第十話 蒼乃遥











◆◆◆ダンジョン都市桜花・第二十七番ダンジョン『月蝕』第一層:『剣術使い』蒼乃遥






 蒼乃遥あおのはるかの人生はおおむね退屈と妥協で出来ていた。



 名家に生まれ、才能もあり、将来も有望。


 けれどそれ故に周囲は期待し、同時にやっかまれたりもするけれど、まぁその辺は恵まれているんだし仕方ないやと割り切って過ごす毎日。

 


 恵まれている。望まれている。そして、持っている。


 だから、だろうか。

 物心のついた頃から、少女は己に人一倍の努力を課し、そして周囲が期待する以上の成果ものを上げ続けてきた。



 際限のない大人の期待。

 日々大きくなっていくプレッシャー。


 普通の子供であれば、到底耐えられない様な環境の中において、それでも遥は結果を出し続けた。


 望まれたから、ではない。

 この痛みは義務なのだと。出来るのならばやならければならないと。



 そのようにして彼女は恵まれた自分の規範ありかたを、定義し、縛ったのである。



 このように記すと、まるで遥がとても責任感の強い人間であるかのように捉えられるかもしれないが、実態は少し違う。



 常人以上の努力も、期待以上の成果を出す事も彼女からすれば「ま、少しくらいやってやるか」程度の決意で縛りなのである。



 「自分の命を守る為」だとか「家族を助ける為」だとか、あるいは武の道を志す者特有の「強くなる喜び」といった立派で大きな決意や覚悟が無くても、頑張れるし、結果を出せる。



 それは周囲から見れば羨まずにはいられない程の才能であり、けれど当の本人にとっては自分の人生を過保護に守る補助輪でしかなかった。



 わずか五歳の内に剣の名門「蒼乃」の剣士として認められた事も、齢七歳にして剣の三神霊が一柱『布都御魂フツノミタマ』を継承した事も、十歳を迎える前に百を越える流派との試合に全勝し名実ともに蒼乃家次期当主としての地位を授かった時も、彼女は幼いながらに



『出来過ぎだなぁ』



 と苦笑した。



 それだけとは言わないけれど、一番大きな感情だったのは間違いない。



 何もかもが出来過ぎていて、端的にいってしまえばワクワクしない。



 だけど、そんな彼女の小さくない悩みは、周りからすれば大層贅沢で、傲慢で、ワガママなのだという事も分かっていた。



 分かっていたが故に、遥は己の満たされない衝動を、やがて外へと求めるようになっていったのである。




 ダンジョン。

 


 ポータルゲートを抜けた先に待つ未知の異界。


 そこには人智の及ばない強敵や、未知の宝物が眠っており、冒険者たちは日夜命がけの冒険に挑んでいるのだという。



 これだ、と遥は思った。これこそが私の天職なんだ、と。


 きっかけはテレビの冒険者特集だった。


 前人未到のダンジョンに挑む若き天才冒険者というタイトルで放映されたその番組の主役は、彼女とさして変わらない年齢の少女だったのである。



 少女は学生という身分でありながら、大人も混じるパーティーを率い、そして強敵ひしめくダンジョンを華々しい戦果を上げながら駆け抜けていった。



 一騎当千。万夫不倒。そんな言葉の似合う映像の向こうの少女を見た時、久しく動く事のなかったワクワク感が、遥の胸を突き動かした。



『あたし、冒険者になる!』



 決意したその足で蒼乃家の全実権を握る母に頼みこみ、なんとか試験を受ける許可を貰ったのが、つい先月の事。



 それから遥はいつも以上に剣術の鍛錬に勤しみながら、今日という日が来る事を待ち望んでいた。



 自分がこれまで望んできたワクワクやドキドキが、ついに満たされる時が来たのだとガラでも無く期待しながら臨んだ冒険者試験。



「えっ――――?」




 けれど、そこで遥が感じたのは、少なくない落胆だった。



 ダンジョンから沸き出てくる精霊は、剣や術を使うまでもなく倒せる相手ばかりで、にも関わらず周りのライバル達は「奴ら」と良い戦いをしている。

 


 武器を振りまわし、術を駆使して奮闘する彼らの姿は派手ではあったものの、強くも格好よくもなかった。


 あるのは力だけで、そこには技術も工夫もオリジナリティもない。


 つまり彼女の言葉を借りるのならば「ワクワクしなかった」のである。


 

 そして極めつけは、試験官の存在だ。


 試験官。遥達の試験を監督する優秀な冒険者にして、試練を課す大きな壁。



 テレビに出てきたあの人の様な達人と手合わせする事が出来るんだ、と目を輝かせながら試練に挑んだ遥はその後一分も経たない内に現実を知る事になる。



 彼は。二階堂と名乗るその試験官は。あっさりと遥に打ち負けたのだ。



 無論、彼が試験官という立場であり、また実際の戦場ではないのだから全力とは呼べない――――等という当たり障りのない擁護ようごで自分の気を紛らわす事は可能だろう。



 だけど、その理屈は残念ながら虚構にも等しい慰みでしかない。


 なぜならば、遥もまた試験官以上に手心を加えていたからである。


 殺さないようにだとか、試験の範疇でとかそういった規範意識に基づいたレベルの話ではない。



 彼女は試験官と戦いが成立するレベルまで実力を落とし、多くの技術を封印して彼と打ち合ったのである。



 そう、つもりでいた。



 良く言えば試験官の実力を量る為、悪く捉えるならば自分が楽しむ為に彼女が設けたセルフハンディキャップは、けれど致命的にズレていたのである。



 冒険者という職業に対する憧れから、遥は彼らの下限値を高く見積もり過ぎていたのだ。




「降参です。どうやら君は、僕なんかよりずっと強いみたいだ」



 肩で息をしながら、二階堂試験官が告げた賞賛の言葉に遥が真っ先に抱いた感想は「は?」だった。



 違う。違うだろう。


 この程度で音を上げるのは、おかしいだろう。


 力加減を間違えた? いやいや、あれ位軽く受け流せるでしょうに。


 だって貴方は冒険者なんでしょう? 試験官なんでしょう? あたしが憧れたあの人と同じステージに立つスゴイ人なんでしょ?




 理屈では分かっているのだ。


 自分が抱くこの気持ちは、酷く幼稚で傲慢なおしつけがましい期待と羨望ないものねだり


 勝手に理想を押しつけて、勝手に失望しておいて被害者面などもっての外だ。


 だけど。このユメは。


 やっと遥が見つける事の出来たヒカリなのだ。


 退屈と妥協で押し潰されていた自分が、ようやく夢中になれた希望なのだ。


 だから、ねぇ試験官さん。


 お願いだからあたしの夢を壊さないで。


 こんなものだなんて思わせないで。


 あたしの憧れを、奪わないで。



 はらり、はらりと少女の心が雫で濡れる。


 どこも傷ついていないはずなのに、少女の純真な部分は確かに痛みを訴えていた。


 あぁ、まただ。またなのだ。


 自分の感じるこの痛みは、話した途端に誰かを傷つける。


 それは傲慢だと、ワガママだと、お前に才能のない人間の気持ちが分かるのかと、心の中の顔も見えない誰かが遥を口汚く罵るのだ。



 分かってる。分かってるよ。あたしがどれだけ恵まれてて、これ以上を望むのは筋違いだって。



 我慢。我慢だよね。あたしがいつも通り諦めれば全部丸く収まるんだよね。


 でも、でも。



 ――――ワクワクしたいって願うのは、そんなにいけないことなのかな。




 少女が泣き叫びたい気持ちを必死に抑えて、平常心を装うと努力しようとしたその時



 


「uuUUUUUUUUUUUUUUURUUUUAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaAAAAaaaaaa!!」




 ソレは突然現れた。



「え?」



 思わず口から平静の欠いた音が漏れだす。



 ソレは端的に述べるならば異常だった。


 異常。バグ。


 世界の理に反した存在だと一目で分かる得体の知れない何か。


 次元の裂け目とでもいうべき黒い楕円状の孔から這い寄るように現れたソレは、耳をつんざくような咆哮を上げながら、ゆっくりと蒼の世界へ侵略はいっていく。




 大きな骸だった。

 大きく、逞しく、けれど皮一つ貼りついていない骨の身体。

 黒く淀んだ外套を纏い、瞳を持たない眼窩から青白い焔のような霊力をほとばしらせる姿は、まさに異形そのもである。



 不意に「死神」という言葉が遥の脳裏をかすめた。



 死神。人間の魂を刈る地獄の使者。

 目前に現れた異形の怪物を形容するのにこれ程適した言葉もないだろう。



 

「すいません、試験官さん。一応念のため聞いておきますけど、アレも試験の対象ですか?」

「あ、ああ、あり得ません。何故こんなところに突然変異体イリーガルが!? そんな報告、今までどこにも、どこにも――――」

 


 ダメ元の確認を取るべく二階堂試験官に尋ねてみた遥であったが、どうやら状況は思った以上に悪いようだ。



 歴戦の冒険者にして国に認められた試験官という役職についているはずの二階堂カレが、機能しなくなるほどに慌てふためいている。



 遥は喉元まで漏れだしそうなため息を寸前の所で抑え、代わりに努めて冷静な声音で二階堂試験官に指示を下した。



「増援を呼んできてくれませんかー、試験官? 私がここに残ってこいつを引きつけておくんで」

「……君を残して、僕だけ逃げろと?」

「違いますよー。増援呼んできて欲しいんです。役割分担役割分担」




 遥の声はこの異常事態においてもなお平静だった。


 状況を理解していないわけではない。


 目の前の怪物がどういった類いの存在なのかは、その姿形を見ただけで大体分かってしまった。



突然変異体イリーガルでしたっけ? 良く分かりませんけど、ヤバい奴なんですよねアレ。話を聞いてくれる雰囲気じゃないし」

「ヤバイなんてものじゃない。アレは見境なしに冒険者を喰らう怪物です。おまけに下手なダンジョンの最終階層守護者ボスエネミーを上回る強さを持った化物だ。到底僕達だけじゃ敵うはずがありません」



 二階堂試験官の解説は、遥の直感通りのものだった。


 彼は遥の実力を知らないわけではない。




 自らが課した試練の中で、二階堂は遥の天分の才の一端を垣間見た。



 そしてその事実を踏まえた上で敵わないと断言したのである。



 しかし、けれど、それ故に。


 



「だから、ですよ試験官」




 にへら、と緩い笑顔を浮かべる遥。


 その微笑みには、少しでも彼の緊張を解そうとする十四歳の少女の心遣いがあった。



「そんな強い相手に私達が挑んだところで全滅じゃないですか。かといって二人で逃げたら追いかけてきますよね、アイツ」 


 二階堂は、まさかと顔を歪める。そして彼の予想通りの台詞が遥の口から飛び出した。



「だったら一人が全力で抑えている内にもう一人が仲間を呼びに行った方が効率的ですし。それに――――」




 目の前の死神めいた風体の化物を見やる。


 三メートルは下らない高さの巨大な骸の視線は、はっきりと遥に注がれていた。



  ……そういう事ならば。



「少なくとも、一人は確実に生き残れます」 



 言葉を切ると同時に、遥は自らの得物である倭刀を抜く。


 

 すると死神は、遥の動作に呼応するかのように異次元の孔を開いて、己の姿に相応しい武器を取り出した。



(ははっ、その風貌で鎌と来たか。ここまで来ると逆にわざとらしいにゃー)


 死神が取り出した大鎌を眺めながら、遥はそんな感想を胸に抱いた。



 黒い外套、骸の身体、操る武器は大きな鎌。


 まさに死神と呼ぶしかない怪物の出で立ちに、逆に作為めいた何かを感じとる遥であったが、それはそれとして臨戦態勢に入る。




「それじゃあ、試験官さん。後の事は頼みましたよ」

「――――ッ!。必ず、必ず貴女を助けに参ります。だからどうかそれまで持ちこたえて下さい!」

「はいはーい。出来るだけ頑張りまーす」




 悲痛な声で「申し訳ない」と頭を下げる二階堂試験官を軽快なノリで送り出す。



 出来るだけ軽く、まるで大したことなどないようなテンションで


 去り行く大人を遥は手を振りながら見送った。



「さてさて死神さん。どういう訳かは知らないけれど待っててくれてありがとにゃー」

「……………」


 

 二階堂試験官の脱出を、不気味なほどあっさり見逃した死神に、一応声をかけてみた遥であったが、返ってきた言葉は当然のごとく『無』であった。



 喋れないのか、喋りたくないのか、はたまたその両方か。



 ともあれ怪物とのコミュニケーションが不可能だと判断した遥は「ま、いいや」と勝手に納得し



「それじゃあ、ちゃっちゃと始めますか!」



 そのまま、目にも止まらぬ速さで疾駆した。



 《脚力強化ストライド》の術で強化された敏捷性から繰り出される鮮やかな突撃。



 道中に五度のフェイントを繰り出しながら距離を詰めていく遥の高速突進は、鮮やかに突然変異体を翻弄する。


「Uru……!?」



 軌道を追うことすらままならい高速移動の末、少女の剣は死神の喉元まで迫っていた。


 一瞬で己の懐に入り込んだ剣術の天才の姿を見て、死神は反射的に大鎌を振り下ろす。



 物理的なダメージだけではなく、魂をも殺傷する死神の鎌。

 突然変異体が持つに相応しい凶悪性を秘めた逆襲の一撃は、しかしまるで煙を掴んだかのごとく手応えを失ってしまう。



 死神の喉元を狙う遥の姿が、いつの間にか消えていた。




「ここ……だよ!」



 聞こえてくる声は背後から。



 先程まで己の懐にいたはずの少女の気配を感じとると同時に、死神は自らの背に鋭い痛みが広がっていくのを自覚する。




 ――――斬られたのだ。


 懐へと飛び込んできた少女に回り込まれて背中を一薙ぎバッサリと。


 この一局が示す事実とは、これ即ち



「ふむふむ。今の感じだと私の方が速そうだね」



 少女の素早さは、突然変異体をも凌いでいた。



 斬られた背中から青白い光を発しながら、死神は緩慢な動作で少女の方へと向き直る。


 遥は、注意深く周囲を見渡しながら、再び剣を構えた。


 突然変異体にたった一人で相対し、あまつさえ速度で圧倒している少女がルーキー未満の存在なのだと誰が信じられようか。

 


 もしも、この場にダンジョンに精通している者がいたとすれば、例外なく目を疑った事だろう。



 けれどこの場に彼女の在り方を絶賛、あるいは恐怖するような観客は一人もいない。


 在るのは物を言わぬ骸の怪物と、当人である遥だけ。


 故に両者の戦闘は、何の歓声も演出もないまま再開された。




「はぁああああああああああああっ!!」

「URuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuruaaaAAA!!」


 両者一歩も譲らぬ列帛の気勢を上げながら、自らの得物を敵へと振るう。



 片や大鎌、片や倭刀。

 リーチと威力には死神に分があり、技術と速度においては遥が勝る。



 故に激突し合う両者の剣戟は、一見すると少女が優勢であるかのようにみえた。



 速度を活かし、四方八方に疾走しながら斬撃の嵐を叩き込んでいく遥。


 疾風怒濤の剣嵐連舞は尽きることなく死神を刻み続け、対照的に死神の大鎌は少女に掠める事も敵わない。


 速く、鋭く、踊るように美しく。


 次代の当主が振るう蒼乃の剣は、確かに突然変異体を圧倒していた。



 けれど――――。


(手応えはあるのに、まるで傷ついてない。うーん。厄介だなぁ)



 そう、怪物は正しく遥に切り刻まれているにも関わらず、まるで問題ないかのように戦いを続けている。



 攻撃が通じていないわけではない。

 遥の剣は、確かに死神の身体を斬っていて、けれど決して切断には至らず、そしてあろうことか少し間を置くと斬口そのものが消えているのである。



(痛覚の遮断……じゃないよね、反応してるし。幻覚の類にしては手応えがリアル過ぎるから却下よりの保留。となるとやっぱりアレかなぁ)



 バク宙からのフェイント二連打で敵の重心をずらしつつ重い袈裟斬りを一発。

 そんな人間離れした芸当を軽々とこなしながらも遥は、注意深く死神の身体を観察した。



 人体で言うところの水月みぞおち部分の切り口が、青白い焔の様な光をほとばしらせている。



 それはまるで血肉のない骸の身体が発する血しぶきのようにもみえたが、目の前で起こっている事象の特性はまるで真逆。



「再生能力持ちか―。きっついなぁ」

 

 思わず苦笑が漏れてしまう。


 斬っても斬っても動き続ける肉体と傷を燃やす青白い焔。

 

 この二つの要素を基に遥が組み立てた推論は、実のところ正鵠を射ていた。


 死神の保有する特殊スキルの一つ《魂身再成リジェネレイト》。

 傷ついた骨身の身体を霊力の炎で浄化し、復元する常時発動型パッシブスキルである。



 どれだけ斬られ穿たれようと回復していく不死身の死神。

 それはまさに理不尽の権化である突然変異体にふさわしい能力といえるだろう。



「まぁ、そっちがそういう感じで来るんだったら、こっちも少し攻め方を変えようかな」



 しかし、悪夢の様な能力を前にしても、遥は決して諦めなかった。


 むしろ少女の瞳は、まるで追い求めていた宝物に出会えたかのような喜びで満ち溢れている。



(敵は強いし、応援が来る気配もない。孤軍奮闘、万事休す。なのにどうしてだろう、あたし今滅茶苦茶テンション上がってない?)



 遥は、今まで出会った事のないレベルの強敵を前にして、ワクワクしていた。

 自分の攻撃が通じない不死身の怪物。

 それは裏を返せば、やり過ぎるという心配のない相手という事だ。


 誰に気を使う必要もなく、本気を出して戦える――――たったそれだけの事が、少女にとっては涙が出そうなほど嬉しい出来事だったのだ。



 ならばこそ。



「行こう! 布都御魂フツノミタマ!」




 少女は、自身の身体に宿る剣の精霊に呼びかける。


 身体能力の強化の様な単純なエネルギー利用ではない、精霊固有の力を引き出そうと決意したのだ。


 それこそが、蒼乃遥の全身全霊。剣の精霊『布都御魂』を駆使した剣術使いとしての本領が、ようやく発揮できる時が来たのである。



(やっと、やっとだ)



 大地を駆ける。精霊の特性を発現する為に、まずは敵との距離を取った。


 死神が追いかけてくる気配はない。遥は全神経を己が内に向けて『剣』の生成に取り組んだ。



(やっとあたしは、自由に戦えるんだ)



 打ち震える無上の歓喜を噛みしめながら、少女は心の底で己が剣を思い浮かべる。




「uuUUUUUUUUUUUUUUUUUUURUAaaaaaaaaaaaaaaaa!!」




 しかし、そんな少女の心の隙を死神は見逃さなかった。




「……へ?」




 変化は急激に訪れた。


 先程まで羽の様に軽かった遥の手足が、まるで嘘のように重く、固くなっていく。

 


「何、これ?」


 音を立てて少女の手から落下していく自身の倭刀カタナ


 力が入らない。自分の四肢が手足の様に動かない。


 その原因を探るべく、遥は両腕を眺めた。そして彼女は、驚愕の表情を浮かべながら後ろを振り返る。

 


彼女の視線の先には、四つの孔があった。


 死神が現れた時と同様の楕円状だえんじょうの黒孔。


 そこから伸び出たナニカが、遥の四肢を縛っていたのだ。



(これ、ヤバい。力が全然入らない)



 一秒ごとに薄れていく感覚。それと反比例するかのように遥を縛るナニカは輪郭を明らかにしていく。


 形が視えて、次に色が映った。


(……鎖?)


 それは赤黒い鎖だった。



「まいったなぁ」



 首筋から汗が伝う。



 抵抗どころの話ではなかった。鎖に縛られた少女の手足はまるで石膏せっこうで固められたかのように頑として動かない。


(普通じゃないな、この鎖)


 縛られている感覚から単純な膂力りょりょくによるものではないという推論を導き出した遥であったが、分かった所でどうしようもない。


 動けず、逃げれず、戦えない。



 素早さを武器とする少女の長所が完全な形で封じられたのだ。



 逆転の目があるとすれば、彼女の契約精霊である布都御魂フツノミタマの存在だが、不運な事に使



 今の彼女は、まさに剣を奪われた剣術使い。

 人智を越えた災害である突然変異体を前にして、この縛りは余りにも大きかった。



 一歩、また一歩と死神が少女の元へ寄ってくる。


 大鎌を抱え、黒の外套に身を包んだ骨身の身体がカタカタと音を鳴らしながら近づいてくる。



「ははっ、下手なB級映画より迫力ある展開だ」



 気の抜けたような軽口を叩きながらも、遥は状況が詰みに近いことを本能的に察知した。


 身体は動けず、敵の状態はほぼ無傷。頼みの綱の切り札も今は使うことが許されない。




(スゴいなぁ、世界はこんなに広かったんだ)



 そんな状況においてなお、遥の内から沸き出る感情は喜びであった。



 手も足も出ず、後は死を待つのみという絶体絶命な現実を直視しながらも、少女はこの理不尽ともいえる強敵の存在に感謝すらしていたのである。




(やっぱり私は世間知らずなだけだったんだ。ちょっと外に出てみれば、手も足も出ないような万事休すワクワクが、こんなにも簡単に見つかった。あぁ、それが――――)




 それが涙が出るほど嬉しいのだと、遥は心底から思ったのだ。



 ここで、自分は果てようとも最後にこんなにワクワク出来たのならばそれでいい。



 (後悔も、反省点も、数え始めればキリがないけれど、それはそれとして今はこの敗北をしっかりと噛み締めよう)



 良く言えば潔く、悪く捉えるならば諦めが良すぎる少女の精神回路ロジック



 けれど、そんな青々しいティーンエイジャーの気持ちを理解する人間も、反論する誰かもここにはいなかった。



 そこに在るのは、今まさに少女を喰らおうとする理外の化物の姿だけ。



 カタカタと骨の身体を鳴らしながら、邪魔な命を刈り取ろうと、死神は大鎌を振り上げる。



「ごめんねぇ、彼方かなた




 少女は、そっと目を閉じながら自らの終わりを受け入れる。



 今際の瞬間に抱いた想いが、実妹への謝罪だったことに少しおかしさを感じて、遥はいつものように「なんだかなぁ」と苦笑した。








 

◆◆◆ 







 そうして蒼乃遥あおのはるかの短い生涯は、幕を閉じる。


 若く、そして才に愛された少女の死は、多くの関係者にいたまれ、惜しまれ、悔やまれた。

 



 しかしながら、話はここで終わらない。


 彼女の輝かしい技術と才能は、あろうことか最悪の存在に受け継がれたのだ。



 その存在とは、少女を殺め、その後魂を捕食した元凶にして諸悪の根元――――即ち遥が死神と称した突然変異体イリーガルである。



 突然変異体としての力と、遥の技術、そして彼女の契約精霊である布都御魂まで取り込んだ異形の化け物は、その後、《剣獄羅刹ラクサス・サラマ》という名を得て、多くの冒険者を喰らうのだ。



 死では終わらず、その才能を人殺しの道具として悪用され、尊厳も誇りも蹂躙され続ける地獄の所業。



 それは己の死すら受け入れることの出来た遥でさえ耐えられないほどの悪夢であった。




『オネガイ。アタシヲオワラセテ』



 あまりにも惨たらしい少女への責め苦は、他ならぬ実妹の手によって死神が討たれるその時まで、決して終わることはない。




 それが蒼乃遥の運命。

 それが蒼乃遥の摂理。

 それが蒼乃遥の結末。



 くつがえすことは出来ず、抗うことも許されない。蒼乃遥はここで死に、その魂と才能は人を殺める道具として異形の化物に利用され続けるのだ。



 悲劇、あるいは他の誰かを輝かせるための尊い犠牲。


 彼女が死神の凶器として扱われる事は歴史の道程ルートに記された必然事項であり、定められた役割ロール


 

 故に運命の転輪は、今日も正しく遥を殺す。



 そして、その巡り合わせは絶対の


 






◆◆◆



 




「その糞ルート待ったぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」





 大型の肉食獣を彷彿とさせるような咆哮と共に死神の肉体が吹き飛ばされる。



 何事かと遥が思わず目を開けると、そこにはやたらと目つきの悪い男が武器を構えて立っていた。


 


「よう、ゴミカスウンコのロリコン骸骨! いたいけな少女を捕まえて、随分ご機嫌じゃねぇかオイ」



 まるで小学校の低学年が言いそうな罵倒を吐きながら、膝をついた死神を睨みつける謎の大剣男。


 その容貌はまるで鬼神の如く殺気だっており、仁王立ちという言葉が恐ろしい程良く似合う。



 見覚えのある顔だ。

 というか少し前に遥はこの男に無言で追いかけ回された記憶がある。



「えっと、君は何?」



 思わず口から漏れ出た問いは『誰』ではなく、『何』。


 結果的に失礼な物言いになってしまったが、無言で追いかけ回された身としては最低限警戒するのは当然というものだ。


 

「えーっと、そうだな。とりあえず安心して欲しいのは俺はストーカーでも、あんたの追っかけでも無いということだ。んで、それを踏まえた上で聞いて欲しい。俺の名前は」 




 恐らくは遥を助けに来たのであろうその男は、額の汗を拭いながら思いの外明朗な声で答えを返す。



「凶一郎。清水凶一郎だ。さっき二階堂試験官に話を聞いて駆けつけた、あんたとおんなじ受験生だよ」



 

 運命の転輪に、ifもしもの亀裂が走り出す。





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