第四章 霊界急襲さる

第1話:凛とした威厳のある声


 僕は再び霊殿にいた。



 関門海峡作戦の任務を終えて、さぁ戻ろう! と思ったら扉がなかった。まるでちょうどよい理由付けを得たような気がして、なんとなく自分の家に戻りたくなったのだが、それをロクに言うと『史章、あなた、お金を持ってないでしょうが……』と呆れられた。そうだった。全部霊殿に置いてきていた……。あの赤間神宮での味噌汁は、僕に郷愁を思い起こさせたようで、霊殿での報告が済んだら、今度こそ戻ろうと決めた。で、今からその報告会議である。


 会議には任務に参加した全員がいた。ほとんどのメンバーを僕はすでに知っていたのだが、ねこ父の隣にいるシャム猫だけは知らなかった。その隣にはサルメが元気そうな姿を見せていて、僕は少し安心をした。シャム猫が気になったので、ロクに思念会話を飛ばす。



「ねこ父の隣にいるのは誰?」


「お母様ですよ」


「ふうん。普段は見かけないよな」


「お母様は審判所にいらっしゃいますからね」



 ロクはそう言いながら、僕がくるくると回していたボールペンを取り上げ、僕のメモ帳に走り書きをする。驚いたことに日本語で書いた。得意だとは聞いていたが、まさか書けるとは思ってなかったので、びっくりだ。もしかしたら、買い物なんかもよく頼んでいたし、勉強したのかもしれない。いずれにしても意思疎通手段が増えるのは嬉しいことである。



(母は思念会話も聞こえてます)



 僕は慌ててすぐに押し黙る。確かに、サルメも僕の心をお見通しだった。なるほど、審判所にいる霊体は基本的に見通せる能力があると考えてよさそうだ。しかし、だからこそなのだけれど、それこそサルメが初めから参加してくれていれば、あの言仁ときひとの謀略も見抜けて、もっとスムーズに任務が遂行出来たかもしれない。まぁタラレバではあるのだけれど、富士の決戦では今回のような失敗はしたくないものである。

 それにしたって、ねこ母はサルメの上司に当たるわけだから、相手の能力を見通す力もサルメの上を行くと考えていいだろう。この場にいる全員の思考を把握しているんだろうか? だとしたら審判所で誤審、冤罪が起こることは決してないんだろうな。ともあれである。とにかく僕はいつもの調子でよからぬ考えを起こさないように注意しようと思う。



 会議の参加者は次の通り。審判所からねこ母とサルメ、暗部のクーリエ、医療部のナムチ、情報部のウワハル、技術部のアルタゴス、作戦任務実行部隊の僕とロクとシャル、そしてねこ父の十名であった。定刻になり、ねこ父が口を開く。



此度こたびの関門海峡作戦の成功、見事であった。皆の働き、心より礼を言う。大儀であった」



 一同がこうべを垂れる。



「ただ、今回の作戦にて様々な問題が生じ、この霊殿に大きな混乱を招いたことも、また事実じゃ。問題点と反省点を共有し、改善点を見出し、次より活かすための会議と心得こころえよ。よいな」



 そういうとねこ父は周囲を見渡し、皆の表情を確認する。得心とくしんがいくと、ひと呼吸して切り出した。



「見ての通り、今日は審判所より所長のティルミンとサルメも参加しておる。まず初めに安徳天皇の処罰についての確認を行う。では、ティルミンよ、あとは任せるぞ」



 処罰? とはどういうことだ?



「皆の者、大儀にございます。前作戦の経緯については、ここにいるサルメとシャルガナからすでに聞いております」



 素晴らしくいい声だった。凛として、威厳のある声。ねこ父もとてもいい声をしているが、負けず劣らずの貫禄ぶりである。もはやその声だけで周りの霊体を動かせるんじゃないか、その声で命令されたら動かざるを得なくなってしまうのではないだろうかとさえ思えてしまうほどだった。



「安徳天皇は、作戦任務を実行した武霊ロク、武霊シャルガナ、そして依代である継宮史章をたぶらかし、この三名を命の危機に晒した上に、霊界に大いなる脅威を招きました。この霊殿も混乱におちいり、今もなおその混乱は続いています。安徳天皇は神の血を引き継ぐその身にありながら、かような事態を招いたことは現人神あらひとがみにあるまじき行為であり、重い罰に処せられるべきものと存じます。よって、その霊魂を霊界より永久に追放、永劫流刑えいごうるけいに処すべきと判断します。何か意見はありますか」


「それじゃあ…………、あんまりだ」



 思わず声が漏れてしまった。



「何か異議があるのですか。依代、継宮史章」


「あ、いえ、すみませんでした。政治的なことはよくわかりませんし、僕はここ、この霊界の住人ではありません。ですからここ霊界のルールに口を出す権利もなければ、出すつもりはありません」


