第二百七十三話 自分だけの無敵と自分だけの世界





◆◆◆仮想空間・ステージプレーン(ラージフィールド):『嫉妬之女帝レヴィアタン』:蒼乃遥




 通っていたなら、通じていた。

 後に澄江堂我鬼が述懐したその言葉を信じるのであれば、少女の組み立てた戦略は確かに間違いではなかったと言えるだろう。


 手札を多く抱える相手に対し、その多彩な戦術を使い切る前に倒すという速攻戦型アグロビート

 絶望的なまでの無勢を理外の敏捷性と出力の増加のみで乗り切らんと立ち回る驚天動地の終末作戦フィニッシュプラン


 十億と八千万。時の女神の眷族神たる彼女だけが扱える【刹那生滅】の術式によって“未来へと飛ばされた”全ての斬撃達が今、一つの現実いまへと収束する。



「(同じ姿、同じ性能スペック、あなたが失態ミスを犯さなければきっと見分ける事はできなかった)」



 どの我鬼が本物であるか。その目星は既についていた。

 先の撃ち合いの折りに相似性代替呪術を使用し『布都御魂』の複製を打ち破った個体。

 それこそが本物の澄江堂我鬼であり、この十億撃いちげきをぶつけるべき相手である。

 その個体を捉えた瞬間のみぎりから、遥は執拗に彼だけを追い続けた。

 目、耳、霊覚、そして刃よりも鋭い彼女特有の直感きゅうかくで。

 

 『嫉妬之女帝レヴィアタン』であるこの身に幻惑や精神操作の類はまるで意味を為さない。



「(上手く隠してはいるけど、やっぱり本物はちょっと違うね)」



 立ち塞がる分身体の攻撃をZ軸上に避けながら、遥は最後列に構える“丑の刻参り”を使用した我鬼に視線を定め、一気呵成に直進。


 蒼い雷と化した少女の速度は、フィールドの誰もを置き去りにして、瞬く間もなく三キロメートル先の彼の喉元を捉えた。


 紫電一閃。束ねた十億の斬撃かこが少女の蒼刀に宿り、ここに果たすべき勝利いまを結実させる。



「なーなー、遥ちゃん」



 我鬼は、



「これみてぇ」



 澄江堂我鬼は満面の笑みで一枚の紙を取り出した。



「は?」



 まず疑問符が浮かんだ。この局面で彼は一体何をやっているのだろうか。見せることで効力を発揮する何らかの呪術? 無駄だ、『レヴィアタン』にあらゆる外的干渉ダメージは意味を為さない。


 だから遥は彼が何をやろうとしているのかその一切を無視して、刃を走らせ――――




「――――は?」



 今度は、そこに赫怒が生まれた。



 恐らくそれは、ブログか何かの一面をプリントアウトしたものなのだろう。文言から察するに執筆者は“烏合の王冠”のファン。しかも感心な事に遥の愛する“彼”のファンであり、そして



『もう凶ハルは古い!? これからの時代は凶ナラであるという三つの理由を、この凶ナラ歴二ヶ月半の最古参ヲタであるボンバイエ三郎が教えちゃいます(笑)』




 今すぐ斬らなければならない異教徒だった。

 彼とあの女の宣材写真を加工して作ったであろうトップ画面も、ところどころに漂う地雷臭も、そしてこんな主語が大きいだけの個人的な感想を有料会員記事として掲載してしまう悪辣さも含めてその全てが気に入らない。


 それは千分の一秒にも満たない時間だった。遥はその記事を認識し、ブチ切れ、直ぐに読む価値のない駄文だと心の中で切り捨てた。


 しかし、



「ようやく隙見せたなァ」




 その千分の一秒の空白は、余りにも致命的だった。



「君が犯したミスは三つある」



 背後から凄まじい霊力の流れと、それを上回るおぞましさを感じ取った少女は急いでその場を退避、



「一つ。勘が鋭いのは良い事やけど、君の場合それを信じ過ぎや」



 しかけたところでその場に盛大に転げ落ちた。仮想の地面に伏せる不甲斐ない姿。何が? どうして? 一体何が……



「そいつ本体ボクやないで。目立つように身体の中の霊力弄って、相似性代替呪術タクシャカ使わせただけの単なるコピーや」

「あ」



 そこでハタと気づく。在るべきものが、さっきまで当たり前のようについていたものが



「そうけったいな精神操作こざいく使わんでもな、人って簡単に操れんねん」



 右腕と右足が、ない。




「『八大龍王ナーガラージャ』は確かに併用の縛りがある。そこを初見で見抜けたのは素直に流石やと思うしボクも正直驚いた」



 違和感がない。出血もない。でも確かに右腕と右足が――正しくは右肩の付け根と大腿部の先が――消えているのだ。


 まるで魔法のように、あるいは妖怪変化の類のように得体が知れず。

 しかしきっとこの身に降りかかったソレの正体は魔法でもあやかしでもなくきっと



「でもそっから先は、完全な読み違いや。術を併用したのは一人だけ、その一人だけ霊力の流れが少し違う、せやからそれが本体て……そりゃあちょっといくらなんでもボクの事信用し過ぎやろ自分」

「(呪術……っ!)」




 自分は彼に呪われたのだろう。八大龍王。ナーガラージャ。そのどれかの呪術をまともに喰らってしまった。



「(参ったね。龍生九士”相手にこの損失は、かなりヤバい)」



 一万人の睚眦はまだそこにいる。


 いみじくも彼の言った「本体以外も術式が使える」という証明が為されてしまったというわけだ。



「二つ目、こっちは割りと致命的や。なんでこないなチャチな怪文書あおりに引っかかったん? いや、分かるで。それだけ凶一郎君の事が大事やんな。だからこないな挑発も見過ごせんくて、ついカ反応したくなる気持ちも理解はできる。……けどな」



 恐らくは中盤の加速力勝負もブラフだったのだろう。

 きっと本来の彼はもっと速く動けて、もっと圧の高い追い込み方ができた。

 

 そうでなければあの瞬間、彼があたしにあのふざけた文章を見せつける余裕なんてなかった筈だから。


 どこまでも、そう、どこまでも



「僕らの領域で戦うつもりやったら、この欠点は絶対になくさなあかん。世の中にはなバリクソ強くて、おまけに底意地の悪い輩が仰山おるんや」



 上をいかれたと、苦い敗北感が全身を駆け巡る。



「『降東』攻略中に何とかせぇ。君達がこれから相手にするんは確実に



 十三道徳コンプライアンス。組織の一員である会津が見ている手前、大分ごまかした言い方になってはいるものの、ガキの言葉は確かに彼等の事を指していた。



 あぁ、全く。コレに関しては全くぐうの音も出ない。



 幾ら精霊の加護を得ても、どれだけ不滅の身体性を得ようとも、人の悪意は心を抉るのだ。


 もしもこの戦いが模擬戦ではなく、そして相手が十三道徳コンプライアンスの連中だったとして、その時自分がさっきと同じような事をやられたらどうしていただろうか。



「(絶対に同じようにうろたえてた)」


 自分に嘘をつく事はできない。『レヴィアタン』戦の時も、そして今回の戦いも、自分は彼の事になるとすぐ周りが見えなくなって、そして――――



「んで逆に三つ目は、かなり上級者向け。今すぐどうこうせーってわけじゃなくて、そういう事もあるんやなってぐらいの気持ちで受け止めてくれると嬉しい」


 しかし睚眦はそんな少女の慙愧の念など知らぬとばかりに滔々と喋り続ける。



 勝者の特権という奴だ。悔しいが地べたを這いつくばるしかない自分に、この演説を停める術はない。内容自体も極めて全うなアドバイスな為、あらゆる意味で耳を傾ける他になかった。



「今君にかけてる呪い、次元位相転移呪術マナスヴィン言うてな、簡単な話し“神隠し”の呪いなんよ」



 次元位相転移呪術マナスヴィン。神隠しの呪い。つまり自分の右腕と右足は、神隠しにあっているという事なのだろうか。



「(でもそれだと)」

「『レヴィアタン』に護られてる自分に効く筈がないと思ったやろ」


 図星だけど、事実だった。

 この身に宿りし嫉妬の大海は未だ底が見えず、それどころかさっきの怪文書のせいでレヴィアちゃんがひーこら言っている始末である。


 つまり『嫉妬之女帝レヴィアタン』の権能は破られていない。なのにあたしの身体は彼の呪いを受けていて、これは……一体?



「不死、不滅、絶対防御に不可侵、遮断、完全反射……亜神級最上位スプレマシーともなってくると大抵こういう“無敵”能力の一つや二つはもっとるもんや」



 オリュンポス・ディオスの条件付き干渉無効、空樹花音の『パラスアテナ』、そしてレヴィアタンの“不滅”、それぞれ正確な分類こそ違えど、これまで自分達が出会ってきた亜神級最上位クラスの精霊は確かにある種の無敵性を有していた。



「けどな、もう薄々分かってると思うねんけど、これらの“無敵”っていう程絶対的なもんやないんよ」


 抗弁の言葉はない。現に右腕と右足がどこかに飛んでいる以上、こちらが何をどう反論しようがそれは空虚で空疎。



「それぞれの違いとか、リソースの問題とかまぁ攻略法は幾らでもあるんやけど、共通して言える事は一つや」



 そして次に彼が投げかけた言葉を、遥はきっと生涯忘れないだろう。



「あんな、君達の無敵は君達しか守ってくれへんのよ。そして君達はどれだけ不死身で不滅で不可侵だろうと、この世界に在り続けなければならない」

「あたし達がこの世界にいるって、そんなの当たり前じゃないですか」

「そこが亜神級きみ達真神十さん達との明確な違いや。真なる神は、例外なく自分の“世界”を持っている。そして持っとる奴は自分やのうて周りの空間まで支配する」



 勘の良い少女は、すぐに睚眦の口説を悟った。



「この世界が一つの画用紙だったとして、そこに住むあたし達が幾ら無敵だ最強だと謳っても、その画用紙ごとクシャクシャにされたら為す術がない……みたいな?」

「良い例えやね。そ。“自分だけの無敵”は世界とか空間ごと干渉してくるような術に弱い」

「逆に自分の世界を持ってる人は、自分だけじゃなくて画用紙自体を堅くすることが出来るから、外からクシャクシャにされても自分の身を守ることができる……と」



 何という壮大で、ワクワクする話なのだろうか。今の自分には全然出来る気がしないけれど、いつか頑張ればきっと……



「(……ん?)」



 そこで少女はある事に気づく。


「ガキさんの『八大龍王ナーガラージャ』って多分亜神級最上位スプレマシーですよね」

「せやね」

「だけど空間に干渉する術を持っているという事は、逆に言えば」



 真神級程絶対的ではなかったとしても、今の段階で空間に作用する術を弾き飛ばす方法もあるのではないかと、遥は思ったのだ。



 そしてきっと、



崩界術式ゼニスって」



 それを自分は既に知っていた。



崩界術式ゼニスってなんかやってる事の割りに弱そうだなって印象がこれまであったんですけど、アレってもしかして?」



 一瞬の沈黙、そこからの哄笑。


 ガキは笑っていた。心の底から楽しそうに、一万人の睚眦が腹を抱えて笑い転げる。



「たまに君みたいなモンが湧くから」

「人間も中々どうして捨てたもんやないって思えるんよ」



 


―――――――――――――――――――――――

Q:天城編終わってから遥さんはゴリラにその辺の事聞かなかったんですか?

A:ずっとイチャイチャしてたので無理です。




・澄江堂我鬼

 二十歳。澄江堂家当主にして一児の父であり、愛妻家。同い年の筈のチャラ男とは、一体どこで差がついた……!









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