第三百三話 二日目/夜






◆◆◆あるヤルダのはなし



 冒険者がヤルダと呼ぶその生き物達は、人理を越えた権能を有している。


 《無限増殖》、《完全情報共有》、《物質創造》――――ダンジョンの神より授けられたこれらの権能は、無限の労働力と無限の資源、そして完璧な共同作業の実現を中間点にもたらした。


 ヤルダ達は意識を共有する。更に必要とあらば、中間点を渡り歩く事さえも可能だ。


 ……故にそう、空樹花音の計らいによりオリュンポス・ディオス内での滞在を許可されたヤルダ達は、その全てが既に彼女達と知己の仲にある。


 ――――冒険者さん達が、お城で一緒に遊んでくれる。

 

 その情報が『降東』の中間点全域に共有された瞬間、彼等は瞬く間の内にオリュンポス・ディオス城の滞在する中間点へと集結した。


 誰も来ない。暇で暇で仕方のなかった『降東』の中間点に現れた初めてのお客様。

 夢にまでみた“冒険者さん”達との逢瀬が、最高の形で報われた瞬間である。


 美味しい食べ物。楽しいゲーム。綺麗なお城に住んでいる冒険者さん達は皆、良い人達ばかりで、彼等はすぐに烏の王の一団達を好きになった。



 ……彼――ヤルダに性別という概念はない為、ここでは便宜上“彼”と表記させて頂く――もまた、冒険者の到来に胸を躍らせた個体の一柱であった。


 そのヤルダは、他の個体と比較して一段階ほど勤勉であり、二段階ほど読書家で、三段階ほど恥ずかしがり屋であった。


 憧れの冒険者さん達が初めてこの地に降り立った時、彼は多くの個体と同様に冒険者さん達と戯れようとして、寸前のところで隠れてしまった。


 恥ずかしかったのだ。変な子だと思われたくなかった。嫌われるのが嫌で、無邪気に冒険者さん達と遊べる他の子達が羨ましくって、そうしてあぁでもないこうでもないと隅っこでひとり隠れている内に冒険者さん達は、次の階層へと向かってしまった。



 その時の後悔は、彼にとって筆舌に尽くしがたいものであったという。


 ここ、『降東』は、“保全禁止ノーセーブ”の名を冠する特別な“禁忌法則カリギュラリティ”により、一度通った中間点に戻る事が許されない。


 第一中間点を過ぎ去った冒険者さん達は、二度とこの場所に戻って来る事はないのだ。


 生涯で一度きりかもしれなかった貴重な機会を、自身の羞恥心によりみすみす見逃してしまった――――悔やんでも悔やみきれない悔悟の念に苛まれ、みんなのいない端っこで小さく泣いた。


 どうして自分は、こうなんだろう。

 なんでみんなみたいに素直になれないんだろう。


 いっぱい泣いて、沢山自分を恨んで、そんな風に過ぎ去りし時の流れを儚んでいる内に、あの知らせが届いたのだ。



“冒険者さん達が、ボク等をお城に招いてくれるんだって! みんな第二中間点に集まれー!”



 全中間点のヤルダ達が一斉に第二中間点へと集まった。

 勿論、彼もお城の中に入れてもらった。


 今度こそは、と彼は決意した。

 

 みんなと一緒に、冒険者さん達と仲良くなって、それで沢山お話しをするのだと。


 ――――どんなご本が好きですか、と聞いてみたかった。

 ――――冒険者さんが大切にしている人の話を教えてもらいたいと思った。

 ――――そしてあわよくば、冒険者さん達の役に立ちたいな、と願った。


 初めてのお客様。もしかしたら最後になるかもしれないお客様。


 いっぱいお話しして、いっぱい思い出を作って、いっぱい幸せになって貰えますように、と内に秘めた奉仕種族としての夢と願いを膨らませながら、みんなが集まるラウンジに彼が足を踏み入れた瞬間、



“……あ”