「そうですか。ですが、そなたら実行部隊の判断でこうなったのも事実でありますし、かねてより懸案であった関門海峡地域の安定につながったのも事実です。霊界の安定を最優先とはしますが、意見を言うぐらいは何ら問題ありませんよ」



 たった今、下手に口出ししないと心に決めたばかりであるし、本当に何も言うつもりはなかったのだけれど、どうやら僕は何か言わないといけない、そんな風に言われている気がした。確かに、安徳天皇はあれだけ霊界に行きたがっていたのだから、その霊界を永久追放というのは本人にとっても不本意だろうし、残念で仕方ないだろう。僕が思わず『あんまりだ』と漏らしてしまったのは、このことが一番に頭をよぎったからである。

 だが、その刑に対して異議を申し立てるのは僕ではなく、安徳天皇本人だ。アイツの一番の願いはきっと祖母や守り続けてくれた部下の魂送や昇華であっただろうし、それはもう達成されている。僕がやるべきことはもう終わっているのだ。そもそもそれだってアイツに半分騙されたようなもんだし、…………。


 また、怒りが込み上げてくる!



「刑が執行される前に、アイツを一発殴らせてください! あっ……、すみません。……間違えました」



 やってしまった……。バカなことは言うまいと、あれほど固く決意したというのに、ものの十分もしないうちに口を滑らせてしまうとは……。ティルミンは一瞬驚いた表情を見せたが、僕のやらかしたという表情を見て、すぐににっこりとする。



「殴ることはできませんが、接見を認めましょう。せっかくですから、その殴りたい気持ちに至った経緯を、ここで話してもらえませんか? キャスミーロークとシャルガナを除いて、ここにいる誰もが知らないことですので」



 うまく乗せられてしまった……。

 しょうがないので、なるべく感情が出てしまわないように注意しながら、事の顛末を話した。なるべく注意していたのだけれど、経緯を順を追って話すと、どうしたって言いしれようのない憤りが湧き上がってくる。


 ―― なんでアイツは本当のことを言わなかったんだ! ――



「ですから、僕としては彼を刑によって罰するというのはどちらでもよくて、一発殴ることができればそれでいいと思っています。むしろ一発殴る方をさせて欲しいぐらいです」


「なるほど。刑は必要ないと、そういうのですね」


「あ、いえ、決してそういうつもりはありません。殴るというのは、あくまでも僕個人の心の始末の問題です。実際にこれだけの被害というか面倒をこの霊界にもたらしたわけですから、何らかの奉仕活動ぐらいはすべきと思います」



 いや、別にこんなことまで言うつもりはなかったのだけれど……。

 また、乗せられた…………。



「奉仕活動? 例えば、どういう奉仕活動がありますか?」


「そうですね。…………。赤間神宮に戻して、関門海峡地域の監視役として従事させるとか、いいんじゃないでしょうか。赤間神宮の宮司も喜ぶでしょうし、和布刈めかり神社の瀬織津姫せおりつひめも少し仕事が楽になるでしょうし、いろいろと丸く収まりそうな気がします」


「ふふ、なるほど。永劫流刑ではありませんが、それに近い状態にあって、尚且つ霊界に貢献するということですね。なかなかに妙案ですね。しかしそれであれば、生霊のままというわけには参りませんね。アルタゴス、ナムチ、どうでしょう? ちゃんとした霊魂にすることはできますか?」



 二体とも、問題はないと頷く。



「安徳天皇を無期限の奉仕活動に従事させることに、異議があるものはおりませんか?」



 全員が納得したように、目を伏せる。えっ!? 僕の意見などがそのまま決定になっていいのか?



「では、安徳天皇を霊魂にし、無期限の関門海峡地域の監視をする特殊刑に処する。安徳天皇の処分については以上をもって決定とする」



 おいおい、決まってしまったじゃないか!? なんだか、ねこ母にしてやられた感でいっぱいな上に、またマズいことをしでかした気がしてならない。ロクの顔を見るとニコリとしているし、シャルの顔を見てもニコリとしている。どういうことかと、ねこ父を見ると、全身を使って大きな欠伸をしていた…………。

 なんとも釈然としなかったが、『それでみんなが納得できているのであればよしとしよう』とむりやり納得することにした。



     ※     ※     ※



 会議は一旦休憩に入り、ねこ母とサルメはここまでで審判所に戻ることになった。サルメはすぐにこちらに駆け寄り、飛びついてきた。抱き着こうとしてきた。



「タカくーん!」



 なんとなく身に危険を感じたことと、すぐ隣から大きな殺気を察知した僕は、サルメの抱き着きをかわそうと身をよじったのだけれど、その前に殺気を出した張本人のロクが立ちはだかり、サルメの突進を妨害していた。



「あーっ! キャスミー、ひどーい!」


「史章、気を付けてくださいね。サルメは幼女のような恰好とフリをしていますから、ロリコンの史章は惹かれてしまうかもしれませんが、本当の中身はこの霊殿でも五本の指に入る高齢ですからね。騙されないでくださいよ」


「大丈夫だロク。上位五体に入るほどとまでは思っていなかったけれど、これまでの言動や戦いの中でかなりの知識と経験を有しているのはわかったからな、高齢なんだろうとは思っていたよ。あと重ねて言うが、僕はロリコンではないからな!」


「あー、タカくんもボクを敵に回す気かなー?」


「サルちゃん、反対だよ。僕は君のその力を高く評価しているし、実際に随分と助けられたからな。今回の任務だって、初めからお前が参加してくれていれば、もう少しうまく立ち回れただろうと、ついさっきも考えていたところだよ。富士の決戦では一緒に来て欲しいぐらいさ」



 そう言ったところで、背後から声がかかる。



「あら、わたくしを差し置いてサルメを勧誘するだなんて、随分な命知らずですね」



 ねこ母である。

 さすがに今しがたの一連の出来事の後である。

 否が応でも構えずにはいられない。

 しかも……、命知らずって……。



「はじめまして。審判所の長であるティルミンです」


「はじめまして。依代の継宮史章です。サルメを戦地に派遣下さり、本当にありがとうございました。本当に助かりました」



 僕は深々と頭を下げた。



「まあ、なかなかの策士ですね。必要以上にへりくだることもなく先に謝意を表して、わたくしの矛を収めようだなんて見上げたものですよ」


「いえ、現世で得ました小賢しい知識です。あっさりと見抜かれてしまっては、身も蓋もありません」



 シャムのねこ母は、ふふふと高貴に笑う。なんとなくは感じていたが、間違いない、このねこ母こそ霊殿の最高決定者であった。最高責任者ではなく、最高決定者だ。

 ねこ母との言葉遊びに付き合いはしたものの、サルメを派遣してくれたことへの感謝は本物だった。サルメがいなければ、今この場に居ることができたかどうかもわからないのだ。改めて、そうねこ母に伝えると、



「あなたは身を挺してサルメを守ってくださったと聞き及んでおります。わたくしの方こそ感謝申し上げます。ありがとうございます」



 ゆっくりと深々と、頭を下げた。下げたこうべは長い時間上がることはなく、僕はすっかり恐縮して「おもてを上げてください」と言ってしまうほどであった。それは決して形だけの恰好などではなく、心からの感謝であることがちゃんと伝わってきた。ついさっきまで飲み込まれまいと警戒していたのだけれど、この心からの謝礼は僕の疑心をすっかりと完全に、信頼に変えてしまった。


 この霊界という所は、こういう長がいる場所なんだと知った。



「此度の判決、あなたに振って大正解でした。キャスもシャルガナもですが、サルメまでもが『史章の意見を聞いてみたら』というものですから、どんなものかといぶかしんでおりましたが、なかなかのものでしたよ。刑の軽減どころか、生霊からちゃんとした霊魂にすることも含めた提案、しかも皆が納得できる形にしてしまうのですから、大したものです。ぜひ今度、審判所の会議に参加してくださいね」



 その納得できる形に仕上げたのは、あなたでしょうがっ! やはり油断も隙もあったもんじゃない……。しかも、審判所の会議に参加しろって……。なんとなく、いやきっと、イヤ間違いなく、そんな会議、ねこ母のワンマン決定だろうよ……。

 そう思った瞬間、僕の中に大量の記憶が流れ込んできた。会議の様子、ねこ母もいて、サルメもいて、他にも何体かの霊がいて、侃々諤々かんかんがくがくとやり合っている。僕の見たこともない情景なのだけれど、確かに僕の記憶として再現されていた。



「そんな感じですから、面白そうでしょう?」



 ねこ母はそう言って、ニッコリした。

 驚いた。ねこ母は、僕にひとつの記憶を、

 僕の体験したことのない記憶を、

 本来僕の中にはありもしない記憶を、植え付けた。

 僕が衝撃を受けて激しく動揺している間に、

 ねこ母とサルメは審判所に戻っていった。



「タカくん、プリンー、早く持ってきてねー」


「ああ、そうでした。わたくしも『にゃんちゅるちゅる』十本のお約束があります。詳しいことは、ねこ父に聞いてくださいね」



 去り際に、凛とした威厳ある声で、貢物みつぎものを要求して…………。

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