第二百八十七話 前哨戦の後に(前編)
◆◆◆ 寛容領域・『人間農場』管理センター・所長室
「“
頓狂な声が室内中に響き渡る。
だがそれも無理らしからぬ話であった。
変事が起こったのだ。
主がまともな反応を返さざるをえない程の
「はい」
栗の花の香りが鼻孔を掠める。
この部屋は、否――――この
鋼鉄のマスク越しでも漂うその匂いは咽返る程生臭く、何よりも
恐らく直前まで戯れていたのだろう。――――彼女の愛する可愛いペット達と。
「全員やられたそうです」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、そりゃあないぜ」
自身の髪色と同じショッキングピンク色のラタンテーブルに顔を埋めながら、女は哀切の声を上げた。
武闘派の頂点に立つ
ダンジョン『万災』での任務を終えた彼女が久方ぶりに自身の
◆
────その報せは、ある“作戦”の失敗を通達するものであった。
“作戦コード:
とある新興クランのクランマスターを狙った大規模作戦である。
ひと月ほど前に三十五層級のダンジョンを踏破したばかりだというその男に対し、組織武闘派が差し向けた戦力は
“
略取対象がそこそこ有能な冒険者である事を加味した上でなお、過剰と言わざるをえない大戦力を擁したこの“
「マジか。マジかマジかマジかマジかよ」
頭を掻き毟る。血が滲む程力強く、骨に染みる程傷ましく。
それは自分への罰だった。
“
強く悔んだ。
“導師”の勅命に参じなかった自分に対して――――ではない。
彼を。あの愛すべき弱者をついぞ助けて
「あぁ、あぁ……“
涙が出てくる。
親に捨てられ、女に騙され、社会の鼻つまみ者にされていたか弱き者。
“
「“
「それなんですがね、姐さん」
“寛容”の乱心を意にも介さず
「どうもあいつ等、死んでないようです」
空白。そして僅かな時間の中で二度目の“まともな驚き”
「何言ってんだ、
その声には棘があった。
非常識に憤る非常識者の
「アタシ達は、負けたら死ななきゃなんねーだろ。そういう
「報告役の“目”によると、“
サッシが開き、窓外の空気が室長室に流れ込む。
星が瞬く宵闇の『人間農場』には、放し飼いの
この
あるのは猫のように愛されている「
政治家。
企業家。
過激さがウリのインフルエンサーに夜職を主とする男女。
「更生した」とのたまい何食わぬ顔で社会に溶け込んでいた元いじめっ子。
時代遅れのパワーハラスメントを強いる体育会系上司。
「我々への差別をなくせ」と都合の良い多様性を強要する一方で、真に案じるべき“彼等”を「バタ
かの“
かつてそういう者達であった「備品」は、この地獄において「
服はない。
名前もない。
夢も未来も希望も尊厳も勿論ない。
それこそが彼等を「弱男」と不当に差別し続けた忌まわしきレイシスト達への罰であるとでも言うかのように、ポリコレの世界は偏重と偏愛の押しつけによって歪んでいる。
「続けろよ」
外の「備品」が一つ爆ぜた。
視えなかった。机を発つ瞬間も、窓を開く気配も、八つ当たりとばかりに備品の女を撃った瞬間も
気がつけば、
「……『龍宇大』に護送された模様です」
「困るなぁ」
外の備品がまた爆ぜた。
今度は男だ。
その惨状をみて、ペット達が無邪気に喜んでいる。
「困る困る流石にそれはクソゲーだ」
爆ぜる。爆ぜる。備品達の命が次々と爆ぜていく。
「『無窮覇龍』の膝元に送られちまったら流石のポリコレさんでも対処不可能だ。やべーぞ
「どうするんっすか」
「導師様のところへ行く」
また知らぬ間に、室長室の扉が開き寛容が身支度を整えていた。
「主の御心は、どこにあるのか。何故あのような御命令を下されたのか。我等では及びもしないその深い考えとやらを納得のいくように教えてもらおうじゃないのさ」
「あの御方とやり合う気で?」
「まさか。上手い事ダシにして“お許し”を頂くんだよ」
女は笑った。
捕食者の微笑だ。
「『降東』って確か出れなくなる
「えぇ。みたいですね」
「なら丁度いいじゃねーか」
逃げ場のない迷宮。
外部との連絡もままならない禁域の世界。
――――狩り場としては、丁度いい。
「他の幹部達に連絡を入れておけ。
「連中のお守りには“龍生九士”様もいるそうですが」
「言っても蛹だろ? ならわけねーよ」
こと戦闘において、ポリコレはその認識を間違えない。
どれだけ歪み、どれだけ狂い、どれだけ身勝手な理屈で世界を罵ろうとも、彼女は『寛容』の長であり、
「分かりました姐さん。
それは、
◆◆◆『皇都』龍心・五つ星旅籠『花天月地』十二階・凶一郎と遥の部屋:『
“組織”武闘派の襲撃を跳ね除け、無事に帰還した俺達を待ち構えていたのは思わず逃げ出したくなるようなそれはそれは面倒くさい「報告の山」であった。
まず、急いで駆けつけてきた黄泉さんとお付きの十絶さんに捕まえた幹部連中達を献上。
奴等は放っておくと組織印の“刻印”で死ぬので、絶えず【
組織が強いる死の“刻印”もあちらの世界では全く意味を為さず、只の小洒落たタトゥーになるって寸法だ。
つまり“
“いやー、ヤバいね。清水君。こっち来て早々に大手柄だよ。これは間違いなく色々進むゼ。もうマジで感謝感謝だわ”
黄泉さんは、そりゃあもうご機嫌だった。
さもありなん。イブの決戦前に有力な情報を持っていると思わしき組織の幹部連中を生きたまま捕らえることに成功したんだもの。
俺が彼女の立場でもきっと同じように小躍りしてたと思うぜ。
流石凶さん、本場に強い子ってな!
