第6話:比較的穏やかな手順
「おはようございます。朝ですよ」
「ああ、そうか。……。今、起きる」
僕は寝ぼけながら違和感を覚えた。
違和感の正体を確認すべく、寝ぼけ眼でロクを見た。
更に小さくなってる!!
「おはようロク。それは一体全体どういう状況なんだ」
「さすがに昨日の戦いで消耗してしまいました。まだ回復も不十分だったのに、対戦せざるを得ませんでしたので。少々無理をしたら、この有様です」
ロクの体は、もはや小学生ぐらいまで縮んでいた。それと同時に相応する形で、すっかり子供の声色だったのである。違和感の正体はその声だった。
「大丈夫なのか?」
まだ、寝ぼけた状態だが、それでも少し気になった。
「昨日のような力をつけたモノと対峙するのは難しいですが、日常生活レベルであれば問題ありませんよ」
「無理はするなよ」
「はい。しっかり回復させていただきます」
それは…………、その言葉は朝から僕を憂鬱にさせるのに十分である。まあでも、しょうがない。昨日はいろいろ助けてもらっているし、今日一日くらいは我慢することにしよう。
「それで、ちょっとお願いがあるのですけれど、……」
「うん……」
あくびをしながら生返事をする。言い方が、嫌な予感しかしないのだけれど。
「今日はお仕事お休みできますか?」
「えっ?」
ちょっと予想外の展開だ。
今何時だろう、と電子端末を見ると……壊れていた。そういえば、昨日水没したんだった。仕方なく時計を見ると、針はちょうど八時を指していた。仕事に向かうには、今から意を決して飛び起き、奮い立たせ、もうこれ以上ないくらい手際の良さで身支度を整えなければならなかった。頭の中でベストな方法をシミュレーションしてみるが、どれもまったくもって面倒なものばかりだった。
昨日は病欠したことだし、
まだ治っていないとか、ひどくなってしまったとか、
そういうのでいいか。
連絡など一通り済ませ、ちょこんときちんと、食卓の椅子に座って待っているロクの前にかけた。
「お待たせ」
「ありがとうございます。今日は、いろいろとお話をします」
「体力の回復はいいのか?」
「あ、そうですね。それはまた後でお散歩をお願いします」
それはとても屈託のない笑顔だった。
「まあ、覚悟はしていたしな。しょうがない。それはそうと、話と言えば僕の方も聞きたいことが山のようにあるんだ」
「あ、でしたら先にお答えしましょう」
いろいろ聞いた。
僕の行動や思考は、やはりロクに筒抜けらしいこと。但しそれは、ロクが僕に気を向けている時だけだということ。ロクも寝ているということ。反対に、僕がロクの思考を読み取ることは不可能であること。
「僕のプライベート&バシーを返せ!」
「一心同体です」
「僕の方だけ
ロクは僕から離れてあちこち行けるということ。日本という範囲ぐらいは大丈夫ということ。但しやはり、離れれば離れるほど現世での力は弱まってしまうということ。
「それなら、あちこちに拠点を作ればいいじゃないか。僕以外の仮住まい、その
「一途なもので……」
「僕が笑えない冗談だ!」
「ふふふ。実は、それは何度か試みましたが、やはりムリでした。お
「ちっ。不幸の負担を分担できると思ったのに……。そういえば、昨日の下級蛇のヤローから最後に吸い取っていたじゃないか。あれは食事になっていないのか?」
「あー、あれですね。あれはむしろ、わたしのエネルギーを消費してしまっています」
「そうなのか……。吸収しているように見えたんだけれど……」
「もう少し具体的に言いますと、相手のエネルギーをわたしの力を使って、中和といいますか、分解しているのです。相手のエネルギーもどんどん減りますが、わたしも同時にエネルギーを消費しています」
「ということはあれか……。やっぱり僕の不幸の連鎖がなくなることはないのか……」
「正解です♪」
なんで嬉しそうなんだ! そこ!
