第七十一話 雷霆の獣と夢みる少女NEXT









◆◆◆ ?????(昔と今と未来):砲撃手・清水ユピテル





 しんしん、と降り注ぐ白色の雪。



 周囲を見渡せども、何もなく、ただ際限なく真白の大地が広がるばかり。



 足跡はない。

 人影もない。

 匂いも寒さも感じない。



 そこに在るのは独りぼっちではなくなった少女と、独りぼっちの獣だけ。



『ケラウノス』

『……………………』




 始めの数回は口も利いてもらえなかった。


 契約者に対する反応とは思えない程の塩対応。


 義姉による厳しい修行を経て、ようやく己の精神世界に潜り込めたと思ったら中の精霊はすっかりねきっていたのである。



(うわ、めんどくせ)



 そんな風に思いながらも、最初の内は殊勝しゅしょうに振舞った。



 客観的にみれば彼女の精霊は「自分の契約者を娘だと思い込み歪んだ父性愛を周囲に押しつけた挙げ句、見下していた人間に袋叩きにあってすべてを失った勘違いおじさん」でしかないのだが、当の本人からしてみれば自分は「手塩にかけて育ててきた愛娘を、極悪非道の偽善者集団に奪われた悲劇の主人公」なのだ。



 その主張がどれだけ身勝手で間違っていたとしても、ケラウノスは自分を可哀想な被害者だと思っている。



『アレと対話を試みるのであれば、まず寄り添いなさい。こちら側の道徳や倫理は、おそらく何の役にも立たないでしょうから』



 だからユピテルは姉のアドバイス通り、優しく獣に寄り添った。



 これまでの感謝や思ってもいない愛の言葉をささやいたり、時にはおしりを出してびたこともある。

 ……何かが間違っている気がしないでもないが、ともかく少女はそれだけ頑張ったのだ。



 頑張って、頑張って、頑張って



『……………………』




 けれども黒雷の獣は一向に無視を決め込むばかり。


 ウンともスンとも言いやしない。


 少女のはらわたは、日に日に煮えたぎっていった。


 なぜ自分がこんなクソやろうにおしりを見せねばならんのか。納得がいかぬ。屈辱である。へつらう人生など真っ平だ。




『もぐぞ』




 そうしてある日、少女は唐突に爆発した。


 あまりにも上手くいかなさ過ぎてもうどーにでもなーれと思ったのである。



『これはおどしじゃない。アナタがそういう態度を取り続けるつもりなら、ワタシはアナタの股間こかんをもぐ。何度でももぐ。しゃべるまでもぐし、言うことをきくまでもぐ。いんがおーほー、今までのお返し。アナタがこれまでそうしてきたように、ワタシも暴力に訴えかけることにする。さぁ、チ○コミュニケーションのまくあけじゃ!』




 これが存外きいた。



 なぜならケラウノスは過去に二度、自身の股間を貫かれて負けている。


 そのトラウマが、黒雷の獣に言葉を紡がせたのだ。



『物騒な物言いはやめてくれ。これ以上私を虐げたところで何もでんよ』

『どーだか』



 白銀の世界でふんぞり返りながら、ユピテルは単刀直入に願い出た。



『力を貸して欲しい』 

『今も望むがままに貸しているだろう』

『もっと欲しい』

『どうして?』

『必要だから』



 特異な感性を持つ少女と、父性愛の獣による話し合いは難航した。



 ユピテルにしてみれば、ケラウノスは長年に渡り自身の社会生活を無茶苦茶にしてきた諸悪の権化であり、一方のケラウノス側からすれば、ユピテルは自身の愛を最悪の形で仇なした不孝者である。



 そんな両者の話し合いがまともに進行するはずなどなかったのだ。




 幾度となく少女の頭に黒雷が飛び、その十倍の頻度で獣の急所がもがれた。



 それはある意味、かつての戦いよりも苛烈で、凄惨で、見るに堪えない程に醜悪しゅうあくだったという。



 お互い「話せば分かる」とのたまいながら、口よりも先に手が動く。


 やられたらやり返し、やられなくてもやり返し、雪だるま式に暴力の連鎖を加速させていきながら、精霊と契約者は争いという争いを生み続けた。




『お前は連中に騙されているだけだユピテル! 都合良く利用されている事になぜ気づかない?』




 意外にも、先に退いたのはケラウノスだった。



 契約者との意味のない戦いに辟易へきえきとしたのか、はたまた自身の股間が無限に潰される恐怖に抗えなかったのか真相は定かではないが、ともあれ彼はユピテルに問いを投げかけたのである。




『奴らが本当にお前を大切に思っているというのなら、なぜ今もお前を戦場に立たせるのだ? 家族だ仲間だ友達だと耳ざわりの良い言葉を並べておきながら幼きお前を酷使するその矛盾! 許せない気持ちが悪い怖気おぞけが走る消えてしまえ! 奴らは善人の面を被った悪魔である!』




獣の啖呵たんかを聞いたユピテルは「いちりあるかもしれない」と妙な納得を覚えた。



 そして同時にこうも思った。


 ……こいつをネタにキョウイチロウを強請ゆすれば幾ばくかお小遣いがもらえるのではないか、と。




『そいつはちがうぜ、べいびー』



 しかしそれはそれ、これはこれである。


 獣の語る言葉は、所詮しょせん外野の意見でしかない。


 可哀想? 同情する? ありがたきお言葉をたまわりきょーえつしごく。だけどワタシゃあ言葉よりもおカネが欲しいの大好きなの。だからその“可哀想”をお金に変えてよ善きお方。さすればワタシの恵まれないソシャゲライフが潤いますわヲホホホホ。




『ワタシはワタシの意志でここにいる。キョウイチロウ達はあんまし関係ない』

『その様に思考を誘導されているだけだ』

『ちがう』

『何故違うと言い切れる?』

『だってワタシは自分のユメの為にがんばっているだけだもの』

『夢?』




 初耳だった。


 少なくとも自分の愛娘だった頃のユピテルには、そんなものはなかったはず。




『アナタがねて内にこもっている間にワタシにはとっても大きなユメができたの』

『なんだソレは?』

『ききたい?』

『……まぁ、そうだな』



 ユピテルは巨大な獣を見上げながら、ほんのりとドヤ顔を決めながら言った。




『ワタシのユメはね、FIRE』

『ふぁい……どういう意味だねそれは』

『若い内に投資とかでおカネを稼いで、ふろーしょとくで暮らす事』



 それは確かに夢だった。……大分俗物的で生々しいものではあったが。



『ただの早期リタイアでもいいけれど、なんかふろーしょとくの方がカッチョイイし、ワタシは投資でおカネを転がす女になりたい』



 その為には大量の元手がいるのだと、少女はケラウノスに説明した。


 年間支出の二十五倍がどうだとか、四パーセントルールがこうだとか……そんな話をいきなりされてもケラウノスにはさっぱりだったが、少なくとも目の前の少女は“やりがい”だとか“絆”などといった綺麗事の為に戦っているわけではないらしい。



 カネと自由と楽チンの為。



 どこまでも即物的であり、あまりにも人間的なその解答は、だからこそユピテル自身のものだった。



『誰かに守られてばかりの人生なんてもうたくさん。ワタシは誰にも負い目を感じずに生きていきたい』



 そしてもし叶うのならば、今度は自分が誰かを守れる側に立ちたいのだとユピテルは内に隠していた本音を獣にぶつけた。




『恩義に報いる為じゃない。あの時ワタシ達を守ってくれた彼の背中がとってもカッチョ良かったから、……だからワタシもあぁいう人になりたいと思ったの』



 ケラウノスの脳裏に忌々しい記憶が過ぎる。


 自分の渾身の黒雷を、盾と身一つで防ぎきった人間の男。




(……そうか、奴がお前を)



 誰がユピテルを変えたのか。

 その答えに黒雷の獣が辿り着いたほぼ同瞬に、今度は少女が問いを投げかけた。



『ねぇ、ケラウノス。アナタのユメはなぁに?』

『夢?』



 それはもちろん愛する娘を守り――――




『違う。はアナタのものじゃない。あの○○カスやろう共に植えつけられた偽物ぱちものの使命感』



 わざわざユピテルに指摘されるまでもなく、ケラウノスも己の歪みを自覚していた。



 彼の中にあるのは“父親として愛娘ユピテルを守る”という借り物の感情だけ。


 あれだけの敗北を経て、当の娘に三行半をつきつけられた今となってもその想いは微塵も揺らいではいない。



 けれども



『……………………』




 何故だろうか。

 その時ケラウノスは、斯様かような自分の在り方が酷く小さくみえたのだ。



『やっぱり何もないのね』



 そう告げる少女の瞳にはあざけりも憐憫れんびんもなく、ただ曇りのない納得だけが広がっていた。



『精霊は常に“上”を目指す種族だときく。でも今のアナタじゃ、これ以上先へは進めない。借り物の動機ユメでのし上がれる程、ナンバーワンの座は甘くない』



 非道な研究者達の実験によって、黒雷の神威は確かな自我と指向性を得た。


 だがその代償として、彼は精霊本来の根源的欲求である『上昇志向』を欠いてしまったのだ。


 


『今はまだそれで良いかもしれない。ワタシさえいればアナタは父性愛を満たすことができるからね。

 ……でもワタシはいつか死ぬ。

 しわくちゃのお婆ちゃんになるまで生きているのか、明日事故にあってポックリ逝くのか知らないけれど、ワタシは必ずいなくなる。

 ……ねぇケラウノス、そうなった後、アナタは一体どうするつもり?』



 想像が、できなかった。



 最愛のユピテルが消える。契約の解けた自分は精霊界に帰り、その後は、その後は――――



『何も……ない?』




 そう、何も無いのだ。

 全てを父性愛によって塗りつぶされた黒雷の獣には、その先がない。


 自分を高めることよりも、愛する娘を優先するという在り方は、百年前後の寿命しか持たぬヒトであれば美徳だろう。


 だが、悠久ゆうきゅうの時を生きる精霊種族にとってその在り方は致命的だ。


 根源的欲求を失い、娘との在りし日の思い出にふけり続ける――――そんな寂寥せきりょうとした日々が永遠と続く?



