第二百八十話 前日6





◆◆◆『皇都』龍心・五つ星旅籠『花天月地』十二階:シアタールーム:『極光英傑戦姫』空樹花音




 幾分主観的な上に大分身内びいきな意見である事は重々と承知しているが、はー様は相当頑張っていたと思う。


 だって、考えても見て欲しい。大好きな彼氏が他の女の子に服を買ってあげたり、楽しそうにお喋りしていたり、挙げ句の果てには手を繋ぐ等という破廉恥極まりない映像を、彼女は何時間も悪態もつかずにずっとずっと眺め続けていたのだ。



 ……いや、まぁ。お二人は、はー様に「やってくれ」と言われたからやっていただけで、全然そういうのじゃないんですよ? それは私も分かってます。分かってはいるのですが、やっぱりこう、パートナーが別の女の人とデートしている映像を見せられたらどれだけ強靭なメンタルの持ち主でも嫌な気持ちになると思うんですよ。


 ましてやはー様――――蒼乃遥さんは普通の人と比べてちょっとだけ嫉妬深い側面がある。なので、そんな彼女が凶一郎さんとソフィさんの疑似デートを目の当たりにしたらすぐ「プッツン」きちゃって、大乱闘……なんて事が起きるんじゃないかという懸念を当初は私も抱いていた。



 しかし結論から言うと、はー様は旅館のシアタールームから出る事なく、この過酷な修行を乗り切る事に成功したのだ。


 本当にすごい人だと思った。半日近くもの間凶一郎さんがソフィさんと仲良くしている地獄絵図シーンを目に焼きつけながらレヴィアちゃんを出さず、殴り込みもかけず、中止命令も出さなかった。



 さぞや苦しかっただろう。すぐにでも止めたかっただろう。だけど、はー様はこの過酷な修行を宣言通り乗り切ったのだ。


 なんという向上心。やはり彼女は別格だ。強くなる為ならばそれがどれ程過酷な道であろうとも乗り越える。



「(改めて勉強させて頂きました。流石です、はー様)」



 私は心からの尊敬を瞳に込めて彼女を見た。



「にゃんごろべんちゃ」


 はー様は地べたでブレイクダンスを踊っていた。

 正しくはブレイクダンスじみたなにかだ。

 頭を地面にこすりつけて全身を絶え間なく捻っている。

 何故そんなことをしているのかはよく分からない。

 多分湧きあがる嫉妬心を抑えるために思考錯誤した結果、この不気味なダンスに辿り着いたのだろう。

 独楽コマのように回りながら、人語ではない言葉を発し続ける遥さん。

 当然、パンツは丸見えである。


「よく……耐えましたね」



 私は目尻に涙を浮かべながら、彼女の鼻先に凶一郎さんの香りつき猫じゃらしを近づけた。



「もうすぐ凶一郎さん達が帰ってきますよ。そうしたら思う存分凶ハルてぇてぇしましょうね」

「にゃあ」



 かくしてこの短くも濃厚な一日がようやく終わる――――その時はきっと、誰もがそう思っていた筈だ。





「え? 凶一郎さん? ソフィさん?」


 だけどそうはならなかった。

 凶一郎さんとソフィさんは忽然と、まるで煙のように消えたのだ。



『ごめん、なんか機龍の調子が悪いらしくってさ』


 午後十九時前。私達と凶一郎さんが交わした最後の会話。


 無事に航空用機龍の停留所に辿り着いたはいいが、何やら当初乗る予定だった機龍が原因不明の車体不調システムトラブルに見舞われて動けなくなってしまったらしく、急遽別の便で帰る事になったと彼は言っていた。



『おぉ、遥。元気そうで何よりだぜ。どうだ? 俺、うまくやれてたか?』

 

 会津さんの《視覚共有》を通じて、ソフィさんの視点から見る凶一郎さんの姿は普段通りのありのままで、間違っても黙ってどこかに消えるような人の顔ではなかったように思う。