「あのお父さんねこは、ロクの父親なのか?」
「はい」
「じゃあお前は、そ、その、ひ、姫なのか?」
「ふふふ。変なことをおっしゃいますね。ねこから人が生まれるわけないじゃないですか」
そう言われれば、確かにそうである。
僕も昨日一日でずいぶんと侵食されて、何が常識で何が非常識かわからなくなってきた。
「わたくしたちの霊界ですべてを取り仕切っているのがお父上です。わたしを今の状況まで育ててくれたのもあの方です。なのでわたしは、お父上とお呼びしているのです」
「ふうん。じゃあやっぱりすごい力を持っているのか? あの時はただのねこにしか見えなかったけれど」
「継宮さんぐらいだと、瞬殺でしょうね」
どうやら僕がこの状況から解放される可能性は、もうないらしい……。
「他にお聞きになりたいことはありませんか?」
「まだまだあるんだけどな。聞けば聞くほど、僕が追いつめられるだけな気がしてきた。だから、僕のターンはいったん終わりだ。ロクの話を聞くことにする」
「では、お言葉に甘えて」
やっぱり嫌な予感しかしない……。
「継宮さん、今のお仕事を辞めてきてください」
「またずいぶん唐突だな。僕に浮浪者になれってのか?」
「うーん、遠からず、そんな感じですねぇ。昨日のような下級の悪霊を少し整理したいのです」
「お前は僕から離れて行動できるのだろう? それこそ、北海道から沖縄まで」
「はい、ですが、退治して回るには継宮さんがお傍に居ていただきたいのです。それこそ、継宮さんが一緒にお仕事されているお仲間の方々に影響が出ても困るのかなぁと」
僕の心配じゃなかった…………。
「だけどな、ロク。この世界では生きていくためには、いろいろコストというものがかかるんだよ。具体的にはお金だ。盗みをしたり、ごまかしたりして生きていくことはできないし、それこそ警察に捕まって投獄なんかされてしまったら本末転倒だと思うぞ。
僕だって人間らしく生きる権利はあるはずだし、老後にだって備えたい。お前のことを考えても、騒ぎにならないようにするには、この部屋もあった方がいいだろう? お前のいう日本中を回るってのも、交通費や宿泊費だけでもバカにならないんだぞ」
僕は大人が小学生を諭すように、優しく、丁寧に説明した。
つけ入る隙は微塵もないハズであると、自信満々に。
「ふふふ。お金のことは、わたしに任せて下さい。これから資金を作ります。とりあえず、五億ぐらいあれば大丈夫ですね」
いとも簡単に、丸めた紙をごみ箱に投げ入れるように、僕の意見は却下された。
大人には大人のプライドってもんがあるのだ。
手品のようにはいかないんだぞ! とか、盗みの類は一切協力しないし、させない! とか、大体お金ってのは苦労して得るからこそ価値があるんだ! とか、説教よろしくわめいていると、ニヤニヤしながら、呆れたように、ハイハイとあしらってくる。
まるで母親と子供のように。…………。
「疑い深いですねぇ。じゃあ、今からパッパとしましょうか」
「法には触れないんだろうな。法っていっても、お前たち霊界の法じゃなく、今この世界の法だぞ!」
「大丈夫です。とりあえず、コンピューターの電源を入れてください」
まったくもって不本意ではあったが、僕はロクの言うとおりに準備を進めた。
「投資をするための口座とかはありますか?」
「ああ、あるにはあるけど、ずっと使ってないやつが……」
以前、どこかのネット通販で証券口座開設キャンペーンというのがあって、その時に作るだけ作ったものだった。一度たりとも使うことはないだろうと思っていたのだが、まさか小学生の怨霊の言われるがままに利用することになるとは、誰が想像できるだろうか? 想像できる奴は、きっとそいつ自身が怨霊に違いない。
しかし投資で資金を増やすだなんて、僕なんかよりよっぽどハイテクだ。この場合ハイテクという表現は間違っているのだろうけれど、霊とかそういうのはいわゆるスピリチュアルなのだからローカルな部類と言える。だったら、コンピューターで投資をするなんてのは、立派なハイテクと言っていいだろう。
で、やはりあれか、未来予知。なんだろうな……。
「では、今あるお金、全額そこに入れてください。一円も残さないでくださいね」
