第7話:告白と幻のあだ名
部屋に戻り、ボロボロの傷だらけの僕をロクが治療してくれる。
「ひとつ聞きたいんだけれど、自分で傷つけて壊したものを、自分で修復するってのは、どんな気分なんだ」
「そうですねぇ。これが史章じゃなかったら放っておくのですけれど、そういう訳にはいかないので、仕方なく、という気分ですね」
「酷いな……。なんだかずいぶんな扱いじゃないか?」
「あら、ごめんなさい。そういうつもりではなかったのですけれど……」
ロクは少し考えこむ。
当然である。僕が気付くレベルのことだ。ロクはロクなりに何か気付いたのだろう。
「なんだよ。歯切れが悪いじゃないか。どうかしたか?」
「……。ちょっと待ってください。シャルガナと女の子同士で話してからでもいいですか?」
「うん、わかった。僕は大丈夫だ」
これは、むしろロクと話した方がいいかもしれない。そう思って、任せることにした。
と、思っていたら、ノック音が響く。
「継宮さま。シャルガナです。今、よろしいでしょうか?」
僕とロクは目を見合わせて、大丈夫だよ、と迎え入れた。
「継宮さま、先ほどは申し訳ございませんでした。わたくしが不甲斐ないばっかりに、お怪我をさせてしまいました」
「大丈夫だよ、シャルガナ。ありがとう。
で、どうしたんだい」
「はい。継宮さまにおっしゃっていただいたこと、いろいろと考えまして、キャスミーロークさまと継宮さまお二人にちゃんとお話ししておこうと思いました。お時間を頂戴しまして、申し訳ございません」
ロクが、僕の頬をつねる。またえらく古典的な怒り方である。が、痛い。
「依代になった初日から浮気だなんて、いい度胸じゃないですか」
「ほんはほほはひへひはひ(そんなことはしていない)!」
「あ、あの、キャスミーロークさま、そのようなことはございません。継宮さまは、わたくしのことを気遣ってくださっただけで……。」
さらに指に力が入る!
「ひはいひはい(痛い痛い)!」
「ああー、すみません、すみません! あの継宮さまの心の中は、それはもうキャスミーロークさまことばっかりで、そもそもわたくしのことを考える隙間なんてないぐらいなのに、わざわざご心配くださったもので……。」
「わかりました。今日の件はこれぐらいで勘弁してあげます」
最後に思いっきり引っ張って放した。痛いだろがっ!!
「で、シャルガナ、話というのは何ですか?」
―― 沈黙 ――
「どこからお話しすればいいのか・・・、そうですね。
わたくしはこの霊界に来てからというもの、いつも極度の緊張感にございます。大王様はもちろん、お二方をはじめ、わたくしの部下にまで緊張しております。ですから、これまでずっと、できるだけ目立たぬように、できるだけ会話が少なくなるように努めておりました」
「シャルガナ」
ロクが遮る。
「はい」
「史章の中に入ってください」
「え、あ、はい」
「わたしも入ります。みんなで気持ちを感じながら話しましょう。あなたも話していて、どう思われてしまうのか気になるでしょう? 大丈夫です。わたしたちを信頼してください」
「わかりました、ありがとうございます」
「僕は、ちゃんとわかるわけじゃないんだけど……」
「史章は、それぐらいでちょうどいいんです」
どういうことだよ!
まあそれでも、このロクの提案はとても妙案だ。
ロクもシャルガナも、入ってきた。ロクは少し硬い感じだが、概ねいつも通りである。シャルガナはど緊張の状態だった。さっきの訓練のときより、数倍もひどかった。自分のことを話すということ、僕だけでなくロクにも秘密を明かすということ、そういったことが加わっていつも以上に、とんでもなく緊張しているということなのだろう。
それを感じたロクが、動揺する。さすがに驚きを隠せないでいるのだろう。すると今度はまた、そのロクの動揺をシャルガナが感じ取り、鼓動が早く大きくなる。僕の中で、いろんな心の動きがぐちゃぐちゃになっていく。堪ったもんではない!
