第12話 物心がついたら教えてね

 気怠く部活のことを懐古しながらコンビニで五百円までのお菓子と飲み物を選んだ。駄菓子屋ならともかく、コンビニで五百円までのお菓子を選ぶのはかなり難しい。悩みに悩んでどうにか五百円以内に収めて、ふと横を見るとサキマリが会計をしている。品数にまさかと思っていると、やはり五百円を越えている。というより六百円を越えていた。

「一人五百円までって言ったじゃん!」

「おいおい加賀くん、状況は刻一刻と変わるんだよ」

「なら私もラムネ買えばよかった!」

 ぶつくさ言っていると、サキマリはけらけら笑ってから棒ゼリーの駄菓子をくれた。好物なのですぐに不問にした。近所の駄菓子屋が潰れてしまったのは本当に残念なことだ。コンビニの駄菓子は精鋭なので間違いはないが、基本的には面白みに欠ける。

 アウトレットに向かう道は、山を降りる手前がいつものように混んでいて、それを抜けると一気に進む。ドライブという感じがして気持ちがいい。マトペの車の後部座席は視界が悪いので、ドライブという気持ちは薄く、出荷とか秘密裏の引っ越しとかそういった趣がある。

「椎野が離婚したって聞いた?」

 サキマリが器用にココアのパックにストローを入れながら言う。椎野、というのは確か高二の時に同じクラスだった女子だ。電車で制服を切られたというよくわからない嘘が発覚して、一週間ほど学校を休んだこと以外、彼女についてはなにも覚えていない。

「知らない。ていうか結婚してるのも知らんかった」

「加賀はなー、なんにも知らないもんなー」

「うん」

「じゃ由香先輩に子供産まれたっていうのは?」

「知らない。結婚したのは聞いたけど」

「男の子だって」

「へー」

 もうなくなった棒ゼリーの入れ物を、じゅうじゅうと限界まで吸ってぱっと口を離すと、くぱ、と容器から音がした。助手席からはよく海が見える。

 そういえばあの頃も、私たちはこの道を何度も通っていた。

 中学の部活の練習は拘束時間が長く、ほぼ毎日あったが、弱小であるところの高校のバレー部は週三回しかなかった。内容も実にゆるく、私たちには老人の趣味程度にしか感じられなかった。部活の他にバイトをしても体力にお釣りが出そうだった。

 それが甘い夢だったと気がついたのは、高校一年の夏がくる直前のことだ。考えてみればその前の月、三年生の引退試合が終わってすぐのころから雲行きは怪しかった。

 手始めにそれまでやっていなかった朝練が突如として週に二回現れ。気がつくと放課後の練習が三回から四回になり、四回から五回になっていた。土日もどちらかに二時間半時間程度しか取られていなかった練習時間が、土日の両方に六時間ほど取られるようになった。また朝練がない日にも、二年生たちは体力づくりだとかなんだとか言って、筋トレをしはじめた。自由参加という名目ではあったが、一年だけ参加しないわけにもいかず、私たちも朝から飛んだりしゃがんだり持ち上げたりという運動をすることになった。

 そうしてその日、春高の準決勝までいったことがあるという謎の外部コーチが週三日練習に参加することが発表されたのだった。顧問はおかざりのやる気のない青年で、そんなことに気が回る人間ではなかったし、そもそも部活に顔を出したことがなかった。どうも二年生があらゆるツテを使って探したらしい。主導は副キャプテンの真田先輩で、それは私の根性を叩き直すと言っていた小さい人だった。

「加賀! パス練するぞ」

 真田先輩は相変わらず私の近くに立って、私を見上げてくる。

 どうも彼女たちは三年生がいたときの遊び半分、趣味半分という娯楽色の強い部活の運営を快く思っていなかったらしい。けれどサキマリが入らなければ彼女たちだって、それと似たような部活に甘んじていたに違いない。

 たった一つの才能に群がり自らの夢を託す凡人たちが、私は疎ましかった。

「真田先輩」

「由香先輩だろ。会議聞いてなかったのか?」

 そのころには、いつの間にか作戦会議という名の、夢を語る会が週一回開かれるようになっていて、先週の会議で、全員下の名前で呼び合うという謎のシステムが導入されたばかりだった。

「名前で呼ぶ意味がわからないので呼びません」

「もっと親密になるためって菊野が言ってただろ。聞いとけよ」

 菊野というのはキャプテンの名前だ。どこのチームもキャプテンというのは、可ばかりあって不可のない優等生がやると決まっているようで、人の良さそうなタレ目だったので私は嫌いだった。どことなく中学の頃のひとつ上のキャプテンと似ていた。

「お前だって名前のほうが言いやすいだろ?」

「大して変わらないと思いますけど。だいたいなんで私だけ苗字なんですか」

「加賀は加賀だろ。それに由香と莉花がまぎらわしい」

 お前のせいか、と思ったが名前を呼んでほしいわけでもないので黙った。それよりもなによりも気に入らないことが私にはある。

「なんで私だけずっとパス練なんですか」

 三年が引退して世代が変わってから、全体練習以外ずっとパスを中心とした基礎練ばかりやらされている。これまでは相手がレギュラーでない先輩、あるいはマネージャーだったが、今日からは本格的に基礎練を始めるとのことだった。基礎練に本格も非本格も新本格もないだろう。頭が悪いのか。

「お前が下手だからに決まってる」

 けはっ、と真田先輩は例の笑い方をした。

 遠くでサキマリが何かわめいているのが聞こえた。今日もよく飛んでいる。

「ほらやるぞ」

 決して私はバレーがうまい方ではなかったが、その時でさえ、コートの中にいる有象無象の二年数人よりはマシな働きはしていた。ということは、これも例の期待による特別扱いに違いない。身長も才能だとか誰かが言っていたが、そんな風に人の才能に群がってなぜ恥ずかしくないのだろうか。責任を取らないくせに期待だけよこしてきて、うまくいかなければ勝手に落胆する。面の皮がサイくらいあるのでなければ計算があわない。

 そういう無責任な期待で、自分が人と同じことをする権利を奪われることには納得がいかなかったが、コートで動き回るより基礎練の方が体力を必要としないので黙っていた。どうせ嫌なことをやるのなら、楽な方がいい。決してこの行為を肯定しているわけではないからな、と強く念じながら先輩のあとに着いていった。

 コートの端の端までやってくると、先輩は振り返ってぱっと笑った。

「お前、ボール殺すのうまいから、アンダー極めたらすげー伸びるぞ」

 何を言われたのかよくわからず、私はその言葉を繰り返した。

「うまい?」

「そ。勢いを殺すのめちゃくちゃうまい」

 バレーを初めて四年目の初夏だった。

 驚くべきことに、私はその時生まれて初めて自分の技量を褒められたのだった。

「マジすか?」

 声を上げると、やはり先輩は、けはっ、と意味のわからない笑い方をした。

 中学の三年間、私はコートの中で手を上げ、垂直に飛ぶという作業だけを繰り返していた。主に相手のコートにボールを叩きつけることが攻撃になる競技において、相手からのボールを遮断する、あるいは邪魔をするということだけに徹してきたのだ。

 やりたくてやっていたわけではない。

「もういい。お前は飛ぶだけでいい。それだけちゃんとやってろ!」

 ある時顧問にそう言われたので、頭にきて本当に飛ぶことだけしかしないようにした。自分がアタックする番が来てもわざとか本気か分からない加減で絶妙にゆるく返したし、サーブカットはもともと怖くて苦手だったので、全部の点を相手にやろうという気概で受けた。飛んできたボールが自分の取るべきものか、隣の人間が取るべきものかわからない時には、一歩も動かなかった。なぜなら私のコートでの業務は垂直に飛ぶことだけだから。

 飛び抜けた才能があるか、異常な負けん気を所持しているか、そのどちらかでないのならば、背の高い人間がバレーボールをやってもみじめなだけだ。

 試合に行けばやれでかいだの、反則だの、しかも二体いるだの囁かれ、徹底的にマークされた上にそうでもないだの、8番打ってこないだのと言われる。だいたい敵に対峙する前に、味方がまったく同じレトリックで攻撃をしてくるのだ。

「いいよなー、その身長もらいたいわ」

「そしたらあそこまで届くんでしょ。やばくない?」

「手伸ばしただけでネット出るじゃん」

「そりゃブロックあたるわ」

「高すぎる! ずるい!」

 彼女たちは頭が悪いので、自分が今の感じで背だけ高くなっても、今と同じくらい動けると勘違いしているのだ。おそらくまだ物心がついていないのだろう。どう考えても、この身長を使いこなせる筋肉やら柔軟性やらその他諸々を所有していないのに、背さえあればもっとできると簡単に考えている。心底変わってやりたかった。

 最初のうちこそ、部活を頑張ってみよう、という心持ちになることもあったが、やればやるほど耐え難いほど惨めだったのでやめた。いいアタックが打てても背が高いから。いいブロックができても背が高いから。アタックが外れたら背が高いのに。ブロックを失敗しても背が高いのに。それがやっかみでないから始末が悪い。

 真面目にやるだけ馬鹿をみるので、絶対に死んでも真面目にやらないと決めた。

 一生上達なんてしてやるものかと思っていた。

 しかし真田先輩は体育会系の雰囲気を出していながら、他の人間がするように私を馬鹿にはしなかった。

「お前、本当にボール殺すのだけ格段にうまいな!」

 その言葉に私はどうにかしれっとした顔を保つため、無意味に袖で汗をぬぐった。

「ボールが嫌いだからですかね」

「またお前はそういう」

 真田先輩はそのごろよく私の頭を犬のように撫でまくるようになった。背が低いので背伸びをしてまでわざわざ撫でる。肩に体重をかけて登るようにして頭に手を伸ばすので、私は倒れないようにするので必死だった。

 基礎練習を続けてみると、実際に自分はそれほどバレーがうまくないのだ、ということがわかった。それと同時に、人が言うほどに下手ではなく、むしろうまい部類ではないか、という疑問も生まれた。天才の側では決してないが、木偶の坊扱いされるほどの凡人でもない気がする。

 それに、中学時代には空中での作業しか許されなかったので気づかなかったが、こうして真剣に基礎練に向き合ってみると、私は明らかに守備向きの性質を持った人間だった。

「身長さえなければ、リベロに育てるんだけどな」

 真田先輩は何度かそのようなこと言った。私は内心、自らの身長を悪いものとして捉えてもらったことが嬉しかった。けれどその頃にはもう、私と先輩の関係は出来上がっていたので口にしなかった。私が斜に構えた生意気なことを言い、先輩が笑ってそれを許す。そういう間柄だった。

「加賀!」

 コートからサキマリの声がして振り返ると、ぱっと空気がきらめいた。

「今日から合流?」

「うん!」

「やったな!」

 うん、と届かない声が出た。バレーボールという競技を少しだけ楽しいと思うようになっていたが、未だに私の部活での第一義は、サキマリの跳躍を近くで見るということだった。今日でやっと基礎練習が終わる。

「お前、犬みたいだな」

 真田先輩は犬のように私を見上げていた。

「言われたことないですけど」

「そうか」

 それからすぐにレギュラーの発表があって、私はサキマリと共に一年ながらチームの主力を担わされることになった。される、という感慨は当時の私にはなかったかもしれない。少し嬉しかったようにさえ思う。あれだけ大嫌いだったバレーボールを、もうそれほどの熱量を持って嫌えなくなっていた。好きかもしれない、ということはまだ認めたくなかったので、考えないようにしていた。それが真田先輩との練習のおかげだということも。

「おい加賀、パス練やるぞ」

「はい」

 根性を叩き直してやった、などと思われることが癪だったのだ。

 ただそれだけだった。

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