第七十六話 常闇の邪龍と烏合の王冠4








◆◆◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』最終層・邪龍王域:清水凶一郎






「好き。大好き。人として愛してます。男の子として恋してます。良いところも、悪いところも、笑った顔も、怒った顔も全部全部大好き。君と歩く夜が好き。君と目覚める朝が好き。昼も宵も黄昏も君と一緒ならいつだって特別になれる。大好きだよ凶一郎。君のことが世界で一番大好き」

 


 それはまごう事なき告白だった。


 一片の勘違いも、一分の誤解も入り込む余地のない完璧な告白。


 こいつを真正面から聞きながら、しらを切り通すことなんて、たとえどんな鈍感主人公でもできないし、許されないだろう。



 それくらい彼女の告白には愛が詰まっていた。



「どうして急にそんな事を」

「なんでだろうね。自分でも分かんないや。だけど、だけどね……ここで頑張らないと、君を誰かに、……っ、取られちゃう気がしたんだ」



 彼女の手が小刻みに震えているのをみて、俺は喉まで出かかった「あり得ない」を引っ込めた。



 たとえその本質が絵空事じみた与太話であっても、この場で俺が俺自身を卑下することは許されない。



 それは、こんな俺を愛してくれた彼女を侮辱することになる。



 だから俺は、震える彼女の手を取り、尋ねたのだ。



「うん、分かった。お前の気持ちはしっかりと受け取ったよ遥。それで? こんな戦場のど真ん中で盛大な愛の告白をかましてくれた相棒に、俺は何をしてやれば良い? 感謝すればいいのか? それとも静かに胸に留めておく? 多分一番オーソドックスなのは返事をするって選択肢なんだろうが、俺はまだ何も求められちゃいない。ただお前の好きを真正面から受け取っただけだ。

 ……だから、なぁ教えてくれよ遥。お前さんは俺とどうなりたいんだ?」



 

 涙で濡れた宝石のような碧眼を覗き込みながら、じっと彼女の返事を待つ。



 数秒の間に彼女の表情は目まぐるしく変わった。


 頬が朱色に染まり明後日の方向に目を逸らしたかと思えば、次の瞬間には不安そうに眉を潜め、苦悶し、期待し、また泣いてそして最後には精一杯の笑顔つよがりを浮かべて言ったのだ。



「君と、君とずっと一緒にいたい。だから、そのあたしと、結婚を前提にお付き合いしてください」

「結婚かぁ」



 想像以上に愛されていたらしい。



「あっその、結婚といってもそんな重苦しくとらえなくていいっていうか、心の持ち様みたいな話で、と、とりあえずのところは凶さんと付き合えればあたしはそれで……」



 急に恥ずかしくなったのか俺の腕の中であたふたとし出す恒星系。



「うん、確かにいきなり結婚を前提には重いわな」

「きょ、凶さんは重い女の子はキライですか……」

「どうだろう」 


 ギャルゲーとかだとヤンデレは大好物なんだが、さすがにリアルとなると別なのかもしれない。



 といっても、そもそも誰かと付き合った経験のない俺に分かるはずなどないのだけれど。



 でも、そうさな。



「多分、好き。滅茶苦茶束縛されて、四六時中付きまとわれてもあんま気にしないタイプだと思う。まぁ、仕事とかに影響が出るのは勘弁だし、さすがに限度はあるけどさ、独占欲の強い子自体は普通にタイプかも」




 むしろ積み重ねてきた彼女いない歴と撃沈記録のせいで、自己肯定感がヤバイことになってるから、ちょっと引くくらい求めてくれる子の方が良いまである。



 だけど、まぁそんな趣味嗜好とか関係なしに俺はこいつの事が好きなのだろう。



 数多あまたの死線をくぐり抜け、同じ釜の飯を食らい、最近では一緒のベッドで寝るまでになった仲だけど、俺達はその辺の感情に答えを出せずにいた。



 友達とか仲間とか添いフレとかそれっぽい言葉で誤魔化し続けながらここまでやってきたけれど、よくよく考えてみればおかしな話である。



 いくらパーティメンバーとはいえ、好きでもない奴と毎晩一緒のベッドで寝れるか普通?