 心は燃えているのに。魂は踏み出そうと頑張っているのに、足がすくんで動けない。


 恥ずかしい、と。嫌われたらどうしよう、と。

 羞恥心、内向性、己の本心とは裏腹に働いてしまう“頼んでもいない自己防衛本能”


 みんなが楽しそうに冒険者さん達とお話ししているそのはるか後方で、彼は入口の隅に身体を隠しながら、そっと見ている事しかできなかった。


 あぁ、まただ。またなんだ。

 本当はみんなと一緒になって遊びたいのに、いっぱい冒険者さん達とお話しがしたいのに、恥ずかしくって、怖くって、最初の一歩がどうしても踏み出せない。


 彼はそんな自分の在り方が嫌で嫌でしょうがなかった。

 どうしてこんな性格なんだろう。

 どうして僕はみんなみたいにできないんだろう。


 軟体の身体を小さく震わせながら、また涙が出そうになったそんな矢先に、



「騒がしいのは、苦手ですか?」



 その人が、ボクを。



「丁度、散歩がしたかったところなんです。よろしければお付き合い頂けませんか?」


 みつけてくれたのだ。





◆◆◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第四中間点:<正偽統合天城:オリュンポス・ディオス・パルテノン>・第三ラウンジ:『妨害手』・会津・ジャシィーヴィル(組織穏健派所属・コードネーム『逆理』)




 特に何かの意図があって近づいたわけではない。

 敢えて理由を述べるのであれば、偶々だ。

 偶々その個体を見つけ、偶々話しかけた。

 あるいは想定を上回る喧騒に疲れてラウンジを離れる理由を求めていたのかもしれないが、いずれにせよそれら一連の行動が気まぐれに近い行動原理であった事だけは間違いない。


 ともあれ、彼はひとりぼっちのヤルダに声をかけた。

 散歩でもどうか、と相手に緊張感を与えない声調トーンで水色の軟体生物に尋ねると、

 


“あ、あの。ボ、ボク。ヤルダ四丸四のっとふぁうんどって言います。冒険者さんに会える日をずっと楽しみにしてて、本が好きで、あ、あのあなたの大切な人ってどなたですか……?”


 

 ――――どうやらこのヤルダは、恥ずかしがり屋の個体らしい。

 話す事に慣れておらず、会話のセンテンスが自分の言いたい事で滅裂だった。



 恐らく感情を溜めこむタイプなのだろう。

 物静かで、遠慮がちで、恥じらいの強いパーソナリティ。


 このような人格傾向を持つ相手に対し、まずとるべきコミュニケーションは、兎に角空気を和らげる事だ。


 適度に笑い、多少大袈裟にリアクションを取りながら、「ここは冷えてない」と、「あなたとの会話は楽しい」と言語と非言語を織り交ぜながら「大丈夫な場所」であるという価値観を共有させる。


 その際、急かしてはいけない。

 不自然な沈黙も可能な限り避けるべきだろう。

 話す。聞く。話す。聞く。会話のキャッチボールの流れが出来上がれば後は簡単だ。


 エージェントとしての技巧と、孤児院の年長者としての経験値。


 清濁を併せ持つ彼の技量にかかれば、恥ずかしがり屋のヤルダを一匹手懐けるのにさして時間はかからなかった。



 ――――問題があるとすれば、その懐かれ方が彼の想定を大きく上回っていた事だろう。


 以来、そのヤルダは折りを見ては彼の元を尋ね、くっつくようになった。

 よく言えば博愛主義的な好意を万人に向けて持つ奉仕種族の一員が、特定の個人に懐くというケースは珍しい。

 その懐き様は、この城の城主である空樹花音に見向きもせず、真っすぐ“会津・ジャシィーヴィル”の元へ向かう程だった。



「よろしければ、他の方達も紹介しましょうか?」



 午後二十時四十分。書架に囲まれた第三ラウンジにて。エージェント逆理は、彼の膝に座る恥ずかしがり屋の軟体生物にそれとなく「みんなとの交流」を薦めてみた。


 親切心というよりは、単に他のメンバーへ押しつけてやろうと試みたのだ。


 今の会津は、都合によりこのチームを裏切る事ができない状況にある。


 “保全禁止”の禁忌法則と、予測される最終階層守護者の難度の高さから「生きて家族の元に帰る」という彼の絶対条件を満たす為にはチームの一員として尽くす必要があり、孤立するような自体は極力避けるべきであると彼の中の合理性が判断した為である。


