第7話:その表情すら美しい
平日の昼下がり。
僕とロクは、自転車で買い物に出かけていた。もちろん自転車は一台しかない。ロクはまるで駄々っ子のように後ろに乗ると言い張ったが、それはこの現世では法に触れる。それこそ億万長者になったことだし、もう一台購入することを提案したが、それは違うらしい。
(違うってなんだよ!)
結局、ロクが実体化せず、周りからは一切見えない形で二人乗りをすることで妥協に至った。ただ、二人乗りとはいえロクが霊体である以上、重さというものがないので事実上一人で乗っているのと何ら変わりはない。僕としても楽ちんである。
「霊体でいるときは重さがないんだから、風を感じたり、振動を感じたり、およそ知覚というものがないんだろう? だったらお前がわがままで推し通したこの二人乗りも、
「あぁ、なるほどです。そういうところも楽しめる要素なのですね。でしたら!」
ロクがそう言ったかと思えば、途端に自転車が重くなった。
いらぬ知恵をつけてしまったらしい。しかも、重さを間違えてる……。
「おい、調整がおかしいぞ! お前くらいの容姿だと四十から五十キログラムってのがいい
「あら、そうですか、失礼しました。
おおおぅ! これはなかなか。素晴らしいですね。風を感じる感覚、初体験です。今度は飛んでいるときも、この知覚というのをオンにしてみましょう」
ロクは、はじめのうちは無邪気に自転車の二人乗りを楽しんでいたが、川の土手まで来ると急に僕の腰に手をまわしてきた。今は知覚オンなので、当然僕にもそれが伝わる。
「おいおい、なんだよ」
「ええ、すみません。ちょっとご協力ください」
後ろを向いてロクを見ると、真剣な表情をしている。なにやら見つけてしまったようだ。
僕は、ロクが手を回してきたときにいろいろ思ってしまったことが、まったくの勘違いであったことに安堵すると同時に、また昨日のような霊との戦いがあるんじゃないかと不安を覚える。ロクは振り向いた僕を見て、にっこりとした。
「いろいろな勘違い、歓迎しますよ」
「ハイハイ、こちらこそすみませんでした。それで……」
「ええ。取るに足らない小さいものがあちらこちらに。まあ、水辺ですからね」
「水辺に集まるってのは本当なんだな。小さいなら昨日のようなことにはならないのか?」
「はい。可愛らしいもので、放っていても大丈夫なものばかりなんですが、昨日の蛇もこういうものを寄せ集めて大きくなったものなんです。なので、このまま走りながら刈り取れるものだけでも刈り取っておきます」
そういうと、左手の人差し指から小さな黒い光の玉をポンポンとあちらこちらに放った。黒い光なんてものはないんだろうけど、黒い点を青白い稲妻で覆ったようなそれは、黒い光という表現がぴったりなのだ。ロクがその黒い光を放った先では、当たると同時に少し白んで、黒い
「それはどういう状況なんだ?」
「無にするといいますか、天に還すといいますか、うーん、成仏といいますか……。こちらの世界での存在をなくします。言ってみれば、霊体の死ですかね。わたくしたちは
「ふーん。霊界には、人権ならぬ霊権というのはないのか?」
「そうですねぇ……。今わたしが駆除しているものは、こちらの世界でいうところの害虫みたいなものです。こちらにも虫権というのはないでしょう? これらは小さいうちは悪さをするだけですが、成長すれば昨日の蛇のように人間を喰うようになりますから、霊界にとっても人間界にとっても、何もいいことはしないのです。まさに害虫そのものですね。まあそもそも、霊界では生殺与奪すべて自由ですけどね」
「なるほどな…………」
考え方の違いである。彼女たちの世界には彼女たちの正しい在り方ってのがあるのだろう。
確かに僕たちの世界では命を奪うことは悪としているけれど、ロクの言う通り対象が害虫になればそれは例外扱いになる。あくまでも人間様の基準ということになる。どちらが正しいかなんて、分かったものじゃない。だからこそ、僕はロクの言っていることが、割りとすんなりと受け入れられた。
「で、今の作業はエネルギーとやらの消費は大丈夫なのか?」
「ええ、あなたが呼吸をする労力と同程度のものです。心配してくださってるんですね。ありがとうございます」
※ ※ ※
掃除しながらの土手道を抜け、大通りを通って、少し大きめのショッピングモールに着いた。
僕にはまずはじめに買いたいものがあった。
ロクの服装である。まったく釣り合うものではないが、今日の稼ぎのお礼だ。
ロクにはひとまず実体化してもらう。少女ロクの方だ。
「ところでロク、お前のその服装なんだけれど、怨霊ロクになったり小学生ロクになったり、それぞれ着替えることなく服装も変わってるだろ。それはつまり、その服装も思念で形作られてるってことでいいのか?」
「ご明察です。それぞれの状態に合った服装を、ちゃんとこの世界になじめるようにしています。むしろ服の中は何もない状態といいますか、成形していません。なんでしたらお作りしましょうか?」
「うん、挑発を込めてもらってるところ申し訳ないんだが、今回は、ぜひ作ってもらいたいんだ」
「あら、なんだか悔しいです。継宮さんが苦虫を噛み潰したような表情をしているときは、こういう感情なのですね」
