第15話 山のことナイトサファリって言わないで
合コンで知り合った人間と会わせてやるというので、私はその日もバイト終わりにマトペの車の後部座席に座っていた。が、まったく乗り気ではなかった。明日も昼からバイトがあるし、なによりよく知った人間がよく知らない人間と話しているのを見るのは苦手なのだ。外面と内輪の顔がまざる感じが落ち着かない。いつもはそんな風に笑わないし、そんな言葉使いもしないし、そんな人間ではないのに、と思ってしまう傲慢さが嫌だった。
人間に決まった形なんてない。
「はじめましてー」
スモークの小さなぶつぶつを数えていたら、いつの間にか車が止まっていて、人間たちが後部座席に乗り込んできていた。男が二人と女が一人。てっきりそこらで酒でも飲むのかと思っていたが、ドライブらしきものをするらしい。
私はいつも何も知らない。
三列目に男二人が座り、私の隣には女が座った。やたらめったら甘い匂いをはなっている。全身にバニラエッセンスでもぬりたくっているのだろうか。
女は乗り込むとすぐに私の顔を覗き込んだ。
「君が加賀ちゃん?」
よく出来たモテ系のメイクで顔の実状が分からない。でも現実世界で君という二人称を使うのは思春期こじらせと相場が決まっているので仲間かもしれない。
「そうですけど」
「そうなんだー。二人ともずっと加賀ちゃんの話してたから、気になってたんだよね。本当に足小さいね」
女は自分のパンプスの先で私のスニーカをこんこんと二回つついた。確かに私は身長の割に異様に足が小さいが、そんなことは合コンで話すべきではない。そこにいない人間の足のサイズなど、メンズからしてみれば興味がないこと山の如しだろう。
後ろに座った男たちが無言で煙草を吸い始めたので、なんとなく私も煙草を取り出した。
「加賀ちゃん煙草吸うの? いがーい。はい」
女が火を点けたライターを寄せてくる。初対面で意外も何もないし、突然訪れたキャバクラ時間に気まずくなって前を伺ったが、サキマリとマトペは行き先を決めるので忙しいらしく、後部座席を気にする様子がみじんもない。
おずおず吸い込むと、女は嬉しそうにふっと笑った。
ほっぺたが丸い。
「灰皿これかな? はい」
「ありがとうございます」
「なんで敬語? 加賀ちゃん面白いね」
くつくつと女が笑う。よく笑う女は嫌いではないので、気にしていないふりをしながら横目で眺めていた。後ろから男どものこそこそした話し声が聞こえる。女はともかく、三列目を男が陣取っているのが気に食わなかった。あまりよく見えなかったが、実に素行の悪そうな男どもだ。それを言えるほどこちらも品行方正ではないが。
そもそも男二人と女一人という組み合わせはどこから来たのだろう。もともと知り合いなのか、それとも全員ばらばらに合コンに参加して仲良くなったのだろうか。
「ちょっと聞いてもいいですか?」
「ん? なになに?」
「これはみなさん、どういう関係ですか?」
「えーっ」
女はまたくつくつと笑った。
「加賀ちゃん、今日なんて言われて来たの?」
「いや、特には」
「そんなことある?」
笑うたび、もう鼻に馴れたはずの甘い匂いがふわふわと漂う。答えを聞く前に、前部座席から大きな声があがる。
「じゃあ出発!」
行き先は山に決まったらしい。といってもこの街のドライブは、山道か、海道かの二択しかない。今回は山の中のトンネルが目的地だという。
「わざわざトンネルをくぐりに?」
そうつぶやくと、女が横から腕を絡めてきた。
「加賀ちゃん聞いてなかったの? 出るんだってさ」
「でる? ああ。おばけの話ですか?」
「あはは、おばけだって!」
「加賀ちゃん面白いね」
後ろから男まで参加してきて、面倒くさかった。その面白いという言葉が、おかしい、という概念の上に成り立っていることをこちらが知らないとでも思っているのだろうか。
会話から察するに女と後ろの男のうちの一人は旧知の仲らしい。それも単純なものではなく、ありていに言えばまぁ何回はやっているのだろう、というような気安さがあった。もう一人は知り合い程度の仲のようだが、私には男たちの見分けがつかなかった。二人とも若者の顔をしている。