 しかし裏切る意図がない事と、裏切る機会が奪われている状態の間には、似ていながらも絶対的な隔たりがあった。


 一匹のヤルダに必要以上に懐かれている。

 この状況は、ハッキリ言って目障りですらあった。


 《完全情報共有》の特性を有しているヤルダ達は、文字通り個体間の体験を常に“みんなのもの”として有している。


 つまり今彼が置かれているこの状況は、『降東』に籍を置く全てのヤルダ達に監視されている状態とほぼ同義であり、あまり好ましい情勢ではなかったのだ。


 かといって、このヤルダを邪険に追い払ってはいけない。

 ヤルダへの悪質な対応は、《完全情報共有》の特性によって全てのヤルダ達に共有されてしまう。


 それでなくとも、この小さな管理者を邪険に扱うべきではないのだ。

 ――――管理者ヤルダをみだりに傷つけてはならない。


 冒険者であれば、誰もが知っているタブーである。


 故に会津は、やんわりと、あくまで「より楽しい方向性を提案する」という体で、恥ずかしがり屋のヤルダに「他のメンバーを紹介する」と申し出たのだ。


 しかし、


「……ボクは、ここがいいです」



 控えめな声色で、少々怯えてさえいたものの、しかし水色のヤルダは確かに主張した。


 ここがいいと。

 彼が良いと。



「……物好きですね、あなた」



 やれやれと、心の中で小さく溜息をつきながら、その小さな隣人の頭を撫でた。


 普通であれば、あの蒼い髪留めの少女か、翡翠髪の聖女、あるいはここの城主である空樹花音を選ぶだろう。


 客観的に鑑みて、自分を選ぶのは相当な物好きである。


 人に例えるのであれば、少し優しくしてくれた異性に盲目的に惚れるタイプ。

 あまり社会的なパーソナリティとは言えないが、博愛精神に満ちるヤルダの社会においてはこれでも通じるのだろう。



「まぁ、いいでしょう。貴方がそれでいいのなら、好きにしてください」

「……っ! はい、ありがとうございますっ!」



 結局、会津・ジャシィーヴィルは折れた。

 あらゆる損得を合理的に勘定した上で、「余計な事をするべきではない」と静観に至ったというのが理由の一つ。


 そしてもう一つは、



「会津さん、この本とっても面白いです」

「それはそれは」


 詰まるところ彼はいつも通りの虚無であり裏返った博愛主義に従って、


「楽しそうでなによりですよ」


 どうでもいい、と結論付けたのだ。



◆◆◆『外来天敵テュポーン』清水凶一郎



 きっとここまでは、順調だったんだと思う。

 特にみんな怪我もなく、諍いも、トラブルもなくて、探索のペースも予定通りに進んでいた。


 頼むから、このまま何事もなく平穏無事に進んでくれと思ったさ。

 波乱ドラマなんていらない。順風満帆に進んでくれ。

 ただでさえボスが強くて、会津の件もあって、こっちはいっぱいいっぱいなんだ。

 

 これ以上の危険因子は死んだってごめんだと、そう思い、願いながら床につこうと部屋に戻ろうとした矢先の事だった。



緊急事態発生エマージェンシー緊急事態発生エマージェンシー。第四中間点に詳細不明の極大霊力実体が顕れました。各員、直ちに12階のコントロールルームに集結して下さい。繰り返します、緊急事態発生エマージェンシー緊急事態発生エマージェンシー。第四中間点に詳細不明の――――』



 その日、その夜、『降東』の第四中間点に一人の不死者イレギュラーが舞い降りた。




―――――――――――――――――――――――



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