第5話:僕も同じ答えだったから


 材料が二倍になってしまい、残念なことに冷蔵庫はなかった(それ以外はびっくりするほどきっちり完備されていたのに、なぜか冷蔵庫だけ忘れていたようだ)ので、そのまま二倍作ることにした。


 作るのはカレーだ。ルゥはもともと余る計算だったから問題ない。カレーライスにしたのには理由があった。僕でも作れるという条件はもちろんだが、小さい子が好きな食べ物だからだ。ロクが決して思い出すことはないだろうけれど、なんとなく心のどこかが温まってくれればいいな、と思ったのだ。野菜をカットして、炒めて煮るだけの簡単なヤツだ。一時間半ほどかけて、大量のカレーライスが完成した。


 出来上がった量が倍になったので、ねこ父に相談をして、人型霊の何体かを招待した。最終的に来たのは、情報部から一体、暗部から一体、そしてシャルガナ、ねこ父には別のお土産があったので参加してもらった。ねこ父には『にゃんプチプレミア』のパウチを用意していた。



 みんなで一斉に食べ始める。

 残念ながら情報部と暗部から来てくれた二体は、味覚の調整ができないようで、よくわからないという風だった。シャルガナはロクに教わって、味覚をオンにできたようだ。二柱はカレーライスを口に入れると、味わうように食べていた。そして、ねこ父はというと……、狂ったように食べていた……。


 さてとばかりに、僕も食べる。カレールゥを使ったし、味見をしながら作ったので問題がないのはわかっていたのだが、やはり完成品が美味しいものになっているかどうかは気になるところである。


 うん、まずくはない、というよりかなり上手にできた方だ。今回は、激辛とかスパイシーとか、そういうものではない。昔懐かしのリンゴと蜂蜜の効いた、いかにも子供の喜ぶようなヤツだ。さすがに甘口仕様は避けて、ふつうの中辛にした。


 皆の反応を見るべく、顔を上げる。

 ねこ父は早くも完食、すでに顔を洗っていた。

 ロクとシャルガナは……、黙々と食べていた……。

 ただ…………、その二柱の頬には……涙があった…………。



「なあ、ロク……。まずいってことじゃないよな……」


「えっ」



 泣いていることに、気づいてなかった。



「あ、すいません。あれ? なんでしょう。ははは」



 涙をぬぐうと、また食べ始める。

 シャルガナの方は、脇目も振らず、涙を流したまま頬張っていた。



「美味しいです、とても美味しいです」



 行儀悪く、食べながら、ロクは言う。



「なんでしょう。なんか、とっても懐かしい味です」




 これは……、確かに狙ったのだけれど、当たりすぎである…………。

 やばいなぁ……。

 そう思って、ねこ父を見る。ねこ父も驚いた表情でその光景を見ていた。



「すみません。やってしまったかもです…………」


「……。まあ、よい。これでなにか異変があるのであれば、それはそれで運命じゃ。ワシがお前を此処に招いたことの方が問題なんじゃろうて」


「もう下げましょうか」


「いや、存分に食わせてやれ。それにまた、作ってやってくれ。ワシもお代わりが欲しいしのぅ。ふぉふぉふぉ」


「ありがとうございます」



 ねこ父はそう言ってくれたのだけれど、僕はたまらなく不安になっていた。

 このカレーライスをきっかけに、何かを思い出してしまうんじゃないだろうか。

 ロクもシャルガナも、何かを思い出して、満足して消えてしまったりしないだろうか。

 あるいは、大きな変化が生じて本当の悪霊とかになってしまうんじゃないだろうか。

 霊界と現世にあった均衡が壊れてしまうんじゃないだろうか。

 どれも根拠があるわけでもなく、そんなことが起こるかどうかもわからないのだけれど、何というか言いしれようのない不安に襲われた。


 ただ単に、

 ファミレスでロクが喜んでいる姿を見て、

 おはぎを食べて嬉しそうにするロクの姿を見て、

 もう一度、そういう姿を見てみたいと思っただけだった。

 ちょっと、ほっこりしてもらいたいだけだった……。

 二柱が涙を流しながら頬張る姿を見て、僕は素直に喜ぶどころか、複雑な不安に駆られていた。



 あまり出過ぎた真似はよそう…………




 味覚を再現できない二体は『変なものを食べさせられた』という風で、それでもぺこりと頭を下げて帰っていった。

 ねこ父には、「これが今は大ブームなんですよ」と言って、『にゃんちゅるちゅる』というペースト状のおやつを食後にあげた。さらに狂ったように食べていたので、二本だけあげた。残りは交渉材料にする。

 ロクとシャルガナは、二回もお代わりをした。最後まで涙を流しながら頬張っていた。



「史章、これはなんという食べ物ですか?」



 ロクの質問に、答えていいものかどうか、ほんの少し悩んだのだけれど、

 ウソを言ったところでどうにもならない。



「ああ、カレーライスというんだ」



 と、素直に答えておいた。

 シャルガナは深々と、それはもう、どこの営業マンだよ! と言いたくなるぐらい深々と頭を下げて、帰っていった。


 明日まで残っているはずのカレーライスは、綺麗に片付いた。




     ※     ※     ※




 僕の心配はよそに、食事が終わった後のロクは普通のロクだったので、どうやら大丈夫そうで少しだけホッとした。そして、安堵した途端、ずいぶんと疲れていることを自覚した。


 とりあえず、今日はもう寝よう。


 ベッドは西洋タイプのキングサイズだった。僕が大の字で寝て、二人分はいけるほどの大きさ。掛け布団はほわほわの羽毛布団。ありがたい。ねこ父は、ヨーロッパ出身かもしれない。あ、でも、風呂は違ったな……。あのサイズはアジアンサイズだ。

 布団に入り、すぐにでもぐっすり眠れそうだと思っていると、ロクが話しかけてきた。



「ねぇ、史章」


「ん。何だい」


「隣に行ってもいいですか?」



 つっ込もうかとも思ったが、今日は大泣きしていたかと思えば、怒ったり笑ったり……、ロクの情緒不安定ぶりがずっと気になっていたのを思い出す。眠たいが、今は落ち着いて聞いてやろう。



「ああ、いいよ」



 そう言い終わるのが早いか、ロクはすぐに実体化して、仰向けに寝る僕の左隣にするりと入り込んできた。実体化したロクと一緒に寝るなんてのは、ロクが僕を依代にしてから初めてのことだ。



「今日は、いろいろありがとうございました」


「なんだ、自覚はあったのか」


「はい。すみません」


「うん、それならいいんだ。むしろ安心したよ。

 どうしてあんなに大泣きしていたか、聞いてもいいか?」


「わたし、…………」



 ロクはどこから話そうか、どこから話せばちゃんと話せるか、そう考えている風な表情を見せる。



「史章の、切羽詰まった焦りとか、霊界や下界への想いとか、何よりもわたしへの温かい気持ち、そういうのを知ってしまって、貴方を依代なんかにしてしまって、取り返しのつかないことをしてしまった……」



 ロクを見ると、泣いていた。



「なんだ、今日はよく泣くな」


「ホントです。一生分を今日一日で泣いてしまっています」


「いいんだ。お前は悪くない。できないのは僕なんだから……。反対だよ。僕を依代に選んでくれて、ありがとう、だ」


「そんな、そんなこと……ないんです。父に、依代を変えた方がいいとまた言われて……。そのときは、絶対に史章と一緒に戦うって、啖呵を切ったんですけど……。そのあと、牢獄に入って…………」



 ロクが、押し黙る。

 僕は、待った。



「わたしが、依代を変えてしまえば、……。みんなが幸せになれるんじゃないかと……思ってしまったんです」



 沈黙…………。



「そうした方がいい、依代を変えてしまった方がいい、って頭ではわかったんですけど、なぜか……、嫌で……、何が嫌なのか、わからなくなってきて……、もう、戦うことすら嫌になって……。なのに、なのに、史章が来てくれた時に、すごく嬉しくなって……、自分の心が、自分のものじゃないような気がして……。今でも、何が正解なのか、わからないんです……」



 ロクは、また、涙を流していた。



「なあ、ロク」


「は…………い……」


「僕もな、列車の中で同じことを考えていたんだ。本当にびっくりするほど同じことさ」



 沈黙。



「ロクに嫌われてでも、……依代を交代してくれと、言うべきなんじゃないかと…………。でも、僕もなぜかそれが嫌だったんだ。おかしいよな。頭でわかっていても、なぜか嫌なんだ。だから、今、お前が言ったことは、すごくよくわかるよ。

 でさあ、そのときにねこ父が来て言ったんだ。『お前はどうしたいんだ』ってね。霊界のこととか現世のこととか全部抜きにして、いい答えじゃなくて、正しい答えじゃなくて、お前がしたいことは何だ? って聞かれた。


 だから、同じ質問をしてやるよ。なあロク、お前はどうしたい? ねこ父のことも、霊界のことも現世のことも、僕のことも、全部抜きにしたら、お前はどうしたい?」


「わたしは…………。わたしは貴方といたいです。できるだけ長く。できることならこの先ずっと」



 僕は、ロクの手を握った。

 少し強く握ると、彼女も握り返してきた。



「うん。…………。

 なら、そうしよう」


「いいんですか?」


「ああ。僕も同じ答えだったから」



 ロクは、横向きになり、僕の手を両手で握る。

 そして、涙を流しながら言った。



「ありがとう……」




     ※     ※     ※




 ふと、目が覚める。


 ずいぶん寝ていた気がする。昨夜は、いつの間にか、眠っていた。ロクと心の内を話し合っていて……、あっロクは?

 隣にはもういなかったし、近くにいる様子もなかった。


 少しでも心の負担が減って、元気になってるといいな


 そう思いつつ、昨晩話したことも思い返す。

 ずいぶんと恥ずかしいことを、いけしゃあしゃあと、よくもまあ……言ってしまっていた。しかも、僕もアイツも、お互いに好きって言い合ったようなもんである。


 ヤバい。アイツの顔を見て、なんて声をかけよう……。

 練習しておこうか……。そう思って声を出してみた。



「おはよう。昨日はありがとな」



 まあ、こんなもんだろ。



「い、いえ、とんでもございません。こちらこそ、ありがとうございました。おはようございます、継宮さま」



 いきなりの返事にびっくりして飛び起きてみると、

 びっくりした様子で頭を下げるシャルガナがいた。



「ご連絡に参りました。ノ、ノックをしましたが、お返事がなかったので、てっきりまだお休みかと思いお部屋に入らせていただきました」


「ああ、ごめんよシャルガナ。僕も今起きたところだったんだ」



 あー、ビックリした。変なこと言わなくてよかった……。



「そうでしたか。ご連絡の内容ですが、キャスミーロークさまも含めまして連携の訓練を行いますので、ご準備が整いましたらわたくしにお声がけください。朝食等はゆっくりしていただいて大丈夫ですので」


「うんわかった。ありがとな、シャルガナ」



 僕はそう言うと、のそのそと準備を始めようと、…………。



「あ、あの、継宮さま」


「うん?」


「昨夜の、カレーライスですか?……、とても美味しかったです。ありがとうございました」


「ああ、うん。シャルガナの口に合ったようでよかったよ」


「また、そのような機会がございましたら、ぜひよろしくお願いします」



 うわぁ、まじかぁ。うーん、いいんだろうか……。



「うん、わかったよ」


「ありがとうございます。では、失礼します」



 シャルガナは、はっきりと、明らかに、嬉しそうに出ていった。

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