「ぜ、全額入れるのか? もしなくなったら、もう生きていけないんだぞ!」
「四の五の言わず、入れてください」
小学生のナリをしているくせに、ちょくちょく威圧してくる。
まあ、その小学生にことごとく負けている僕も僕であるが……。
「全額入れたぞ。僕の将来はお前に託されたんだ。ちゃんと当ててくれよ」
「当てずっぽうだなんて、そんなバカみたいなことはしません。
では、株でいいですので、有名な企業の株を売れるだけ、売りを入れてください」
「え? 何か準備してから取引じゃないのか? もう、取引していいのか? 有名ならどこでもいいんだな」
「はい。大丈夫です。大船に乗った気でいてください」
「本当かよ。昨日、怨霊ロクにそう思ったときは、すぐ難破船になったぞ……。ええい、ままよ!」
「準備完了ですね」
とにかく有名な企業の株に、全財産を投じた。
もちろん相場は動いているので、僕が売りを入れた後もどんどん値動きする。その日はいろんなグラフが右上がりになっていて、僕の口座残高はどんどんマイナスになっていった。
「おいおいおいおい、大丈夫なのか?」
「まあまあ落ち着いてください。継宮さん、手を繋いでください。すこしお力をお借りします」
もう、僕にできることはない。
霊蛇と戦った時も何もできなかったけれど、本来人間である僕の方が得意であろう、この現世の投資という分野においてさえもできることがないとは……。
やれやれである。
言われるがままに小学生ロクの小さな手を取ると、彼女は目を閉じて集中し始めた。また彼女が疲れたり縮んだりするのかと警戒していたが、特にそんな風は見受けられない。およそ一分くらいだろうか、彼女は目を開けた。
「今からどんどん下がってきますので、わたしの言うとおりにしてくださいね」
「はいはい、仰せのままに」
僕にとっては少々複雑な思いだった。
ロクの言うとおりになっても、現世に生きているくせに処世が下手糞だと言われている気がするし、ロクの言うとおりにならなければ、それは破産間違いなしなのである。僕にとっては、どっちに転んでもすっきりしない未来だ。
ほどなくして、株価はみるみる下がってくる。そして僕の口座残高はどんどん増えていった。
「おおおおお!! これはすごいぞ!」
「うむ。では、今からさらに売りを追加するのじゃ!」
えっ!? なんで怨霊ロク??
「はようせんかっ!」
「あ、はい。って、すでに全額投じてるぞ」
「愚か者! 今出ておる利益分でさらに追加投資するのじゃ!」
「ああ、なるほど!」
今度は怨霊ロクにも言われるがままである……。
が、相場の方はというと、それからもぐんぐん下がっていった。最初に見ていた右肩上がりのグラフは、どんどん小さくなっていき、ただただ下に長い線が次々と描かれていった。
利益が大きくなったらその利益でさらに追加投資する、ということを何度か繰り返し、十分ぐらい経っただろうか、僕の口座残高は見たこともない桁数になっていた。
「よし、そろそろ全部決済じゃ! 確定せよ!」
まだまだどんどん下がっているのだが……、まあ怨霊ロクに逆らってもいいことはない。決済ボタンをポチポチ押していく。
「うむ、上出来じゃ。今でいくらじゃ?」
「イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、……、一億五千万んっ!!」
もう十分な額である。
「うむ。では、次は全額買いを入れる準備をするのじゃ。で、おヌシの手を貸せ」
実は怨霊ロクに直接触れるのは初めてである。ちょっとドキドキしながら手を握る。きっと氷のように冷たいのだろうと想像していたのだが、思いのほか暖かかった。気を使ってくれたのだろうか? と思うほどの見た目とのギャップである。
怨霊ロクも小学生ロクと同じように目をつむって何かをしている。今度は三十秒ぐらいだった。
「よし、買いを入れるのじゃ。全額じゃぞ!」
株価は暴落を続けていた。多少不安ではあったが、怨霊ロクの指示通りに全額買いを入れた。一億五千万丸々の全力買いである。が、触れたことはもちろん、見たこともない金額は、むしろ緊迫感がなかった。
が、ほどなくして株価は上昇に転じる。今まで下げていたのは間違いでした! と言わんばかりにグングングングン上昇していく!
「含み利益で買い増しをしてください」
あ、今度はいつもの少女ロクになっていた。
なんだか忙しいヤツだ。
「早くっ!」
「お、おお。……」
お前の変化に驚いてんだ! と言おうとしたが、手を動かせ! と叱られる未来が見えてしまった。どうやら僕にも予知能力が備わったらしい。
前半と同じように、今度は利益が出るたびに買い増しをしていく。十五分ぐらいすると、株価を表すグラフは暴落を始めた辺りまで戻ってきていた。
「はい、ではここですべて決済してください」
すべての決済を終えると、桁が一つ増えていた……。
ロクは三十分で十億を稼ぎ出した……。
「一体どういうからくりなんだ? どこかで戦争でも起こしたのか?」
「いえいえ、そんなひどいことはしておりません。人間が減るのはわたしも困りますし。
今回は世界中の人々にちょっとだけ不安になってもらいました。もちろん、わたし一人では難しいですので、全世界でご活躍のわたしと同じ立場の方々の協力を得てですけどね。手を繋いでいただいたときに、その交信をしていました」
「そんなことで株価が下がるのか……」
「結構バカにはできないんですよ。景気なんて世の景色の気持ちですからね。
これは特定の企業のうその情報を吹聴したわけではありません。もちろんそうすることも可能なんですけど、それだと風説の流布という法に抵触してしまいます。ですから、単純に些細な不安を感じてもらったということです。ですが、それもそのまま放置すれば、極端に経済の悪化を招いたり、いたずらに自殺者の増加を招いたり、本当に人間社会全体に影響を与えてしまいますので、もう一度、今度は世界中の人々に少しだけ幸福を感じてもらったということです」
「それでお前の姿にも変化があったのか……」
「はい。はじめはエネルギーを使ったけれど、みなさんの不安のエネルギーで回復して、二回目はわたしのエネルギーを消費したままで終わったということです。ですが、継宮さん風に言えば、小学生から少女になれましたから、ちょっと回復して終えられたというところですかね」
感心しきりである。
「よくわからない株価などの暴落や暴騰などというのは、たいていわたくしたちの仕業なのですよ」
「おいおい。また僕は世界の真理を一つ知ってしまったのか」
「昔はそれこそ戦争だとか○○危機だとか、直接的な大事件を起こすことが多かったのですが、それだと先ほども申しました通り多くの人間が亡くなってしまいます。それで近年は比較的穏やかな、今回のような手順が推奨されているんですよ」
「マニュアル化されてるの!?」
ロクは、それはもう、にこやかな満面の笑みを見せた。
「あ、ほかのエリアの上級さんたちから同じような連絡が来ることもありますので、電子端末でも取引できるようにしておいてくださいね。そうすれば、今後もう資金の不安はなくなりますから。」
「いや、もう一生分あるんですが……」
「という訳で、明日は辞表を出してきてください。そういえば、電子端末、壊れてましたね。お散歩がてら、買いに行きましょう」
それは、今から僕に不幸が訪れるってことだよな……。
やれやれである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます