第8話:壮大な勘違い


 ショッピングモールから帰ってきたのだけれど、目の前にはどういう訳か、美女ロクがいる。


 あれからロクはずっと美女ロクのままだ。帰りの不可視二人乗りも美女ロクだった。てっきり少女ロクと帰るのだろうと勝手に思い込んでいた僕は、少々面食らっていたのだが、道中はミリタリー装備に関する質問攻めに遭っていた。どうして弾が飛ぶのか? といった細かなところまで聞いてくるので、少ない知識と電子端末の膨大な情報を頼りに答えていると、土手道の下級霊のお掃除では、不可視なのをいいことに拳銃を具現化して黒い光を打ち出して駆除してみせた。器用な奴だ。


 帰ってきてからは、僕は食事を軽く摂り、新しい電子端末の初期設定を整えたりして、美女ロクはオンデマンドやパソコンでさらに軍備の、主に武器に関しての造詣を深め、ようやく落ち着いてコーヒーを飲んでいるところだった。



「結局あれからずっと大人ロクのままの格好でいるけど、もしかしてもう回復したのか?」


「残念じゃが、まだじゃ。

 落ち着いたようじゃし、ちょうどよい。おヌシに話しておかねばならんことがあるのじゃ」



 美女ロクは、真剣な眼差しをした。

 そしてその表情は、僕に緊張を促した。

 一呼吸おいて、切り出す。



「昨日、おヌシが依代となってから今まで、期せずして多くの経験が共有できたわけじゃが、どうじゃ? うまくやっていけそうか?」


「唐突だな、おい。…………」



『話がある』とか言うもんだから、てっきり何らかの宣告のようなものを突き付けられるんだろうと構えていた僕は、質問から入って来られて面食らってしまった。しかも気遣いを装った質問の真意は、これからもこの状況が続くという宣言が含まれている。どこぞのニュース解説員が「いい質問ですね」といいそうなぐらい秀逸な言い回しときたもんだ。



「正直まだ、わかんねぇよ。…………。僕の常識が破壊され続けていて、ゆっくり咀嚼そしゃくする暇もなく、ただただその都度対応している感じだ」



 美女ロク、反応せず、答えるまで待つ気らしい。

 仕方なく続ける。



「まあそれでも、昨日の時点では、お前を追い出すためにどう戦うかを考えていたんだけれど、お前の目的というか仕事というかを聞いて、蛇と戦って、……僕の役割はお前のエネルギー補充係で、最終的に呪われたり不幸で死んでしまう人間が減るってことに繋がるんなら、まあ、僕の心の倫理としては合格ラインを突破してるんだ」



 そう、倫理的には、理論的には合格ラインなのだが、それは一部でしかなかった。

 僕は自分でしゃべりながら整理をしていて気づいてしまったのだが、ロクと生きていくことにすっかり興味をそそられてしまっていたのだ。霊界そのものにも興味が出ていたし、現世と霊界の繋がりについても興味が出ていたし、何よりも、


 ロクという一柱の霊に興味が出ていた。


 だが、それを言わないのには理由があった。

 それは、このことを言ってしまうと、もう決して後戻りできない気がしたのだ。



「ふむ。ひとつ言っておく。今はおヌシと話しをしたい。じゃから、心を探ることはしておらぬ。口にする覚悟までを知りたいからのぅ。当然、わしもおヌシに包み隠さず話すつもりじゃ。案ずるな。こう申したのは、おヌシを縛るためではない。ワシがワシ自身の覚悟を決めるためじゃ」



 覚悟という言葉を聞いて、僕はロクの言いたいことがやっと理解できた。

 これまでは、こういった話は少女ロクが担っていた。それなのに怨霊ロク(今は美女ロクだが、それも僕に対する配慮だろう)がわざわざ買い物に付き合って、そのままの姿で僕とコミュニケーションを構築して、今からその姿のまま自分の口で、ちゃんと話したいという。

