第10話:竜宮の城


 海上へ出ると、まだ辺りは暗かったが、うっすらと白んだところもあり、もう間もなく夜が明けようかという頃だった。ずいぶんと長い間、戦っていたことになる。僕はロクとシャルに両脇を抱えられ、仔犬のように運ばれていた。



「おい、普通に移動してくれよ」


「もう間もなく朝です。誰が見ているとも限りません。史章の姿は見えにくくなっているとはいえ不十分ですから、シャルとわたしで隠すにはこの方がよいのです」



 ロクは少女ロクの姿でそう言うと、ニコリとした。

 とても嘘くさいが、まあ、そういうことにしておこう。




 空から見下ろす関門海峡は美しく、絶景だった。海は凪いで、青々としていた。北九州側を見ると、瀬織津姫が現れた辺りに和布刈神社が見えた。瀬織津姫の龍神を表しているのか緑色の、神社には珍しい入母屋いりもや屋根がとても荘厳さを醸し出していた。宙づりになりながらではあったのだけれど、瀬織津姫に感謝の意を込め一礼した。まだそこにいたのだろうか「どういたしまして」と言ってもらえた気がした。


 そうして視線を元に戻すと、赤間神宮が近づいていた。井戸調査から帰るときは、深い闇の中にあってみることができなかったのだが、まだ陽の昇らない白んだ中に、その正体を現していた。辺りは、ほんのりと霧がかかっており、その中に佇む姿はまさに竜宮城であった。



 なんて美しい姿なんだ、素晴らしいな……。



 屋根の緑と、柱の朱、それに壁の白。すべてが調和して美しい。もちろんこの配色は神社には珍しいというわけではない。ただ多くは、拝殿と本殿だけが彩られ、他は木材の色をそのままに建てられていることが多い。だが、この赤間神宮はすべての建立物が朱に染められていた。赤間神宮に見惚れているうちに、そこに到着した。




 宮司が表で出迎えてくれた。



「なるべく人目につかぬよう、早めに出るようにします。少しだけ休ませてもらえますと助かります」



 シャルガナは深々を頭を下げると、そう言った。



「大丈夫です。さぞ大変なお勤めでしたでしょう。ごゆっくりなさってください」



 宮司はそう言うと優しく微笑みかけてくれた。




 部屋に入ると、クーリエと医療部の人型霊がいた。人型霊は、いそいそとして薬のようなものを調合している風であったが、僕らの姿を見ると、袋から何やら取り出して渡してくる。ロクとシャルに話しかけているようだったが、僕には何を言っているのか? さっぱりわからなかった。

 僕が理解できずにいると、クーリエがそれに気づいて、すぐさま傍にあった端末に電源を入れた。



「ごめんなさい、翻訳を忘れていましたね」


「大丈夫だよ。ありがとう。それに、さっきは助けてくれてありがとう」


「いえ、遅くなってしまってすみませんでした。あ、こちらは医療部のナムチです。その粒を食べるように言っています」


「ありがとう。僕は三個目になるけど、食べていいのか?」


「それは回復薬じゃなくて、栄養剤ですので大丈夫です」


「おお、助かる。相当疲れたからな」



 そう言うと、僕はナムチの方に向かって頭を下げる。



「継宮史章といいます。今日はあなたの回復薬に、本当に助けられました。ありがとうございました。あ、それとこれも、ありがとうございます」


「ナムチといいます。お役に立てたようで何よりです」



 ナムチはそう言うと、また作業に入った。どうも急いでいる風だ。何かの調合を続けていた。



「そういえば、サルちゃんは?」


「サルメさまは消耗が著しかったので、すぐに霊殿に連れ帰りました。霊命に別状はありませんが、ひどく衰弱しておられますので、しばらく医療部で治療を続けることになるかと思います」



 クーリエが状況を説明してくれた。

 もしかして僕は彼女を守り切れなかったんじゃないかと心配そうにしていると、ロクがにやりとしながら、



「逆上して全部使い切るからです。まあ、あんなサルメは初めて見れて、面白かったですけどね」


「なんだかずいぶんな言い方をしているけれど、どういうことだよ?」


「あなたがサルメを守ろうとしてやられたもんだから、怒って後先考えず全エネルギーを使ったんですよ」


「あー、それで動けなくなってたのか」


「ロク、あなたも同じことしてたじゃないですか……。」


「あ! シャル! 余計なこと言わなくていいの!!」



 二柱と僕は、疲れた顔で笑った。それにしたって、僕がやられたことに対して逆上してくれていたなんて、サルちゃんはなかなかいいヤツじゃないか。



「ナムチさん。ありがとう。わたしたちはもう大丈夫です。霊殿も大変でしょうし、先に戻ってください。本当にありがとうございました」



 ロクは深々と頭を下げた。

 ロクのこういう姿を見るのは初めてで、それはナムチの何かしらのすごさを想像させた。



「クーリエも、もう大丈夫です。あなたも別の任務から直接来てくれたのでしょう? ありがとう、助かったわ。先に戻ってお休みなさい」



 ナムチとクーリエは、先に戻っていった。

 静かになった部屋で、僕らは一点を中心に頭を寄せ合い、仰向けに大の字になって寝ころんだ。



「疲れたな」

「疲れたわね」

「いろいろ失敗があったな」

「ありましたねぇ」

「そういえば、タカはどこかで『呼吸を整えろ!』とか言ってましたね」

「あー! ハハハ、言ってました! 呼吸とかしてないのにね」

「あっ! ……本当だ。なんだよ、すぐに言ってくれよ」

「あれ、可笑しくて、落ち着かせるのが大変だったんですよ」

「そういえば回復エネルギー飛ばしたの、本当に攻撃のつもりだったんですか?」

「自信があったわけじゃないぞ。でも、あの時はあれしかできなかったろう?」

「まあ、確かに。わたしもびっくりましたから……成功ですね」

「あー、敵をあざむくならまず味方から、というヤツですか」

「そういうことにしといてくれ……。それにしても、また死にかけたな」

「史章だけですけどね」

「またって……、もうそんなに何度も死にかけてるんですか?」

「言ってくれるな、シャル。これでも結構へこんでるんだから」

「史章はすぐ、ご自分の命を放り出すからです。もう少し自重してください」

「これは、反省会だな」

「反省会ですね」

「史章だけですけどね」




 僕が力なく笑っていると、「失礼します。よろしいでしょうか?」と宮司の声がした。慌てて皆が座り直し、シャルが「どうぞ」と答える。


 宮司は部屋に入ると、深々と頭を下げる。



「お二方にはご紹介が遅れました。宮司の佐渡さわたりと申します。この度は関門海峡の安寧のためご尽力下さり、ありがとうございました」


「こちらこそ、この場をご提供くださり、大変助かりました。ありがとうございました。わたくし共も間もなく出発します。もう夜が明けましたものね。御迷惑になりましょうから、少し急ぐとします」



 シャルガナがそう言うと、宮司は慌てて訂正をして、こう述べた。



「お時間が許すようでしたら、大変厚かましいと存じますが、今回のお勤めについてお聞かせいただきたく、お願いに参りました。ここ赤間神宮は、安徳天皇をお祀りしてございます。お勤めの中で、安徳天皇に関する何かわかったことなどがございましたら、お教えいただけませんでしょうか?」



 僕らはすっかり、早く帰って欲しいと言われるものと思っていたので、自分たちの勘違いに思わず顔を見合わせて少しばかり笑ってしまった。それにしても、この宮司、佐渡さんのお願いは大いに悩ましいもので、この関門海峡での真実をどこまで話していいものなのか? むずかしいよなぁ、と考えていると思念会話が入ってくる。



「史章。ここは任せるわ。人間同士の話の方がいいでしょうし、わたしとシャルは先に霊殿に帰って、後片付けをしておきます」


「おいおい! 僕よりシャルの方が適任だろう。古い付き合いみたいだし」


「いえ、わたしと話すときはずいぶんと緊張されてるみたいですから、タカの方がいいと思いますよ」


「ええー。まったく。まあ、いいけど、どこまで話していいんだ?」


「それもあなたに任せるわ。シャル、うまく繋いであげてくれる?」


「わかりました」



 とても繊細な問題であるはずなのに、ずいぶんと乱暴に流れが決まってしまったが、ロクやシャルが霊殿を心配しているのは事実だろうし、宮司のことも無下にはできない。僕は仕方ないなと、諦めて役割を引き受ける覚悟をする。



「それでは宮司さま、わたくし共は事後処理がございますので、お話はわたくしの依代であります継宮史章からお聞きになってくださいまし」


「ああ、ありがたき幸せにございます。お取り計らいくださりまして、本当にありがとうございます。継宮様、どうぞよろしくお願い申し上げます」



 宮司は、手をついて深々と頭を下げる。それはまるで神様に向かってそうするような厳かさを伴っていた。



「わたくし共はこれにて失礼します。宮司さま、本日はご協力に感謝を申し上げます。そしてあなたの日々の研鑽が、これからもこの地に安寧をもたらさんことを願っています」



 そういうと、ロクとシャルは姿をスッと消した。


(あいつら、まるで神様みたいな感じに仕上げていきやがった! まったく図々しい。お前たちのいい加減なところを、僕は山のように知っているんだぞ!)


 そんなことを考えていると、思念会話が入る。



「ではタカ、後をお願いしますね。扉はいったん回収しますので、終わりましたら声をかけてくださいね」


「えっ、回収するの? うん、まあわかった。終わったら連絡する」


「史章、その宮司さん、わたしたちが戦っている間中ずっと、祝詞をあげていらっしゃいましたから、それだけお伝えしておきます」


「そうなのか。ふぅん、……大丈夫だ、お前たちをおとしめるようなことはしないから安心しろ。それにしたって、よくそんなの聞こえてたな」


「神様ですから♪」


「早く帰れっ!!」




     ※     ※     ※




 宮司の佐渡さんは、「お腹がすいてませんか? お食事はいかがですか?」と誘ってくれ、食事をしながら話しをすることになった。「簡単なものですが」と用意してくれた食事の中に、ここへ来たときに食べたおにぎりがあった。



「あ、このおにぎり、宮司さんが用意してくださってたんですか!」


「ええ、ウワハル様から依代の人間、継宮様のお食事を少しばかり用意しておくように言われておりました。ああ、宮司ではなく佐渡で大丈夫ですよ」


「ありがとうございました、佐渡さん。このおにぎりは本当に力になりました」


「そう言っていただけると、こしらえた甲斐があります。さあ、冷めないうちに召しあがりましょう」



 おにぎりと味噌汁、焼き鮭に厚焼き玉子。もう非の打ち所のない朝食が、そこはかとなく懐かしく、とてもありがたかった。暖かいみそ汁を口にすると、これまでのいろんなことが洗い流されるような気持ちになった。



「おいしい……。」


「やはり、……お辛いお役目なんですね。ごくろうさまです」



 佐渡さんにそう言われて、僕は初めて、自分が涙を流していることに気付いた。


 僕の心の中で、なにかき止めていたものが瓦解して、いっきに崩れ落ちる気がした。今じゃない! と慌てて蓋をする。この思いは、またゆっくりしたときに、堪能しよう。



「あ、いえ、大丈夫です。すみませんでした。味噌汁、久しぶりだったんです」


「そうでしたか。それであれば、よかったです」


「安徳天皇ですよね。さて、どこから行きましょうか……。」




 僕は今回のことを、安徳天皇を中心にして、事実を話した。



 安徳天皇が、確かに関門海峡の海底にいたこと。

 形代・天叢雲剣の中で守られていたこと。

 その中には平氏のおもだった武将たちが一緒にいて、

 安徳天皇をお守りしていたこと。

 形代・天叢雲剣に匿ったのは祖母である二位尼にいのあまで、

 安徳天皇を心配して近くで自分も見守っていたこと。

 そして今回は安徳天皇が、自分を守る武将や二位尼の魂の導きを願ったこと。

 今は皆、無事に霊界へ旅立ったこと。



 そう、僕たちは間違っていた。

 のだ。

 安徳天皇は、関門海峡の鎮圧封印などしていなかった。

 平氏武将たちの鎮圧封印などしていなかった。

 



 関門海峡周辺に跋扈ばっこする下級霊たちは、生霊である安徳天皇を狙っていたのだ。安徳天皇が下級霊たちを抑えていたのではなくて、安徳天皇が下級霊たちを呼び寄せてしまっていた。そして、平知盛らは、その下級霊から安徳天皇をお守りしていた。

 自分が下級霊を引き寄せてしまうことを、はじめは苦々しく思っていただけだったが、世界大戦などで下級霊がどんどん増えてしまい、収拾がつかなくなってしまっていた。部下に守られ続け、祖母に守られ続け、安徳天皇としてはなんとかして周りの者たちを助けたかったのだ。



 そんな中ちょうど霊界から現れた僕らは、まんまと利用されたのだ。気持ちはわからなくもない。けれど、はじめからちゃんと話せってんだ! 言仁ときひとのヤツめ! 僕は死にかけたんだぞ!



「という顛末でした。僕が今回思ったのは、絶対殴る! です」


「えっ!?」


「あ、いえ、スミマセン、間違えました……。今回、感じたことは、戦国の世にいた人たちも、僕らと何ら変わりない人間なんだなと。武将たちも二位尼も、安徳帝をお守りすることだけを考えていたし、安徳帝もその者たちの安寧を願った。ただただ、それだけのことだったんです」


「そうでしたか。…………。」




 ―― 長い沈黙 ――




「二位尼は、泣いている安徳帝に入水を促すときに、極楽浄土があると嘘をつきます。この赤間神宮は、その嘘を少しでも本当に近づけようと、竜宮造りしたのです。今度は、本当に極楽浄土に辿り着かれたのでしょうね。本当にありがとうございました」



 ひとつだけ、佐渡さんに嘘をついた。形代・天叢雲剣については、今もまだ海底の奥深くに沈んでいることにした。



 さて、霊殿に戻るとしよう。

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