第二百八十七話 前哨戦の後に(前編)






◆◆◆ 寛容領域・『人間農場』管理センター・所長室




「“応答変域プロンプト”達が負けたぁ?」


 頓狂な声が室内中に響き渡る。

 幻覚的高彩度色サイケデリアカラーに包まれたその部屋の主が「まともに驚く」等という事は 亞國あぐにが知る限りにおいて“ほぼない”と言える程の異常事態である。

 だがそれも無理らしからぬ話であった。

 変事が起こったのだ。

 主がまともな反応を返さざるをえない程の変事イレギュラーが、発生した。



「はい」


 

 栗の花の香りが鼻孔を掠める。

 この部屋は、否――――この上司おんなはいつも臭う。

 鋼鉄のマスク越しでも漂うその匂いは咽返る程生臭く、何よりもだ。

 恐らく直前まで戯れていたのだろう。――――彼女の愛する可愛いペット達と。


「全員やられたそうです」

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、そりゃあないぜ」


 自身の髪色と同じショッキングピンク色のラタンテーブルに顔を埋めながら、女は哀切の声を上げた。


 武闘派の頂点に立つ十三道徳コンプライアンスが一角、『寛容』のポリコレ。


 ダンジョン『万災』での任務を終えた彼女が久方ぶりに自身の寛容領域うちゅうで休暇を満喫していた矢先にその悲報は届いた。





 ────その報せは、ある“作戦”の失敗を通達するものであった。


 “作戦コード:烏絡からすがらめ”

 とある新興クランのクランマスターを狙った大規模作戦である。


 ひと月ほど前に三十五層級のダンジョンを踏破したばかりだというその男に対し、組織武闘派が差し向けた戦力は亜神級最上位スプレマシーに達した幹部級五人。


 “不認知ライブ”、“無敵の人ドゥーマー”、“複垢コンプレックス”、“愛金交換パパカツ”、そして“応答変域プロンプト


 

 略取対象がそこそこ有能な冒険者である事を加味した上でなお、過剰と言わざるをえない大戦力を擁したこの“烏絡からすがらめ”作戦は、あまりにも惨憺さんたんたる敗北を武闘派の歴史に刻みつけたのである。



「マジか。マジかマジかマジかマジかよ」


 頭を掻き毟る。血が滲む程力強く、骨に染みる程傷ましく。

 それは自分への罰だった。

 “寛容ポリコレ”は、悔んだ。

 強く悔んだ。

 “導師”の勅命に参じなかった自分に対して――――ではない。

 彼を。あの愛すべき弱者をついぞ助けて自らの非力さを深く恥じたのだ。



「あぁ、あぁ……“応答変域プロンプト”、可哀想な“応答変域プロンプト”。あいつは救われるべき弱者だった。報われなければならない男だった」


 涙が出てくる。


 親に捨てられ、女に騙され、社会の鼻つまみ者にされていたか弱き者。


 “応答変域プロンプト”のような存在が自分らしく生きられるようにと願い、自分はこの『牧場』を始めたというのに。



「“持戒ヘイト”の奴と争ってでもアイツをウチに連れて来るべきだったんだ。少なくともアタシのところにくればアイツは童貞を捨てられた。アタシが抱いてやった……クソが、クソが、クソが、クソが。よくもアタシの大事な弱男ペットを殺しやがって……っ!」

「それなんですがね、姐さん」


 

“寛容”の乱心を意にも介さず 亞國あぐには、淡々と報告を続ける。

 


「どうもあいつ等、死んでないようです」


 空白。そして僅かな時間の中で二度目の“まともな驚き”



「何言ってんだ、亞國あぐに


 その声には棘があった。

 非常識に憤る非常識者のいかりである。



「アタシ達は、負けたら死ななきゃなんねーだろ。そういう刻印やくそくの筈だ」

「報告役の“目”によると、“応答変域プロンプト”達は生きたまま皇国の連中に連行され、そのまま『龍宇大』に――――」



 サッシが開き、窓外の空気が室長室に流れ込む。

 星が瞬く宵闇の『人間農場』には、放し飼いの人間男性ペットと備品が多量にいた。


 この寛容領域にんげんぼくじょうに、ヒトはいない。


 あるのは猫のように愛されている「弱男ペット」と、彼等の世話を甲斐甲斐しく焼く「職員」、そして地上で弱男ペットに狼藉を働いた罪により、室長権限で人権をはく奪された「備品」だけ。