「ますます減らず口が減らなくなってきてるのは、気のせいか! 今からお前の服を買いに行くぞ。だから見栄を張って胸を大きくしたりするなよ」
「継宮さんは胸が大きい方が好きなんですか? せっかくなので、服を買う前に継宮さん好みに合わせて差し上げますよ」
「今のままでいいんだよ!」
僕は決して女性の服装に明るいわけではないけれど、さすがにロクよりはわかっているつもりだ。
肩まで開いた長袖のシンプルな白のトップスと、下地が淡いブルーの花柄のレーススカート、靴はストラップサンダルでコーデする。試着室でくるりと一回転して見せると、これまでよりは少し垢抜けつつも清楚な感じでなかなかに似合っていた。
「なかなか素敵ですね、これ。気に入りました。ありがとうございます。あの、これ買わなくてももう覚えましたから、再現できますよ」
「いいんだ。一つぐらいちゃんと買っておこう。それ以外に気に入ったのがあれば、覚えておくといいさ」
「じゃあ、このまま着て帰ってもいいですか?」
「いいよと言ってあげたいのはやまやまなんだけど、それを着てしまったら服だけ実体で残ってしまうだろうから、二人乗りはできないぞ」
「お堅いですこと!」
霊が拗ねていた……。
「ところでロク。ひとつお願いがあるんだけれど……」
「なんですか? 今なら何でも聞いて差し上げますよ」
「そう言われるとなんだか今からするお願いがもったいなく感じてしまうな……。まあ、でも今はこれだ。怨霊ロクになれるか? アイツにもいろいろ助けてもらってるし……。難しいなら背格好だけでもいいんだけれど……」
「あら、継宮さんのいう怨霊ロクは、わたくしですよ」
「うん、それは頭では理解してるんだけど、背格好だけじゃなくて、ほら言葉遣いも違えば、人格というか霊格というべきか、それだって違うもんだからさ」
「わかりました。大変ですね。二柱の霊に、しかも同時に好意を寄せるだなんて」
「おい! それは違うぞ! こ、これは好意ではない! 感謝の礼だ!」
「あら、では小学生ロクはどうされるんですか?」
「あ、あいつは、お、お前と同一視しやすいというかだな……」
「ふふふ。まあ、そういうことにしておきますね」
怨霊ロクとは、まだ気が知れるほどの仲ではない。これまでの会話も必要最低限だ。だから正直、一緒にショッピングができるかどうか、不安である。いや、それ以前だ。間がもつのかどうかすら怪しいのである。
そんな不安たっぷりではあるけれど、まあなんと言うか、やっぱり感謝しているし、それを何かしらの形にしたかったし、少しでも喜んでもらいたい、という思いだった。
決して周囲にはわからないように、怨霊ロクのサイズに切り替わってもらい、実体化してもらう。ロクに言わせれば、怨霊ロクはそもそも戦闘モードらしい。普段の表情も服装もそこを意識して形成しているそうだ。そういう訳で、今回はもちろんこの場にふさわしい、血色のいい普通の表情にしてもらったのだが……、
驚くことにそれはとても、美しかった。本当に、美しかった。
「綺麗だ……」
思わず声が…………漏れた。
「驚いた。お前、いつもその姿でいればいいのに……」
「なにをバカなことを申しておるのじゃ。綺麗などという概念は、まったく戦いには不毛なものじゃ」
怨霊ロクは眉間にしわを寄せる。
当の本人は、はなはだ迷惑らしい。
けれど、その表情すら、美しさが溢れていた。
「僕もバカなことを言っていると思う……。だけど、なんというか……、もったいない……」
こういう類の驚きでも、言葉を失うことがあるのだと、思い知った。
「なにを呆けておるのじゃ。まったく面倒なこと、この上ないわ。さっさと済ませるぞ」
「ああ、すまない。じゃあ行こうか」
少女ロクも怨霊ロクも同一人物、いや同一霊体である。
服装については、予め少女ロクがマネキンを見ておおよそ見当をつけておき、そっくりそのままコピーしていた。モデルと呼ばれる人種でもない限り、ふつう店頭にあるようなマネキンのコーデが、これほどぴったり当てはまる、映える人を僕は見たことがない。たいていコーデ負けして、いわゆる服が歩いている状態になるのがオチである。
「着こなしまで見事とはな、恐れ入る……」
「ぎゃあぎゃあと騒がしいのぅ」
僕と少女ロクとの買い物を記憶している人もいるかもしれないので、ショッピングモールも反対側の西館で買い物をすることにした。それでも、通りを歩く人々、すれ違う人々の視線は、否が応でも今の美女ロクに向けられる。ここでようやく、釣り合いのとれていない二人組の状態であることに気付く。そんなことにはめっぽう無頓着な僕も、今回ばかりは意識せざるを得なかった。
「ロク、ちょっと注目が過ぎるから、気配を限りなくゼロにしてくれないか」
「もう、しておるぞ。これ以上といわれると、存在を消すことになるな」
「そうですか……。では、そのままで……」
諦めた。
まぁ今は、怨霊ロクが主役なんだし、これでいいってことにしよう。
もうすでに十分美しい女性に仕上がってしまっていたが、目的は僕のコーデによるお礼なのだ。頑張って怨霊ロクを喜ばせてみようじゃないか!
怨霊ロクには、シルク生地で背中の空いた黒の袖なしブラウスに、カットラインが斜めに入ったオレンジのロングキュロット、黒のフレアヒールのパンプスをコーデする。
その場でそのまま着替えようとする怨霊ロクを慌てて引き留めて、試着室に押し込む。
(同一霊体なんだろ! 覚えておけよ!)
試着室から出てきた怨霊ロクは、腰をひねって後ろを見て、鏡を見て、反対側も確認して……、おおかた女性が服を着たときにするであろう仕草をしていた。
この一連の動作は、どうやら女性という生き物のDNAに組み込まれているらしい。
「これのどこがいいのか、全くわからんが……。動きにくいこと限りなしじゃ」
(あまりお気に召していないらしい……)
「あくまでも僕の視点だけど、とても似合ってるぞ」
「おヌシに気に入られてものぅ。まったく戦えそうにないぞ」
「それは戦うための服じゃない!」
「ふん。じゃが、これをどこで使うというのじゃ」
(た、たしかに……)
「そ、それはだな。ほら、敵地に潜入するときとか……」
「敵地にこのような平穏な場所などないぞ」
(たしかに……)
「ハ、ハニトラとか……」
「なるほど! 人間を色仕掛けするのによいのだな!」
「う、うん……」
色仕掛けをするような服でもないけれど……。
とりあえず一式を購入したのたが、残念ながら怨霊ロクへのお礼は成功とは程遠かった。
「まあ、そうがっかりするでない。霊にも人にも、向き不向きというのがあるでのぅ」
「当のお前に言われると、余計に落ち込むわ!」
「ありがたく、受け取っておくぞ」
僕としてはもう少し喜ぶ顔を、まあ怨霊に喜ぶ顔を求めるなんてちゃんちゃらおかしいのだけれど、それでもそういうニュアンスのものを見たかったのだが、残念ながらお預けとなった。美女ロクと、そのまま、本来の目的である電子端末の購入に向かった。
「今日はありがとうな。お前にはとうてい楽しめそうにないことなのに付き合ってくれて」
「くるしゅうないぞ。ワシのよく知らぬ、人間の生活も垣間見れたしのぅ」
というや、美女ロクが立ち止まる。
ミリタリーショップ。
「やっぱり、そっちかよ!」
「うむ! 参るぞ!」
即答だった。
美女ロクはズケズケと入っていく。
こういう類の店は一般人にはハードルの高いものだ。普段から店内はガラガラで、その中にいるごく少数の客層といえば、それ相応の強面の面々やアウトローな奴らがほとんどである。そんな中に絶世の美女ととりえのない凡人が並んでいる。場違いとはこういうことだ。
「おお、これはなんじゃ!」
「それは拳銃だ。鉛の弾をその筒の先から時速千二百キロメートルぐらいで飛び出させて、相手を殺傷するものだ」
「ふむ。こっちの方がデカくて強そうじゃ!」
「それはライフル。同じ仕組みだけれど、弾の速度は三倍程度らしい。ただ、弾は一発ずつ装填だけどな」
「ヌシ、詳しいではないか」
「いや、知っていることは誰でも知ってるレベルだし、詳しいことはそこに書いてあるからな。それと、ここにあるのはすべてモデルガンだから。本物とは違うぞ」
「本物はどこで手に入るのじゃ?」
「うん、大きな声では言えないから、それについては家に帰ってからな」
「なんじゃ、もったいぶるのぅ」
美女ロクの、初めてふてくされた顔を見た。
その後、美女ロクをミリタリーショップから引き剥がすのには、とても苦労した。もっといいのがあるからとか、今度映像を見せてやるからとか、あることないこと言いくるめて、十五分くらい格闘して、ようやく店を後にした。
ただ、大変ではあったが、ひとつ収穫もあった。
怨霊ロクに、今度ちゃんと喜んでもらえるものを渡そうと、悟られないように
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます