第二百九十五話 イレギュラー





◆◆◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・塔へと続く石段(十二月三日午前二時二十二分)



 午前二時二十二分。

 烏の王とその仲間達が禁域への門扉を叩きし刻限より、僅か十七時間後、『降東』を奉る極東の空島に、黒装束の一団が現れた。


 ――――類い稀なる事である。

 禁域に足を運ぶ者達が、日に二度も。


 在り得べからざるその異常事態に目を尖らせる者は、しかし幸運にもおらず。


 認識阻害性の情報隠蔽黒衣アンフォームウェアに身を包んだ七人の災厄は、夜の空島を我が物顔でのさばり歩く。



 “十三道徳コンプライアンス”が一派、“寛容”


 その長と六人の幹部達が向かう先は無論の事ながら禁域『降東』、その中である。


 先の誘拐任務の失敗を受け、“導師”は“十三道徳コンプライアンス”の介入を認めた。


 ――――清水凶一郎とその一派に制裁を与える。

 何ら難しい事ではなかった。

 清水凶一郎、蒼乃遥、澄江堂我鬼、空樹花音、ソーフィア・ヴィーケンリード。


 潜伏中の穏健派エージェントを除いたターゲットの内一人でも沈めれば大幅な戦力低下クオリティダウン、二人も沈めればその時点で彼等の事実上の全滅ゲームオーバーが確定する。


 『降東』は、逃げ出す事を許さない。

 “保全禁止ノーセーブ”の“禁忌法則”は、踏み入った者の帰還行為を尽く禁じ、最終階層守護者戦時に発生するとされる「一度きりの帰還レメディー」も、エージェント『逆理』に使わせてしまえば絶無となる。



“彼が持つ「我等が主の欠片」を失うのは少々勿体ない気もするけれど、うん。ここは確実に潰しておこう。今清水凶一郎を見逃すと、後に響く気がするんだ”


 「主の欠片」は、所有者の死後、一定期間の間誰も触れなければ、ひとりでに「未踏破のダンジョン」へ移る性質を持つ。


 故にここで烏の王を殺めたとて、彼等の大願は、やがて果たされるのだ。



“すまないね、『寛容ポリコレ』。三週間後の大事に向けて戦力を割かなければならない都合上、切れる十三道徳カードは、君だけになる”


 委細承知の上だった。

 敵はそこそこのターゲットと、その後に控える未知数の禁域最終階層守護者。前者は兎も角、後者を無事に切り抜けられるだけの絶対的な確証は、いかな『寛容ポリコレ』といえど、持ち得ない。


 計画の要である六人の真神契約者達クソッタレどもをこのタイミングで失うリスクは侵せない――――少なくとも、導師はそうみなしている。


 さりとて、並みの亜神級最上位スプレマシー契約者ユーザーでは、“応答変域プロンプト”達の二の舞を見る。



 切るカードは一派閥いちまい


 そしてこれは試金石だとも、彼は言った。



“良いかい。『寛容ポリコレ』、必ずしも全滅を狙う必要はない。君ならば、あの“龍生九士”の蛹と噂の剣術使いを同時に相手取った上でなお勝てるとは思うけど、最低限、“烏の王”さえ仕留めれば、彼等はただの烏合の衆へと成り下がる”



 導師は、任務の優先順位を三つの段階に分け示した。


 ①『降東』チームの全滅

 ②清水凶一郎の抹殺

 ③蒼乃遥及び澄江堂我鬼の無力化



“①は理想、②はなるべくなら叶えて欲しい。ただし③は、必要事項マストだ。あの二人さえいなければ、彼等の『降東』攻略は確実に終わる”

 

 

 そしてその方策プランを彼が己の耳に謳った瞬間、『寛容』は久方ぶりに背筋が震えあがった。



 ――――あぁ、確かに。

 その方法ならば、

 

 最小の労力で、最大限の成果を。


 構造自体はシンプルでありながら、ゲーム盤のルールを悪用した魔の一手。




「行くぞお前ら。思い上がったレイシスト共に寛容の裁きを」


 