 

 政治家。

 企業家。

 過激さがウリのインフルエンサーに夜職を主とする男女。

 「更生した」とのたまい何食わぬ顔で社会に溶け込んでいた元いじめっ子。

 時代遅れのパワーハラスメントを強いる体育会系上司。


「我々への差別をなくせ」と都合の良い多様性を強要する一方で、真に案じるべき“彼等”を「バタめん(※ラーメンのシメにバターとライスで雑炊を作る食べ方を好む独身男性を侮蔑するネットスラングである)」等と蔑む似非多様性主義者。


かの“愛金交換パパカツ”と同様の行為を働くヒルの群れ。


 かつてそういう者達であった「備品」は、この地獄において「弱男ペット」の顔色を伺いながら生かされている。


 服はない。

 名前もない。

 夢も未来も希望も尊厳も勿論ない。



 それこそが彼等を「弱男」と不当に差別し続けた忌まわしきレイシスト達への罰であるとでも言うかのように、ポリコレの世界は偏重と偏愛の押しつけによって歪んでいる。



「続けろよ」


 外の「備品」が一つ爆ぜた。


 視えなかった。机を発つ瞬間も、窓を開く気配も、八つ当たりとばかりに備品の女を撃った瞬間も亞國あぐには認識さえできなかった。


 気がつけば、寛容ポリコレは不機嫌そうに窓の外を眺めていた。

 亞國あぐにの肩で、あぐらをかきながら。


「……『龍宇大』に護送された模様です」

「困るなぁ」


 外の備品がまた爆ぜた。

 今度は男だ。

 その惨状をみて、ペット達が無邪気に喜んでいる。


「困る困る流石にそれはクソゲーだ」


 爆ぜる。爆ぜる。備品達の命が次々と爆ぜていく。



「『無窮覇龍』の膝元に送られちまったら流石のポリコレさんでも対処不可能だ。やべーぞ亞國あぐに。アタシ達の情報が、色々バレる」

「どうするんっすか」

「導師様のところへ行く」


 また知らぬ間に、室長室の扉が開き寛容が身支度を整えていた。



「主の御心は、どこにあるのか。何故あのような御命令を下されたのか。我等では及びもしないその深い考えとやらを納得のいくように教えてもらおうじゃないのさ」

「あの御方とやり合う気で?」

「まさか。上手い事ダシにして“お許し”を頂くんだよ」


 女は笑った。

 捕食者の微笑だ。



「『降東』って確か出れなくなる禁域ダンジョンだろ」

「えぇ。みたいですね」

「なら丁度いいじゃねーか」


 逃げ場のない迷宮。

 外部との連絡もままならない禁域の世界。


 ――――狩り場としては、丁度いい。



「他の幹部達に連絡を入れておけ。十三道徳コンプライアンス『寛容』総出でいくぞ」

「連中のお守りには“龍生九士”様もいるそうですが」

「言っても蛹だろ? ならわけねーよ」



 こと戦闘において、ポリコレはその認識を間違えない。


 どれだけ歪み、どれだけ狂い、どれだけ身勝手な理屈で世界を罵ろうとも、彼女は『寛容』の長であり、



「分かりました姐さん。全員メンツ集めときます」


 それは、亞國あぐにも認めるところであった。







◆◆◆『皇都』龍心・五つ星旅籠『花天月地』十二階・凶一郎と遥の部屋:『外来天敵テュポーン』清水凶一郎



 “組織”武闘派の襲撃を跳ね除け、無事に帰還した俺達を待ち構えていたのは思わず逃げ出したくなるようなそれはそれは面倒くさい「報告の山」であった。


 まず、急いで駆けつけてきた黄泉さんとお付きの十絶さんに捕まえた幹部連中達を献上。

 奴等は放っておくと組織印の“刻印”で死ぬので、絶えず【壱式アルファ】の能力で、「死ぬ事」を失敗させ続けながら『龍宇大』の門まで付き添った。


 


