第二百九十六話 封神演義
◆◆◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・塔の頂上・転移門前:
「初対面の人間に向かって、私を殺して下さいだぁ? 随分とマナーがなってねぇなぁ
月下の木塔の最上階にて対峙する二人の思想家。
一人は出会ったばかりの他人に「殺してくれ」と懇願し、対するもう一方の寛容者は彼の申し出に眉を震わせ、
「テメェ、アレだろ。目的の為なら、赤の他人に殺人の罪を犯させてもいいとか考えるタイプの
それともアレか? アタシが他とは少し違う個性を持っているから、テメェらの都合のいい“普通”にそぐわないから、だから何をさせてもいいって、犯罪者に貶めてもいいって、そんな風に無自覚な上から目線でアタシ達を差別するつもりかこのレイシスト野郎」
その核弾頭級の被害者意識を爆発させた。
常人であればあっさりと呑まれ、思わず目耳を塞いでしまうような猛毒の狂気。
しかし白黒髪の男は、彼女の妄言を穏やかな微笑みで受け止める。
「誤解ですよ、お嬢さん。私はただ貴女達なら、――――人殺しの業で
「あぁん? テメェの目は節穴かよ。アタシ達は殺人なんてヤってねぇ。人を殺しちゃいけねぇって道徳の教科書に書いてあるからなぁ」
「あぁ、失敬。これは私の聞き方が良くありませんでしたね。……うん、貴女達風の言い方でいうのであればそう、多様性を認めない
ポリコレの思考に心からの疑念が浮かぶ。
「馬鹿か、テメェ」
この男は一体、
「テメェはこれまで駆除してきたゴキブリの数を一々数えてんのかよ、カス」
何を言っているのだろうか。
「殺虫剤で薬殺したハエの数を、トイレの水に流したヤスデの数を、施設にたかるアリの群れを、田畑を食い荒らすイナゴの群れを。ムカデを、カメムシを、ゲジを、ダニを、蚊を、アリを」
人殺しは良くない事だ。
多分、猫とか犬とか殺すのも良くない事だろう。
だが、汚くて、臭くて、害をなす薄汚れた
汚い言葉を吐く害虫は秩序の為に駆除しなければならない。
害虫に人権なんてものはないのだ。だから虫に何をしたって、それは罪にならない。
「
「成る程、成る程。あい分かりました。そういう方向でお話しすればいいのですね」
黒色の面貌を纏った男の穏やかな声が、優しく塔内を包み込む。
「では私の事も虫だと思って、殺めて下さい。貴女達の理屈に従えば害虫駆除は殺人にならない……そうでしょ?」
「あ? 害虫が……、人様に命令してんじゃねーぞ、カス」
だが、これが彼女の逆鱗に触れた。
ポリコレの
しかし、この時確かに彼女はキレたのだ。
爆発する
怒りは殺意へ、殺意は行為へ。
「お望み通り、殺してやんよぉっ!」
かくして寛容の裁きが始まる。
駆け抜ける速度は
『……っ! いけませんっ、皆さん、いますぐ私から離れて下さいっ!』
ナニカが、塔内を移ろいだ。
天井から夜が覗き、内と外の境界が零になる。
それが斬撃であったと寛容が気づく刹那の間際に、多くの変化が空島を襲った。
両断された塔の天辺は、残骸となって下に堕ち、
ポリコレがコンマ一秒前に立っていた足場が割断され、
そして遅れて悲鳴と血潮がやって来た。
「!?」
だがそれは、あくまでポリコレのみに許された特権である。
「申し訳ありません、皆さん」
異国の
幼児同性愛者の男が割かれた。
食人趣味の女の喉元からは血の華が咲き誇り、“第99の性”を自認する
いずれも、
彼等が、彼女達が、彼/彼女達が、
「私の行動と、言葉が至らなかった」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!」
死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。
叫びあげる赫怒の咆哮は、
寛容の堪忍袋の緒が覚醒の慟哭により物理的に爆ぜた。
視界に移るは、九つの
男を
だが、それが何だというのだ。
「言い訳は致しません。しかし、この狭き世界では徒に“彼女”の被害を拡大させてしまう恐れがある」