年齢で言えば同じくらいなのだろうから、正しく言えば大人を拒否している若者顔ということになる。責任逃れを続けている顔つきで、それでも彼らはいつか自分も世帯を持つのだろう、という未来の芳香のようなものを放っているように感じた。
「加賀ちゃんこれ食べる?」
突然男のうちの一人が後ろから飴玉の包みをよこしてきた。それを女がひょいとかすめる。どうやら女と懇意の方の男らしい。
「ノリくん、加賀ちゃん飴はあんま好きじゃないよ。駄菓子が好きなんだよ」
「駄菓子?」
「色のついたゼリーのとかラムネとか。ともかく安いやつ」
「ああ。じゃこれは?」
きなこ棒が出てきたので受け取った。女がにこにこする。
「よかったね加賀ちゃん」
幼稚園児か、と思ったが好きなのですぐに食べた。車内ときなこ棒というのは最悪の組み合わせだが、マトペは気づいていない。それにしても、二人は合コンでどれだけ私の話をしたのだろう。そこにいない人間の好物の話をするくらいなら、観葉植物の話をされたほうがまだいいような気がする。
「なんできなこ棒なんか所持してるんですか?」
嗜好品が同じなのだろうかと聞いてみると、所持、と男は軽く笑って、片手で架空のスロットを目押ししてみせた。女が気安くよりかかってきて、また甘い匂いがした。
「ノリくんは貴重な税金をぜーんぶすぐ使っちゃうんだよ」
公務員なのか、と思ったがきなこが零れそうなので口にしなかった。よく見ると市役所顔をしているような気がしないでもない。市役所の人間なんて大抵素行か人格が悪いものだろうから驚きはしない。さぞマトペと気が合うことだろう。
目的地につくと、トンネルの中を歩きたいとかなんとかで、男たちとマトペとサキマリは車の外へ出ていった。なぜわざわざおばけの怒りを買うようなことをしに行くのだろう。怖いという感覚を楽しめる人間の遺伝子は理解不能だ。
ノリくんと言われた男がサキマリを後ろからからかって押しているのが見えた。聞こえるわけではないが、ぎゃあぎゃあという声が聞こえるようだった。
「大丈夫かなー」
横で女が呟いた。私に付き合って車内に残ってくれているのは、正直言って大変にありがたい。私はおばけがこわい。けれど、彼女が何を心配しているのか分からなかった。
「なにがですか?」
「あのね、ノリくん悪い人間だから」
「わるいにんげん」
前を見ると、サキマリを先頭にして、若者風の大人たちは一列になってトンネルに向かっているようだった。汽車ポッポごっこだ。大人がやっているのを見ると、滑稽とかいうことよりもまず気味が悪い。
女は続けた。
「サキマリとマトペちゃん、純粋そうだからちょっと心配」
煙と怠惰と妥協で出来ている私たちに純という言葉が差し込まれる隙間などないように思うが、女にはそう見えるらしい。
「小学生みたいってことですか?」
すると女はなぜか真剣な顔つきで頷いた。
「うん。そうかも。小学生みたい」
「小学生は煙草吸いながら運転しないですよ」
「でも出来なくはないでしょ?」
「まぁ機能としては」
「小学生が許される立場でお酒飲んだり煙草吸ったり車運転したりしてるみたい」
「それは空恐ろしい事態ですね」
女は私の言葉を聞いていなかった。
「この前二人が加賀ちゃんの話してるとこ見た時、私、このままでいてほしいなーってよく知らないのに思ったんだ」
赤の他人にそんなことを思われる筋合いはない。謎の感慨をもつ女だ。
でも本気で言っているようだった。よく見ると、女は男たちがいたときとは違う顔つきをしているような気がした。人間に化けて生きることに疲労を感じている狸みたいな。
「それは私も純粋ってことでいいですか?」
空気を変えようと茶化して私はそう言った。けれど、女は浅い笑い顔を返すだけだった。遠くから、楽しそうな嬌声が聞こえたような気がしたが、やっぱり車内には声が届いていなかった。
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