第二百二十八話 あるけユピテル! そのサンッ!





◆清水家・玄関口





「凶の字、留守なの?」

肯定うんち



 ユピテルがこっくりと頷くと、何故だか不思議な沈黙が訪れた。

 おっぱいの瞳が、三輪車に跨るユピテルを訝しげに見つめる。



「どしたんけ?」


 言いながらユピテルは、はて、と首を傾げた。

 自分にミスなどない。

 すぐに表情に出るどこぞのゴリラと違い、自分の表情筋はとても固い。

 良く人に「何を考えているか分からない」と言われる事に定評のあるユピテルちゃんなのだ。

 

 だからこの天然のポーカーフェイスを上手く使えば、どんな嘘でもたちどころに読めなくなり……



「なら、このあなたの周りを漂ってる赤と蒼の粒子は何かしら?」



 そして、あっさりと痛いところを突かれてしまった!



 何というつうこんのいちげき!


 流石はおっぱいである。

 自称IQ500を誇る天才児の嘘をかくも容易く見抜くとは、何と恐ろしきドラゴンよ。



『し、師匠! どうするんですかっ、あっさりバレちゃいましたよ』

『だいじょうび。うまいこと言ってごまかすから』



 焦る虚を《思考通信》越しに宥めながら、ユピテルはナラカのおっぱいを見上げながら言った。



「このフワフワ飛んでるのは、キョウイチロウ達とはなんの関係もない」

「そう? じゃあコレは何だって言うの、おチビさん」



 挑発的な目線だ。分からせてやらねばならぬ。



「コレは、ワタシの」

「へぇ。おチビさんが……」

「ワタシの、……フケッ!」



 空気が、凍りついた。



「お、おチビさん。アンタ、自分が何言ってるかわかってんの?」

「最近買ったシャンプーが合わなくてナ。それで気がついたら赤と蒼色に光るフケがいっぱい出るようになったんじゃ」

「え? 師匠、それヤバくないっすか? 普通に病院言った方がいいと思いますよ」



 『そぉんなわけネーダロ! カラフルに光るフケを飛ばす人間がどぉこにいるんジャイ!』と、《思考通信》上では盛大な“喝”を弟子に飛ばしながら、しかし表面上は相変わらずのおすまし顔を浮かべるユピテル。




「成る程ね」



 そんな少女の渾身の演技にすっかり魅入られたのか、ナラカは口角をニッと三日月形に広げ、



「あくまでも彼は、ここに居ないと」

肯定うんち

「そしてアンタは、光るフケが髪の毛から出る面白人間だと」

肯定うんち

「そう言いたいのね、おチビさん」

肯定うんちッ!」



 空気が和らぐ。

 ひじょーに危ない綱渡りだったが、なんとか騙くらかしてやったぜ、と少女が己が勝利を確信した瞬間、



「お邪魔します」



 全然通じていなかった!


 これには流石の少女もビックリである!

 弟子は、騙せたのにっ!



『ヤバいですって師匠っ、ナラカっちが玄関上がっちゃいましたよっ』

『わ、わかってる。今なんとかする』

『なんとかって、どうやってあの恋獄ビタードラゴン止めるんすか!?』

『……最終奥義を使う』



 暗殺者の瞳が大きく見開いた。明かな動揺。いや、これは彼に限った話ではない。

 知れば誰もがおののく自爆覚悟の必殺技。

 多大なる代償と引き換えに、相手を自在に操るその術の効力はまさに禁断支配ファイナルギアス



 三輪車を降りたユピテルは、そのままごろりと床に寝転がった。


 視線の先には、二階へと足を進める火龍の少女。



『時間がない。やるゾッ!』

『師匠、アンタって人は……』



 目頭を抑える弟子。

 先を行くおっぱい。

 地伏せし少女は、その四肢をまるで背を泳ぐかの如くバタつかせ、




「キィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイエェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ――――――――ッ!」




 吠えた。力の限り。雷轟と見紛うばかりの猛烈なシャウトが、清水家を揺らす。



「ナラカチャンと遊びたいぃいいいいいいっ! お外でいっぱい遊びたいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」



 ズンドコズンドコッ!

