第三章 関門海峡任務

第1話:武霊と依代



 赤間神宮にいる。時刻は午前一時。

 いよいよである。やはり緊張感でいっぱいだ。


 赤間神宮に来るためにウワハルたち情報部が設置してくれた扉は、簡単にとかすぐにとか、そういうレベルを通り越していて、扉を開けて部屋に入るという行為をするだけであった。つまり、道すがら自分の気持ちを整えるというような時間などまるでなかったものだから、ここ赤間神宮に入ってすぐに緊張する羽目になったのである。

 また、到着早々に、ロクは「これは酷い……」と漏らしていた。恐らく周辺は下級霊で溢れているのだろう。ロクは美女ロク(なぜか怨霊ロクではなかった)になって、少し周りを威圧するようにしていた。その様子を見れば、否が応でも、さらに緊張感は増していた。



 赤間神宮は、安徳天皇を祀る神社である。その安徳天皇を、新しい形代草薙手裏剣に引っ越してもらうのが今回の任務であるから、まさにうってつけの任務拠点地と言える。


 神宮に着くと宮司が「すべてウワハル様から伺っております」と、暖かく迎え入れてくれた。部屋を一つ用意してくれていて、案内してくれる。さすが神職のことだけはあり、立ち振る舞いの一つ一つが厳かだった。宮司は、部屋に着くまでの間は、シャルとよく話していた。というか、ロクと僕は一切話すことはなかった。部屋に着くと、「本日はどうぞよろしくお願いします」と頭を下げて出ていった。


 部屋は社務所脇の広間で卓袱台ちゃぶだいが一つ、その上には食事があり、部屋の隅には備品と携行品が置いてあった。備品と携行品は作戦会議の通りに準備されていて、食事は二柱と僕の分も用意されていた。ただ、二柱の食事はサプリメントのように圧縮されたもので、スペース的には圧倒的に僕の食事が占めていた。おにぎりとお茶。余計なものはなく、むしろこれから戦いであるということを意識させられた。



「なかなかに大変じゃの、これは。ひとたび外すと厄介なことになる」


「そうですね。わたしもここまでとは思っていませんでした」


「外すってなんだよ。引っ越し失敗ってことか?」


「それはもとより、他にも何か起こってしまったら、ということじゃ。かように下級霊が溢れておるとは思わなんだからな。おヌシの言うこと、もう少しちゃんと聞いておればよかったのぅ。すまなんだ」


「怨霊ロクになっていいんだぞ」


「うむ。ま、宮司は見えておろうからのぅ、驚かせてもな。海の中で変わるとしよう。それより、先に食べておく方がよいじゃろうて、食べておけ」



 夕食を食べてから何も口にしていなかったので、この食事は少しありがたかった。緊張感で喉を通すのはなかなかに大変ではあったけれど、それでも流し込むようにおにぎりを頬張る。



「うーん。やはり携行品が心もとないのぅ。時間もあることじゃし、風呂敷をもう一、二枚持ってこさせるか」



 ロクがそう言うと、



「ロク、わたしも時間があるうちに、先に『平家の一杯水』という井戸を見てきます。ウワハルがあれほど気にしておりましたし、万が一、霊だまりと繋がっていたりすれば、今でも面倒な状況がもっと大変なことになってしまいます」


「うむ、そうじゃのぅ。では、携行品の手配はワシがしておくから、すまぬが見てきてくれ。何かあっては困るから、史章とともに行くがよい。緊急時は呼んでくれ」



 ということで、僕はシャルと、先に井戸調査に行くこととなった。




     ※     ※     ※




 外に出るのに、ちょうど芳一堂と平家塚を通る。



「ここは、『耳なし芳一』の話の舞台ですよ」


「へぇ、そうなんだ」


「お話はご存じですか?」


「ああ、日本人ならほとんどが知ってるんじゃないかな」


「このとき、わたくしは当時お寺だった住職から相談を受けていたのです」


「えっ? お寺?」


「はい。当初ここは安徳天皇と平家一族を祀る、すこし珍しいお寺だったのです。

 確か、赤間ヶ関あかまがせき紅石山麓べにいしさんろく阿弥陀寺あみだじという名前だったと思います」


「寺が神社に転身したのか?」


「ええ、江戸時代? でしたか? の頃に『この国は、伝来した仏教ではなく、古来からある神道にこそ本来の姿があるだ』みたいなことを言って、仏教を廃した時期があったじゃないですか? ここも、その時に神宮になったのです」


「あー、廃仏毀釈はいぶつきしゃくか! へぇ、ここもそうなんだ。それにしたって、寺だろうと神社だろうと、お前はそんな時代にここに顔を出してたってことか?

 あっ! ああ、だからさっき宮司とも話してたのか」


「フフフ。ええ。もちろん住職、宮司と、もう何代も変わってますけどね」


「でもそれだと、ロクよりずっと先輩じゃないか」


「そうなりますね。でも、ロクはやっぱり特別なんです。すごい霊柱れいばしらです。霊力はもちろんなのですが、やはりなんと言っても、みなにお優しい……。ウワハルがタカに妬いていたでしょう。きっと盗られたような気持ちだったのだと思いますよ」


「ああ、あの『小学生低学年なのに、もう彼氏持ちかよ!』のけむり玉ちゃんだな」



 僕がそう言うと、シャルが珍しく大笑いした。大笑いして、涙まで出していた。

 あまりにウケすぎて、何がツボに入ったのかと僕の方が混乱していると、



「タカは面白いですね。でも、その言い方じゃあ、ウワハルが完全にライバルになってますよ。

 アハハハハ。ホント、おっかしいぃ」



 笑ってくれることは、僕としても少しは嬉しい気持ちになるのだけれど『いい大人が小学生相手(けむり玉ちゃんは本当に小学生なのか……)にナニをムキになってるんだか……』と、まさかシャルに切り返しされるとは思ってもいなかったので、苦笑いをするしかなかった。



「あー、笑った。

 まあ、話を戻しますけど、とにかくロクは特別です。今日の任務もロクがいなかったらとてもじゃないけど、出来るような内容ではありません」


「そうなのか……。もしかして、この作戦、悪い提案してしまったかな……」


「いえ、形代・天叢雲剣を引き上げるかどうかは別にしても、関門海峡はいずれ手を打たないといけなかったと思いますから、むしろ良かったと思いますよ。それに、今回の任務に関わった皆が、このことは理解していますよ」


「シャルは優しいな。ありがとう」



 そう言うと、シャルはにこりとする。今まではずっと無表情だったのに、一週間足らずでとても表情も表現も、豊かになった。もうたぶん、大丈夫だろうな。



「ここから飛んでいきます。距離がありますので」


「了解」



 赤間神宮から関門橋までおよそ八百メートル、関門橋から平家の一杯水までおよそ千二百メートルの距離だ。歩けば三十分はかかってしまう。空中移動すれば三分ほどだ。シャルは僕の中に入り、僕はまるで一人で宙を舞うかのように飛び上がる。羽衣の効果で僕は姿が見えにくくなっているはずだが、それでも人目につかないように、シャルは高度を上げた。以前であれば恐ろしくて下腹がひゅんひゅんしているところだろうけれど、霊殿での訓練のおかげもあってか、それはむしろ快適なぐらいだった。



「タカが聞いた、耳なし芳一のお話は、どんなものですか?」


「ん。普通の、お経の書きそびれみたいなやつ」


「そうですか。般若心経を体中に書いたってやつですね」


「それそれ」


「フフ。それは嘘ですよ」


「えっ、そうなのか?」


「般若心経がそんな効果あるわけないじゃないですか」


「やっぱりそうなのか……。ロクも同じこと言ってたしな……。

 じゃあ、芳一はどうして耳を取られたんだ?」


「タカが着ているものをお貸ししたんです」


「えっ!? この羽衣?」


「はい。それで守ってやり過ごす予定でしたが、芳一は聞き耳を立てたくて耳を出してしまったそうです。当時の住職さんも羽衣の効果に半信半疑だったんでしょうね。『もっとしっかり伝えるべきだった』とひどく落ち込んでいらっしゃいました」


「ふうん。またひとつ、新たな真理を知ってしまったよ」



『平家の一杯水』の直上に来ると、すぐに降り立つ。祠は簡易なもので、それでもその前にはちゃんと鳥居があった。目の前はすぐに海である。

 夜ということもあってか少々不気味な感じもするが、僕には霊は感じられなかった。当然気になってシャルに聞いてみたが、特に警戒するようなものはないらしい。



「中に入ってみましょう」


「えっ、僕も入るのか?」


「はい、タカをこんなところに放っておくことはできませんし、地下六百キロメートルを思えばなんてことありませんよ。お手軽な、いい予行演習ですね」


「なんだか、お前もロクに似てきたな……」


「えっ、そうですか? うーん、そんなことはないと思いますので、きっとタカの扱いに慣れてきたんだと思います」


「おい! 僕を『誰でも簡単に使える端末』みたいに……」



 僕がすべてを言い終える前に、祠の屋根が眼前に迫り『ぶつかる!』と目を瞑る! が、何事もなく、どうなったのか? と目を開けると、そのまま眼前の井戸の蓋も通り抜けていった。

 状況をシャルに聞く間もなく、どんどん下に降りていく。たが、中は暗く、何も見えなかった。ただ、表にいたときとは違って、ゾワゾワする。『きっと、下級霊だ!』と、僕にもそれがなんとなくわかった。



「地下に潜ると、何も見えないんだな」


「ああ、そうですね。人間の場合、光の反射でモノを見ていましたね。でも、今は見えない方がいいかもしれませんよ」


「まあでも、それなりに周りにいるのはわかるぞ。

 ただ、それほどでもないか……。数が多いって感じだな」


「さすがですね。これを『それほどでもない』とは、さすがロクが見初めただけのことはあります」


「それは間違ってるぞ、シャル。あいつ、はじめは仕方なくって言ってたからな」


「あら。フフフ。では、そういうことで」


「なんだよ、その意味深な言い方は……」



 と、シャルが動きを止める。

 感覚でしかわからないのだけれど、それでもそんなに進んでいないことは明らかだった。浅い? のだろうか。



「ふうん。これは、……地下水脈からの井戸ではありませんね。

 うーん、山ですね」


「山ぁ?」


「はい、山肌のちょっと下の地中を流れて、それがここで出ている、……井戸というより湧き水ですね」


「じゃあ、霊だまりってのはなさそうってことか?」


「ええ、そうです。まあ、絶対ということはありませんので、ちゃんと水の流れを追うべきなのですが、まだ作戦前ですし、後で見るようにします」


「わかった。じゃあ、ここは懸念から外してもよさそうだな」


「ええ、戻りましょう!」




     ※     ※     ※




 シャルは地上まで上がると、僕の中から出てきた。そして例の魔法の絨毯を取り出した。



「あ、絨毯持ってきたのか」


「これはわたしの私物ですよ」


「私物なの? すごいいいもん持ってるじゃないか」


「あら、ロクも持ってますよ」


「え、そうなのか……。アイツ、一度も使ったことないぞ」


「現世では目立つからじゃないですか? 今も、ここまで来るときに何もないのを確認したので。あと、帰りに自分の目で戦場の確認をしておきたかったので、これに乗ってもらおうと思って出したんですよ」


「うん、まあ、確かに目立つわな」



 僕は魔法の絨毯に乗せられて、赤間神宮に戻ることになった。初めて乗ったときはひやひやしていたのだけれど、飛ぶことになれた今では涅槃仏ねはんぶつの恰好もできるほどの余裕だった。



「タカ、あなたには本当に感謝しています」


「なんだよ急に」


「さっきも言いましたけど、わたし、結構長いじゃないですか。霊殿に来て、すぐに暗部の配属だったんですけど、ロク……さま……以外の武霊さまとも、それこそ何十柱なんじゅっはしらも、一緒に仕事をしてきました。皆さん素敵な方々だったのですが、やはりいろんな戦いで霊命を落とされました。はじめのうちは、そのことを悲しいとか残念とか辛いとか、そんな風に感じていたんですよ。ですが、それが何度も何度も、繰り返し繰り返し……。強くて、暖かくて、お優しい柱ほど、先立たれるんです。ひどい場合には、悪霊に負けて、それに飲み込まれて……、我を失われて、……。そんな姿を見るだけでも心苦しいのに、今度は、その柱をやっつけないといけない、大好きな人を手にかけなくてはいけない……」



 ―― 沈黙 ――



 シャルの涙が、風に乗って、僕の頬に当たる。

 シャルは大きく深呼吸をすると、もう一度語りだした。



「わたしは、もともと臆病な引っ込み思案でしたが、その運命のような繰り返しの連鎖は、わたしの心をさらにむしばみました。いつの頃か、もう忘れてしまいましたが『何も考えない、何も感じない方が、よっぽどいい』そう思うようになって、ただただ繰り返しをしていくだけの日々になっていました。だから、他の霊たちとの関りは必要最小限に、なるべく距離を取って、決して目立たぬように、決して心を開くことのないようにしていました。


 わたしがそうして以降の武霊さまは、もちろんわたしと多く語ることなどなく、ただ共に戦う霊の一体として扱われていました。そんな風で過ごしている中で、ロクさまは霊殿に来られました。ロクさまは、わたしに話しかけてくるんです。面倒だと思って、つんけんしたり、無視したりしていても、話しかけてくるんです。仕方なく『はい』と『いいえ』と『わかりました』しか言わないのに、お構いなしに話しかけてくださるんです。『ねぇ、シャルガナ』って……」



 ―― 沈黙 ――



「ねぇ、タカ。ロクは鈍感なんですかねぇ?」



 カラ元気いっぱいで、シャルが言う。

 答えるべきか、僕はほんの少し悩んだのだけれど、シャルのためにと乗ってやった。



「いや、違うな。アイツは鈍感なんじゃなくて、わがままなんだ!」



 シャルが振り返って笑う。



「フフフ。そうかもですね。フフフ。ありがとう」



 そういうと、少し吹っ切れたのか、晴れやかに続けた。



「まあ、それでもわたしは自分のスタイルを崩すことなく、というか本当にもうコミュニケーションをとれなくなっていたので、そのまま過ごしていたんです。そこにタカがやってきて、あの衝撃の牢獄ですよ! もうビックリです!! 武霊たる柱が、あんな泣きじゃくって、大泣きしますかね、ふつう」



 僕も、つい思い出し笑い。



「ハハハ。まあ、やっぱりそうなんだろうな」


「で、そのあとのタカ。『大丈夫だロク。僕はお前の一番の味方だから。最初から最後までお前の味方だから。安心しろ』って。わたしは一体何を見せられてるんだろう、って思いました。あの時はなぜか腹立たしいぐらいで、セリフも一言一句、覚えてしまいましたからね」



 僕の真似を見事にして見せた。

 シャルめ!



「でもね……。その時思ったんです。『ああ、そうか。武霊と依代ってこんな関係だったんだ!』と。もちろん全員が全員、そうではないと思いますけど、そういう繋がりがあって、武霊も依代も命を賭して戦うんだと、初めて気付けたんです。でも、そのときは、まだ半信半疑でした。タカの依代になった時、わたしが想像する以上にその想いに溢れていることを知って、……。


 タカの中に初めて入った時です。タカの想いの中に、ロクさまとの下界での生前の関係を垣間見ました。こういうことって本当にあるんだと……、きっと何か意味があるんだと……。なぜか涙が溢れてきて、心が震えました。各々が相手のことを想い『命を賭して守るんだ!』と想い合っている。それに触れて、やっと腑に落ちました」


「ああ、わたしはこのことを知るために、今までこの役割を与えられていたんだ」


「そうして、あなたはわたしに心を開くきっかけまでも与えてくれた。わたしにしてみれば、いきなりお姉さまとお兄さまができたような気分なんです。今は、本当に毎日が暖かいです。だから、史章さん、貴方には心から感謝しています。ありがとう。

 わたしも、富士の決戦では、同じく戦わせてください。ロクとタカと同じ気持ちで臨みたいのです。タカがロクを絶対に守り抜くと決めているように、わたしも、そのあなたの願いを叶えるべく、あなたを霊命を賭して守ります。だから、わたしのことはもうご心配なさらず、安心して身を委ねてくださいね」



「ああ、……ああ。わかった……。よろしく頼むぞ、シャル」

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