第12話:もう戦いになんか行きたくない



 —— 少し前、霊殿 ——



 わたしは強烈に責任を感じていた。

 何たる失態、何たる不覚。

 すべて順調に来ていたのに、まさか史章が意識の切り離しができないとは、微塵も疑っていなかった。できないだけならまだよかった、あんなにも取り乱して、あんなにも落ち込むとは、本当に想定外。でも、その原因を作ってしまったのは、わたし。三日もあればじゅうぶんと、安易に言ってしまったことが、悔やまれて仕方がない。


(わたしが、どうにかしなくてはいけない!)


 そのことで、もう頭がいっぱいで、とにかく焦っていた。

 史章が到着するまでに、打開策を見つけなくてはいけない。ちゃんと解決策を話してあげて、『大丈夫よ』と言ってあげないといけない。わたしが整えてあげないといけない。



 霊殿に着くと、一目散に王の間に向かう。

 不安と焦燥と、自分に対する怒りと憤りと、いろんなものがごちゃ混ぜになっていた。すれ違う侍女霊たちはみな、スッと陰に隠れていってしまう……。その様子を見ながら、落ち着きを取り戻さないと! と思ったけれど、気持ちがはやる。抑えるなんてことは到底できなくて、そのやり方すら忘れていた。


 王の間に着くと、声もかけず、ノックもせず、勢いに任せて扉を開ける。


 ドンッ!


 お父様は呆れた表情でそこにいた。



「落ち着かんか」


「これが落ち着いていられるものですか!

 ああ、どうしましょう、お父様。わたしは、わたしは…………」


「なんじゃ、策がないのか」


「あるにはあるのですが……」


「申してみぃ」


「移動については……、風呂敷で史章さんを……、依代を運ぼうかと思います」



 風呂敷は、わたしたち上級霊が持ち歩く道具の一つで、いろいろなものを包み込んで空間移動させることができるもの。包めるものは何でも運べる優れものだけれど、主な使い方は、倒した下級霊を霊界に運び込むもの。だから、迷ったし、不本意だったし、抵抗感があった。普段は、邪霊や悪霊の霊魂を包んでいるものに、史章を包むなんて……。だから、歯切れも悪かった。



「うむ……、まあそれでもよいが、生きておる人間を包むのものぅ……。シャルガナに憑依させた方がよいのではないか?」


「それは嫌です!」



 憑依する方法は、わたしも考えていた。


 そちらの方が本当は確実で効率的。風呂敷は、気持ち悪いという心理的な問題だけじゃなくて、移動で一緒に運ぶには割と多めのエネルギーを使ってしまう。でも憑依する方法は、体を乗っ取ってしまうから、運ぶというよりは自分自身が移動しているという感覚だし、無駄なエネルギーを使うこともない。おまけに史章の持つエネルギーも自由に使うことができる。実利だけを考えれば、一番効率のいい方法。


 でも、憑依にも抵抗がある。憑依してしまえば、史章を封じ込めてしまう。史章との会話はもちろんできないし、史章は意識をなくしてしまう。あの暖かな心に触れることはできなくなってしまう。そういった甘い考えは捨てなくてはいけないことは頭では理解できるけれど、どうしても、わたしの気持ちは『イヤ!』で溢れかえってしまう。


 おまけに父の提案は、自分に憑依させるのではなく、同じ上級霊のシャルガナに憑依させるという、わたしを攻撃に専念させるきわめて理論的で効率的な方法。でもそれは、完全に、史章を道具の一つとして使い捨てる方法に思えてならなかった。他の誰かが史章の中に入ることだけでも嫌な気持ちになるのに、本当に道具の一つとして扱うことが、どうしてもわたしには我慢ならなかった。



「なあ娘よ、やはり依代を変えるべきであるぞ……」



 その言葉を聞いた瞬間、頭に血がのぼる! 思わず父を睨みつける!

 かねてから幾度となく言われてきたこと。これまでと同じように、『絶対に大丈夫です!』と言いたいのだけれど、今度ばかりは最後通牒を突き付けられた気がした。父の言う神職にある依代に変えてしまえば、今起きている手詰まりは、すべて解消されるのだから……。


 父の言うことの方が、すべて正しい。

 父の意図も、すべて理解できる。

 それに引き換え、自分がしたいことは、不完全で不安定で、わがままでしかない……。

 だからこそ、悔しくて、悔しくて……。



「なぜ、お父様はいつも、いつも、いつも……それを言うのですか!」



 思わず、感情が爆発してしまう。

 それではいけない! と抑えようとすればするほど、

 出てくる言葉はわがままなものになってしまう。

 体中が熱くなり、手が震えが止まらない。

 もう、勢いを止めることはできなかった。

 考えるよりも先に、言葉が口をいた。



「この戦いには私が赴くのです! わたしが命を賭して戦うのです! わたしのしたいようにしてもいいじゃないですか!!」


「話にならぬわ! 頭を冷やせっ!」



     ※     ※     ※



 何の成果も出せなかった歯がゆさに、涙が頬を伝う。


 なんということか。父とこんな話をするつもりではなかった。

 もっと建設的に話をし、史章の到着までにちゃんと道筋を作って、史章に希望を持ってもらうつもりだったのに……。悔しくて、情けなかった。辛くて、苦しかった。そして心が痛かった。

 父に、こんな暴言を吐いたことはなかったし、こんなに叱られたこともなかった。



 ああ、此処はどこなんだろう。


 冷たく暗い、鉄格子に囲まれた部屋だ。こんな部屋は見たことがない。

 その環境は、わたしを一層深い闇に落とし込む。

 複雑な感情を抱えたまま、史章のことを考えていた。





 偶然。

 史章を見つけたのは、依代探しに地上に降りてくる途中だった。

 正しくは、史章を見つけたのではなく、悪霊を見つけたの。依代探しには法師や神主を考えていて、まずは神社仏閣をぐるりと回ろうと降りてきていたのだけれど、そのときに徐々に広がる黒いもやが目に留まった。


「あれは……、人間を獲って食べるつもりだわ」


 ひとまず退治してからまた探せばいいかと、軽い気持ちで悪霊と対峙したのだけれど、思いのほか苦戦してしまって、仕方なく、一時避難的に史章を依代にした。本当に仮宿のつもりだった。

 史章はすっかりわたしのことを諸悪の根源と勘違いしていたので、それはむしろ好都合と、体力が回復すれば離れるつもりでいた。


 けれど、史章の心に触れてしまった。



 依代を得るのは初めてだった。つまり史章がわたしの初めて。

 人間の体に入り込んでみたけれど、何をどうしていいかわからず、とりあえず挨拶ぐらいした方がいいかと話しかけてみた。はじめはドキドキしていたけれど、すぐに会話は楽しいものへと変わっていった。


 まさかその日のうちに、成長した強い霊蛇と対峙することになるとは、さすがに自分でもまずいことになったと内心焦っていた。予想よりも回復できていたこと、思った以上に史章と連携できたことで、なんとか昇華できるところにまでこぎつけた。

 そして、そのときの史章の自己犠牲の姿勢に驚かされ、同時に勇気をもらい、暖かな心を知ってしまったの。自分が死を覚悟して戦いへと臨むのに、自分の命を預けるなら、こんな人がいいと思った。自分のすべてを任せてもいいと決めた。だから、すぐにお父様に連絡をして、正式な依代に認定してもらった。


 そして、そこからは、

 わたしの経験したことのない世界が始まってしまう。



 史章との会話が楽しくて、

 史章との買い物が楽しくて、

 史章との食事も楽しくて、


 史章のすやすやと眠る寝顔が好きで、

 史章のニヤリと笑う笑顔が好きで、

 史章の少しふてくされた横顔が好きで、


 いや違う、表情が好きなだけじゃない。

 わたしより大きな手も好きで、風になびく髪も好きで、

 温かいまなざしをする目が好きで、すらっと長い脚も好き。

 何気ない優しさも好きで、話す言葉も声も……、


 とにかくもう全部好きだった。

 初めて知る、あたたかい気持ちだった。




 あんなに楽しかったのに、なんでこんなことになったんだろう。

 あんなに幸せだったのに、なんでこんなに辛いのだろう。

 こんな痛みも初めてだから、どうしたら治るのか、ちっともわからない。

 自分がもう、ぐちゃぐちゃになってしまっていて、

 このまま押しつぶされてしまいそうだった。




 この人に、命を預けてもいいと思ったけれど、

 それは、間違いなくこの人の命も奪ってしまう。

 それならば、依代を変えてしまって、

 何も思わない、何も感じない、そんな人にお願いして、

 そうすれば、史章の命は救われる。

 問題も片付き、史章も苦悩から解放される。




 ああ、そうすればいいんだ。

 簡単なことだった……。

 簡単なことでしょ。

 簡単なことじゃない。

 すぐにできることじゃない。




 自分を納得させようと、何度も言い聞かせてみるけれど、

 なんでこんなにも、それが嫌なんだろう。

 頭はちゃんとした答えを出しているのに、

 心がそれを拒否する。



 ああ、

 ああ、

 あああ…………。



 もう……、戦いになんか行きたくない…………。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る