49.母上、この王宮から出ましょう

 父アルバーノが王位を返上した。ここで王家は終わりだ。王太子であったパトリツィオは、安堵の息を吐いた。これで、母を実家へ帰してあげられる。


 アナスタージ侯爵家から派遣された侍女や侍従が、手早く荷物を纏めていく。王家で購入した貴金属は残すことにした。と言うのも、正妃リーディアが購入した貴金属は、王妃のティアラとお飾りセット一式のみだ。首飾りと耳飾りがセットになったお飾りも、高価な宝石ではなかった。


 王妃の予算の半分近くは側妃に使われた。側妃に与えられた予算では、彼女の衣装や宝石類の購入費を賄えなかったからだ。側妃の実家は金を出さず、国王は妻の予算に手をつけた。知りつつ無視したリーディアの持つ貴金属は、実家の弟や亡き両親が揃えてくれたものばかり。それらを手早く包んで馬車に積み込んだ。


「母上、この王宮から出ましょう。僕もご一緒します」


「どこへ行くの?」


 壊れてしまったとは思えない、穏やかな笑みを浮かべてリーディアは尋ねる。その微笑みに、パトリツィオは鼻の奥がツンと痛むのを感じた。滲みそうになった涙を瞬きで消し、言い聞かせるように優しく話す。


「母上の実家、アナスタージ侯爵家です。領地は緑豊かな草原や美しい川があると聞きました。楽しみですね」


「領地へ帰っていいのね? 嬉しいわ。あ、私のルーナは一緒かしら」


「っ! 予定を聞いておきます」


 来ないと言ったら泣き叫ぶだろう。だが嘘は言いたくなかった。彼女が訪問する予定はない。事実を隠して、母の手を取った。エスコートされる母は、一度も他の王族の話をしない。父や側妃、義理の息子ヴァレンテについて一言も。


 馬車に乗り、王宮を去る。生まれ育った場所を離れるというのに、パトリツィオは気持ちが前向きだった。これで、愛する伯爵令嬢を迎えに行ける。彼女は長女で、跡継ぎの弟がいた。結婚後は家を出る予定で、婿取りはない。ならば、アナスタージ侯爵家の領地内に、小さな屋敷をもらおう。そこで彼女と暮らせれば満足だった。


 貴族令嬢に生まれながら「王妃は荷が重いわ、無理」と渋った愛しい人の姿を思い浮かべ、パトリツィオは口元を緩める。王位返還の話が出てすぐ、彼女は王宮を訪ねてきた。顔を合わせるなり抱き着く。改めて愛を誓い直した庭での逢瀬が過ぎった。


 僕は国王なんて向いてない。豪華な生活や贅沢品にも興味はなかった。愛する人と生きていくのに必要な財があれば、満足だ。シモーニ公爵家が母上を許してくれればいいけれど……ちらりと視線を向けた先で、母は子守歌を口遊む。懐かしい歌は、低く高く響いた。


 領地へ到着するまで二日ほどある。到着したら、まず伯父上にご挨拶だ。用意された屋敷に向かい、掃除をしよう。妻になる最愛の女性を迎えるのだから、僕自身の手で綺麗にしたかった。


 パトリツィオは、これからの明るい未来に夢を見る。もう拘束する役割はない。ようやく、割り振られた王子の役割から解放された。

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