第11話:麓とロク
どれくらい泣き続けただろう。
ねこ父がポツリと話しはじめる。
僕はまだ、うつむいたままでいた。
「霊殿で普通に会話できる者は三柱しかおらぬ。意思の疎通は誰とでもできるがのぅ、普通に会話できる者は三柱のみじゃ。まあそういうことなんじゃろうて。前世で会話が十分に出来なかった者など、そうそうおらんということじゃ。感情に至っては、それを持っておるのは、わしとロクだけじゃ。それこそ感情を封じたまま前世を最期にした者は、おらんということじゃろうて。じゃから、ロクが来た時にはワシもうれしゅうて、可愛くて仕方なかった…………」
ねこ父は何かを思い返すように、沈黙する。
「じゃから本当は、
「ロクは、……、ロクは、あなたが、一番強いと……」
「それはアヤツの錯覚じゃ。おおかた、戦いを教えたときのことが記憶に強く残っているだけじゃろうて。もうとっくにワシなど超えておる。ともあれ、アヤツが依代に選んだのがお前じゃ。ワシは神職でも何でもないお前を依代にすることは反対したのじゃが、どうしてもといって聞かんでのぅ……。それで、悪いがお前のことをすこし調べたのじゃ」
ねこ父が一息の間に入れたのに反応して、僕は顔をあげる。少し嗚咽も収まってきていた。
ねこ父は、迷っているような表情を見せる。
「キャスミーロークという名は、ワシが付けた名じゃ。アヤツの前世の名前がたまたま分かったでのぅ、それにちなんで付けた名じゃ」
てっきり審判が下されると覚悟していた僕は、話の展開に少しだけ驚いて、次の言葉を待つ。
「前世の名は、かすみ・ろく……じゃ。」
その苗字は、聞いたことのあるような……、
思い返してみる。より近い記憶から順番に……社会人……大学生…………高校生…………、
いや、どれもいない、中学生………………、いな…………あっ!
「かすみ……ろく……。
香澄さん!
香澄麓!!」
名を口にしたとき、はっきりとその名前を思い出した。
が、どんな子だったかまでは思い出せない。もう一度、記憶を引っ張り出さなくてはならなかった。
記憶の糸を辿る。少しずつ、少しずつ、思い起こされる。
「小学校で、同じクラス!」
そういうと、徐々に記憶がよみがえってきた。
静かな、いや、無口な子。目立たない……背の小さな……。
あっ!
すべてを思い出したわけではない。
ひとつ、ひとつだけ、ある重要なことを思い出したのだ!
鳥肌が立った…………。
僕は、彼女の死を知っていた。
※ ※ ※
僕が小さい頃、というかこれまで生きてきた中で、同級生の死を知っているのは二人である。
亡くなった友達が少ないというよりは、小さい頃も今も、僕自身の顔が広くないからだと思う。とはいえ、同級生そのものの人数は、普通の人のそれと変わらない程度にはいる。小中高のクラスメートや部活仲間などは十分に覚えている。その中でたったの二人。
一人は小学生から中学生にかけての友達で、僕が高校生の時にバイク事故で亡くなった。頭がよく、タイガースファンで気のいい奴だった。小学生のときは通う学習塾のクラスが同じで、行き帰りをともにすることも多く、ゲーセンに寄ったり悪さをしたりしていたが、中学でヤンキーになり、少しずつ疎遠になった。それでも時々は遊んでいたので、彼の死を知ったときは少なからずショックを受けた。
そして、もう一人が香澄麓だ。クラスメートで、隣の席になったこともある。名前を知った時、というよりもその漢字のつながりを見たときに、なんてきれいな、美しい名前だろうと思った。
小学生の頃の話である。本人が書く漢字なんてのはバランスが悪く、見るに堪えないものだ。だから彼女の名前を初めて知ったとき、つまり、本人がまだ習ってもいない漢字を使って名前を書いた、その教科書を見たときは、別に何とも思ってなかった。そうではなくて、僕が思わず見惚れてしまったのは、出席簿に印刷された彼女の名前だった。
なんて透き通るような美しい漢字の並びなんだろう!
と衝撃を受けた。
だが、ひどいことをいうようだが、彼女自身はとてもその名前に見合う美しさではなかった。僕はその時に『名前負け』という言葉を覚えたのだ。
香澄麓とは、小学三年生と四年生の時に同じクラスだった。だが、ほとんど会話した記憶がない。名前に関しては、僕自身の心の動きがあったから、よく覚えていたのだけれど、当の本人のことについては、とにかく無口で小さくて目立たない子ぐらいしか出てこなかった。
ただ、明確に覚えている出来事があった。
僕は小学四年生が終わって、五年生になる前に引っ越した。親の仕事の都合というもので、他県への引っ越しだった。もう会えないということで、こんな僕にも仲のよかった友達がお別れ会を催してくれた。元々が人に無関心なタイプだったので、感傷的になるとかそういうこともなく、ただ、そういうことがあったということぐらいしか覚えていない。けれども、そのお別れ会に香澄麓がいなかったことだけは覚えている。
引っ越しの当日、荷物の積み込みも終わり、家族全員が出発前の小休憩をしていた時である。一人の訪問者がいたようだった。僕には関係ないこととタカを括っていたのだけれど、親が僕の訪問者だという。「女の子が来てるわよ」と母親に
そう、僕のお別れ会にも参加していなかった女子が、引っ越しの当日に現れたのである。当然そんな親しい間柄ではなかったので、僕はなぜ彼女がここに来たのかわからなかったし、その日の引っ越しを知っていることにすら驚いていた。
「あれ? 香澄さん? どうしたの?」
「うん。今日が引っ越しで、最後って聞いたから……」
「そうなんだ、ありがとう」
「これ、引っ越しのプレゼント」
「あ、ありがとう。もうすぐ出発なんだ」
「そう。気を付けて」
「うん。元気でね」
「うん。継宮くんも元気でね」
古い記憶なので、言い回しは少しばかり違うかもしれないけれど、そんな短いやり取りだった。
僕は出発した後も、なぜ彼女が見送りに来たのか、全く見当がつかなかった。あまりにもびっくりしてしまって、『手紙を書くよ』というような、ちゃんとした定型のお別れ文句を述べることすら忘れていて、少し申し訳なく思っていたことを、今でも覚えている。結局、見送りに来てくれた理由はわからないままで、彼女はもしかして僕のことを好きだったんじゃないかと、都合よく解釈していたほどだった。
そして、その次に彼女の名を目にするのが、彼女の死であった。
僕は高校生になっていた。父が珍しく僕に質問をしてくる。
「お前の小学生の時の友達に、香澄さんっていたよな」
「香澄さん? ……。ああ、いたね。また、僕が頑張って思い出さなきゃいけないぐらい、唐突な名前が出てきたけど、なんで親父がそんな名前を覚えてるんだよ」
「引っ越しの当日に来てくれた子じゃなかったか?」
「ああ……。そうだよ……」
あの苦い記憶を思い出し、僕の返事も歯切れが悪い。結局、香澄麓との最後は、僕のそれまでの人生において『もっとも失敗した別れ』になっていたのだ。あの日以来、僕は『別れ』というものに慎重になっていた。毎日顔を合わせるような場合は気にすることはなかったけれど、三ヶ月以上の期間をあけるような人との別れには、決して後悔のない言葉を選ぶようになっていた。父に『頑張って思い出さなきゃいけない』と言ったのは、自分の後悔を取り繕うための嘘であって、そのときは割りと容易に思い出せていた。
「これ、お前の友達の、香澄さんじゃないか?」
そう言って、父は僕に職場から持ち帰った新聞を手渡した。記事には、火事で全焼、一家全員が亡くなったことが書かれていた。家族全員の顔写真もあり、彼女であることがわかった。記事の後半には、
『姉の麓さんは妹を庇うようにして、折り重なった状態で発見された』
そんなことが書かれていた。
記事に衝撃を受け、文章に心を打たれ、
僕はその時に、香澄麓との数少ない接触を一生懸命思い出していた。
そして、もう二度と『失敗した別れ』を取り返すことはできなくなったことを知った。
※ ※ ※
僕は、もう十分に流し切ったはずだったのに、また涙が溢れ出ていた。
なんということだろう。なんという数奇だろう。
あの、もう二度と取り返せない別れをした香澄麓が、ロクだというのだ!
体の震えを、じっとしようとするけれど、止まらなかった。
我慢すればするほど、涙が溢れてきた。
生前の彼女の、苦悩であったであろう人生を想像するだけでも、
こんなにも胸が締め付けられるのに、
彼女はまた、少しはマシなはずの今を投げ出して、戦いに死にゆくのである。
これじゃあ、前世も不幸、霊界でも不幸じゃないか!
ちゃんと
そう感じ、そう思い、そう気づき、……、
彼女の運命を、運命というそのものを憎んだ。恨んだ。呪った。
ただ、それでも、そんなことをしても、彼女の何の助けにもならない。
僕は、僕が、お前の支えになろう! 僕の命を懸けて、支えてやる!
「お前は、まだ幸せじゃよ。ロクの傍にいて、ロクの力になってやれるのじゃから……。」
ねこ父は、僕にそう言った。
その通りだ。
本当にその通りだ。
僕は、何度も何度も、ただ頷いた。
そのあと、僕はねこ父と少し話した。
決戦に向けて、僕は考えていたことを伝え、ねこ父はできることを話してくれた。
「では、あとのことは霊殿でのぅ」
「わかりました。よろしくお願いします」
ねこ父は戻っていった。
というより、こちらに来たのは分身思念体で、本体は霊界にいるとのことだった。
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