 龍宇大りゅううだい、皇国の真の中枢にして龍の住処は、その性質上『無限』と『生命』の法則が極端に強い。


 組織が強いる死の“刻印”もあちらの世界では全く意味を為さず、只の小洒落たタトゥーになるって寸法だ。


 つまり“応答変域プロンプト”達は、これから死ぬ事も出来ずにそれはもうこってりとドラゴン様方に尋問されるって言うワケよ。ざまぁねぇよな、手間かけさせやがって!



“いやー、ヤバいね。清水君。こっち来て早々に大手柄だよ。これは間違いなく色々進むゼ。もうマジで感謝感謝だわ”

 


 黄泉さんは、そりゃあもうご機嫌だった。

 さもありなん。イブの決戦前に有力な情報を持っていると思わしき組織の幹部連中を生きたまま捕らえることに成功したんだもの。


 俺が彼女の立場でもきっと同じように小躍りしてたと思うぜ。

 流石凶さん、本場に強い子ってな!



“こいつらの尋問は私達に任せておいて。君達が帰って来る頃には、良い報告ができるように頑張るからさ”


 黄泉さんと互いにやるべき事を確かめ合って、帰路についたのが午後十時過ぎ。


 そこからクランのみんなに軽く情報を共有し、更にBチームに改めて明日からの探索に向けてのブリーフィングを行って、飯、風呂、身支度諸々含めてなんやかんやとあれこれやっている内に気づけば時計の針は午前一時を回っていて、やべぇマジやべぇとうわ言のように呟きながらようやく遥さんのおっぱい枕に辿り着いたのがその三十分後の事である。



「んもうっ、一日くらい休めばいいのにっ」


 おっぱいの外から怒る人の声が聞こえた。

 遥がどんな表情をしているのかなんて今の俺には分からない。


 消灯後の暗闇。お布団に温まりながら、顔を浴衣姿の遥さんに包んでもらう。


 これがいっちばん効くんだ。すぐ眠れるし、悩みとか不安も全部おっぱいが和らいでくれる。


 万歳だぜ、おっぱい!


「大丈夫だよ、遥」


 俺はおっぱいに語りかける。


「お前さえ側にいれば、俺は無敵だ。どんな困難だって越えてやる」

「おっぱいに埋もれながらそんな事言っても説得力無いにゃー」


 等と言いつつも遥さんは優しく抱きしめながらよしよししてくれるので大好きである。



「心配した?」

「そりゃあ気が気じゃなかったですよー。でもすぐにアルちゃんから連絡が来たからさ、まぁ九割方大丈夫かなって安心できたよ」


 どうやら邪神は邪神で色々考えてくれていたらしい。

 くそ、こういう根回しの良さがあるから憎み切れないんだよなぁ。計算してやってるとしたら本当大したもんだよ。流石はカミサマ邪神様だ。



「ご迷惑をおかけいたしました」

「いえいえ。無事に帰って来てくれただけで何よりですよ」


 幹部級との五連戦とその後始末のせいでささくれ立っていた心の緊張がやわやわに解れていく。


 やっぱりここなのだ。俺の帰るべき場所は。

 あぁ、安らぐ。全身がものすごい勢いで安らいでいく……。



「そういえばさ、凶さん」

「なにかね、遥さん」

「君が浚われてワクワクしている間に会津君と話したんですよ」

「まさかギスギスするような事をやらかしたんじゃなかろうね」 


 恒星系がおかしそうに笑った。


「君の作戦を台無しにするような暴走ことは、しないよ。本当にただ話しただけ」

「なら良いのですが」

「……でも彼、ちょっとだけ気になる事を言ってたの」

「気になる事?」


 一体何だろうか。

 立場上、“会津・ジャシィーヴィル”という設定キャクタ―が、不審な物言いをするとは思えないのだが。



「今日の誘拐事件の本当の黒幕はソフィちゃんなんじゃないかって、そんな事を言ってたんだよ」






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