、畜生。
「いや、ごめんて。つい大人げなくカッとしてしもうたわぁ」
黒緑色の勝負服に身を包んだ
全く、なんとも調子の良い御方だ。
こっちの苦労を「ごめんて」の一言で片づけられてはたまったものではない。アレだけの大怪獣バトルを引き起こしておきながら、よくもまぁ、しゃしゃあと。
「でもでも、みてみぃ凶一郎君。どっこも壊れてないで。見渡す限り綺麗な平地がスラリや」
「わー、ほんとー、ちょーふしぎですねー」
彼の言う通り、第四中間点は平穏無事だ。
その様相は化け物達による大怪獣バトルなど最初からなかったかのように、静かで、和やかで、ちょっとロマンチックですらある。
俺は笑った。笑うしかなかった。
頭とお腹が痛くて、おまけに三半規管が上手く整ってないのか、さっきから視界が微妙に揺れて気持ち悪い。
これは何というか、単純なストレスによる心労ではない気がする。
ものすごい勢いで――それこそ雷の速さで――身体をシェイクされたような感覚とでも言えばいいのだろうか。
……いや、そんなシュールレアリズム的体験をこの身が被った覚えはないので、無論これは比喩だ。比喩の筈なのだがしかし、この気持ち悪さは一体……。
「まぁ、良いですよ、別に」
考えても原因が思いつかないので、俺はとりあえずガキさんに沙汰を言い渡した。
隣では、何故か遥がぎこちない口笛を「ぴーひょろぴっぴー」と吹いている。実に挙動不審な猫ちゃんである。
「何も起こっていないし、誰も傷ついていない。えぇ、ガキさんの言う通りです。だからこのまま、ご機嫌にいきましょう、ね?」
見逃すから、そっちも控えてくれ。
――――きっとこの辺りが「良い落とし所」なのだと、俺は自分自身に言い聞かせた。
彼は国の中枢を担う大貴族様であり、その気になればありもしない罪で俺達をしょっ引くことだって可能だろう。
そんなスーパー上級国民様相手に「ふざけんなこの野郎!」って中指立てる度胸など、俺にはない。
下々の者がこの世界で生きていく為には、こういう処世術が必要なのだ。権威主義万歳である。
「(まぁそもそも今回の場合、理はガキさんの方にあるわけだから、そもそもそんな強く責められんのよね)」
ガキさんのやり方は好みじゃないが、しかし彼に正当性がないかと問われるとそれは違う。
彼の言い分は正しい。道士に対して、ブチ切れる理由もよくわかる。
考えてもみてくれよ。
自分達が管轄している施設を無断で壊し、同族の
なぁなぁで済ませられるか? 笑って見過ごせるかって話なわけよ。
彼の立場を考えれば、あの場で動くのは当然であり、もっと言えば義務ですらある。
ガキさんは龍生九士として動かなければならなかった。
そしてその立場上、
面子とか、ポジションとか、カーストとか。
そういった所謂「階層の問題」は、時として論理や正義すらも超越する。
……立場から来る責務を彼は正しく遂行しなければならず、そして庶民の言葉に簡単に従って、他国からの侵略者と思しき人物をおいそれと見逃すわけにもいかない。
だから、俺が彼を止める為にはこうする他になかったのだ。
実力至上主義を謳うこの国では、強い奴だけの意見こそが尊ばれる。
そしてそのイデオロギーの極北であり頂点でもあるガキさんに意見を通す為には、俺自身が力を見せつける必要があった。
「ようやってくれたね、凶一郎君」
ガキさんは、そのイマイチ何を考えているのか良く分からない線目を更に細めてけらけらと笑った。
「うん。そうね、ボクが間違ってたわぁ。リーダーの言う事を聞かずに余計な茶々入れてしもうてゴメンね」
「いや、アンタ。わざとやったでしょう」
ガキさんは、【零の否定】の効力を知っている。だから多分、暴れても大丈夫だと踏んだ上で今回の凶行に及んだのだろう。
本当に大したお人だ。自分の職務を忠実にこなしながら、同時に俺の器を試しやがったのだから。
「ちゃんと連れて来てくれたとこまで含めて満点や。もし除け者になんかされてしもうたら、きっとボクものごっつぅ拗ねてたわぁ」
「流石にそんな馬鹿な真似はしませんって」
トラブルを予見して、ガキさんをオリュンポスに待機させる。
これは一見理知的なようでいて、その実一番アウトな選択肢である。
だって禁域である『降東』に足を踏み入れた時点で、そいつは漏れなく何らかの罪を犯した不審者なわけなのだから。
いずれにせよ、ガキさんは姜子牙にその殺意に満ちた牙を向けていた。
そしてそうなってくると「全てを受け入れた上で
「(こちとら伊達にギャルゲー極めてねぇんだよ! 好感度を上げたいキャラは基本的に一緒に行動するのがセオリーだって幼稚園の時には既に習ってたぜ!)」
お陰でガキさん、ニッコニコである。力にはパワーで対抗! グッドコミュニケーションで専用ルート突入!
オーライ、これで爆弾は一つ解除した。
後は本命の、
「それで、姜子牙さん。まずはアンタの話を聞きたいんだけど、時間いいかい?」
◆
不死の道士は拍子抜けするほど大人しく、事の
自分が不死の身である事。
その不死は、さる女神の
そして、無論の事ながら彼がここにいる理由を、
「簡単に説明させて頂きますと、私はあの“扉”に用があったのです」
語った。
“生命吸収”の扉。
触れたものの“精気”を奪い絶命に至らしめると言われている『降東』入口の守り罠。
「許可なく禁域に踏み入ろうとするもの命を貪欲に食らうあの即死トラップに、自らを捧げることこそが己の目的であったのだ」と、彼は丁寧な口調で俺達に説明した。
「私の目的は自殺です。手段も方法も末路も問いません。私はただ、私という生を終える事ができればそれで良いのです」
――――死にたい。それは一見すると俺の願いと対極に位置するような、そんな暗い願望であった。
生命は尊い。生きたくても生きられない人間がいる。どんなに辛くても、生きていればいつかきっと良い事がある。
……あぁ、全くもって正論だ。
何においても全ては生きてこそ、生きたいから飯を食って、身体を休めて、働くのだ。
今こうして、俺がこんなクソッタレな場所で一世一代の大縄跳びに挑戦しようとしているのも生きたいからだ。
清水凶一郎の破滅を招く要因をブッ潰す為に、俺は戦っている。
それもこれも全ては偏に死にたくないから。生きていたいからという人として持つべき当たり前の理由に他ならない。
だからきっと、本来であれば、彼の在り方を真っ向から否定しなければならなかったのだろう。
しかし俺は、道士の願いを「間違っている」と断じる事ができなかった。
だって俺達の言う「生きたい」の尺度は、八十年から百二十歳前後、つまり細胞の寿命が尽き果てるまでの長さしかない。
人によってはもっと若くて色々な事が出来る内に、という考え方もあるのだろうが、しかし結局のところは数十年。
要するに俺達の生きたいは、「人の尺度で全うに生きたい」と訳されるのが一般的なのではなかろうか。
彼は、姜子牙は、およそ三千年以上の時を生きている。
老いもせず、死にもせず。数々の出会いと別れを繰り返しながら最終的には自分だけが生き続けた。
考える。
俺が彼と同じような立場になり、遥や姉さん達を失って、俺を知っている人達が誰もいなくなった世界で、ずっとずっと生きなければならなくなった自分の姿を幻視する。
どうなのだろうか、それは。
楽しいのだろうか? 苦しいのだろうか? 死にたくなるのだろうか?
分からない。ただきっとすごく寂しいとは思う。
そりゃあ中にはハーロット陛下のように魂まで人の域を越えて、永遠の生を楽しめるような輩もいるのだろうが、しかし多分、俺は違う。
どこかで飽きるし、どこかで悔む。
そしてその想いがやがて「終わりたい」に変わったとしても、何らおかしくはない。
ましてや彼は、誰かの為にその身を不死という呪いにやつしたのだ。
その誰かはもういない。
守るべき国も、立ち向かうべき巨悪の影も、最早ない。
……難しい問題だ。少なくとも俺如きが結論を出せるような代物ではない。
「成る程。まぁ、アンタがここに来た理由には納得がいったよ」
しかしそれはそれとして、俺は姜子牙という男を見極める義務があった。
敵か味方か。立ち塞がる壁か、一時的にでも協調関係を結べるのか。
リーダーとして、このパーティーの命を預かる身として、俺は彼を推し量らなければならないのだ。
「(未来視、起動)」
未来を読む。天城攻略の際にお世話になったシミュレーション能力。
あらゆる未来を演算し、白黒の道士に無数の質問を投げかけていく。
読む。読む。「俺がこうしたら」という変数を未来視に入力する事で変化する千紫万紅の
「時に清水さん、貴方は」
そしてその深き仮定の探訪の中に、
「ポリコレ、という名前に聞き覚えはありませんか」
その名前があったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます