29.心に隠す宝箱を開けた

 本家の屋敷を預かる執事は、以前はランベルトが務めた。今はランベルトの甥のアントンが取り仕切っている。幼くして王都に向かう私のために、ランベルトは本家の執事の役職を譲った。王都の屋敷を引き払うのなら、彼も戻ってくるのかしら。


 お父様に抱き上げられたまま、自室へ向かう。二階にあるから危ないと申し上げたのに、お父様は聞いてくださらない。それどころか侍女長のメイジーや執事アントンも微笑ましそうに見つめるばかり。お母様と手を繋いだダヴィードが続いて、階段を上がった。


 覚えているわ。玄関へ明かりを取り込むステンドグラスは、シモーニの紋章を象っていた。丸い正面玄関を包むように両側へ広がる階段は、上階の同じ場所で合流する。上り切ったら左に曲がって2つ目の扉……以前と同じ扉の前で足を止めたお父様が立ち止まった。アントンが恭しく一礼して扉を開く。


 軋む音もなく開いた扉の向こうは、記憶と同じ。天蓋付きのベッドが左奥に、正面には窓を向いた猫足のソファ。右側に広がるのはクローゼット、その手前の扉は風呂やトイレへ繋がっていた。ベッド脇に置かれた机と椅子、ドレッサーは今の私には小さいかしら。


「そのままね」


「ああ。家具を入れ替えるのは、ルーナの意見を聞いてからと思ってね。まだ手を付けていないんだ」


 お父様の言葉に、乳母でもあったメイジーが穏やかな声で続けた。


「毎日掃除をしておりましたので、いつでもお使いいただけますわ。服やお飾りも昔のまま残しております」


「……見たいわ」


 お父様に頼んで下ろしていただき、メイジーとクローゼットに入る。色褪せていない記憶通りの服が並んでいた。お気に入りのワンピースは白で、草の上を転がっては叱られたっけ。こちらのドレスはお誕生日に着たし、あの赤いリボンの帽子は伯父様のプレゼントだったの。


 懐かしいすべてをしまい込んだ、ここはまるで宝箱のよう。きらきらした思い出が、褪せることなく存在する。私の過去がこの部屋に凝縮されている気がした。


「お姉さま、あの……今日は僕のお部屋にお泊まりしてください」


 おずおずと申し出た小さな紳士が、まだぎこちない挨拶で礼をする。淑女を待つ手に、そっと指先を乗せた。


「素敵ね、ダヴィード。あなたのお部屋に招待してくださるの?」


「は、はい!」


 案内された部屋は、中央の階段へ続く廊下の奥だった。階段を上がって右へ進めば、夫婦の寝室や執務室がある。左側は子どもに与えられるスペースで、使われていない客間もあるはず。


「こちらです、お姉さま」


 誇らしげに胸を張る弟に微笑み、開いた扉の先へ足を踏み入れる。机に置かれた数冊の専門書と、日当たりのいいテラスに続く窓から差し込む光。ほぼ変わらない間取りなのに、全く違う部屋に見えた。


「明日から必要な家具も揃えよう、それまで……大事な娘を君に預けるよ」


「明日は私と家具を選んでね、ルーナ」


 お父様とお母様の言葉に頷く。夕食までの時間、私はダヴィードと過ごした。テラスへ運んだソファに並んで座り、小さな思い出を擦り合わせていく。


「お姉さまを守るために剣術も習っています。まだ未熟ですが、いずれは騎士団長より強くなります」


 強くなりたいと希望を述べるのではなく、断定を使った弟の決意が心地よい。この子は強く優しく育っているのね。この家で、私も強くなりたい。いえ、強くならなくてはなりません。

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