第七十話 雷霆の獣と夢みる少女EX
◆◆◆ダンジョン都市桜花・第三百三十六番ダンジョン『常闇』最終層・邪龍王域:『砲撃手』清水ユピテル
誰よりも早くその異変を察知したのは、少女だった。
「きた」
端的に告げられた何かの到来。
しかし、最終階層守護者の攻略情報を共有している彼らにとって、その情報が指し示す意味はただ一つ。
「クワルナフか」
黒騎士の問いに、ユピテルは頷きをもって返す――――よく見たら彼はコクピットの操作に忙しそうだったので、少女は気を聞かせて「うん」とつけ加えた。
突如戦場に現れた巨大な霊力の塊。
それは黒雷の神威を有しているユピテルをして、規格外と評価せざるを得ない程の殺意と禍々しさに満ちていた。
【
その能力は霊力によって
いくらなんでもそんなトンチキな術があってたまるか――――初めて
さもありなん。
疑似恒星に重力崩壊、おまけに超新星爆発とブラックホールである。
いくら莫大な霊力と強靭な肉体を持つ龍種といえども、そんな銀河レベルの無茶苦茶を通す事など不可能だ。
SFはおろかファンタジーと呼ぶのもおこがましい。
上辺だけの知識を
『あぁ、その通りだよ清水妹。お前の抱いたその感覚こそが、このスキルの本質なのさ』
特定の領域を一つの「世界」として切り分け、その世界を
「世界を滅ぼす」という結果を術者の作り出した「終わり」のイメージを基に現実化させる――――要するに崩界術式とは、「ぼくのかんがえたせかいのおわり」を相手に押しつける術式なのだと、過去のユピテルは幼い頭なりに考えた末に結論を出した。
そしてその認識が間違っていなかった事を今の彼女は思い知り、愕然とした。
前触れもなく発生した巨大な闇色の星。
決戦場の環境を激変させ、現在進行形で地上組の二人を
それらは邪龍のイメージを基点とした空想の産物であると同時に、自分達の前に立ちはだかる過酷な現実でもある。
今この領域で引き起こされている事象は宇宙に影響を及ぼすようなレベルのものでは断じてない。
しかし、邪龍の術式が完成した暁に発生する事象が何かと問われれば、それは間違いなく重力崩壊であり、超新星爆発であり、ブラックホールの発生なのだ。
言わば、この決戦場という空間内においてのみ作用し得る
現実的に成り立つかどうかではなく、文字通り
虚構でありながら現実、空想でありながら本物。
崩界術式が世界の終わりという絶対的な結末をもたらす術式である以上、最早発生するブラックホールの
偽物だろうが嘘だろうが完成すれば自分達は死に絶えるのだ。
即ち
「《貫いて》」
独自の詠唱と共に、漆黒の雷閃が天を切り裂いた。
決戦の開始からこの時に至るまでにユピテルが張り巡らせていた『噴出点』の数はおよそ八十。
『霊力経路』を通じてそれらの砲門を全て開門し、あらん限りの霊力を込めてユピテルが解き放った術式は威力と貫通能力に特化したタイプの術式だった。
単発ではなく、自身の霊力が続く限り延々と敵を
それらが八十方向から攻め込めば、たとえ敵がどれだけの
「むっ」
……並大抵の相手であればの話だが。
八十の黒雷は確かに三つ首の邪龍を貫いていた。
相殺される事も、反らされる事もなく、主の思い描いた通りの事象が発現している。
そして術者であるユピテル本人のコンディションにも何ら問題はなかった。
決戦場を覆っている重力波の影響も、この過剰に高性能な馬車の内部にまでは至っていない(黒騎士いわく「そういう風に作り変えた」のだそうだ)。
だから、これはユピテル側の落ち度ではなく
「かたい」
ただひたすらに邪龍の装甲が頑強だったのである。
無傷ではない。
無敵でもない。
だが、ユピテル側の支払ったコストに対して邪龍の受けたダメージがあまりにも少ない。
届いていないのだ、内臓まで。
少女の黒雷は、邪龍の甲殻を貫くことが叶わず、どころか本来無防備であるはずの目鼻口すら破けずにいる。
黒雷の掃射を受けながらも、三頭の首が闇星へ霊力供給を構わず続けている様子から察するに少女の攻撃は絶望的なまでに通っていない。
重力波によって動きを制限されているはずの地上組の方が、幾分まともに機能している程だ。
闇の重力に支配された大地において、なおも輝く二つの霊力。
彼らは戦っていた。
先の攻防で出来あがった尾の傷を攻め、湧き上がる死肉の軍勢を破竹の勢いでなぎ倒し、あろうことかそのまま邪龍の肉道を掘り進めていたのである。
事前に整えておいた耐過重力系のアクセサリーの
無論それらのアイテムによるサポートあってこその大立ち回りであることは間違いないのだが、彼らの
立っているのがやっとな状態の肉体を、精神と霊力の力で無理やり駆動させているのである。
それがどれだけ無茶で無謀であろうとも、彼らはやってのける。
互いが互いの前で格好つけたいからだ。
おそらく今地上では、彼ら特有の空気感に満ちた会話劇が繰り広げられていることだろう。
決戦の最中だろうが、世界を滅ぼす術式を前にしようが、平気の
やつらがそういう阿呆共であるということを、ユピテルは良く知っていた。
(そもそも、地上にとどまっているいみねーし)
今の邪龍は、平常時よりもはるかに硬い。
【
だから彼らがいくら奮闘したところで、その刃はいつものような鋭さを持たず、たとえ剥き出しの肉質であろうとも相当の苦戦を強いられている……はずなのだ。
(まことにふじょーり)
だというのに彼らは邪龍の尾肉を削っている。
視覚で覗いているわけではないので微細な情報までは分からないが、霊覚だけでもその進歩が感知できる程に、彼らの
『無駄じゃないよ、ユピちゃん。あたし達が頑張れば、その分だけユピちゃん達の負担が減るでしょ?』
作戦会議の時、遥が言っていた言葉だ。
語感としては大変凛々しく勇敢な台詞に聞こえるかもしれないが、過重力にさらされてまでやる必要性はうすいんじゃねーのとユピテルは考えた。
『心配すんなユピテル。どれだけ傷めつけられようと、旦那の
いくら回復要員が控えているとはいえ、肉体が痛い思いをすることに変わりはない。
だというのに、彼らはそれを気合と根性で耐えている。
こちら側のサポートという地味でキツイ仕事をさしたる文句もなくこなしている。
それはすごくめんどくさいことだ。
そんなことせずに、大人しく馬車に逃げ込めばいいのにとユピテルは心の底から呆れていた。
いや、今でも呆れている。
だって彼らは、自分達の辛労が
アジ・ダハーカの崩壊術式を解く為には、完成形態へと至る前に本体を滅ぼし尽くす他にない。
しかし全長百メートル近い化物相手に(しかも相手は重力でこちらを縛り、あまつさえ自らの肉体に堅牢化の術を施しているのである)二メートルにも満たない小人が立ち向かった所で、それは無謀な挑戦でしかなく、よしんば二人に邪龍を討伐できるレベルの腕前があったとしても今の攻撃速度では到底タイムリミットには間に合わない。
彼らは今戦っている。
過重力の痛みに耐え、頭上に迫る崩壊術式の恐怖を払いのけながら、必死の想いで戦っている。
だがその努力や覚悟は、決して邪龍の首元に届かない。
距離が足りない。
時間が足りない。
霊力が足りない。
何もかもがまるで足りず、それを分かっていながらなおも突き進み続ける馬鹿二人。
これを無謀と言わずして、何と言う?
(のーきんがすぎる)
心地の良い革張りのシートから立ちあがり、深いため息を漏らしながらコントロールルームへと向かう銀髪の少女。
その横顔には「たまらなくめんどくせーぜ」という感情と、雀の涙ほどの笑みがあった。
なぜこのタイミングで笑いたくなったのかはユピテルもよくわからない。
けれどその時、少女は珍しく笑いたくなったのだ。
「オジジ」
コントロールパネルを操作する黒鋼の騎士に声をかける。
「行くのかね」
「いかなきゃあのぽんぽこぴー共がおせんべいになっちゃう」
独特の表現で仲間の
「承知した。……あまり時間がない。降下後の行動は、可能な限り迅速に
「わかってる。もしも駄目そうだなと思ったら、その時はオジジにワタシのおしりを触ってもらいたい」
「……それは尻拭いを頼んでいるつもりなのかね?」
「……そういう
◆
「健闘を祈る」
「たがいにね」
短い別れの挨拶を交わし、再び暗黒の夜空へと翔けていく首なし馬車を見送りながらユピテルが思った事はただ一つ。
(うわ、だる)
地上は信じられないくらいに過酷で超絶めんどくさかった。
空間全域に張り巡らされた重力波の圧が、年端もいかぬ少女相手にも容赦なく襲いかかりやがったのである。
巾着袋に詰め込んだありったけの耐過重力アクセサリーと、黒騎士が派遣してくれた霊体系多目的医療ユニットのおかげで何とか自分の身体を動かせてはいるものの、ぶっちゃけかなりキツイ。
少女の想定を百万倍は下回るクソ環境が、そこにはあった。
(こんなところでキョウイチロウ達は戦ってたんだ)
胸に去来した想いは仲間達への尊敬――――ではなく、呆れを通り越したドン引きであった。
彼方の先で、今も尻尾掘りに勤しむ二人の
視界の端に映る豆粒大の人間達が、元気に跳ねまわりながら巨大な尻尾を
肉体強化系のスキル使用に長けた近接ロールならではの強みとも言えなくもないが、その辺りを加味したとしても彼らの所業は大分ハチャメチャである。
到底自分には真似できないだろうし、今も昔もこれからも真似したいとは思わない。
ユピテルは砲撃手だ。
のーきん共の後ろでせっせこ攻撃術を放つのが仕事であり、最前線で剣を振るう力など必要ないのである。
重苦しい頭を上げて空をみる。
暗黒の夜空に浮かぶ闇色の一等星。
遠方から視認できる程に濃いモヤと中央で怪しく光るマゼンタの輝きがなんとも印象的だ。
三つ首から放出される霊力を吸い取って、秒を追うごとにその大きさを増していく闇色の集積体。
その完成が間近まで差し迫っていることを、ユピテルは直感で理解した。
(だいぶ完成が近づいている。ゆーよはあんましない)
臨界点まであと数分といったところだろうか。
状況に対する文句を並べていたらそれだけで終わってしまいそうな勢いである。
とはいえ、アレを打ち破るのは並大抵のことではない。
一切の攻撃行動を停止して崩壊術式への供給と自身の防御力強化に勤しんでいる邪龍の肉体を消し飛ばす為には、稀代の砲術師であるユピテルの基準に照らし合わせた上でもなお規格外の火力を用いる必要がある。
先の雷撃の十、百、あるいはもっと――――。
そのようなハンパねぇ術式を
邪龍の防御を突破し、天上に浮かぶ忌々しい闇星を打ち倒す為にはアレを撃つしかない。
それこそが四人の合意で定まった対クワルナフ用のメインプランであり、今決戦におけるユピテルの役割でもあった。
しかしこの作戦には一つ大きな課題があった。
それは術式の出力。
早い話、ユピテル一人の力では
あのスキルはただの黒雷ではない。
歪んだ実験により植え付けられた偽りの父性を暴走させたケラウノスが、娘を奪われたという怒りと憎しみから編み出した究極の一撃、即ち“神の怒り”という属性を帯びた術式なのだ。
だからどれだけユピテルが似せようと努力したところで、あの術の完全再現には至らない。
だって彼女は神様でもなければ、世界を呪い殺せる程の
今の彼女に、清水ユピテルとなった少女に、どこにでもある平凡な幸せを手に入れた十二歳に全てを憎むだけの
「《
それをこの世へ発芽させる為に、少女は己の内へとと潜っていく。
深く深く潜っていく。
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