 下卑た笑い声が島内に響き渡る。

 悪くない夜だ。丑三つ時、夜の静けさに包まれた石の階段、目的の塔は最早眼と鼻の先だ。

 きっとこれが、この七人で過ごす最後の任務になる。

 それは予感ではなく、諦観だ。ポリコレも、そして六人の幹部達も「皆で生き残る未来」はあり得ない事を知っていた。


 だけど、それがなんだというのだ。

 

 ――――今、アタシ達はここにいる。馬鹿みたいに笑って、まるで世界の中心にいるかのような歩幅で悠々と風を切る。


 忘れない。

 命を燃やしつくすその末尾の瞬間まで、この“今”を忘れない。


 それだけで、彼女達は永遠だった。

 『寛容』の名の元に集いし、七つの多様性達は、いつまでも思い出の中で生き続ける。


 静かで、穏やかな、自分達だけの世界に酔いしれて――――



「……あぁ?」



 そこで『寛容』は、ハタと気づく。



「姉さん?」

「何かがおかしい」



 静かだ。あまりにも周辺が、静かすぎる。

 振り返り、空島の景色を見渡した。


 誰もいない。見張りに類する知的生命体は何一つとして見当たらず、それが、それこそが



「龍達までいないってのは、一体どういう了見だ?」



 空間転移ワープを用いた位相間通行が、ここに来て裏目となった。

 

 龍がいない。

 この空島周辺を巡回している筈の龍達が影も形もなく消えていた。



「(こちらの作戦がバレている? ……いや、だったら警備の数を増やすだろ? 警備を完全に消す必要がどこにあるってんだ?)」


 今、この空島で何かが起こっている。

 しかし、その何かの正体をポリコレは推し量れずにいた。


「(誰が? 何の為に? アタシ達は今狙われている?)」

 

 冷静に。けれども迅速に思考の車輪を動かして、そうして、



「姐さん」

「黙ってろ、アグニ。今考えてるとこだ」

「それなら、とんでもなくデケェヒントがあそこに転がってますよ」



 そうして多様性の守護者たちは一斉に、ソレを視た。

 


「おい。どうなってやがる」



 魂喰らいの扉。

 『降東』の入り口を守る唯一にして最大の安全保障セキュリティ

 

 『寛容ポリコレ』達でさえ「相応の対策」を積まなければならなかった生命奪取の門番が、しかし、どういわけか



「扉、ぶっ壊れてんじゃねぇか」



 破壊されていた。

 見るも無惨に、語るも悲惨に、かつて扉の役割を果たしていたであろう赤茶色の木片が塔の外周一体に四散している。



 誰が? 一体どうやって?

 騒ぐ部下達の考察をよそに、ポリコレは自らの思考の宮殿の内で、迅速な状況整理を行った。



「(龍達が破壊した? あり得ない。テメェの持ち物をテメェで壊してどうするんだって話だ。アタシ達を狙うにしたってコレはない。一番可能性のありそうな皇国側の線が)」


 深まる闇。あれだけ心地よさを感じた夜風も、今はどこか気味が悪かった。


 龍の気配は未だ不霊覚おぼえず

 あぁ。そうか。つまり扉を壊した何者かが、空の監視者達もついでにやったのだとポリコレは少ない情報の中から的確に真理の道を紡いで、紡ぎ続けて



「(当然、清水凶一郎ターゲット達の線もない。“龍生九士”のお守りがついている筈のアイツ等が、こんな愚行ことをやるワケがねぇんだ。アイツ等は正規のルートで入った。そして扉の破壊はその後に起こった)」


 事故か事件か、ともあれそれが起こった時分からそう多くの時間は流れていない。

 ガードマンがやられ、セキュリティが突破されたとなれば、当然“お代わり”がやってくる。



「(他の“十三道徳クソッタレ”共が遊びに来たとか? これもないな。“導師”は、アタシに命じたんだ。あの計画も控えている手前、奴等が絡んでくる可能性もほぼねぇだろうよ)」



