第九話 ダンジョンの死神と六花の剣2
◆ダンジョン都市桜花・第二十七番ダンジョン『月蝕』第一層
予想だにしないタイミングで始まった初戦闘をなんとか切り抜けた俺は、蒼い髪留めの少女を追いかけるべく通路の壁をよじ登っていた。
少女は超人じみた動きで壁を走っていったが、あんな芸当並みの精霊使いでは不可能である。
故に俺の取った方法はもっと一般的な壁登り。
《
登っていく先々に、物凄く固くて丈夫で刺さりやすいピッケルを刺していると言えば分かりやすいだろうか。
とてつもなく地味だし、壁走りに比べたら登頂スピードも劣るが、その分簡単だし安全だ。
『とはいえ、そこそこの高さのある壁を一分程度で登りきってしまうのですから、マスターの練度も相当なものですよ』
「そりゃあ、鍛えてるからなっと」
通路の天頂に手をかけ、そのままゆっくり身体を足場に乗せていく。
壁と壁の間に厚みがあるお陰だろう、一層の上部は、軽く膝をついても十分に余裕のある幅があった。
「ていうか、こりゃあもう一つの迷路だな」
感嘆のため息と共に自然と言葉が漏れていた。
そりゃあ迷路っていうのは壁の入り組みによって作られる構造な訳だから、その上層も同じ様にゴチャゴチャしているっていうのは当然といえば当然なんだ。
でも、そんな当たり前がこんなに新鮮で輝いて見えるのは何でだろう。
蒼い地面、蒼い天井、蒼い壁、蒼い迷路。
はるか高みから見渡す蒼の迷宮は、口にするのが野暮に思えるくらい美しかった。
『さてマスター、予想通り彼女の姿は見当たりませんがどうしましょうか?』
そんな俺の感傷に水をぶっかけるようなアルの声。
いつだって効率厨様は冷静だ。
『撒かれた事については今後の反省材料として活かしていこう。で、お前が聞きたいのは次の行動について、だよな』
『はい』
俺はゲーム知識を動員しながらアルに提案を出す。
『
『教えて下さい』
俺は頷きながら話を進める。
『上から探し回る方法のメリットは運が良ければすぐに見つかるっていうこと。デメリットはその逆で見つけるのに時間がかかるって点だ』
『極めて不確実というわけですね』
『いや、アルが思っているほど博打って分けでもない。探し出すのは動き回る彼女じゃなくて、彼女が最終的に行き着く場所だ。心当たりがあるんだよ』
俺はゲームの中のとあるルートの光景を思い出す。
薄暗い喫茶店で、主人公達に慚愧に満ちた面持ちで当時を語る男性の姿。
『原作通りの展開なら、彼女は二階堂って名前の試験官の元へ行くはずなんだ。そこを目指せば高い確率で会えると思う』
『成る程。して二つ目の方法は?』
『とりあえず上のルートで試験官さんを探すのは同じだ。ただし誰でもいい。見つけ次第、ここから降りて二階堂試験官の場所を聞き出す』
試験官は事前にダンジョンの道筋を調べた上で情報を共有し合っている。
んでもって彼らの仕事は巡回と試練。
受験者の安全と不正防止の為の巡回と、彼らの力を直接試すための試練の実施。これを持ち回りでやるのが彼らの行動ルーティンだ。
『ゲームの中で二階堂試験官は「持ち場で」って表現を使ったんだ。多分試練の場所は固定されてる」
『その持ち場を、マスターは聞き出そうという分けですね』
『あぁ』
『メリットは分かります。うまく行けば確実に彼女が至るであろう場所を割り出すことが出きるという事ですね』
『そうだな』
『して、デメリットの方は?』
俺はアルの最もな質問に一瞬だけ言い淀む。
『まず、安全であるが故の確実な時間消費。二階堂試験官の場所を聞き出す為に一度降りなきゃならないし、場合によっては長引く可能性もある』
『降りずに探索を続けた場合の方が結果的に早く済む場合もあるという事ですね』
『そう。んで、それよりも深刻な問題が更に一つ』
頭の中で状況をシミュレートする。試験官の前に降りて、わざわざ他の試験官の場所を聞く俺。
その場合、彼らは何と言うだろうか。
『恐らく高確率で戦闘になる。これは試験で、彼らは試練を課すのが仕事だからな。自分の試練は受けないけど、他の試験官の場所は教えて下さいってのは無理筋だろ』
『ですね』
確かゲーム内の冒険者試験もそんな設定だったんだよな。
試験官との試練に勝ったら次の試験官の場所を教えてくれるみたいな感じで、プレイヤーの次の行動を誘導していた記憶がある。
『確実な時間消費プラス試験官と戦って勝てた場合のみ道が拓かれる――――そう考えるとこっちはこっちでかなりめんどくさいというのが俺の意見』
『ふむ』
ウチの裏ボス様は数秒間、思案した後
『後者で』
いつも通りの淡々とした声で、戦闘必至の聞きこみルートを選択するのであった。
◆
アルと方針を決めてからダンジョンの上部を走り回る事約五分、小さな幸運の女神とそれなりに大きな不幸の女神に愛された俺は無事違う試験官さんの持ち場を発見した。
『案の定というべきか、三分の二の方を引きましたねマスター』
『うるせぇ』
放っておいたら家系が全滅する清水さん家の凶一郎君のくじ運を舐めんじゃねえよ。
『つーか、やっぱりこのまま二階堂試験官探そうぜ。時間も体力も霊力も消費するのは効率的ではないと思うんだがね』
俺の軽口に効率厨のアルさんが反論する。
『マスターの仰る事は一側面に
『うっ』
ぐぅの音も出ない正論だった。
俺がこの試験を選んだ理由は彼女に起因するものだが、俺達が試験を受ける目的は冒険者になる為である。
『彼女の事をないがしろにしろとは申し上げません。ですが自分のやりたい事とやるべき事を混同するのではなく、両立させる方針を選んで下さい』
『そうだな……悪い。焦り過ぎてたな、俺』
『焦燥感は判断を鈍らせます。心は熱く、頭は冷静に――――使い潰された言葉ですが、物事を進める上での大事なファクターですよマスター』
アルの助言に頷きながら、一発頬に気合を入れる。蒼の迷宮に響く張り手の音は、痛みと同時に俺の昇り過ぎていた気持ちを静めてくれた。
『オッケー。やったろうじゃんか。やりたい事とやるべき事、どっちも満たして完全クリアだ』
決意を新たに空を翔ける。
足場を失った俺の身体は、そのまま下へ下へと落ちていった。
支える物の無くなった感覚っていうのはちょっと独特で、少しだけドキドキする。
『マスター、防御術の付与を』
『分かってるって』
試験官さんの持ち場に急速に近づいていく自分の身体に《
地面との激突音はごく僅か。
紐なしバンジーの
「良く鍛えられているな」
地面に降り立って早々、俺の耳に心地の良い褒め言葉が届く。
「高所への移動は冒険者にとって必須のスキルだが、受験生のレベルでこの領域に達している者はそうはおらんぞ」
「恐縮です、試験官」
俺は赤髪の女試験官さんに頭を下げる。
よりにもよって、この人の担当場所に当たるとは。本当、我ながらついていない。
「さて。一応説明しておくが、ここは試験官が直接受験生の実力を見極める為の場だ。担当はこの赤羽が務める。君はここで私の試練を受ける事も出来るし、回避する事も出来る。好きな方を選びたまえ」
「その前に一つ質問をしても宜しいでしょうか」
俺は女試験官さん改め赤羽さんに尋ねる体を装って、早速本題を切りだす事にした。
「構わん。……君は本当に質問が好きだな」
「恐縮です」
「まぁいい。質問は?」
「はい。尋ねたいことは他の試験官の居場所です」
赤羽さんの厳つい顔が怪訝そうに歪む。
「知ってどうするつもりだ」
「全ての試練を受けたいと思っております」
本当の理由は別にあるが、ここは受験生らしい適当な理由をでっち上げておいた。
「ほう。一つだけでは飽き足らず、他の試練まで手を出そうというのか。中々どうして、気骨のある青年じゃないか」
「ありがとうございます。それでお答えの方は?」
「もちろん教えてやるとも。……ただし」
刹那、赤羽さんの右手が発光する。
掌を中心に魔法陣の様な円状の光が展開されていくのを見て、俺は直ぐに武器を構えた。
あの紅い輝きは何らかの攻撃? いや、召喚系か?
「この私に一撃を入れる事が出来たならばな」
紅の円陣から現れた赤黒い槍を手に取り、赤羽さんが威風堂々と宣言する。
案の定というか、予想通りというか、やはり戦いは避けられないらしい。
俺は胸に溜ったモヤモヤを吐き出すように大きな声を張った。
「よろしくお願いします!」
「うむ。全力で来るがいい!」
その言葉を皮切りにして、俺達は戦闘を開始した。
初手、俺の取った行動はバックステップからのスキル二重展開。内訳は《
この試練の勝利条件は赤羽さんに一撃を与える事。
つまり当てさえすれば良い訳だから余計な攻撃力は必要ない。
また、槍の攻撃は脅威だがこれが試験で赤羽さんが試験官であるという都合上、その攻撃パターンは当然縛られてくる。
だからこそのスピード特化構築。当たらなければどうという事はなく、当てさえすれば勝ちなのだからこれが最適だ。
……と、普通ならばこれで戦いに臨むのだが、万が一という事がある。
「どうした? 来ないのか?」
槍を構えて佇む赤羽さんの姿からは、修羅場をくぐり抜けてきた強者特有の圧を感じた。
この人、強い。油断や出し惜しみなんてしていたら、間違いなく負ける。
『アル』
『はい。私もマスターの意見に賛成です』
皆まで言わずとも俺の考えを察してくれる相棒に感謝しながら、俺は自分の大剣に保険の術をかけた。
俺の身体からごっそりと霊力が奪われていく感覚を味わいながら、努めて平静に赤羽さんへと言葉を返す。
「すいません、少し準備に手間取ってしまって。いやぁ、俺って本当――――」
声音だけは間延びさせながら、強化した脚力で間合いを詰める。
「ダメな男ですわ」
台詞の締めと同時に加速を伴った大剣をぶん回す。当然の如く俺の奇襲は捌かれるが、構わない。
当てるまで攻め込むだけだ。
「おぉぉおおおおおおおっ!」
攻める。攻める。攻める。
兎に角当てることだけを重視した大剣のラッシュ攻撃。
攻撃範囲が広い分、一撃に間隙がつきやすいのが大剣という武器の特性だが、それはこいつの大きさと重さに振り回されているからに他ならない。
そんなもやしっ子お断りなこいつを使いこなすには一にも二にも卓越した筋力が必要になってくるのだが、どうやら俺の筋肉達は十二分に合格ラインに達しているらしい。
この程度ならば、術を使わなくても問題なく動かすことが出来る。
「良く磨かれているな二十六番。太刀筋から君のたゆまぬ努力が伝わってくるよ」
そう言いながらも、俺の連撃を涼しい顔で受け流していく赤羽さん。
彼女の
技量と経験の差は明らか。四方八方から無数の剣撃を重ねても、彼女に反撃をさせない程度で精一杯だった。
だが、攻める。尚も攻める。
攻めて、攻めて、攻めて、攻めて、幾十幾百と剣を振るい、力をぶつける。
激突する大剣と赤槍。
無限に続くと思われていた俺達の攻防に変化が起こったのは、俺の首筋から何滴か流れ始めた時だった。
「……むっ?」
赤羽さんが何かを感じ取り、眉を潜めた。隙ありとばかりに袈裟斬りを叩き込む。
そして俺の攻撃は予定調和とでも言うかのように赤羽さんの槍に弾かれ――――
「くっ」
――――なかった。
赤羽さんは俺の攻撃を過剰な程の速さで避けたのだ。
後方へと下がる赤髪の試験官。
「逃がすかよっ」
当然その隙を見逃す俺ではない。
強化された足腰をバネのように伸縮させ、追撃をかける。
強襲。そして激突。
白い大剣と紅い槍は、再び派手にぶつかり合う。
赤羽さんと俺で奏であう武芸の調べ。
しかし少し経つと彼女は再び俺から離れようと、大げさなバックステップを実行。
赤羽さんから感じる霊力の大きさは先程よりも強め。身体強化のスキルを必要以上に展開したのだろう。
けれど、にも関わらず俺は先程よりも容易に赤羽さんの元へ追いついた。
「――――――――ッツ!」
再び打ち合いの型にハマった赤羽さんが、声にならない叫びを上げる。
そうだよな、不思議だよな。
試練を開始した頃は余裕すら見せていた赤羽さんの槍は、今や俺の大剣に圧倒されている。
彼女は自身の出力をなりふり構わず上げているのに、だ。
俺の単純な剣撃に、全神経と霊力を注ぎ込んで対応しようとする赤羽さん。
試練前とは比べ物にならないほど本気の目をしている。
でも遅い。なのに
彼女は俺と打ち合えば打ち合う程、遅く、鈍く、にぶくなっていく。
恐らく彼女も自身の異変には気づいているのだろう。だから敏捷強化系の術を付与して何とか俺に喰らいつこうとしている。
だけど赤羽さん。それじゃあ無理なんだ。
俺が貴女から奪っているのは「
四次元からの干渉を物理的な力で抗う事は不可能なんだよ。
『対象の
アルの観察結果が全てを物語っている。
武器同士の激突を媒介とした《遅延術式》成功だ。
この術は本来、相手の動きと意識を一撃で停止状態へと追い込み文字通り置き物へと変える放出系スキルなんだが、
そこでアルと苦心しながら編み出したのが今のスタイル。
即ち、武器に術を纏わせて、その武器から相手の武器、そして最終的には相手へ届けるという方法だ。
ドミノ倒しやピ○ゴラスイッチなんかを想像してもらえれば分かりやすいかもしれないな。物から物へと力を繋げていくあの感じ。
これならば力の拡散も近距離で済むし、方向操作も最低限度で良いって寸法よ。
力の伝播が一気に行えない為、速効性という側面においては圧倒的に落ちるという欠点こそあるものの、それでも脳筋戦術で時間停止じみた搦め手を扱えるのはデカい。
武器戦闘の基本である武器の攻防を行うだけで、赤羽さん程の相手でも無力化出来る事が、この戦術の有用性を示していると言えるだろう。
その鬼気迫る表情とは裏腹に、赤羽さんの動きは最早精霊と未契約の一般人にすら劣るほど鈍っていた。
「捕まえました」
隙だらけの彼女の背中に大剣の腹を軽く当てる。
同時に赤羽さんを縛っていた《遅延術式》を解除。
外的ダメージはほとんどない筈だが、赤羽さんは槍を杖代わりにしながら膝をついた。
「見事だ、二十六番。お前の勝ちだ」
「ありがとうございます」
見え透いた謙遜などせず、素直に彼女の言葉を胸にしまう。
実際の戦いならば、また結果は違っていたと思う。
赤羽さんは肉体強化以外のスキルは使わず、また戦法も防戦主体のものだった。
だからこれが彼女の本気という事はまずあり得ないし、いつかどこかで再び戦った時はこんな一方的な展開にはならないだろう。
だが今日この場においては俺の完勝だ。
試練は達成されたのだ。
俺は一度赤羽さんに頭を下げた後、二階堂試験官の居場所を聞き出すべく口を開いた。
「赤羽試験官、お疲れのところ申し訳ないのですが、約束通り他の試験官の居場所を教えて頂けないでしょうか」
「もちろん、いいとも。だが、それよりも先にコイツを受け取ってくれ」
そう言って赤羽さんは、懐から紅いメダルを取りだした。
「試練踏破の証だ。おめでとう」
「……ありがとうございます。それで」
「ははっ。分かっているとも。まずは――――」
しかし赤羽さんが喋り始めるよりも早く
「なっ!?」
「むっ!?」
変化が、起こった。
まず感じたのは悪寒。
黒くねっとりとしたどろどろのアメーバのような不気味な霊力が、俺達の霊覚を刺激する。
六時の方角からだ。近くという訳ではない。
相応に離れた距離から感じるにも関わらず、その霊力は強く、そしておぞましかった。
そして、その直後
「uuUUUUUUUUUUUUUUURYUUUUAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaAAAAaaaaaa!!」
蒼の迷宮に到底人のものとは思えない不気味な金切り声が木霊した。
『マスター』
『あぁ、奴だ』
俺は額の汗を拭いながら、声の方角を睨みつける。
今日、月蝕ダンジョンでこれだけ禍々しい霊力を放つ事の出来る存在なんてあいつ以外にあり得ない。
ダンマギ無印において数々のトラウマと悲劇を作り出した最悪の邪霊。
遠くない未来においてこの試験が
そして、とあるヒロインのルートを鬱展開にした戦犯中の戦犯である『ダンジョンの死神』が、とうとう現れたのだ。
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