殺す。殺す。何としてでも、どんな犠牲を払ってでも、こいつだけは、
「『中』でお待ちしております。そして申し訳ありませんでした」
「殺すっ!」
こいつだけは手ずから裁くと心に誓ったポリコレが再びその
「おい」
絞り出すような声で、呼び掛ける。
「生きてる奴は、声上げろ」
全身の理性を脳髄に集積させて本能の暴走をせき止める。
震える肢体。滲む世界。
ここまでの屈辱は、久方ぶりだ。今すぐにでも世界を破壊したいとひた走る漆黒の衝動を、しかしポリコレは不屈の精神力で抑えつけた。
“寛容”の長という役割が、そうさせたのである。
「
一番強い奴と、一番有用な奴だけが残った。
恐らく「良くない気配」を寸前に
「すいません、俺……」
「いいんだ、アグニ。気にすんな」
思考の昂りを抑える為に懐からコーラフレーバーの棒付き飴を取り出して、噛み砕く。一本、二本、取り出しては噛み、取り出しては噛んで、
「アタシがお前の立場でも、“
「……っ」
大男の押し殺したような溜息と、少女の啜り泣く声が血塗られた塔の頂上に溶けて消える。
誰も彼も、皆気の良い奴らだった。
こんな雑に死んで良い奴等じゃなかったのだ。
なのに死んだ。あっさりと死んだ。
突然現れたクソカス野郎にたたっ切られて、もう何も言えなくなっちまった。
「直に追っ手がやって来る。別れの挨拶を済ませたら、なるべく速く、な」
「姐さんは……」
「あぁ、それは愚問だぜ、アグニよ」
寛容の長は、進む。
あぁ、いいさ。そんなに死にたきゃお望み通り、
「アタシは、あのふざけた野郎をブッ殺しに行く」
◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』:第一層
「お待ちしておりました、お嬢さん」
溶岩の海。修羅達の戦場。凍てついた雹樹の剣山に、灼熱の砂塵帯。
毒の沼、雷の暴風、害虫達に覆われた黒い森。
ダンジョン『降東』、あらゆる地獄が継ぎ接ぎに繋がった地獄のパッチワーク。
男は宣告通り、そこにいた。
殺人環境の不協和音をものともせず、下界でみせたものと同じような穏やかさで、優しく、笑う。
「改めて謝罪させてください。お仲間を傷つけてしまい、申し訳――――」
白衣の道士の言葉が停まる。
さもありなん。
立っていた
「――――テメェよぉ」
それは叩く力で地面を割ったであるとか、巨大な
山も、森も、争い合う鬼達も、大地に根付いたダンジョンの構成要素が為す術もなく無明の奈落へと落ちていく。
「親しかった同僚とか、家族同然の付き合いをしていた友人とか、そういう“大切な人達”がよぉ、目の前で理不尽に殺されてさぁ、そんで捕まった犯人が『ごめんなさい、反省してます』つったら許せるのかよ?」
道士は見た。
消された大地のはるか下方、奈落の底で淡く光る赤と青の混ざり合った紫色の輝き。
ナニカがあった。遠く遠く、ダンジョンの奥底に埋まりし未知の事象――――。
「普通殺すだろ? 殺すよなぁ、謝って何が解決するんだって話さ! そんなのテメェが気持ち良くなりてぇだけじゃねぇか。死ねよ。死ねよ。しねしねしねしね今すぐ死ねよ。本当に申し訳ねェって感じるのなら、被害者の気持ちを慮る意志があるのなら、加害者は、一切の例外なく」
「えぇ、だから」
道士の周囲に九つの孔が開き、寛容の両の手が灰色の禍つ霊力に包まれて、
「苦しんで死ねって言ってんだよボケがぁっ!」
「私はずっとずっと、そうしようとしているんです」
そうして二つの輝きが激突した。
薄桃色の光輝と灰燼の絶禍。
地獄の空に響く二つの雷霆の激突は、秒の合間に億を越え、なお苛烈さを増していく。
その掟破りの非常識性の前には、地獄の獄卒達でさえも歯が立たず、「地獄」が地獄をみるという前代未聞の天変地異が一層全域を絶え間なく襲う。
九つの黒孔の中から白金色の光が移ろう度に山が消え、海が断たれ、雲を割いて、雨が降り注いだ。
怒りに駆られた寛容が力任せに地面を叩く度に半径十数キロ範囲の大地が消失し、空を叩けば
ダンジョンの地形設定は、管理者の手により一定間隔のインターバル期間をおいて復元を始める。
だが超越者同士の戦いを前にして、その法則はあまりにも遅かった。
ダンジョンの神は、特例措置として手ずから
破壊。創世。更なる破壊。
繰り返される滅亡と再世の
管理者は笑った。
これで小手調べなのだ。
善も悪も、そこにはない。
ただタガの外れた力だけが、そこには在った。
「おいクソ野郎、テメェよォ、そんなに死にてぇならよぉ」
寛容のギアが上がる。
九方向から迫る不可視不認識の斬撃を持ち前の勘だより避けながら、空を裂き、大地を消し、次元の裂け目を至る所に刻みながら、男の懐をひたすらに目指し続け、
「『
旋空雷動。
幾億の残像移動を
道士の動きは確かに速かった。九つの黒孔から繰り広げられる不可視不認識の斬撃現象は未だに謎が多い。
しかし、ポリコレは既に対極男の在り方を見破っていた。
こいつは純然たる武芸者ではない。
恐らくは後衛。それも後ろでせせこましく小細工を弄するタイプの霊術士。
「それをしねーでよぉ。アタシらみたいな弱い立場の人間を甚振ってよぉ、てめぇ、それで何が“死にたい”だよボケがっ! アタシにはテメェがもったいぶった理由付けて弱い者いじめをしてるようにしか見えねーぜ、三下がぁっ!」
灰燼為す絶禍の双腕が、ついに道士の喉元を捉えた。
触れれば
「えぇ、仰る通り。その方策がとれるのであれば、私もこんなに
――――どういうわけか、寛容の身体が後方の宙へと吹き飛んだ。
ダメージはない。だが間違いなく何かが彼女を
「(斥力? いや、んな可愛いもんじゃねぇな)」
九つの斬撃現象を避けながら、ポリコレは考える。
死にたがりの癖に容赦のない反撃を繰り返す矛盾。
後方系統の霊術士にそぐわない近接戦を演じる違和感。
寛容の接近を弾く謎の力。
そして先の問いに対する「
「――――成る程、つまりテメェは」
「えぇ。私の
その不死性は、死に繋がるあらゆる事象を拒絶する。
ハーロット・モナークのような生物としての不滅性ではなく、そもそも“死”の概念をはく奪された存在。
「難儀な事に、確実に死ねるような行動は端から取れないんですよ」
老いもせず、病みもせず、死に繋がるあらゆる
「
道士の手に現れた銀色の硬鞭が、六百メートル先のポリコレを指し示す。
「封神榜機動。名称登記。……すいません、貴女の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「言うわけねーだろーが、カス。『
思わず舌打ちが出た。名前を聞きだす何らかの術式。
そして恐らくあの
「申し訳ありません、『
道士の手より放たれた銀色の硬鞭が、雷速で寛容の元へと疾駆する、
《
その硬鞭に刻まれし、死の理は、“
ましてそれは、“彼”の手によって放たれた。
ならばこそ、この宝貝は、正しく必中必殺にして一撃必殺の理として寛容に牙を剥き――――
「ハッ、眠たい能力だなァ」
一閃、その一撃を煌めく炎剣が弾き返した。
大層奇妙な剣だ。黒く染まった焔の魔剣を握る生きた腕。
精霊契約を維持する為に、
腕と剣。
精霊と主の絆を最悪の形で活用したその生体兵器は、雷速の《
「
天変地異は、加速する。
逸脱者達の一挙手一投足、その全てが大型の核兵器を優に超えた災禍をもたらし、地獄の規模を秒単位で更新。
七番目と十一番目。
烏の王達の冒険譚に紛れこんだ特大のイレギュラー達の戦いは、その後両者無傷のまま明け方まで続き、
「
「
◆◆◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・第二中間点:『外来天敵』清水凶一郎
そして俺達の『降東』探索の旅は、何のトラブルもなく二日目を迎えたのだった。
―――――――――――――――――――――――
・“死と転生の母神”
十一番目。全ての死後世界の管理者であり、遍く死の神達の
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