 全身をくまなく使ってフローリングの床に叩きつける原始の鼓動ビートッ!



「ナラカチャンと遊ぶまで絶対ここを離れないぃいいいいいいいいいいっ! 遊んでくれるまで一生ここで暴れてやるぅううううううううううっ!」

「ちょっ、おチビさんっ!?」



 さしもの恋する乙女も、これには驚いた。

 然り。一見すると、遮二無二暴れ回る銀髪の少女の乱心は、その実、あらゆる理屈を無に帰す魔性の底辺舞踏ダンスだったのである。



 それは穢れを知らない者だけが操る事の出来る無垢の祈り。

 それは理性を上回る圧倒的な本能が織りなす狂乱の宴。



「遊んで遊んで遊んで遊んあぁぁあああああそびやがれぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」




 またの名をジタバタ駄々っ子(対象年齢4歳っ!)という。





◆スタジオハウス『love tube』ドレッシングルーム



 とても十二歳とは思えない渾身の駄々により、どうにかナラカを外に引きずり出す事に成功したユピテルは、木枯らしの吹き荒ぶ十一月の桜花をタクシーで渡り、オフィス街に佇む有名なスタジオへと向かった。



 義母マミーが経営権を握るレコーディングスタジオのであるその施設に少女達がやって来た理由は、ただひとつ。


 そこに、同じクランの仲間がお仕事に来ていたからだ。



 ――――まだあんまり絡んだ事ないメンバーと、仲良くなりたい。


 即席で作った口実としては、あまりにも上等な口説き文句を受け入れたおっぱいが「それじゃあ」とアポを取ってくれたメンバーは、『嫉妬』での冒険を終えた後でも多忙を極めているらしい。


 むしろ彼女の場合は、冒険外での活躍の方が有名であるとさえ言える。


 有名。そう。彼女はいわゆる“二期生組”でありながら、既にユピテル達よりもずっと有名になっていた。



「まぁ、ナラカ様に虚様、それにユピテル様まで」




 「ようこそおいでくださいました」と手を叩いて歓迎してくれたその人物の名は、ソーフィア・ヴィーケンリード。


 “烏合の王冠”随一の癒し手にして、赴任二カ月にして、大手動画投稿サイトのチャンネル登録者数が六百万人を越えた今や誰もが認めるトップアイドルである。



「(すげぇ、ほんもののソフィちゃんだっ!)」



 虚につけた特注のおんぶ紐からいそいそと降り、ユピテルは黒布の短袖に身を包んだお下げの少女に挨拶をした。



「遊びに来たよ、ソフィちゃん」

「ありがとうございます、ユピテル様。とっても嬉しいです」


 突然の訪問にも関わらず、癒し手の少女は、ユピテル達を満面の笑みで受け入れてくれた。


 ユピテルは、頬をほんのりと紅潮させながら室内を見渡していく。


 等間隔に並べられた長方形の鏡達。それらの周りに正三角形を象るように配置された昼白色の電球が三つ。壁に立てつけられた白テーブルも、青い丸椅子も、それに黒の平織りカーペットも含めて、何だかとってもらしかった。

 


 まさにアイドルの楽屋だ。アイドルの楽屋で、マジモンのアイドルと自分達は会話を交わしているのである。




「悪かったわね、ソフィ。忙しいのに、時間取らせて」



 