 ――――烏の王の一団でもなく、

 ――――龍達でもなく、

 ――――組織なかまでまない。


 そして魂喰らいの扉を破壊した得体の知れないナニカは、まだ近くにいる蓋然性が高い。



「オーケー」


 破壊された扉の場景を網膜に焼きつけた時節よりおよそ0.7秒後。

 状況の整理を終えたポリコレが六人の多様性かんぶ達に啓示を下した。



「テメェら、さっさと中入るぞ。ここでとぐろ巻いてたら、すぐに怖いひと達がやって来てクソ大儀たいぎな事になる」



 逃げ出すという選択肢はなかった。

 ここを逃せば、『降東』の警備は幾重にも厳重になり、最悪“龍生九士”様が直々に門番をなさるなんて事態になりかねない。



 故に前進一択。

 『寛容』は、これを機として『降東』へ入る。


 だが、



「それと覚悟しておけ。アタシの予感が正しければ、コレをやった敵対者レイシストはまだ近くにいる筈だ」

 



◆皇都“龍心”禁域ダンジョン・肆の律『降東』・塔の頂上。転移門前




「こんばんわ。お嬢さん達」



 ポリコレの洞察は、狂い一つなく正しかった。


 『降東』の転移門を奉る彩色豊かな木塔の頂上。青色の霊光を放つポータルゲートの傍らに、長身の男が悠然と佇んでいる。


 大層奇妙な出で立ちの男だった。

 腰にかかる程の長髪は、真中を境に黒と白に色を隔てていて、だというのにその毛先は同一に薄桃色。


 穏やかな金色の瞳を中心として構成された細身の美顔は傾国を謳う程に完成されているにも関わらず、鼻孔から首元にかけてあつらえられた機械式の“面貌めんぼう”によってその全容を秘匿している。



 背は百九十と少し。金色の刺繍を敷きつめた白の道服。随分とゆとりのある服幅から僅かに覗く手指は、真鍮のように白く、そして細い。


 彼の側から立ち込める甘い香りは、桃だろうか?


 桃の香りと、道服。二つの記号からポリコレは男の出自に当たりをつけた。



「仙人か?」

「そうとも言えますし、そうでないとも言えます」

「あっそう。じゃあもう一つ質問だ。下のアレをやったのは、お前って事で良いんだよな」

「不慮の事故でした」



 視覚的な印象としては二十代後半と思しきその青年は、心から惜しむように瞳を伏せて――――



「魂喰らいの扉。極東に伝わりし、生命奪取の罰式法則を受ければよもやと思っていたのですが」


 

 月明かりが木塔を照らす。

 雲海に浮かぶ空の島。その天辺に建立された木塔の最上階。

 神秘的な光景だった。男の纏う空気感は、龍や天使、悪魔や旧支配者達、そして彼女が主と崇める者とも異なる全く別の神話せかいを匂わせる。

 

 男は哀切を帯びた顔で、自らの胸中を語った。


「結果はご覧のあり様です。アレでは私を殺せなかった。この様子では、残る禁域も望み薄でしょうね」



 ポリコレは答えない。

 行動に移るタイミングは、今ではない。

 情報を集めるべきだと、直感が叫んでいる。


 コレはあまりにも、



「この中にいる明王かたならば、イケますかね? でも、下手に倒して宝貝パオペエを手に入れてしまったら、ますます私の望みが遠のいてしまう」



 そう、あまりにも



「あぁ、そうだ。お嬢さん、不躾なお願いで大変恐縮なのですが、今から私の事を殺めて頂けませんか? 貴女、相当かなりお強いでしょ」

「テメェ、ヤバいやつだろ」


 あまりにも、常軌を逸していた。




――――――――――――――――――――───


・天啓の呼び名

 地域によって呼び名が異なります。

 西洋大陸は、レガリア。

 皇国は、天啓。

 東洋大陸は、宝貝パオペエ










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