『そんな事は、そんな事は』



 愕然がくぜんとする。何故今の今まで気づかなかったのだろう。自分はとっくの昔に詰んでいたのだ。



 目を閉じて大きな身体を震わせながら、獣はその場に小さくうずくまった。


 怒りではない。憎しみでもない。獣はただただ怖かったのだ。


 いつか必ず訪れる未来を想像すると、架空の心臓がきゅっと縮こまる。


 嫌だ、と思った。


 愛娘がいなくなることも耐えられないし、その後に続く無限の虚無もたまらなかった。



 あぁ、こんなことならば自我ワタシなどなければ良かったのに――――




『そこで提案がある』




 ぽんっと頭をでる暖かい手。



 その感触の優しさに驚いて、ケラウノスは思わず閉じた瞳を見開いた。



『ぎぶあんどていく。アナタが力を貸すかわりに、ワタシがアナタのユメを探す。

 いつか愛が消えて、絆がほつれてもアナタが変わらず生きていけるような目標をきっと必ずみつけてみせる』

『不可能だ』

『どうして?』

『私にあるのは、お前への愛だけだ。それ以外のモノなど……何も無い』



 銀髪の少女の首が横に揺れる。



『それは違う。だってアナタは今、何も無い未来を嫌がっている。空っぽになることを拒んでいる』

『しかし』

『だいじょーぶ。アナタはひとりじゃない。ちゃんとワタシが面倒みちゃる』



 まるで子犬をあやすような柔らかい手つきで獣の頭に触れながら、小さな巨人は力強く断言した。



『……私の事を恨んでいるはずだ、憎んでいるはずだ』

『……否定はしない』

『ならばなぜ、お前は私に優しくできるのだ』



 無論、コレが交渉の一環であることはケラウノスも熟知している。



 だが、ここは心の世界。

 嘘も欺瞞も通じぬ精神の水底なのだ。



『お前の暖かい手から伝わる優しさは本当だ。本当に私を案じ、救おうと考えている。が理解できない。嫌っているものに優しさを与えられる矛盾に恐怖すら覚える程だ』

『それが“ゆるす”ってことなんだよケラウノス』



 ありふれた言葉だ。

 けれど、このタイミングで使う単語としてはいささかニュアンスが間違っている気がする。


 許すというのは、支配者父親被支配者の権利を寛大な心で認める権威的な――――



『ちがう。ゆるすっていうのはそんな独善的かんたんなことじゃない。痛くて辛くて、ジュクジュクするとっても楽しくないこと』



 そう語る少女の姿が酷くボロボロであることに、ケラウノスは今の今になってようやく気がついた。




『とっても面倒くさかった。息が止まる程気持ちが悪かった。アナタのせいで傷ついた人達に謝りにいった時は身体が震えたし、弱さを受け入れられない自分を何度も責めた』



 その言葉の一つ一つに、この数ヶ月間の全てが詰め込まれていた。



 少女は人知れず頑張っていたのだ。

 己の罪に向き合い続けていたのだ。




『アナタの罪はワタシの罪。だから謝るのも、罰を受け入れるのもワタシのつとめ』




 最早どうしてとは、問えなかった。



 それこそが彼女のやさしさなのだと、分かってしまったから。




『いこう、ケラウノス。親子にはなれないけれど、きっとワタシ達は良いパートナーになれる。いっぱいケンカして、いっぱい迷いながら二人で宝物ユメを見つけにいこう』




 温かい液体が獣の頬を伝う。

 あぁ、これはきっと、きっと――――







◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』最終層・邪龍王域






 そして今、彼らの答えが顕現けんげんする。



 

「AWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」




 常闇の真奥に降り立った父祖の化身は、天に浮かぶ闇色の星をめ付けながらたけき産声をかき鳴らす。



 ほとばしる黒雷。燃え盛る霊力。



 その存在感は、三つ首の邪龍を前にしても決して引けを取ることなく輝いていた。



「早速でわるいけど時間がない。アレを撃ち落としてケラウノス」



 少女の願いに応えるかのように大口を開き、その照準を闇星へと向ける黒雷の獣。


 急速に収束していく霊力の奔流ほんりゅうは、今の二人が出せる全てをつぎ込んだ代物ありったけだ。


 爆ぜる稲光いなびかりも、戦場に響く轟音も、地面を削る程の衝撃もお構いなしに出力を上げながら、二人は一つの術に心血を注ぎ続ける。



 世界を滅ぼす術式など恐れるに足らず。



 我らの雷は、宇宙すらも焦がすのだから。



「チャージ完了。照準固定。その他もろもろオールグリーン」



 少女の宣誓と共にケラウノスの顎門あぎとから全霊の黒雷が放出される。



 かつて黒雷の獣が撃ち放った最大術以上の出力を誇るその技の名は――――




神威の極雷BlazingArk



 

 新生。神威の極雷BlazingArk



 怒りと憎しみからではなく、二人で幸せな未来を見つけに行こうという想いを源泉とした彼らの新たな誓いは、天に浮かぶ破滅の闇星に向かって高く高く飛翔した。











 





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