第6話:上級霊シャルガナ


 準備もそこそこに、シャルガナに連絡をして、霊殿入口の広場に来た。

 ロクはもう、先にいた。



「おはよう、ロク。調子はどうだい?」


「おはようございます、史章」



 よかった、晴れやかな表情をしている。練習とは違った声掛けになったのだけれど、ぎこちないということもなく自然に話せたし、僕の心配も余所よそにロクの振る舞いも軽やかなものだった。



「ふふふ。ご心配されなくても、いきなり女房気取りとかしませんので、安心してください」


「おいっ、彼女気取りを通り越してるぞ!」



 ねこ父もシャルガナも合流し、連携の訓練が始まる……その前に、シャルガナとも依代契約をすることになった……。



「あの、二柱の霊と契約なんかして、大丈夫なんですか?」


「うむ、全く問題ないぞ。人間の中には十体もの霊に憑かれる者もおるくらいじゃからな」


「んー、それは素直に喜べる話ではないんですけど……」



 そうだ! ロクが許さないはずだ! と、ロクを見る。



「これは史章のためです。大丈夫です。頑張ってください」



 すっかり元気になって、僕は嬉しいよ……。




 シャルガナとの形式上の依代契約は、ねこ父がすぐに終えた。ロクのときと同様に、僕の方は何かが変化することもなかった。というより、何かをされたということすらわからなかった。あとは実際にシャルガナが僕の中に入ってくれば、完了するらしい。


 が、その前に移動のための飛行訓練をしてみることになる。

 ロクが僕の中に入り、一緒に宙を舞う。ロクが僕の中にいるのは日常になっているが、飛ぶのは初めてだ。ロクは僕の中で、僕を抱えているらしい。憑依ならば僕の体を自由に動かせるのだが、依代の場合は僕の体を勝手に動かすことはできず、抱えたり持ち上げたりしてるそうだ。とはいえ、僕は何もしていない。ロクの意のままなすがままである。ただ不思議なのは、飛んでいるという自覚もないのである。正確には、飛んでいる間に『ここで離されたら、下に落ちる』という感覚がないのである。まるで質量そのものがないような感覚だ。



「当然じゃ。霊界に重力などないからのぅ」


「でもそれだと、僕の認識では、普段からふわふわしているはずなんですけど」


「ふぉふぉふぉ。重力はないが、磁力があるでの。みな磁力で地面に接地しているということじゃ。つまり今の訓練は磁力のコントロールじゃ。下界に行って宙を舞うには、重力をコントロールするか、磁力で重力に相当する力をコントロールするか、あるいはその両方のコントロールをするということになるのぅ」


「あー、リニアみたいなもんかぁ。なるほどなぁ。だからいつも、ちょっと浮いていたのか」


「われらは磁力コントロールに長けておるのじゃ。ほれ、下界で大きな事故があった際、磁場がおかしくなった例とかあるじゃろ。なんじゃったかのぅ……あれじゃ、あの場所じゃ……。」


「バミューダトライアングル……とかですか?」


「そうそう、それじゃ。あそこは霊界との境界が薄いところじゃからのぅ」



 また一つ、僕は世界の真理を知った。




 次はいよいよシャルガナの番である。シャルガナとは何もかも初めてだ。

 シャルガナが僕の中に入る。


 ゾワゾワゾワッ!!


 悪寒が走る。禍々しい悪意に戦慄が走る。


 ゾゾゾゾゾゾッ!!!!


 体が震え、恐怖に全身の毛が逆立つ!

 鼓動が、早く、強く、波打つ!



「シャルガナっ!!」



 ロクの声が遠くに聞こえる。



「シャルガナ! 抑えなさい!!

 史章は、大丈夫、解放して。受け入れて。大丈夫だから」



 ロクの声は聞こえたけれど、言っていることもなんとなく理解できるけれど、そんなことは到底ムリだ!


 くそっ! あの絶望の感覚が蘇る!


 すると絶望と恐怖で溢れかえった心の中に、わずかな光が入り込んできた。



 ああ、ロクだ……。


 訪れた安心感の光で緊張の糸が切れた僕は、そのまま意識を失った。




     ※     ※     ※




「…………あき。たかあき」



 遠くで呼ぶ声がする。ああ、ロクの声だ。

 目を開けると、目の前には必死になって叫んでいるロクがいた。



「史章!」


「ああ、……。ロク、ありがとう……」


「史章、わかる? 大丈夫? 死んでない? 生きてる?」


「うん……。大丈夫だ」



 体を起こすと、心配そうに僕を抱きかかえるロクと、隣で青ざめたシャルガナがいた。



「すみません、すみません。あの、わたし初めてで、本当にすみません」



 シャルガナはずいぶんと遠くに引き下がって、土下座をした。



「シャルガナ、もう大丈夫だ。僕も悪かった。ちょっと油断しすぎた」


「いいえ! 今のはシャルガナがいけませんっ!! いくらなんでも、相手に合わせてちゃんと調整できないとダメです」


「もういいよ、ロク。それよりも、助けに入ってくれてありがとな。ホント助かったよ」



 ひと段落したことを見計らって、ねこ父が言う。



「今日はひとまず中止にするかのぅ」



 ねこ父の提案はありがたかった。が、このままではシャルガナに申し訳なかった。それに、僕にも落ち度があった。



「いえ、もう大丈夫です。それにちょっと掴めそうなので、少しだけ休みをもらえれば、続けたいです」


「うむ。では、落ち着いたら始めようぞ」


「ロク、ちょっとコーヒーが飲みたいんだ。取ってきてくれないか?」


「えっ? こんな時にコーヒーですか? まあ、いいですけど……ふつうは水とかじゃ……」


「飲み慣れてるんだよ」



 僕は力なく笑って言った。





 僕が缶コーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせている間、ねこ父とシャルガナは霊圧の調整を訓練していた。禍々しい悪意の塊を、出したり引っ込めたりしていた。僕はその様子を遠目に見ながら、改めて自分の愚かさを悔いていた。



「なあロク、僕はいい意味でも悪い意味でも、すっかりお前たちに慣れてしまっていたよ。反省しきりだ」



 それを聞いたロクは、少し表情を曇らせたが、それでもすぐにニコリとした。



「あら、いい意味があるなんて素敵ですね。それは何かしら」


「ああ、そうだな。一番慣れ切ったのがお前でよかったよ」


「まあ、なにも出ませんよ」


「おいおい、それは誤解だぞ。僕は『一番恐ろしい霊柱』で慣れていてよかった、と言ったんだ」


「皮肉が言えるようになったということは、もう大丈夫ということですね」



 もう大丈夫だ。ロクも、僕も。



「さて、失敗を取り戻さないとな。

 ロク、解放するってのが、どういうことなのかがわからないんだ」


「そうですねぇ、なんと言いますか、シャルガナを胸の内に迎え入れてあげる感じですかね」


「僕はさっき、正直なところフルオープンだったんだ。シャルガナが入ってくることに何の抵抗も持っていなかった。だからむしろ失敗したと思うんだけれど」


「うーん、やっぱりそうですよね。わたしが史章の中に入れたときは、わたしのことを『可愛い』と言っていましたよ」


「ん? 可愛い? …………」



 そんなことを言った覚えはない……。

 ロクの顔をじっと見る。

 じっと見る。



「史章、そんなに見つめられると、さすがのわたくしも照れてしまいます」



 ロクがそう言って左手を頬に当てたとき、



「あっ! 思い出した!」



 そうだ、左目の目尻の下の方にある黒子ほくろ

 確かにその黒子を見て、可愛いと思った。



「どういうシチュエーションでしたか?」



 ロクは妙にニコニコしている。

 うん、なんだかあまり言いたくないぞ!



「うーん、ちょっと複雑なんだ。整理させてくれないか」


「えーえーえぇーー。なんか怪しいですねぇー」



 ホント、こういうときは鋭いんだよ……、コイツは。

 そのあと、五秒おきぐらいに「まとまった?」と聞くもんだから、僕は仕方なく覚悟を決めた。



「あのとき僕はお前が諸悪の根源だと思っていたから、徹底抗戦の構えでいたんだ。それでお前が近づいてきて、目の前まで来たときに、お前の左目の黒子が目に入ってな、それがとても愛おしく見えたんだよ。そのほんの数秒間、確かに力が抜けていたんだ。死も覚悟していたしな」


「愛おしくだなんて、まあ」


「今大事なのは、そこじゃないだろっ!」


「ふふふ。大変よくできました」


「なんだよ、ったく。

 じゃあ、シャルガナをちゃんと警戒しておいて、シャルガナの可愛いところを見つければいいんだな」


「あー! それは違いますー!!」



 ロクはまた、頬を膨らませていた。





 再開である。

 ロクはシャルガナにナニやらアドバイスをしている。

 少し試してみたいことがあったので、二柱が話し終えるのを待ってから声をかける。



「なあシャルガナ。僕が今から警戒を強めたり、なくしたりしてみるから、そこから見て感覚を掴んでみてくれないか?」


「あ、はい。わかりました。お願いします」



 僕はそう言って、深呼吸、そして腹式呼吸に切り替えて集中する。

 まず腹筋に力を入れるようにして、そこから自分の気を張って全身を覆う。誰も何も入れない、徹底抗戦の想いを全身に巡らせる。十分に行き渡ったところで、次に一気に気を抜いた。無心にする。

 目を開けて、シャルガナとロクを見る。



「どう?」



 シャルガナがロクを見て、どうかなぁ、という表情。

 あー、ダメなのね。



「史章、今のは、抵抗しているところはよかったのですけれど、受け入れるところはダメです。それでは抜けすぎていて、さっきと同じようにシャルガナの気にしまいます」


「わかった」



 難しいな。うーん。ロクのときとの違いかぁ。確かに『無』ではなかったんだよなぁ。黒子を見て、なんというか、穏やかな感じ? むしろ一目惚れみたいな感じかな。シャルガナに一目惚れは、難しそうだなぁ。

 ロクの好きなところでもイメージしてみるか。


 僕は、もう一度やるよと言って、さっきと同じように集中した。徹底抗戦の集中は同じ。あとは気の抜き方。気を抜くときに、ロクが照れているところをイメージしてみる。


 !!!!


 シャルガナがそのまま入ってきた!

 あのおぞましい感覚はない。もちろん、ロクとは違うので、違和感はある。なんというか、匂いというか香りも違う。



「あの、失礼します。大丈夫でしょうか?」


「ああ、大丈夫だよ。うまくいったね」



 シャルガナは無事、僕の中に入れた。ようやくシャルガナとの依代契約が完全に成立した。

 けれど、同時に僕は、シャルガナについて、とても気になることを知った。




 そのまま飛行訓練に入る。ロクが先行し、あとを僕とシャルガナが追う。

 が、僕は基本的に暇なのである。



「なあ、シャルガナ。飛行中すまないけれど、今、大丈夫かい?」


「ええ、今でしたら問題ございません」



 僕は初めて依代に入るシャルガナに対して、できるだけ明るい気持ちでいつづけるように心がける。



「どうだい、僕の中に入ってみて」


「はい。問題ございません。今の移動についても、自分だけで動くよりはエネルギーを消耗しますが、そこまで負担には感じません」



 シャルガナらしい回答だった。

 質問の仕方を変えよう。



「そうか、よかった。初めて依代に入ってみて、どんな感じがするんだい?」


「少し驚いております。継宮さまの心の内が伝わってきて、少し罪悪感を覚えております」


「僕もちょっと恥ずかしいんだ。覗き見は、ほどほどで頼むよ」


「はい、承知しております。大王さまやキャスミーロークさまにはお話しすることはございませんので、ご安心くださいませ」


「おい! 僕の何を見つけたって言うんだよ!」


「あ、あ、申し訳ございません。つ、つい気になってしまいまして……。」



 さっきからシャルガナの鼓動が気になっていたのだけれど、それまで以上の大きな動悸が流れ込んでくる。空中でのバランスも大きく乱れてしまった。気になって何を見たのか知りたかったのだけれど、

 それは今は、我慢しよう。



「ああ、ごめんごめん」


「いえ、こちらこそ申し訳ございませんでした」


「なあシャルガナ。僕はお前の中を見ることはできないんだけれど、お前の心模様はなんとなく理解できるんだ」


「はい。恐らくそうだろうとは思っておりました……」


「黙っておこうとは思ったんだけれど、ここにロクが入ってくれば、結局ロクには筒抜けになってしまうだろ」


「…………はい」


「大丈夫か?」



 沈黙があった。

 まあ、それはそうだ。

 シャルガナはこれまでずっと、このドキドキを誰にも悟られないように隠してきていたのだろう。

 シャルガナはひどく怯えていたんだ。ずっと。

 



「じゃあ、返事はあとでいいよ。

 ただ、このままでは作戦にも影響するかもしれないから、ひとまず僕には警戒心を解いてほしいんだ。心配しなくても、僕なんかお前が本気になればイチコロなんだからさ」


「あ、あの、そういうことでは、ございません」


「まあ、そうだろうな。すまなかった。

 ゆっくりでいいから、急がなくていいから、僕が気を許してもいい存在かもしれないと、頭の隅にでも入れておいてくれ」


「はい。わかりました。ありがとうございます」



 それからのシャルガナはグダグダだった。

 移動のための飛行訓練が終わって(それも話をした後は蛇行の連続だったが)、軽くロクとの模擬戦もしたのだが、もみくちゃにされていた。もちろん、もみくちゃにされたのは僕なのだけれど……。

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