第8話 コインで変わる人生なんてない

 ドンキというエンタメが終わってしまえば、私たちにはもうほとんど目標がない。

「ゲーセン行こうよ」

「どうする?」

「まぁじゃあ」

 結局は多少なりとも願いのあるマトペの思ったとおりにことが運ぶのだ。特に行きたいとは思わないが、行きたくない理由もなく、なによりいつでも代案がなかった。

 かしましい音の中に入ると、私たちは最初のうちはなんとなく固まって行動をしているが、いつの間にかばらばらになる。サキマリはUFOキャッチャー、マトペはスロット、私はやることがないので自然とコインゲームに堕ちることになる。

 金はコインに変わる。コインは金には変わらない。ではこの行為は何を意味するのか。コインを慎重に落とす、落とされたコインに押され、上段のコインが雪崩れる。雪崩れた先でまたコインが押し出される、もう一枚コインを慎重に落とす。押されたコイン。雪崩れる。落ちる。押される。流す。雪崩れる。繰り返し。そうしてへりにはみ出ていたコインがついに手元に落ちてくる。

 このコインは一体なんなんだ?

「ちょっとちょうだい」

 コインに対する哲学的煩悶を繰り返しているところへ、マトペがやってきて、黒い鉢植えみたいなポットから雑にコインをかっぱらっていった。

「スロットやってたんじゃないの」

「スロットやりたくなってきたからやめた」

 そりゃそうだ。

 がしゃんがしゃんがしゃん、と隣から豪快なコインの音がする。

「おい。そんなに雑に流すな。一枚一枚丹精込めて流せ」

「やだよ」

「やだよじゃねえ、私のコインだぞ」

「じゃこれあげる」

 タバコかと思ったらシガレット風の駄菓子だった。好物なので文句を引っ込めて青い箱を開けた。調子に乗って、マトペはがしゃがしゃとコインを流しはじめている。

 ラムネを口にすると、なんだかどうでもよくなってきたので、私も特に狙いをさだめずどんどんコインを投げ入れた。ラムネ味の些細な棒をくるくると回しながら、舌の先でえんぴつの形に削る。酸味で舌先がちりちりする。斜めに舐めるのには案外と繊細な舌使いが必要で、いつでも職人のような気になった。マトペがちらりとこちらを見てくる。

「えんぴつできた?」

「ん」

 ラムネを取り出して見せてやると、マトペはいつもげはげはと笑う。

「ウケる」

「よく飽きないな」

「いやこっちのセリフなんだけど。毎回やってるよね」

「できればこの仕事につきたい」

「ないない」

 このやり取りを、私たちはたぶん三年前にもやっていたし、五年前にもやっていたし、もちろん十年前にもやっていた。特に中学二年のときと、高校二年のときは、たぶん隔週でやっていた。

 私たちの通っていた小学校は全員同じ中学に進むことが決まっていたため、私はなんとなくまたマトペと同じクラスになるのだろうと思ってげんなりしていた。

 しかし行ってみると中学というものは小学校とはまるで違ったのだ。もう二校別の小学校から上がってくるのだから、人数が多いのは当たり前なのに、私はその具体を予想していなかった。こんなに人間がいていいのだろうか、こんなにたくさんの意思を一つところに集めて平気なのか、と恐ろしい気持ちになったことを覚えている。

 そうしてマトペとは同じクラスにならなかった。

 やや不安な気持ちになったことを、今でも私は恥じている。

 私服が制服に取って変わり、体がまるごと新しくなったようで、ずっと落ち着かなかった。スカートだけは履きたくないという駄々もこね続けていられないほど、次々と新しいことが毎日起こる。一挙手一投足が重要な一歩目のように感じられて息苦しく、小学校から一緒だった同じクラスの子も、それまでとは別の生き物のように感じられて心細かった。

 同時に、希望めいたものを抱えていたことも確かだ。

 その頃にはもう多くの人間が女になっていて、自分は男にはなれないのだという諦観がつもりつもって楽観と似通ってきていた。女の体を有して生きていかなければならないという強く深い絶望も人格の土台になり始めていて、思いの外しっかりと私の人格を支えた。うっすらとした憂鬱が私の新しいアイデンティティになった。