“こいつらの尋問は私達に任せておいて。君達が帰って来る頃には、良い報告ができるように頑張るからさ”
黄泉さんと互いにやるべき事を確かめ合って、帰路についたのが午後十時過ぎ。
そこからクランのみんなに軽く情報を共有し、更にBチームに改めて明日からの探索に向けてのブリーフィングを行って、飯、風呂、身支度諸々含めてなんやかんやとあれこれやっている内に気づけば時計の針は午前一時を回っていて、やべぇマジやべぇとうわ言のように呟きながらようやく遥さんのおっぱい枕に辿り着いたのがその三十分後の事である。
「んもうっ、一日くらい休めばいいのにっ」
おっぱいの外から怒る人の声が聞こえた。
遥がどんな表情をしているのかなんて今の俺には分からない。
消灯後の暗闇。お布団に温まりながら、顔を浴衣姿の遥さんに包んでもらう。
これがいっちばん効くんだ。すぐ眠れるし、悩みとか不安も全部おっぱいが和らいでくれる。
万歳だぜ、おっぱい!
「大丈夫だよ、遥」
俺はおっぱいに語りかける。
「お前さえ側にいれば、俺は無敵だ。どんな困難だって越えてやる」
「おっぱいに埋もれながらそんな事言っても説得力無いにゃー」
等と言いつつも遥さんは優しく抱きしめながらよしよししてくれるので大好きである。
「心配した?」
「そりゃあ気が気じゃなかったですよー。でもすぐにアルちゃんから連絡が来たからさ、まぁ九割方大丈夫かなって安心できたよ」
どうやら邪神は邪神で色々考えてくれていたらしい。
くそ、こういう根回しの良さがあるから憎み切れないんだよなぁ。計算してやってるとしたら本当大したもんだよ。流石はカミサマ邪神様だ。
「ご迷惑をおかけいたしました」
「いえいえ。無事に帰って来てくれただけで何よりですよ」
幹部級との五連戦とその後始末のせいでささくれ立っていた心の緊張がやわやわに解れていく。
やっぱりここなのだ。俺の帰るべき場所は。
あぁ、安らぐ。全身がものすごい勢いで安らいでいく……。
「そういえばさ、凶さん」
「なにかね、遥さん」
「君が浚われてワクワクしている間に会津君と話したんですよ」
「まさかギスギスするような事をやらかしたんじゃなかろうね」
恒星系がおかしそうに笑った。
「君の作戦を台無しにするような
「なら良いのですが」
「……でも彼、ちょっとだけ気になる事を言ってたの」
「気になる事?」
一体何だろうか。
立場上、“会津・ジャシィーヴィル”という
「今日の誘拐事件の本当の黒幕はソフィちゃんなんじゃないかって、そんな事を言ってたんだよ」
―――――――――――――――――――――――
・チュートリアルが始まる前に第4巻絶賛発売中です!
また書籍版4巻の発売及び来週5月27日月曜日よりピッコマ様で配信される横山先生のコミカライズ版「チュートリアルが始まる前に」の告知も兼ねまして、今週も週3更新でがんばっちゃいます!
約75000字の大幅加筆による至極の水着イベントと黒騎士戦を体感しよう!
チュートリアルが始まる前に第4巻は、絶賛発売中です!
黒騎士の真実と清水凶一郎の進化と真価がここにある!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます