第二百六十ニ話 時の女神の宮殿
◆
赤い絨毯。等間隔に並ぶ白色の丸照明。壁は真白、視界に映る木製のドアには『401』、『402』と奴の象徴でもある“4”の頭文字が刻まれている。
時間と因果の女神ヒミングレーヴァ・アルビオンの内的宇宙に至った俺がこの場所に抱いた最初の印象は“ちょっと高そうなホテル”――――安っぽくはない、けれど
それっぽい風景画が壁に飾られ、それっぽい観葉植物が緑色を演出し、十文字の曲がり角を挟んだ向こう側には自販機らしきものの姿が見てとれる。
「猫ちゃんだーっ!」
そして目の前には一匹の猫がいた。
真っ黒な猫だ。手脚はすらりと長く、瞳は宝石と見紛うばかりのエメラルド色。鈴のついた首輪は、飼い主がいる事の証だろう。猫がご機嫌な声音で「にゃぁっ♪」と鳴くと、隣りの彼女がとっておきの可愛い声で「にゃぁっ♪」と返す。
思わず頬が「ぐふふっ」と緩んだ。オイ。なんだここは、天国か。猫ちゃんと遥さんが「にゃぁにゃぁ」と戯れるなんてそれだけで動画一千万回再生余裕である。
あぁ、今すぐにでもこの両者の間に挟まりたい。だけどそれはダメだ。絶対にダメだ。
猫の間に挟まるゴリラなんて、百合の間に挟まる男並みに
なので俺は待った。ひたすら待った。壁にもたれかかり、黒い猫ちゃんと蒼い猫ちゃんが楽しそうに「にゃぁにゃぁ」とじゃれ合う様を後方理解者面して見守る事約五分、ようやく黒猫が歩き始める。
「ついてこい、って言ってるよ」
「お前さん、猫の言葉が分かるの?」
「なんとなくだけどね」
そう言えば、蒼乃家は猫ちゃんを沢山飼ってたんだっけと今更ながらに原作情報を思い出す。
それまで全く隙のないクーデレヒロインだったかなたんが初めて主人公に隙を見せた切っ掛けも確か猫関連のイベントだったっけ。
俺達は“彼女”の導きに従って、邪神の内的宇宙を歩いていく。
「ねぇ、凶さん。その“組織”の捕虜さんは、一体どんな人なのかにゃ?」
「……一言で言えば社畜みたいなキャラ、かな」
――――コードネーム、
“時間渡航者”、“不朽”とも呼ばれる彼の能力は端的に言ってしまえば「死に戻り」である。
自らの死をトリガーとして、己の意識を過去へと戻し、あらゆる“失敗”をなかった事に出来るその力を組織に買われた彼は、あらゆる時代、あらゆる作戦のバックアップとして使われ続けた。
時には指揮官、時には尖兵。“死に戻り”ほどテロリストに向いている能力もそうはない。
何せ死なないんだから。疲労で壊れ、過労死しようが蘇る。何度も、幾度となく、死に戻る。
そんな逸材が、人権って言葉を辞書から破り捨てたようなブラック組織に入っちまったら、そりゃあ社畜戦士まっしぐらってわけよ。
ゲームに出てきた彼の身なりはそりゃあ酷いもんだった。
ヨレた白シャツ。伸びきった無精髭。頬は骨ばみ、顔色は幽鬼のように青白く、窪んだ両目は彼の悲哀を痛いほど現わしていて、まるでゾンビと見紛う程に悲惨な身なりをしていた男。
そんな男が何の因果か、捕虜になった。
遡る事、二か月前。
過激派の独断により決行された清水家への襲撃事件の指揮官として派遣された“時間渡航者”は、部下共々、人知れず時の女神に処された挙げ句捕らえられたのである。
全ての龍が『無窮覇龍』の僕であるように、あらゆる時と因果は『黄金の白』へと収束する。
“神罰”――――超神とその眷族のみが持つ“特定の属性への絶対殺戮特権”
大元である超神とその眷族とでは、“簒奪”と“反射”という形でランク分けこそ為されているものの、基本的にアルテマないし彼女達の眷族の前で同属性の力を振るえばその時点で敗北が確定する。
まさに因果応報。“死に戻り”の能力者は、その力を振るったが故に邪神に喰われたのだ。
元社畜で、今は捕虜。
ただでさえ、ゾンビのような風体をしていた社畜男があの妖怪“金玉蹴り”に鹵獲されたのである。
そのストレスは推して知るべし。敵ながらほんの少しだけ同情心が芽生える程だ。
「もしかしたら、大分グロい事になってるかもしれないな」
「そんなに?」
俺は頷く。「そんなに」なのだと。まだ“知って”から日が浅いため、遥は邪神の酷さを知らないのだ。
一見すると無害な見てくれをしているが、アレもまたアルテマ、『無窮覇龍』や『ダンジョンの神』と同等の存在である。
目的のためなら手段を選ばない性格の邪神が、捕虜にどんな拷問を強いているのか――――あぁ、考えただけでも恐ろしや。
「考え過ぎだと思うけどなー」
「今に分かるさ」
そうして更に歩く事三十秒。
十字路を右に進み、その奥側にある扉の前で黒猫が止まる。
429号室。どうやらここに件の捕虜がいるらしい。
俺が遥を連れて、金属製のドアノブに手をかけると――――、
◆アルビオンの内的宇宙・429号室
「英雄だ」
部屋の中に立っていた男は、俺の顔を見るなりそう言った。
「夢じゃないよな。本物の、俺達の
ラタン風のテーブルに、金細工を施したソファ。
木目のテーブルの上には大きめの液晶テレビが置かれており、白塗りの壁には暖色系のクローゼットと、印象に残らなさそうな絵画が立て掛けられている。
入り口側左手に見える二つの扉は、おそらくトイレとシャワールーム用のものだろう。ベッドはダブル。滅茶苦茶寝心地の良さそうな“ふくよかさ”をしてやがる。
窓がないという一点さえ除けば、特に変哲のない“ちょっと高そうなホテル”そのものだ。
しかしそれは、部屋だけを見た場合の話。
住人については異様極まりない。
429号室は、二人の知的生命体がいた。
まず、邂逅一番俺の事を英雄と呼び、まるで推しのアイドルに出会ったかのようなテンションで俺に抱きついてきたこの小柄な男。
生気に溢れた双眸に、手入れの行き届いたウルフヘア。歯は真白で、装った白地のシャツにはヨレ一つない。
年齢は二十代後半だろうか。あるいはもっとするのかもしれないが、スキンケアの行き届いた肌が十代もかくやという程潤っていて、実年齢の判別がつかない。
「よく来てくれた、ヒーロー。ずっと、ずっと会いたかったんだ」
こんな仕事もリアルも充実したサラリーマンのオフショットみたいな(おまけに良い匂いもする)出で立ちをする男に心当たりなどない。
だってここはあの時亀の部屋だ。
半分ゾンビみたいな“死に戻り”社畜が捕らえられている筈のこの部屋に、何故サル顔のハンサムがいるのだ。しかも軽率に抱きつくものだから俺の愛しい猫ちゃんがさっきから不機嫌そうに「しゃー、しゃー」と鳴いている。
更に。そして、あろうことか。
「何故」
見知った顔が、そこにいたのだ。
時亀ではない。
だが確かに知っている男だ。
金と白地の服飾から醸しだされる空気感は洒脱にして高貴。
細く、たおやかで、華のある姿は、プラチナブロンドの長髪からつま先に至るまで完全に美人系イケメンの象徴であり、ハッキリ言って完全に人外の美貌である。
「お前がここに居る」
さもありなん。
こいつは実際に人間じゃない。
かつて空の果てに君臨した妄執の逆さ城。
彼の大敵が、
その一番槍を務め上げ、そして主であるオリュンポスの二次創作趣味が祟ったが故に敗れ去った者がいる。
「クロノス」
神王クロノス。
正しくは、二柱の
ソレが何故かこの部屋にいて、トランプの札を握っているではないか。
「すいません。とりあえず説明と自己紹介をお願いしてもいいですか?」
俺の頭は爆発寸前である。
◆
「ここは女神様の宮殿の一角なんだ。女神様は俺やクロちゃんみたいな“罰せられた時間使い”をここに集めて飼っている」
結論から言えば、彼は探していた
偽神クロノス。『黄金時代』で俺とやり合い、うっかり時間属性のレベルダウンスキルを使ったばっかりに邪神にぱっくんちょされた哀れな偽神。
こいつにとって俺は言うなれば、最後に相対した敵である。おまけにその勝敗は、神王の
「大丈夫、落ち着いてくれよヒーロー。はーたんも落ち着いて、その剣を降ろしてくれ、なっ」
どこからともなく取り出した
意訳すると「我を軽々に“はーたん”と呼ぶな」と言っている。遥さん曰く、“はーたん”は恋人だけが呼んで良い愛称なのだそうだ。なんて可愛くて縄張り意識の強い猫ちゃんなのだろう。
「クロちゃんはもう、オリュンポスのモノじゃない。俺と同じ、女神様の
「…………」
元組織のエージェントに話を振られた偽神クロノスはコクリと小さく頷くと、手元のタブレットマークを取り出して、
「(*´ω`*)」
画面には、にっこりマークとおぼしきアスキーアートがデカデカと表示されていた。
どうやら彼は、己に害がないということを示そうとしているらしい。
偽神とはいえ、あの神王クロノスがアスキーアート。おまけに背も大分縮んでいて、三メートル以上もあった長身が俺より少し高い程度に収まっている。
「……まぁ、いいです」
ひとまずは保留。神王にあんなアスキーアートを出されたせいで、毒気が抜かれたともいう。
念の為、未来視を使って様々なシミュレーションも試みては見るが、特に両者とも襲いかかってくる
「今日は時亀……さんに伺いたい事があってここに来ました」
「凶さん、敬語なんだね」
「……一応、味方っぽいし」
二人で一斉にソファにもたれかかりながら、元エージェントを見やる。
「任せてくれ、ヒーロー。俺に出来る事だったらなんだって協力するよ」
その眼はまさにヒーローに憧れる少年そのものである。
一体どうしてこうなった、というかヒーローってなんだと喉元まで出かかった言葉を腹に仕舞い、俺は努めて淡々と元エージェント時亀さんに問うた。
「聞きたい事は二つあります。まず一つは会津――――そちら風に言い直すとエージェント『逆理』について。そしてもう一つは」
僅かの間言葉を呑みこんだのは、いよいよその時が来たのだという実感が湧いてきたからである。
「……もう一つは」
息を吸い、覚悟を決めて奴等の名前を口にする。
それは組織過激派の中核を為す十三の部隊長を示す名だ。
対外的には名を持たない組織の連中が、身内の識別の為だけに用いるコードネームの頂きにして冠。
その戦力は下の席次でも亜神級最上位クラス。そして上の六つは例外なく真神を統べる。
彼等の名は、
「現時点での“
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