第10話:僕がしたいこと


 勢いよろしく『連れていけ!』などと言ってみたものの、僕には、僕自身にはその能力はもちろん、資格もなかった。


 そもそも人間が霊界に入れることなどないのだ。霊界に入れるのは、死んだ人間、というか霊だけである。霊は人間界と霊界の両方に存在が可能だが、人間は人間界にしか存在できない。理不尽な気もするが、もし人間が霊界に存在できるとなれば、必ずそこを支配しようとする輩が出てくることは、僕にでも容易に想像できる。だから、人間が霊界に行けない、存在できない、というのは大賛成だった。


 しかし、いつでもどこにでも、例外というのがある。どんなに絶対ルールとして始まったものがあったとしても、それは時間であったり、それは圧力であったり、それは要望であったり、何かしらを起因として、必ず例外が起こるのである。だから、ルールというのはいつでもそのときだけの暫定なのだ。


 だからといって、僕はその『例外』という言葉を盾に取り、霊界訪問人間第一号になりたいとは、微塵も考えてなかった。僕の目的としては、今回はねこ父に会えればいいのである。ねこ父の方が人間界に来れば済む話だ。もちろんご足労願うことにはなるのだけれど、それもわざわざお願いしなくても、霊蛇を処理しに来てもらったように、ちょっと強めの邪霊を退治して呼べばいいだけである。



「それはムリですね」


「そうなのか?」


「はい、あの時はわたくしもギリギリでしたので少々緊急避難的であったということ、それと、こちらの方が重要だったのですが、史章さんを正式な依代にするという儀式がありましたので、お父様がわざわざいらしたのです」


「ん? 儀式ってなんだ? そんなものは記憶にないぞ」


「いえ、お父様が史章さんに話しかけられた時があったでしょう?」


「ああ、そういえば、お前のことをよろしくにゃ! って言ってたな。にゃ、って」


「ええ、そうです。あの時、史章さんに蒙古斑を付けられましたよ」


「蒙古斑って……。僕は立派な成人だ!」



 そういう訳で、僕とロクは霊界に向かう列車の中にいた。霊界訪問人間第一号というわけだ。

 しかしである。その霊界訪問するのに、僕はてっきりモーセの水割りを体験できると、まあ、あれはねこ父特別登場シーンということで、もう少しランクが落ちるものであったとしても、それでも何かしら時空を超えるようなすごい体験ができると期待していたのだが、あろうことか霊界へ行く手段はとてつもなく古典的な列車だった。僕が、やはり幽体離脱という芸当ができれば、ロクと一緒になって空間の狭間を飛んで行けたそうだ。



「本当は楽しみにしていたんですよ」



 と、少女ロクに恨み節を言われた。


 まぁそれでも列車旅なんて、しかも誰かの実家に向かう旅だなんて、なかなか乙じゃないか。人生で列車には何度も乗ってはいるが、通学、通勤電車と出張での新幹線ぐらいしかない。テレビなんかによく出てくる『ぶらり列車旅』みたいなものは別世界に思っていたので、僕としては、これはこれで満足だ。


 そうロクにも話していたのだけれど……。これは、やっぱり黄泉列車だった。


 車窓から見る外の景色はずーっと真っ黒だった。おいしい食事もなかった。運ばれているのは霊魂なのか、僕の認識できる乗客はロクと僕だけだった。それでも、まだそのときはよかったのだ。列車に乗ってほどなくすると、



「では、わたくしは先に行っていろいろ準備してまいりますね」



 さっさとロクは時空を超えてゆき、僕は置き去りにされてしまった。

 どうやら僕の前向きは、空回りばかりらしい。

 やれやれである。



     ※     ※     ※



 霊魂を運ぶ列車の中で、僕は改めてロクのことを考えていた。普段はロクに考えを覗かれてしまう危険があるが、今ならその心配は無用だ。むしろこんなチャンスは滅多にないのだ。

 ロクとあってからの今までのこと。ロクという霊のこと。敵と戦うロクのこと。刺し違えると言ったロクのこと。それらを踏まえて、これからねこ父に提案したいことも……。いろいろ考えていく中で、やっぱり僕は依代であることに不安を覚え、自分が依代に適してると思えなくなってきていた。



「僕じゃない方がいいんじゃないか?」



 もう一度口に出して言ってみる。

 言ってはいけない言葉と、あの時はそう思った。けれど、それはあくまでもロクの心情を考えれば、である。現実的に考えれば、あれは、言わなくてはいけない言葉でもあった。アイツは、僕には大きなエネルギーがあるとか言うけれど、それだって本当かどうかわからない。実際美女ロクは、僕よりも強いやつはいる、みたいなことを言っていたし、『死の覚悟』があるとかどうとか言っていたけれど、それだって方便よろしく付け加えただけかもしれない。


 何よりも自分に自信がなかった。僕は幽体離脱ができないのだ。この世のすべての人間が幽体離脱をできないなら、喜んで依代の役割を引き受けよう。だけれども、実際にできる人がいる。それができれば、いきなり最終ステージに行けるのである。仮に最終ステージのボスがとてつもなく強かったとしても、そのボスを攻略するだけでいい。


 美女ロクが僕に言った『五分と五分』。あれは、僕が幽体離脱出来ることが前提条件だったハズだ。だとすれば、今の勝率はどうなるんだ? 三分と七分? 二分と八分? だとしたら、もうこれは大間違いだ!


 今からねこ父に会って、半ば強引に『僕がロクと一緒に戦うんだ!』なんて言っていいのだろうか?


 僕が死ぬのはまあ仕方なしとしてもだ。

 ロクが死ぬのはダメだし、それは僕も嫌だ。

 ねこ父だって大事な娘を、半端者の僕なんかに預けたくないだろう。

 霊界も人間界も危機的な状況に晒してしまっていいのだろうか?

 それもダメだろう!




 じゃあ、本当に依代をやめる決断をすればどうなる?


「霊界のために、人間界のために、ねこ父のために、何よりロクのために、僕は潔く身を引くよ!」


 ドライに考えれば、もうこれが正解だろう。

 でも、ロクはこれを聞いたら、どう思うだろう?

 すごく落ち込んで、悲しんで、気力をなくして、

 依代とかいらない! わたし一人で行く! とか言い出して、

 勝てる戦いだとしても、死を選ぶかもしれない……アイツ。


「あー、だめだ、だめだ!!」


 何もかもうまくいく方法は……、僕が幽体離脱をできるようになること。

 それができたとしても、アイツの言う通り、勝てるのは五分五分。

 でも、その幽体離脱すらできない……。


 はぁぁ…………。


 溜息しか出ないや。

 いつぞや出口のない堂々巡りに疲れ、僕は茫然自失していた。




「お前が、自分が、本当にしたいことは何じゃ」


 ん?

 思念会話?

 ロクではない。おっさんの声。

 聞き覚えのある声……、もしかして……、ねこ父?



「いかにも」


「え、ぇぇえっ!!」



 いつの間にか、到着したのか?

 辺りを見回す。

 間違いなく、列車の中だ。

 と、目の前の座席にねこが丸まっていた。



「ああ、すみません。驚いてしまって、取り乱してしまいました」


「うむ、びっくりさせてしまってすまなんだの。声をかける気はなかったんじゃが、まあ、かけてしもうた」



 ふぉふぉふぉ、と笑っている。

 おい、そんな簡単に来れないんじゃなかったのか!

 僕はまだどうしたらいいか? 何も答えを見つけ出していないぞ!



「で、お前がしたいことは何じゃ」


「…………、わかりません。…………。どうしたらいいのか、どうするのが一番いいのか。困ったことに、本当にわからなくなっています。こんなに困ったことは生まれて初めてかもしれません。今までの人生の中で、いろんな決断がありましたが、すべて自分で決めてきました。たいして世の中の役に立っているわけではありませんけど、それでも何かを投げ出したり、人任せにしたり、そういうことはなかったと思います。もちろん、アドバイスをもらったり、陰で助けてもらったりもしましたが、それでも、ちゃんと自分で結論を出せていたと思います」