 あの状況が異常だったんじゃない。多分、俺の魂の奥底ではとっくの昔にこいつを彼女として受け入れていたのだ。



 恐ろしいな非モテというのは。


 あんな露骨なアピールにすら気づかず、全部勘違いだと決めつけていた自分が恥ずかしい。



 遥を見る。


 頬を薔薇のように赤らめ、潤んだ瞳で告白の返事を待つ黒髪の乙女。


 なんだこの可愛い生き物は。


 こんな綺麗で可憐な女の子が、俺なんかを好きでいてくれてるだなんて、そんなの、そんなの――――



「あのさ、遥」

「なっ、何かな?」

「本当に念のため確認しておきたいんだけど、これドッキリとかじゃないよな」

「……おこるよ」

「すまん。悪気があって言った訳じゃないんだ。ただ、その、お前みたいな良い女からあれだけ迫られてたのに全然気づけなかった自分に嫌気がさしたというか、恥ずかしくなってきたというか」



 馬鹿! そんな糞の役にも立たない自己弁護なんてどうでも良いんだよ!



 今俺がやるべきことは、安っぽい予防線を心の隙間に貼り巡らせる作業なんかじゃない。



 世間体とか自分のプライドとか過去のトラウマとか恥ずかしさとか、そういった手前勝手な都合なんかよりも、ずっとお前の事が好きなのだと、愛しているのだと、この子に胸を張って伝えることなんだ。




「ごめん」



 だから俺は、彼女の唇にそっと想いを重ねたのだ。



 反応はすぐに返ってきた。


 驚愕、戸惑い、愛欲、歓喜。


 感情の変遷と共に彼女の唇の動きが激しく乱れていくのがよく分かる。


 小鳥のついばみのように穏やかだったのは最初だけだ。


 吐息を感じる度に脳が痺れ、彼女の唾液が喉を通ると身体が震えた。



「はむっ、んっ、ちゅぷっ、……すき、らいしゅき……っ」



 俺の舌が欲しいと彼女が恍惚こうこつとした表情でねだる。


 コツコツと俺の歯を叩く柔い感触。

 彼女の求めに応じ、そっと口の中を開きかけたところで



「……っ!」



 これ以上は本当にまずいと悟った俺は最後の理性を振り絞って、愛する女の唇から身を引いた。


 混じり合った体液が、俺達の間に透明な橋を作る。



 少しだけ物足りなさそうな、けれど身体の芯までとろけたかのような顔で俺を見上げる彼女。



 その姿にかつてないほどの高鳴りを覚えながらも、俺は忘れかけていた言葉という概念を使って彼女に謝罪と求愛の意を示した。



「もし、嫌な想いをさせたなら、後でどんなつぐないでも受ける。だけど、俺の薄っぺらい言葉じゃ多分、伝わらないと想ったから、キスを……しました」



 全身が沸騰ふっとうしたかのように熱い。

 触れた唇の感触がまだ鮮烈に残っていて、シナプスがもっとこの刺激をと求めている。



「好きです。俺もずっと前から好きでした。こんな俺で良ければ、けっ、結婚を前提にお付き合いしてください」



 お前だけに恥ずかしい思いはさせないよ、遥。



 この世界がユメと希望に満ちているって事を生涯かけて証明し続けるって、あの時桜の木の下で誓ったもんな。

 



「夢じゃ、ないんだよね」

「あぁ」

「信じて、……いいんだよね」

「もちろんだ」



 優しく彼女の頭を撫でる。



 傷つけないように、けれど愛を込めて、そっと。


「俺の心も身体も今日から全部お前のものだ、遥」

「あたしのっ、あたしの全部も君のものだよ、凶一郎。だからずっと、……ひっく、ずっと傍にいてください」



 泣きながら笑う。


 その矛盾に満ちた姿がたまらなく愛おしかったから、俺は人生で二度目の口づけを彼女の唇に捧げたのである。







『どこの世界に戦場の只中ただなかで乳繰り合う阿呆がいるんですか』



 空の彼方へひた走る首なし馬車を見送りながら、至極全うな説教を受ける彼女持ち紳士とは、何を隠そう私のことでございますよ、ええ。



『はい、本当にすいません。心の底から反省しております』

『遥も遥です。まさかここまでなりふり構わないとは。……おかげで今後の進行が大変難しくなりました』

『おい、俺の彼女を悪く言うなよ』

『付き合った途端にナイト面ですか。本当に貴方は単純ですね、童貞マスター




 なんとでも言えばいいさ。

 今の俺は世界中の女に罵倒されてもへこたれない自信がある。


 だって俺には、最愛の彼女が……デュフッ。



『お盛んな所申し訳ありませんが、発情期に入るのは後にしてもらえませんか、淫獣マスター

『発情って、俺と遥は純愛カッ――――』

『そういうお花畑思考は二人きりの時限定でお願いします。今やるべき事は他にあるはずです、そうでしょう?』



 瞬間、俺の中の何かに火がついた。


 あぁ、そうさ。

 こんな所でウダウダやっている時間なんてオレにはない。


 彼女は無事にあの馬車の中に送り届けたんだ。


 もう心配はない。アフターケアは十分だろう。


 だから行けよ、凶一郎。


 お前のすべき事を、思い出せ。



「お前に言われるまでもねぇんだよ」

 


 自分自身に悪態をつきながら、すみれ色の地面を蹴り上げる。


 今いた場所を遠ざけ、霊力の飛び交う戦場へとひた走る一人のシスコン。


 思考回路が瞬く間にぶっ殺モードへ切り替わっていくのが分かる。


 根底にあるのは姉さんの想い。


 姉さん。姉さん。姉さん。


 忘れるはずがない。俺がここに来た目的は、姉さんを治す為だ。その最大にして最後の障害を俺が倒さなくてどうするってんだ。



 ザッハーク。

 並はずれたステータスと特殊能力を併せ持った無印における外れ筆頭ボス。


 巷では、落す天啓レガリアこそが本当の宝で、エリクサーはおまけだなんだと揶揄やゆされていたが馬鹿を言え。


 あらゆる傷や病をたちどころに治す奇跡の薬を守る宝の番人が闇のドラゴンだなんて、まさにじゃねぇか。



 相手にとって不足なし。


 だが、文句なら死ぬほどある。



「なぁ、ザッハークよぉ」



 見えてきた邪龍王の姿は散々だった。


 術を失い、技を捨て、防御を断たれた裸の王様。機関銃の掃射が随分と効いているようで、全身のいたるところに大きな穴ぼこができてやがる。


 今の奴に、旦那の<大火ヲ焦ガセヴェスペル我ハ裁ク加害者也ティリオ>を防ぐ手段なんてない。


 耐性貫通と回復阻害の能力を秘めた深紅の閃光の掃射を受けながらもこうして原形を保っているのはご立派だが、果たしてそれもいつまで持つ事やら。



「旦那、交代だ」

 

 

 機関銃を構える黒騎士の横を通り過ぎながら、一言だけ告げる。


 射線に注意しながら、敵の右側面へと回り込み、片腕を欠いた奴の身体に大剣の一撃を叩き込んだ。



「よう、遊んでくれよ色男」



 よろめく邪龍王に追加の振り降ろし。



「からの――――」



 フルスイングアッパー。



「からの――――――――!」



 瞬間換装、大槌。改良型内蔵バッテリーのおかげでよりお手軽となったフォルムチェンジを経て、打撃武器と化したエッケザックスを、そのまま奴の股間めがけてダイレクトシュート。



 ぶちまけられる鮮血。次々と続々と決まっていくコンボルート。きったねぇ紫色の血反吐が顔にかかった点に目をつぶれば、絶好調といっても過言じゃない。



「どうした王様、随分と調子が悪そうじゃねぇか」


 《脚力強化》で強化された肉体から繰り出す高速ステップでヒット&アウェイを繰り返しながら煽って煽って煽りまくる。



「なんで機関銃の掃射を止めたのか不思議に思ってる? 答えは簡単さ、旦那の天啓レガリアがもったいないからだよ」



 機関銃の弾だってタダじゃないんだ。今のこいつ相手なら、この雑魚狩り専門の俺ちゃんぐらいが丁度良いってわけ。



 まぁ、お前に恨みは――――いや、あるか。



 俺の遥を、最愛の女をこいつは殺そうとしたんだ。


 戦いだからしょうがない? 命を奪おうとしていたのはそちらも同じだ? 

 そうね、そうかもね。互いが互いを殺し合う事が強要されているこの空間の中でそういう理屈を持ち出すのは卑怯だよね。

 

 あぁ、認めるよ。実際、さっきまでは俺もそっち側だったさ。


 敵は敵だし、殺すつもりでいたのも確かだが、だからこそ、こいつの殺意も受け入れなきゃならんと、そんな風に思ってたよ。

 撃っていいのは、撃たれる覚悟のなんとやら。

 相手を殺す気なら、相手に殺されても文句は言えないってのは、ケチのつけようのない正論だし、何よりここで文句を言うのは最高にダセェ。


 そんなことは俺だって百も承知しているさ。



「なぁカス、こんなもんで済むと思うなよ」



 だけどなぁ、だけどよぉ。



 自分の彼女を殺ろうとした糞野郎に、「これも戦いだ。致し方あるまい」なんて分かった口が利ける程、俺は人間ができてねぇんだよ。


 遥の、俺の彼女の、最愛の人のタマを奪おうとしたツケはキッチリ払ってもらうぜトカゲ野郎。



「羅ァッ!」



 螺旋状の軌道を描きながら、奴の脊椎目がけて大槌を振り上げる。



「――――!」



 対する邪龍王は、これを龍族の脚力を使って回避。


 大げさに身体をのけ反らせ、右足をふらつかせながら後方へと逃げていく。



 恥も外聞も技術もないかわし方。


 けど、そうだよな。

 防御も術技もおまけにももの一部まで失った今のお前には、もうこういうやり方しか残ってないもんな。



 で、なんとか攻撃回避に成功したお前が次に取るであろう行動は



「左足を重心にしての後方退避、んでそっから遠隔斬撃――――そうだろ?」



 正解のファンファーレの代わりに鳴り響く風切り音。


 霊力を帯びた紫黒の斬撃が、一度、二度、三度、四度。



「いいねぇ、大盤振る舞いだっ!」



 だが、雑すぎる。



 威力と速さは申し分ないが、狙いと精度がまるでなってない。


 総じて雑だ。とにかく雑だ。


 こんなんで俺を狩れると思ってんなら流石さすがに――――



「甘ぇっ!」



 四連撃を軽く避けながら直進、続く六連撃も鼻歌交じりに越えていき、ヤケクソの八連撃を笑いながら踏破。



 生憎こちとら最強の剣術使いと理不尽天啓レガリアブッパマシーンに鍛え上げられてるもんでね。


 そんな温い攻撃なんて、目ぇ閉じてたってかわせるんだよ。



「喰らえやっ!」



 漆黒の大槌が闇夜に轟く。


 筋力と霊力と質量に小さじ一杯の技術を混ぜ込んだ渾身の一撃は、紙一重の所で空を切った。

 大振りの隙を狙って動き出す邪龍王。

 左手に握られた大太刀からほとばしる紫黒のオーラが、俺を討たんと躍動する。


 

 狙いは頸動脈か。

 技術を奪われた今のこいつに、フェイントなんて姑息な真似はできないはずだから、俺は敵の太刀筋を素直に信じて横へと飛ぶ。


 刹那、大地が割れる音が木霊した。

 発信源はさっきまで俺が立っていた場所。


「ったく、残り物をかき集めた残飯アタックの威力とは思えねぇな」


 てか、片腕でもあの威力が出せんのかよ。

 つくづく化物じみてやがるぜ邪龍王。



『しかしマスターも良く健闘しているではないですか。戦闘技術と精霊術を封印され、龍麟を始めとした防御能力の大半を奪われ、更に片腕と腿の一部を損傷し、極めつけに全身穴ぼこだらけの邪龍王相手にここまで互角に戦えるマスターを私は誇りに思っております』

『ねぇそれ全然誇りに思ってないよね、むしろどっちらかといえばゴミ寄りのホコリだと思ってるよね』

『まさか、私はゴ……いえ、マスターの成長を本当に喜ばしく思っております。常に仕事してるぜアピールを欠かさず、美味しいところだけさらっていく様はまさにハイエナそのものであり――――』

『ごめんね、弱くって!』



 いや、俺だって本当はもうちょっとやれるはずなんだ。

 だけど今は調子が悪いというか、なんというか。


『言い訳は結構、さっさと、いえ、できるだけ時間をかけて貴方の役目を果たしなさい』

『へーへー、分かってますよ、大邪神様』


 思考内で繰り広げられるアルの高速説教にうんざりとしながらも、俺の身体はしっかりと役割をこなしていた。



 ザッハークの攻撃を避けたり、逆にあえて避けやすい大ぶりで攻め立てたりしながら、いつまでたっても終わらない互角の戦いをひたすらに演じ続ける哀れな道化。



 そう。こいつは一種の、遅延行為だ。

 他のキャラクターを控えに回し、あえてスペックの高くないキャラクターだけに攻めさせる事で強引にターンを稼いでいるのさ。



 我ながら大変情けない役回りだとは思うけれど、同時にこれ以上ない適役だとも思っている。



 この状態のザッハークと拮抗し、ある程度のダメージは稼げるものの、中々決着がつけられない。

 そんな中途半端さこそが、肝なのである。


 俺が遥を送り届けている間に、黒騎士の旦那がこいつを仕留め切らなかったのは、奴の生命力が優れていたからではない。

 いや、多少は影響があったのかもしれないが、その生存能力を加味した上で、黒騎士が手心を加えていたのだ。



 決して殺さず、けれど逃げられないように。


 この茶番は、そういった意図の元に行われているのだ。



 ザッハークにはまだ奥の手がある。


 残り生命力HPが七十パーセント以下の状態の時に致死ダメージを受けるか、《都落ちリバーサル》による簒奪が三つ以上溜まった状態で一定時間ターンが過ぎ去った場合に強制発動する最終奥義ファイナルブロー



 そいつを越えない限り、俺達の戦いは終わらない。火力でゴリ押そうにも、防御性能の簒奪条件を満たした時点でザッハークのHPが七割を下回るという鬼畜設定が組み込まれているから無理なのだ。



 避けられない最終奥義。

 一見有利なこの状況で、攻め手にリソースを割けば間違いなく不利になる。



 だからこうして時間を稼いでいるのだ。



 今の俺達は、互いに時間を求めている。


 ザッハークは羽化の為に、俺達は準備と回復の為に互いが互いを利用し合いながら互角の勝負を演出しているのだ。



『いえ、実際互角なのですが』



 うるせぇ。凶一郎さんは、本当はもっとやれる子なんじゃい。



『であれば、そのやれる所を見せて下さい。ほら、目の前には貴方の可愛い彼女を殺めようとした憎き怨敵の姿がありますよ』

『安い挑発だなぁ』



 だが、無性にこめかみが震えてくる。


 わざわざお前に言われるまでもねぇんだよ、アル。


 さっきからずっと俺はキレっぱなしだ。


 全ての攻撃に殺意を込めて打ち込んでんだよ。



『挑発ではありません、耳の痛い真実です。最愛の想い人を殺めかけた賊龍を、姉君の呪いを解く為の最後の壁であるこの邪魔者を相手にして、貴方は時間稼ぎしかできないのですか』

『……ついさっき、できるだけ時間をかけるようにって、ほざいてたのはどこの誰だっけか?」

『十分に稼げたからこそ、こうして申し上げているのです。道化が道化役を演じても面白みがありませんし、そろそろ別の趣向が欲しくなってまいりました』


 欠伸あくびを噛みしめるような声が脳内に響いた。


 成る程。要するにいつものワガママか。



『論外だ。お前の退屈しのぎに付き合っている暇はない』

『茶番を演じる時間はあるというのに?』

『これも作戦だ』

『あら、なんと融通の利かない頑固者いいこちゃんなのでしょう』

「茶化すな。……作戦通りに動くことの何が悪い?』

『えぇ、悪くはありませんとも。このままウダウダとやっていれば、自ずと次の段階へ進めますからね。ですがマスター、果たしてそれで良いのですか?』

『何が言いたい』



 その先にあるのが悪意と策謀に満ちた言葉であると分かっていても、聞かずにはいられなかった。




『分からせてやれ、と申し上げているのです。人の女に手を出した報いを、貴方の姉を想う気持ちの強さを、あの邪龍の王の心と身体に刻みつけたくはありませんか?』

『…………っ』



 悪魔か、こいつは。



『既に遥が三つ目の《都落ち》を達成してから十分な時間が経っております。放っておいても敵は程なく次の段階へと至るでしょう。であれば、ここでマスターが少々のヤンチャを働いたところで大勢に影響はありません。だから大丈夫です。貴方の精霊であり、時の女神でもあるこの私が保証してあげます』




 ――――貴方はもっと、怒っていい。



 その甘美な響きに酔いしれるかのように、俺の身体が躍動する。



 俺を怒らせてこいつになんの得があるのか?

 今のザッハークを圧倒したところで、戦局にはほとんど影響がないことは、アルも重々承知のはず。


 なのにこいつは、俺を怒りの向こう側へ駆り立たせ、俺もそれに乗っている。



 邪神の意図は不明だが、俺がやる気になった理由は、単純にスッキリしたかったからだ。



 ムカつく奴をぶっ飛ばす、この幼稚で原始的な発散方法に人はどうしようもなく惹かれてしまう。



 そこに大層なお題目がつけば、なおのこと良し。


 愛とか家族とか正義とか絆とか、そんな暴力を振るってもいい理由があれば、人はどこまでも残酷で身勝手になれるのだから。



 その恥ずべき悪性を真摯に受け止めらがら、それでも俺は怒りという名の快楽に身を委ねる。



 シンクロしていくシスコンと恋愛脳。


 汚い愛の力を爆発させながら、オレ達は互いの意志を高めていく。



 姉さんの為に、遥が好きだ、漢として恥じることのない戦いを、遥に良いところを見せたい、オレはお前を越えていく、俺の彼女に手を出すような不届き者は全員まとめて処刑じゃオラ――――混ざり合う二つの感情。善も悪もシスコンも恋愛脳も超越してい先に待っていたのは、とてもシンプルな答えだった。




“よし、邪魔だムカつくからブッ飛ばそう”




「くたばれ爬虫類もどきがぁああああっ!」



 咆哮と共に何かが吹っ切れた気がした。


 身体が軽い。

 頬が熱い。

 笑ってしまいそうな程の怒りと憎悪が器の中から際限なくあふれかえっていく。




「ヒャッハー!」




 超人もかくやというスピードで割れた大地を疾走し、回避も反撃の機会も与えないまま敵の股間ボールにハンマーをぶつけるシュート



 超エキサイティングな破裂音と共に、吹っ飛んでいくザッハークに更なるシュートをお見舞いすべく再びスパートをかける。



 なんだ? なんで今のが当たった? 敏捷系のバフは、《脚力強化》しか掛かってないぞ?――――そんな風に頭の中の俺は疑問符を抱えるが、肉体の方はヨダレを垂らしながら手負いの獲物に向かっていく。



 すみれ色の大地に倒れたザッハークは近くに転がる大太刀の柄を握りしめ――――《二秒後に一メートル間隔三方向の遠隔斬撃を飛ばし》――――俺は、まだ視ぬ斬撃の隙間を駆け抜けながら黒大槌を振るった。



 頭蓋骨を打ちつける質量兵器の快音と、俺の両脇を通りすぎていく紫黒の斬撃。



 一方はクリーンヒット、一方は空振り。



 明暗別れた俺達の打ち合いは、すぐさま第二ラウンドへと突入する。

 邪龍王が伏せた姿勢から無茶な回転斬り――――《その推進力を利用した右斜め側面への退避行動》――――を読みきった俺は奴の着地点へと先回りをかける。



「待ってたぜ、トカゲの王様さんよぉ」




 ドンピシャのタイミングで炸裂する渾身のリバーハンマーブロー。

 邪龍王の身体をクの字に折り曲がりながら、紫光柱へと激突した。





 ……もう、疑う余地はないだろう。



 今の俺にはなぜだか、少し先の未来が視えている。



『おい、アル』

『私は何もしていませんよ。ですが、確かに未来が視えているようですね。怒りと愛の力で新たなスキルを会得するとは、流石はマスター。まるで物語の主人公のようです』



 受信した邪神の思念からは、驚くべきことに本物の称賛しょうさんが込められていた。



 怒りと愛の力で覚醒なんてバカな話をし始めたものだから、てっきり、またいつものようにあざけっているのではないかと勘ぐってしまったが、……どうやらアルは心底から喜んでいるらしい。




『良いものを拾いましたね、マスター。どこかに落ちていたのか、はたまた眠れる因子の様なものが目覚めたのか? ――真相は定かではありませんが、気にする事はありません。この力の根源は言うまでもなく“時”。つまり私の配下のようなものです』



 そりゃあ、一応時の女神様だもんな。


 時間操作関係なら問題なく扱えるってのも筋は通っている。


 だけど。



『やっぱりお前何かしただろ』

『では仮に私が関わっていたと仮定して、一体どのような運搬手段を用いたというのでしょうか? スキルボードシステムを介さず、ましてや下界にいる精霊が新たな精霊術アストラルスキルを授ける事など不可能ですよ。それとも、マスターが興じられていたゲームの中にはそのような利便性の高いシステムが存在していたのですか』

『それは……』



 そんなものはない。


 アルの言う通り、ゲームで獲得する精霊術は、極一部の例外を除いて全てスキルボードシステムを介してのみ習得することができる。



 その極一部の例外にしたって、特定のイベントの達成報酬として使えるようになるだとか、主人公組の精霊がボス戦の最中さいちゅうに上の位階へランクアップを果たして~みたいな全く再現性のない事例ばかりであり、いずれにせよ今俺が置かれている状況とは違いすぎる。



 あえて近いケースがあるとすれば、主人公やヒロインの覚醒シーンだろうか。


 選ばれた血筋の因子やら封印されていた力なりが、強い信念や深い悲哀によって覚醒し、謎のパワーアップを遂げるという例のアレ。


 ああいった主人公補正みたいなものが俺にも働いたとしたら――――いや、ないか。俺凶一郎だし。チュートリアルの中ボスだし。




『……じゃあなんで、未来が視えるんだよ』 

『さぁ? ただマスターはまがりなりにも死未しみずの末裔ですので、私に由来する能力が目覚めたとしても、別段不思議ではありません』



 あくまでも他の人間と比べればの話ですけれど、と言葉の結びにつけ加える邪神。


 一応はそれっぽい理由だが、多分嘘だろう。


 アルは何かを隠している。

 そしてその何かが作用してこうなったのだ。


 意図も経緯も手段も全てが不明瞭だが、犯人はコイツ以外にあり得ない。


 時の女神を差し置いて、俺に未来視をプレゼントできる存在がこの世界にいるわけがないし、万が一そんな事のできる未知の化け物が現れたとしたら、こんなテキトーでいられるはずがないのだから。




 前触れなく現れた不透明な力を手放しに祝福することできるのは、よっぽどの馬鹿か、あらかじめその力が安全なものだと知っていた者のどちらかに限られる。



 そしてアルは馬鹿じゃない。


 何らかの手段で俺に未来視を植えつけ、そしてその事を自分がわざとらしく祝福すれば一体どう思われるのかまで理解した上で、こんな下手な芝居を打っているのだ。



 そんな手間のかかったことを俺に仕掛けた理由は何だ?


 ゲーム時代にはなかった(あるいは明確な形で描写されていなかった)システムXがこの世界に存在していて、そいつは人間に明かす事が禁じられている為、こんな迂遠うえんな方法を取らざるをえなかった、とかか?

 …………もう二捻ふたひねりくらい追加の理由や設定がありそうだが、いかんせん情報が足りなさ過ぎる。


 急に発現した異能の力と普段より二割増しで胡散臭い相棒。

 たったこれっぽちのヒントで正解を導き出せという方が無茶なのだ。



 ため息と共に、考察厨な自分を吐きだす。




 これ以上は考えたって仕方がないし、犯人アルも口を割らないだろう。



 だったら――――




『この未来視スキル、安全なんだよな』

『私がマスターに授けたモノではないゆえ、断定はできません』

『オーケー。言い直そう。この、どこの邪神が焼いたお節介なのかも分からない糞スキルについて、専門家であるお前の意見を尋ねたいんだが、安全性に問題はないと思うかい?』



 わずかばかりの沈黙の後、邪神は気持ちの悪い程なめらかな声で言った。



『数ある未来視の中でも、マスターが会得したモノは初歩的な機能配分のようなので、副作用の心配はないかと。使用する度に、マスターの活力バイタルに若干の下降が見受けられますが、代わりに霊力の消耗形跡が見受けられないのも特徴ですね』