 こんなことを言えば怒るだろうが、案外存外いいヤツだ。僕も、聞く覚悟ができた。



「ワシはな、特別に作られた霊なのじゃ。特別な任を託されておる。その任については後ほど詳しく言うが、一言でいえば強大な怨念を持つ悪霊の討伐じゃ。ワシにとっては初めてになるが、似たようなことはこれまでにも何度も起こっておる。枚挙すればいとまがないのじゃが、八岐大蛇やまたのおろちなどが代表例といえば少しはわかろう。そして、毎度そういった強敵と戦うときには、人間の助けを借りてきたということじゃ。それこそスサノオとクシナダヒメというようにな」


「おいおい、スサノオは当然だが、クシナダヒメも神だぞ!」


「それは、おヌシら人間が楽しい物語に仕立て上げただけじゃ。

 話しをもう一度戻すぞ。ワシは特別に作られた霊じゃ。本来のワシは、おヌシのいう少女ロクじゃ。当然それでは討伐などできぬから、霊界でもっとも力の強い父上の魂を分け与えられ、訓練を受けて育てられたんじゃ。

 ただ、これは普通ではないんじゃ……。資金作りの際に少女ロクの姿で申したように、この下界各地に強い霊力を持つ霊柱れいばしらが存在しておるが、誰一柱とて、作られてはおらぬのじゃ。みな、生まれ出でたときに強い霊力を持っていて、適任ということで現世の霊を管理する霊柱として活躍しておるのじゃ」


「ちょっと待て。霊界用語が多すぎてややこしい。つまり、お前と同じ仕事をしてるやつが何人かいるけど、お前だけが強化人間サイボーグだってことだな」



 美女ロクが鼻で笑う。まあ、合ってるらしい……。



「ヌシは、緊迫感をなくす天才じゃな。よかろう、では、わざわざ強化人間サイボーグを作った理由はなんじゃと思う?」


「そうだな……。人材不足。霊力を持ったヤツが生まれて来なかった……」


「ふむ。その時もそうする可能性はあるのぅ。じゃが、今回は違う」


「なら……。うーん……。ああ、そうか! とてつもなく敵が強いってことか!」


「いかにも」



 そして美女ロクは目を閉じ、一呼吸おいて、もう一度目を開けるといった。



「ワシは、その敵と刺し違えねばならぬ」




 ロクの、言い間違いは考えられない。

 ということは、わざとそう言ったのだ。

 沈黙の中で考える。



「刺し違えが成功する可能性は?」

「よくて五分と五分」

「上げられる可能性は?」

「むろん、少しでも上げたいのぅ」

「わかった。…………」



 そういうと、僕は片手を額に当てて、頭を抱えた。

 いろいろ確認したかったが、これ以上の確認は、ロクのことを思うとできなかった。ロクは自分が刺し違えて死んでしまうことに躊躇しているのではないのだ。だってそうだろう。もし仮に、こんなことは絶対にないのだけれど、ロクが自分の死を嘆くことがあったとして、僕なんかにその悩み相談をするはずがない。そもそも、まだそんな間柄じゃない。だとすれば、ロクの悩みは一つだ。



 僕を巻き込んでしまうこと。

 僕も


 まったく、困った霊だ。霊が気遣いなんかするな!



「いいよ。行ってやるよ。で、僕が命を賭してすべきことは何だ!」


「山のようにあるぞ」




 あーあ、もう死ぬんだな。

 重苦しく考えているわけじゃないけど、いざ死ぬとわかると、それなりに人生を振り返りたくなるらしい。いい人生だった! といえるかどうか、バカバカしいけど、ほんとバカバカしいけど、考えてしまっていた。

 あーでもない、こーでもないと考えていたが、これまでを常に目立たぬように生きてきた僕にとって、振り返って思い出すほどの価値がある出来事なんかなくて、たどり着いたのは『今こそが人生で最大の局面』だった。つまり、これからの戦いの結果こそが、いい人生といえるかどうかの分岐点だった。

 やれやれである。



「それともうひとつ、話しておかねばならぬ。なぜヌシを依代に選んだかじゃ」


「別に、それはもう諦めているぞ」


「それは先ほどの答えでわかっておるが、大事なことでの。

 依代選びで一番重要なのは強いエネルギーを持っておるかどうかじゃ。おヌシはそれに合致しておった。昔から霊によく遭っておったであろう。それがその証拠じゃ。じゃが、日本一の力かといえばそうではない。やはりどこぞの法師や神主の方が上じゃ。今回の任も本来ならそういった者共ものどもの方が適しておるかもしれぬ。

 じゃがワシがそれよりも重要視したのは気骨と相性じゃ。今のこの国に、法師や神主でそれらを持ち合わせている者はじじいばかりじゃ。若い法師や神主はみなサラリーマンみたいでのぅ。全くダメだったんじゃ」


「僕はサラリーマンそのものだ! それに、その気骨と相性の両方が、僕にはない自信があるぞ!」


「本来ならな。……。そうであろうな。じゃがな……」



 また、ロクは一呼吸おく。



「また爆弾投下だな。お前はワンパターンだな。大丈夫だ。死ぬ、といわれた後で、それよりも被害が大きくなる爆弾なんてありはしないからな」


「うむ、そうじゃな。

 ワシがおヌシを見つけたとき、おヌシはもう間もなく死ぬところだったのじゃ」



 へ!?



「じゃから、おヌシを依代にしたのじゃ。死の覚悟を持ったヤツに勝る気骨はないからのぅ」


「待て待て待て待て! 僕が死の覚悟をしたのは、ついさっきだ!

 死ぬところだった、ってのはどういうことなんだよ!」


「言った通りじゃ。おヌシを見つけたときはもう死相が出ておったし、おヌシに入ったときはもう死ぬ寸前じゃったからのう」


「ちょっと待て! その言い方だと、僕の死をお前が救ったみたいなことになってるぞ」


「いかにも。

 おヌシは邪霊に取り憑かれ、すべてのエネルギーを吸い上げられて絶命する寸前じゃった。喰われて死ぬ寸前じゃった。まっことギリギリであったぞ。ああ、その邪霊じゃが、その日その後で遭った霊蛇よりも賢く、強大であったのじゃぞ」



 僕は昨日の朝のことを、もう一度思い起こす。



「あの怨念の塊を僕にぶつけてきたのは?」

「おヌシの中の邪霊をおびき出すためにな……」

「僕の中に入ってこようとしたのは?」

「邪霊が出てこぬでな、ならば中に入るしかなかろう」

「僕が準備した、そ、その、盛り塩とか身代守とか神棚とかは、お前が消したんじゃないのか?」

「うむ。あれはなかなかいい手助けになったぞ。邪霊の退治に利用させてもらったわ。おヌシがチマチマと準備しておったとき、邪霊は苦虫を噛み潰したような顔をしておったしのぅ」

「僕に話しかけていたろう?」

「話かける!? そんなことはしておらぬ。邪霊を何度か罵っておるとは思うがの」

「僕は、恐怖も絶望も、死の覚悟も! すべて体感した……ぞ……。!!」



 ロクは、ニヤリと微笑んだ。

 そう、たった今、思い出した。

 僕はもう、とっくに死の覚悟を済ませていた!



「もっとも、あれはのぅ、おヌシが邪霊に憑かれておったから、邪霊の意識を一時的に共有しておっただけじゃがの」



 これ以上ない爆弾投下だった。核爆弾級だ。


 確かにすべてにおいて辻褄が合ってしまった。

 度重なる一年分の不幸も、ロクのせいではなく、僕に憑いた邪霊のせい……。

 僕は、一から十まで、見事に完璧に間違っていた。

 と思っていた怨霊は、僕の中にいたのだ。

 僕を助けるために…………。



「すまなかった……。僕は、その、お前のことを誤解していたようだ……」



 ロクは大笑いしていった。



「よいよい。苦しゅうないぞ。ワシもおヌシの壮大な勘違いを楽しませてもらったからのぅ」



 もしかしたら、こいつは神様なんかじゃないかと、

 ついさっき、ちょっとだけ思ったが、



「やっぱりお前は悪霊だ! 怨霊だ!!」

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