 気づかないうちに、思いのたけを吐露していた。



「ですが、今回ばかりはさすがに参っています。本当に、何が正しいのか、わからなくなってしまいました。ほんの少し、人間界と霊界のことがわかって、ロクの、彼女の担っている役割を知って、彼女の想いも知って、僕の力量も知って、でもその、あちらを立てればこちらが立たずと言いますか、それぞれすべてが違う方向を向いているようで、誰もが幸せになれる道が見つかりません。誰かに決めてもらえれば楽なんでしょうが、それも違う。こんなこと言ってもしょうがないんでしょうが……、あなたに話すべきことでもないんでしょうが……。すみません…………。」


「ワシが聞いておるのは、一番いい答えなどではない。正しい答えなどではない。お前がしたいことは何かと聞いておる」


「僕が…………、したいことですか?」


「いかにも。霊界のことなど考えずに、下界のことなど考えずに、ワシのことなど考えずに、キャスミーロークのことすら考えずに、お前がお前の好きなようにしてよい、と言われたら、どうしたいか? とな」


「僕がしたいのは…………、

 ロクを守ること。

 命を懸けて、

 守ること。です」



 自然と、そう口にしていた。



「そうか。あい分かった」



 ねこ父はそう言うと、目を閉じ、何かを決心したように向き直る。

 もう一度見開いた目は、とてもやさしい目をしていた。



「キャスミーロークについて、少し話そうかのぅ」



 ねこ父はそう言うと、静かに話しはじめた。




「そもそも霊というのは前世の記憶をもっておらぬ。上級霊だろうと下級霊だろうと同じじゃ。ごく稀に恨みを持ったままの下級霊がいたりもするが、それらも恨みだけを記憶しているだけじゃし、恨みを晴らせば、すべてなくしてしまいおる。じゃから、霊界にいる誰もが自身の前世の記憶は持たぬ。それはワシも同じじゃ。

 じゃが、ワシは自分以外の霊の前世がわかる。霊界にやってくるすべての霊の前世がな。そして、幾体もの霊の前世に触れておるうちにな、あることに気付いた。霊界と前世つまり下界とは密接な関係があってのぅ、すべてとは言わんが、ほとんどがついになるのじゃ」


「つい?」


「うむ。前世で不幸であったものは、霊界では上級霊であることが多い。反対に幸せであったものは、下級霊となって何もできぬまま強き霊に喰われて消えてしまいおる。金持ちであったものは、エネルギーを摂るのが下手な下級霊に、人を使役する立場にあったものは使役されるような役割の下級霊に、そういう具合じゃ。前世が人間であろうと動物であろうと同じで、霊界に来れば反対になるんじゃ。

 で、キャスミーロークは上級霊じゃ。この意味は分かるな」


「つまり、不幸な前世だったと」


「うむ。……。ロクの前世は人間じゃった。ロクはお前といてどうじゃ? 楽しそうにしておるか?」


「それはもう、おしゃべりで、小生意気で、……、えっ、あっ!!!!」



 ハッとした。

 彼女は生前、今とは正反対の人生を送ってきたのだ。

 僕は、僕は、……なぜか……続けなくてはいけないと思った…………。



「もうこれ以上ないぐらい快活なヤツで、何かに興味を持ったらすぐにドはまりするし……、二人乗りをさせろと駄々をこねるし……、…………」



 嗚咽が止まらない。



「服を買ってやったら、よろこんで一回転するし……、美味しいとご飯を食べて……、めちゃくちゃ食べて……、とびきりの笑顔を見せて……。う、う…………」



 胸が張り裂けそうだ。生きていた時の彼女は…………、

 彼女は、ほとんどしゃべることはなかった。

 彼女は、自分の言いたいことも言えなかった。

 彼女は、喜ぶこともなかった。

 遊ぶこともなかった。

 楽しいこともなかった。

 笑うこともなかった。

 冗談をいうこともなかった。

 おしゃれをすることもなかった。

 ご飯をおなか一杯食べることもなかった。

 彼女は……、彼女は…………



「アイツの人生、一体なんだったんだよぉおお!!!!」



 泣きながら叫んでいた。

 ロクとの日常を思い返せば思い返すほど、

 胸が痛かった。

 涙が溢れて溢れて、止まらなかった。

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