『しかし、この《視覚共有》って、便利だなぁ。マルチ参加可能な視覚の共有相互通信ビデオコールがこんなに便利なものだったなんて俺知らなかったよ。コレさ、使いようによっては、今回の――――』



 だから最初は消えたという発想にすら至らなかった。


 突然、会津さんの《視覚共有》が途切れて、同時に二人が首につけていたチョーカー型のビデオカメラが備えつけのGPS情報毎その反応を消失。


 そして、凶一郎さんの事なら何でも分かるはー様がこう言った事で、私はようやく事態の深刻さを理解したのである。



「凶さんがいない。いきなり消えた。どこにもいない」


 


◆◆◆??? 『外来天敵』清水凶一郎




 そこは灰色に染まっていた。

 現代風のオフィスビルが立ち並ぶビジネス街。

 建物は密集していて、それなりに高いものも散見しているが、大都会と形容できる程の華々しさはない。

 そこそこ大きい街の駅前といったような感じだ。間違っても俺達が先程までいた“龍心”ではない。


 空は明るくも暗くも蒼くも赤くもなく、太陽も雲も雨も月も星も見えない無の灰色グレイ


 人影は見渡す限りゼロ。側には怯えた顔のソフィさん。彼女の発する小さな息遣い以外の音がどこからも聞こえない。


 どう考えても異常事態だ。


 唐突に、何の前兆もなく、気づいた時には異世界転生? ……いや、



「ソフィさん大丈夫?」

「えっと、はい。わたくしは大丈夫なのですが……ここは一体?」

「そうだね。俺もまだ半分くらいしか分からない。とりあえずココ、結構危ないところだと思うから悪いんだけど抱かせてもらうね」

「凶一郎様、一体何を仰って……わわっ」



 俺は驚く彼女を無理やり両手で抱き抱えながら、天敵粒子と《時間加速》の併用を始める。


 発生から刹那、瞬く間の内に街へと広がる赤い粒子。

 〈外来天敵〉を得た事で、俺の戦術に〈骸龍器ザッハーク〉を使わないという選択肢が生まれた。


 いや、最終的には使うのだ。肉体の超強化と保険の復活スキルを保有している時点で〈骸龍器〉が腐る事は一生ない。


 しかしおよそ初動という観点で物事を考えるのであれば、今までのようにとりあえず〈骸龍器〉を起動するのがテンプレートというわけではなくなったのである。


 

 特に天敵粒子の散布に専念するのであれば、時間制限を気にせず最大加速の《時間加速》が撃てる人間形態の方が都合がいい。


 勿論、この前の遥戦のような〈骸龍器〉×〈外来天敵〉×《時間加速》の超短期決戦用ビルドもあるにはあるのだが今回は絶対に人間形態こっちの方がいい。



 何故ならば、



「悪意をもった誰かが俺達を狙ってる。少なくとも二人以上。ここは敵の巣の中で、恐らく一人は位相差挟型空間創造能力の持ち主。奴等の狙いは俺達の殺害ではなく身柄の拉致だ」



 口と粒子と術式を絶え間なく動かしながら、思考のギアを上げていく。



 もしもここが誰かの展開した世界ならば、間違いなく龍心にいる化け物達が一斉に駆けつけに来る筈だ。


 今すぐ確実に殺されたい馬鹿でもなければ、そんな愚行はまず起こさない。よってこの空間の持ち主の能力は自分の世界を押しつける真神達の法則とは似て非なるもの。


 この場を整える為に他の奴のサポートを必要とした点からも、十三道徳コンプライアンス級ではないことが伺える。


 

「(畜生、会津・ジャシィーヴィル。やるじゃねぇか。《視覚共有》で俺の未来視をメタってくるとは……くそ、良いセンスしてやがる)」



 俺の未来視は、自分の視ているものを対象として発現する。だから視界が他人のものに切り替われば当然視える景色みらいも他人のものになるわけで、会津はその死角視覚を的確かつ完璧なタイミングで利用したのである。


 

「(敵地のど真ん中で、誰にも気づかれる事なく味方へのアシストを成功させる。まさに理想の妨害手だな。打つ一手が悪魔的にエグい)」


 赤く、赤く、半径五百メートル以内に存在する全てに付着する赤色の粒子。


 会津が動いた事からこの自体が組織関与のものであることは明白であり、時亀さんから貰った情報とゲーム知識の合算からこの術式の主が十三道徳コンプライアンスではないという事も判別がつく。



 ならば――――



「交渉をしようっ!」



 俺は誰かに向けて大声で叫んだ。



「大人しく俺達を解放さえしてくれれば、傷つけない事を約束するっ!」



 記憶を辿った。朝の会話。昼のデート。夜の事件。




「一分以内に返答がなければ、決裂とみなしてこちらも動き始める。さぁ、いくぞっ! イチッ! ニッ!」



 敵の初手。こちらが取るべき行動。ソフィさんを守りながら戦わなければならない都合上、両手は使えない。



「サンジュウッ! サンジュウイチッ!」



 背中に溜まる汗。抱えられた聖女の表情には深い信頼と覚悟が刻まれていた。

 彼女の期待に応えなければならないと思った。俺のパーティメンバーには指一本触れさせない。何があろうともソーフィア・ヴィーケンリードだけは守り抜く。



「ゴジュウヨン、ゴジュウゴッ!」



 そうして俺のカウントダウンが終わりかけた間際の事だった。



 叫び声が聞こえた。まるで世界の苦しみを一身に背負ったような、あるいは数十万回の死を一度に経験したかのような、そんな魂からの苦悶。



「終了間際に奇襲かけようとしたんだろうが……」



 位置捕捉。距離およそ五百メートルのライン際。突如としてそいつは現れた。


「それは流石に馬鹿が過ぎるぜ」


 現れて、そしていきなり苦しみ出したのだ。


 あぁ、「いきなり」って表現は流石に「どの面下げて」って感じか。失礼。訂正するよ。


 俺は、俺のせいで苦しんでいる誰かの元へと足を運ぶべく、オフィス街を駆け抜けた。

 赤い嵐が吹き荒ぶ。



「管理の行き届いた龍心の中で、機龍に細工をするなんて生半可な事じゃない」


 声の主ではなく、この空間の主に向けた答え合わせ。

 走る。走る。一歩、一歩。声のする方へ、最大限の注意を払いながら、しかして程々に急ぎながら。



「そしてこんな派手な位相術式、普通なら絶対にバレる」



 位相術式。ものすごくざっくり説明するとアイテムボックスの中やガキさんの使う“神隠し”のように、ここではないどこかの空間を作成し、運用する能力。


 入口と出口。別の場所と別の場所を繋ぐワームホールの中。恐らくこの空間の出口を抜けた先には組織の拠点があるのだろう。



「大した能力だ。一つの街を支配するなんて間違いなく亜神級最上位スプレマシークラスの力はある。だが」



 街路樹の根元で男が悶えていた。全身を黒装束で覆った彼の身体は今、夥しい数の赤粒子に侵されている。血の涙を流し、出してはいけない形状の体液を口から漏らしながらなおも叫び続けるその哀れな男を見下ろしながら、俺は自分の推論が正しかったのだという確信を得た。



「どうやらそれ以外は不得手らしい。だからここで下手くそなダンスを踊っているこいつのサポートを受けていた、なっ、そうだろ? この領域の主さんよ」


 世界の主に言うべき事を言い終えた俺は、意識を黒装束の男へと向けた。



 彼の名前は知っている。コードネームは“不認知ライブ”、術式発動中、世界の全てから認識されなくなるという破格のステルス能力を有した亜神級最上位精霊『アノニマス』を持つ組織過激派のエージェント。


 八作目時代の等級は、“幹部”クラスだった筈だけど、今の彼はどうなのだろうか。

 まぁ、そんな事はこの際どうでもいい。世界から消え、自身に対する過去の記憶すらも消し去る存在しない誰かを、俺は今見間違う事なく認識し、記憶している。


 それが全てだった。



「不思議そうな顔をしているな、なんで術式発動中の自分の姿が視えてるんだって、そんな顔だ」



 “十三道徳コンプライアンス”は、強さと犯した正義つみの重さによって決定づけられる。その席次の数は必ず十三であり、例外はない。


 それは裏を返せば“十三道徳コンプライアンス”には至らずとも亜神級最上位クラスの使い手、みたいな連中が存在してもおかしくないという事だ。



 全く、一地方の冒険者クランが相手取るには荷が重すぎるって話だよ。


「お前さん、名前は何て言うんだ?」

「“不認知ライブ”」

「どうも、“不認知ライブ”、会えてうれしいよ。挨拶も早々に悪いんだが、この街にいるお前さんのお仲間と数を教えちゃくれないか?」

「“無敵の人ドゥーマー”、“複垢コンプレックス”、“愛金交換パパカツ”、“応答変域プロンプト”」



 心の中で小さく毒づいた。“応答変域プロンプト”以外全員ゲーム内出場経験ありの亜神級最上位スプレマシー保有者だ。



 そして消去法的にこの初見の位相術式使いが“応答変域プロンプト”という事になるから、規模を考えれば間違いなくこいつも亜神級最上位スプレマシー



「この街の持ち主は誰だい?」

「プ、“応答変域プロンプト”」

「“応答変域プロンプト”の持つ精霊の等級は亜神級最上位で、こいつを倒せばここから解放される? イエスかノーで答えてくれると助かるな」

「あ、あぁ。どっちもイエスだ。」



 黒装束の男は震えていた。血と粒子の二種の赤に塗れたその顔は、「自分が何を言っているのか分からない」という驚愕と恐怖に支配されていて、見ていて悲惨極まりない。あぁ、“不認知”、分かっているよ。俺だけは分かっているとも。お前さんは痛みや脅しに負けて仲間を売るような奴じゃない。だけどコレが事実で現実でお前は真実を語ったんだ。だからお前はもうおしまいさ。この先一生お前に逃げ場なんてない。



「なぁ、殺さないでくれ、お願いだ。ア、アンタがこんな化物だったなんて知らなかったんだ」

「落ちつけよ兄弟。殺しはしない。俺の愛する蒼色に誓って殺しはしないって約束するよ」

「あ、ありがとう。ありがとう。ありがとう」

「ただし」



 粒子を弄ってソフィさんの目元に即席のアイマスクを作り、聖女の視界をガードする。耳元には耳栓。匂いに関しては急いで離れることで回避した。



「その能力でチョロチョロ動き回られても困るんで、死なない程度に壊れててくれ」


 

 刹那、見るも無残なグロ画像が街路樹に咲いた。爆ぜて、裂けて、吐いて、捩じれて最後にはぴくりとも動かなくなったステルス野郎の残骸。

 死んではいない。いや、死ぬ事に失敗し続けているといった表現の方が正しいか。

 全部終わった後にソフィさんに治してもらえば、ちゃんと取り調べが受けられる程度には復元できる……はず。



「(折角組織のお偉い幹部様方が来てくれたんだ。全員捕まえて有効活用してやらなきゃな)」



 残る敵は亜神級最上位クラスの使い手が四人。

 ソフィさんを抱えなければならない都合上、両手は使えない上、エッケザックスは宿の中だ。



「あ、あの凶一郎様」


 耳栓とアイマスクを外しながら聖女様が不安そうに問いかける。



「だ、大丈夫なのでしょうか。私達?」

「大丈夫、大丈夫」


 

 俺は努めて明るい声を出しながら、彼女の問いかけに応じた。



「明日も早いんだ。さっさと片付けて宿に戻ろう」





―――――――――――――――――――────



GW、つまりゴリラウィークなので、来週は週三更新ですっ!

次回は三十日の火曜日更新っ! お楽しみにっ!


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