『つまりHPをコストとしたバフスキルってことか』

『コストといっても一回辺りの下降幅かこうはばは、かなり軽微けいびですので、戦闘行動に支障は出ないでしょう。黒騎士の<妖精>でまかなえる範囲です』

『至れり尽くせりだな』

『えぇ。とても都合が良い事に』



 よく言うぜ、全く。


 だが、このスキルは間違いなく使える。


 どういう思惑でこいつを渡したのかは知らないが、有用な手札が一枚増えたことは素直に嬉しい。



『ナイスアシストだ、アル』

『ですから私は何もしておりませんゆえ



 あくまで白を切ろうとする邪神に一方的な感謝を告げ終えた俺は、追撃をかけるべくすみれ色の地面を駆け抜けた。


 

 移動。視認。予測。待ち伏せ。カウンター。追撃。移動。視認。予測。待ち伏せ。カウンター。追撃。



 たったの六工程を機械的に繰り返すだけで、アホみたいに攻撃が当たるのだ。


 まさに無双状態。自分が強くなったんじゃないかと錯覚を覚えてしまう程に敵を圧倒できる快感。




「どうしたどうしたトカゲの王様、てめぇはチュートリアルの中ボスにも勝てない糞雑魚なのかよ」

「――――」


 

 だが、俺の調子コキタイムは、そう長くは続かなかった。


 いや、自らの手で終わらせてしまったのだ。



 紫色の血潮が流れる水たまり。

 その中心に横たわる頭蓋の陥没した邪龍王。



 そして――――



【“邪龍王”ザッハークが致死量のダメージを受けました。これにより、固有スキル【終末山解ダマーヴァント定められし破滅の刻アヴェスター】の発動条件が満たされました】



 ダンジョンの神が淡々と告げるそのスキルの名は【終末山解ダマーヴァント定められし破滅の刻アヴェスター】。




 ザッハークが外れの極北と呼ばれる所以ゆえんでもある最終奥義ファイナルブローのお出ましに、俺は汗と血にまみれた身体で応えた。







◆◆◆清水家:アルテマⅣ 始原の終末装置・ヒミングレーヴァ・アルビオン





(やりましたね、マスター)




 己の主が覚醒領域から持ち帰った代物は、アルの観点からみても当たりだった。



 未来視。システムに献上した時の女神の権能の一つであり、今の彼女が最も欲していたピースの内の一つ。


 無作為性の高い賭けではあったが、結果は文句なしの重畳ちょうじょうだった。



(眷族神の生成、未来視の奪還…………今回の戦は、とても実りの多いものとなりました)



 相応の準備と苦労もかかったが、コストに見合うだけの収穫はあったといえるだろう。



(これで此度こたびの企ては、完了致しました)



 後は、彼女の主が邪龍の王に打ち勝てば、大団円だ。


 そしてハッピーエンドの鍵を握る最後の欠片は、既に目と鼻の先にある。



 ゆえに――――



(さて、では最後の仕上げにうつりましょう)



 故に彼女は、動き出す。



 誰になじられようと、勝利を得るためであれば手段を選ばない。





「文香、お話があります」





 それがヒミングレーヴァ・アルビオンという女神の本質であった。








――――――――――――――――――――――






・遥さん関係



 本日、近況ノートを公開致しました。

 諸々の裏事情について書かさせて頂きましたので、気になる点などがございましたら、一度そちらをご確認ください。




Q:どうして、急に未来視が発現したんですか? 後、無作為性の高い賭けとは何の事でしょうか?



A:ものすごく噛み砕いてザックリ説明すると、アルテマは眷族神を増やす度に覚醒ガチャチケットが貰えます。このチケットを使うと、自陣及び近似した領域から特殊な能力を持ちかえる事ができます。


 この能力は主に契約者に付与されますが、自陣の覚醒能力であれば、アルテマ自身も問題なく使えるようになります。


 つまり。ソシャゲの友達紹介報酬で手に入れたガチャチケットでガチャを回したらSSRが出た! やったぜ! というのが、今のアルさんの心情というわけです。































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