07.悪夢と優しい香りの間で
熱と悪夢に魘され、目を覚ますと優しい手が汗を拭っていた。白い手に握られた柔らかな濡れタオルが気持ちよくて、ほぅと息が漏れます。体の力が抜けて、今の自分は安全な場所にいるのだと実感しました。
夢と現の境目が曖昧で、目を閉じている時間に見た光景が現実のような気がして怖いのです。あの夜会の場で、誰もが私を責めました。婚約者の心を引き留めることも出来ない無能な女、貴族令嬢として失格だ、あなたには失望した、と。
美しく気高い王妃様が悲しそうに眉を寄せて、伸ばした私の手を振り払いました。そんなことなくて、実際は倒れかけた私を支えてくださったのに。
「起きたの? 水は飲めそうかしら」
夢の中でしょうか。王妃であるリーディア様が優しく微笑み、私の額に手を当てていました。ひんやりと冷たく感じて、頬が緩みます。夢なら夢でいいの。王妃様が私に失望して泣いていないなら、これは悪夢ではないのだわ。
「まだ熱が下がらないわ。本当に病ではないのね」
誰かに念押しし、頷く王妃様のお顔を見上げる。お父様やお母様のいる領地を出て、王妃教育のために幼い頃から王都におりました。両親より長く一緒に過ごした王妃様は、実母のように私を愛してくださる。言われた勉強をこなしマナーを身に着けるたび、褒めていただいた。
この方を失望させるのは、私自身を否定されるようで辛い。潤んだ目はぼんやりと輪郭を映すのみで、表情まで読み取れなかった。
「ルーナ、病気ではないの。安心して。心が疲れてしまったのね……ゆっくりお休みなさい」
「はい……」
掠れた声で答えた私の口に水を含ませた綿が触れ、吸い込むと柑橘の香りがした。果実水なのかしら。寝ていても零さず飲めると教えてくださったのも、王妃様だった。子どもの頃に熱を出して、看病していただいて以来だわ。
「あ……」
「いいからお休みなさい。すべて、元気になったら聞くわ」
お礼を重ねようとしたのに、察した様子で目の上に手を置かれてしまった。冷たく絞ったタオルに触れた王妃様の指は冷えている。いえ、私が発熱しているから冷たく感じるのよ。この方はいつも優しく、とてもいい香りがする。視覚を制限された分、香りをいつもより強く感じた。
「母上」
「あなたはまだよ。ルーナが起き上がれるようになるまで、この部屋への立ち入りは禁止します」
頭の上で交わされる言葉をぼんやりと意識の片隅で聞きながら、ふわふわした夢の中に戻っていく。もう悪夢は見たくないの。目を閉じて意識を手放した。今度こそ、夢を見ませんように。
私はそのまま3日間も熱に魘され、ご迷惑をおかけすることになった。
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