これはさすがに一度出てもらおうかと思ったとき、
「史章、ごめんなさい。もう少しだけ辛抱してください。たぶんもうしばらくすれば、落ち着いてくると思います。わたしも動揺してしまってすみませんでした」
「うん、わかった。じゃあ、ここは三人で頑張ってみよう!」
「いいわよ、シャルガナ。続けて」
しばらくの間を置いて、シャルガナは再び話しはじめた。
「皆様とお話しするときに、なぜこんなにも落ち着かないのか、わたしもわからずにいます。ただ、初めて霊界に降りたときからこうでしたので、わたしにとってはこの状態が普通になっていました。今日、継宮さまの依代になるまで……、いえ、継宮さまにご指摘いただくまで、気づいておりませんでした」
「そうかぁ、なるほどね。でもシャルガナ、あなたが一人でいるときはどうなのよ。やっぱりドキドキしているわけ?」
「いえ、一人のときはゆっくりです。ですから、一人でいるときが好きと申しますか、ほかの方々といることがあまり好きではございません」
「今も……、うーん、さっき史章に入った瞬間に比べればマシにはなってるけど、動揺してるのは変わらないものね……。これは、ちょっと失敗だったかな……」
「あの……、そのようなことはございません。キャスミーロークさまと継宮さまの、暖かく迎えてくだる気持ちが伝わってまいりますので、少し安心しております。それに、こうしていただけたので、わたくしも半分くらいはきちんと話せております」
「あら、まだ半分なのね」
ロクはおおかた苦笑いでもしているのだろう。
僕はシャルガナの話を聞いていて、症状に少し思い当たる節があった。
「なあシャルガナ。誰かと話しているときに、相手がどう思っているか? 相手に自分の言いたいことがちゃんと伝わっているか? そういうのが不安だったりするのか?」
「そう……なのでしょうか……。……。深く考えたことはございませんが、……。決まりきった挨拶だとか、報告だとか、そのようなものはまだよいのですが、考えを訊ねられたり、意見を求められたりするのは、とても苦手でございます。わかりかねます、と言ってしまうことの方が多くなってしまいます」
「うんうん。昨日、カレーライスを食べたろう? みんなで食事をしたわけだが、本当は参加するのは嫌だったんじゃないか? とくに、自分の食事しているところを見られるのは嫌だったんじゃないか?」
シャルガナの動揺が一気に広がる!
「史章! シャルガナが怯えてるじゃない!」
今度はロクの剣幕が伝わってくる……。恐ろしい……。
「大丈夫だよロク。これは診察みたいなもんだから。
シャルガナ、たぶん君はSADだと思う。社交不安障害って言うんだけど、あー、この病名は人間界での名称でしかないんだけど、失敗するのが嫌とか自分の欠点を見られるのが嫌とか、まあとにかく恥ずかしい思いをするのが嫌で、そういうことが起こる可能性のある環境に強い不安や苦しみなんかを感じて、どんどん避けてしまうっていうものなんだ」
「はい……。病気ということは……、やっぱりダメなものなのでしょうか……」
「全然ダメじゃないよ」
「え?」
「恥じらいをなくしてしまったら、それこそわがまま放題の酷いヤツになってしまうからな。それか、僕のようにおっちょこちょいで、いい加減で、口だけの無責任なヤツになってしまうか、だよ」
「そ、そのようなことはございません! 継宮さまは相手のことをいつもご配慮されて言動されています。無責任なんてことは全く当てはまりません。そ、それに、キャスミーロークさまを想うお気持ち…………」
「あーーーーーーーー!!!!」
僕も動揺したが、ロクもものすごく動揺した。
もちろん、恥ずかしさのあまりに、である。
シャルガナは僕らの動揺を感じ取ったようで、その上でそのことを、少しだけ楽しいことのように感じたようだった。
「ゔっ、ごっ、ゴホン。まあ、ホラ。こんな風に、恥ずかしいってのは悪いことばかりでもないんだよ。で、シャルガナのその症状についてなんだけれど、一番いい薬は、認め合える仲間が増えることなんだ。だから、シャルガナ。
僕とロクと、友達になろう!」
―― 長い長い沈黙 ――
僕の中では、いろんな心模様が渦巻いている。
僕の提案は、シャルガナのSADを治すという点においては、恐らく間違っていない。でも、ここ霊界において、それぞれ柱の立場のありようだとか、ロクの気持ちだとかについて考えた場合は、決していい提案とは言えないのだろう。
少なくともロクの方は『僕の考えを理解してくれるハズ』と、わりと安易に思っていたのだが、そう簡単ではなかったようだ。迷いながらも、シャルガナにそれが伝わってしまわないように、なんとか感情の起伏を抑えようとしているのが、僕にはわかってしまった。ロクのこれまでのシャルガナへの接し方を見ても、それが長い期間であればあるほど、自分の価値観を百八十度変えなければならないくらいに難しいものであるはずだ。
そしてシャルガナの方はというと、緊張というよりは不安が大きいようで、ざわついた気持ちが伝わってきた。
「ねえ、史章」
「なんだい、ロク」
「そうすれば……、シャルガナと友達になれば、シャルガナは本当に良くなるの? その……、こんなにも辛い思いをしなくて、いいようになるの?」
「そうだな、すぐに治るというようなものではないんだ。それなりに時間をかけて、ゆっくりと改善される。気づいたら、いつの間にかずいぶんといろんなことができるようになっていた、という感じさ。
でもきっと、間違いなく、よくなるよ」
「そう……」
ロクの迷いが伝わってくる。
少しの間をおいて、覚悟が感じられる。
「わかったわ。じゃあ、それをしましょう! で、友達というのは、何をすればいいのですか?」
「そうだな。いきなりあれこれ決めるのも負担になるだろうから、先ずはお互いの呼び方を変えようか。
まずシャルガナはこれからシャルにしよう! で、キャスミーロークさまってのは、僕と同じようにロクに。あと、僕のことは、そうだなぁ……、ま、史章でいいか」
「それはダメぇぇええ!!」
ロクの悲鳴が反響した・・・。
と、同時にロクは飛び出してきた。
「どれがダメなんだよ」
と言ったのだが、出てきたロクの顔を見ると、もはや明白だった。
困惑と懇願が混ざった、今にも泣きだしそうな顔だった。
状況の行方に不安感でいっぱいのシャルガナ、いやシャルも、そろりと出てくる。
「わかった、わかった。じゃあ、僕の呼び名はロクが決めていいよ。ただし、堅苦しいのはダメだぞ」
ご納得いただけたようだ。ただ、そこから僕のあだ名が決まるまで、僕とシャルは半刻ほども付き合わされることになった。やれやれである。
とりあえずなんとか全員のあだ名が決まったところで、呼び合う練習が始まった。
小学生でもそんな練習はしないというのに、なんだこの光景は! という状況だったのだが、霊界にはない常識なのだからしょうがない、と諦めて付き合った。五分ほどしてお互いの呼び合いに慣れ、二柱も飽きてきた(僕は初めから飽きていた)頃、ロクが言う。
「じゃあ、シャル。お父様のところへ行って、貴方の、あ、いえ、シャルの立場を上げてもらいに行くわよ」
「え、キャス……、ロクさ……、ロク、そんなことするのですか?」
「そこは、『するのですか』ではなくて、『するの』よ。同じ立場にならないと、シャルは普通に話せないでしょ」
「ロクが立場を下げればいいじゃないか」
そう僕がつっ込むと、ロクはしばらくうーんと考えて、
「それはダメです」
と言った。
※ ※ ※
ねこ父のところへ行き、シャルが頑張って説明した。
僕としてはここまでは考えていなかった。霊界の中での立場のあり方や歴史や決まりごとがよくわからなかったし、やはり文化というものがあると思ったからだ。社会主義で成り立つところに民主主義は受け入れられないし、またその反対も然りである。だからあまり気が進まなかったのであるが、ロクの発案であればこそ成り行きを見てみたいと思った。
ねこ父は事の顛末をじっと聞き、シャルが言い終えると、瞑っていた目を開けて静かに言った。
「うむ。話はわかった。で、ワシの呼び名はなんじゃ?」
「お父様」「大王様」「ねこ父」
一斉に答えた。
ねこ父は残念そうな表情をして、
「では、ワシの呼び名を決めて、貢物を準備せい!
それがよければ、その方の意見、聞き入れようぞ」
「あの、大王様。貢物とは、いかようなものをご所望でございますでしょうか?」
「そこのタカが存じておる」
逆に手玉に取られてしまった……。
「呼び名、いかがしましょうか?」
「全部入れて、ねこ父王でいいんじゃないですか」
「さすがに安直すぎるだろ」
「あ、貢物って何ですか?」
「あー、にゃんちゅるちゅるだな」
「にゃん、っていいですね」
「にゃあ、って言うからでしょうか」
「まあ、そうだな」
「にゃん父王・・・。うーん。にゃん王。にゃにゃ王。にゃ王。にゃ王様」
「王が入るとどうしても堅苦しくなるから、先生とか博士とか、ちょっと変えてみたらいいんじゃない」
「にゃん先生、にゃん博士。しっくりこないわね」
「先生・・・。あ、師匠ってのはいかがでしょうか?」
「にゃあ師匠、にゃ師匠、にゃん師匠・・・、にゃん師匠!」
「それがいいと思います!」
「うん、もうそれでいいんじゃない」
「じゃあ、呼び名はにゃん師匠で決定です」
「にゃんちゅるちゅる、どれぐらい必要でしょうか?」
「史章、どれくらいの量なの?」
「一本十二グラムだな。……こんな感じ」
「これだと百本ぐらい必要でしょうか?」
「いやいや、これ普通、一日一本から二本だから。今回は五本ぐらいのもんだよ」
「それだと三日から五日分ということになりますね」
「じゃあ、それで行きましょう!」
声をちゃんと聞き分けないといけないほどに、シャルは話せるようになってきた。
まあいい傾向なんじゃないだろうか。
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