 その謝罪には、ある種の後ろめたさや殊勝な緊張感の類は一切なく、まるで十年来の友人に交わすような気さくさと敬意が満ち溢れていた。



「ウィーっす、ソフィっちっ。お久しぶりっすっ!」



 そして、これまで寡黙な暗殺者として通してきた虚の砕けた挨拶に対し、



「まぁ、虚様っ!」



 ソフィは目を瞬かせながら驚き、



「小耳には挟んでおりましたが、本当に

「いやぁ、それもこれも全部ソフィっちのお陰っすよ。『天城』入る前にソフィっちが色々と俺に世話を焼いてくれたから今の俺があるんっす」



 初耳だった。

 どうやら虚は、自分達と仲良くなる前からソフィと話をしていたらしい。

 衝撃的な事実であったが、何故だか不思議とすんなりユピテルは受け入れられた。


 ソフィには、あざとさや作為性というものが一切ない。

 少なくとも、それなりにハードな人生を過ごしてきたユピテルのセンサーが、全く警報を鳴らさない程度には純真シロである。




「ソフィちゃんは、すごい……っ」

「? ありがとうございますっ、ユピテル様」



 ユピテルのふわふわした賛辞を、これまたふわふわな笑顔で受け止める癒し手の少女。



 ただ猫と遊ぶだけの動画で一億回再生を叩き出す稀代のカリスマの周囲には、ライトグリーニッシュブルーの微粒子がキラキラと輝いていた。




◆大手ファミリーレストランチェーン店・『ゴスト』桜花四号店





 約一時間に及ぶ癒し手の少女との歓談を楽しんだ後、三人は小休止の意味合いも兼ねてスタジオ近くのファミリーレストランへと足を運んだ。



 現在絶賛仕事レコーディング中のソフィは、残念ながらこの場にはいない。

 しかし、お仕事が一段落ついたら「夜ごはんはご一緒したいです」と言ってくれたので、少女達はここで時間を潰す事にしたのだ。



「助かったわ、おチビさん」



 ナラカがそんな事を言いだしたのは、ユピテルの『ぽてぷっち』が働く猫ちゃんロボットによってニャーニャーと配膳された直後の事であった。



「正直、自分でも歯止めが利かなかったのよ」



 カップに注がれたブラックのコーヒーに口をつけながら、火龍の少女は自嘲するような笑みを浮かべる。




「アンタがあそこで止めてくれなかったら、多分大変なことになってたわ」

「それ程でもある」

「えぇ。それ程でもある」


 ユピテルは深く追求しようとはしなかった。

 ステーキをむしゃむしゃと食べている弟子にも『深追い厳禁しゃらっぴ』と《思考通信》で伝えておいた。



「(下手っぴな事は、言えんっ)」



 無責任な応援も、無神経な糾弾もするべきではないな、とユピテルは思った。


 下手に焚きつけるわけにはいかないし、だからといって「諦めなよ」と簡単にいうべきでもない。


 ただ、この悩める恋愛暴走機関車に敢えてアドバイスを送るとするならば、



「今は時期が悪いと思う」



 『天城』の完全攻略を終えてまだ一週間も経っていない。しばらく離れ離れだったゴリラ達がお互いを求め合うのは至極当然であり、今は多分一番ホットな時期なのだ。



「おっぱいはちゃんと考えられる人だから、ゴリラを本気で落としたいならちゃんと戦略を練るべき」

「まぁ、さっきのナラカっちのム―ブは完全に負けヒロインのアレでしたからねぇ」



 いずれにせよ、現時点ではナラカが敗色濃厚なのは間違いない。そして意外なことにどうやらこのおっぱいドラゴンは、こと恋愛事になると色々とすごい空回りをする傾向にあるらしい。


 なので、



「とりあえず何か行動したくなったら、ワタシ達に話せばいいよ。別にハルカのいるキョウイチロウを好きになったからって、ナラカが孤立するひつようはない」

「オリュンポス越えた仲なんですし、水臭いのはナシっすよ」

「アンタ達……」


 

 そうしてユピテルは、初めての恋に燃えるドラゴンを何とか鎮める事に成功したのである。


 しかし、ガチャを回したい少女からしてみれば、非常に残念極まりない事に、





「あら? あらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあら」





 その日、ユピテルの前に降り注いだトラブルの嵐は、




「烏がいるわ。烏がいるわ。五芒星ペンタグラムを飛び回るい烏が三羽もいるわ」



 ――――これで終わりではなかったのである。




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