 しかし中学校は、美術室も理科室も図書室も、何もかもが小学校とは比べ物にならないほど高度な部屋に見え、オリエンテーションだけで私はかなり興奮した。なによりクラスで一列になって歩く私の前には、知らない背中があった。

 新しいことが始まるというとき、私はいつでも夢想する。

 これからは、まったく違う人間になれるかもしれない。自分の望む人間として生きられるのかもしれない。それはつまり、過去をすべてなかったことにしたいという願望だった。

「加賀!」

 願望を持ち続けたということは、その願望が叶えられなかったということだ。

「声がでけぇよ」

 明るい渡り廊下だった。

 初めての授業を一通りこなしたころ、部活説明会というものがあって、その後に部活見学の時間が設けられていた。私は小学校のころから仲が良かった友達数人と、美術部に向かっている途中で、美術室は一階の渡り廊下のすぐ向こうにあったのだ。

 そのときにはもう不安より希望が勝っていて、私にとってマトペは捨てるべき過去にほかならなかった。

「どこ行くの!」

 他の友人のことを気に留めず、マトペはやはり大声で言った。

「美術部」

「うそ! 加賀の絵、超下手じゃん」

「下手じゃねえ。味があるんだ」

 くすくすと友人たちが笑った。それがまるで微笑ましいやり取りを見ているような表情で、焦った。こんな過去の遺物は早く捨ててしまわなければいけない。

 あそこでマトペが声を掛けなければと、その後、私は何度も思ったが、実際にはマトペが声を掛けなくてもその後の流れは変わらなかっただろうが、やはり、全部マトペのせいなのだ。

「いた、いました、先輩あそこ!」

 見知らぬ一団がグラウンドから渡り廊下に向かってきて、それからはあっと言う間だった。私とマトペはバレー部に拉致され、気がつくとそのまま入部という運びになっていた。私もマトペも上に兄妹がいて、次の一年にずいぶん体格のいいのが入ってくるらしい、と随分前からバレー部に目をつけられていたのだという。私は取り囲まれたことに大いに混乱し、その恐れと、ほんの少しの恍惚により入部を決めてしまった。

 でも先に入ると言ったのはマトペの方なのだ。だからマトペが悪い。

 結局クラスが分かれたというのに、私はまたマトペと時間を共に過ごさなければならなくなった。中学の部活それ自体で得たことはひとつもない。あるとすれば、運動部の人間は頭がおかしいという偏見だけだ。後のすべての気鬱の萌芽だ。

 あの頃の運動部はどれも似たりよったりで、まだ先の戦争を引きずっているのかと思うほど精神論と根性論が蔓延っていた。許された時間しか水分を取ってはいけない、という我慢の美学が突然方向転換されたのは中学二年のときで、水分は必ず取るべしとの移り変わりにぞっとした。

「加賀! 小野間! お前らが足引っ張ってるんだぞ!」

 そしてあれだけもてはやされて入部したのに、私たちはいつの間にか顧問の集中砲火を受けるようになっていた。入ってから知ったことだが、未経験者は私とマトペだけで、他はすべて小学校から何年もバレーを続けてきた人間ばかりだったのだ。

「お前らが成長しなきゃ勝てるものも勝てない!」

 私は期待を喜びに思うほど単純な性格をしていなかったし、マトペは言外の期待を汲み取れるほど複雑な性格をしていなかった。ので、ごく自然な成り行きとして、私とマトペは部活をサボるようになった。

 サキマリという新たな悪友と、その道連れとしてのなっちゃんとの出会いが私の人生を明るい方向へ変えたことは確かだ。だから中学でバレー部に入ったことはまったく後悔していない。何かと問題を起こして怒られ、毎日飽きることなく騒いで、ともかく何もかもが明るくて楽しかった。

 けれどサキマリもなっちゃんもバレーの経験者で、サキマリに至っては県外のエリート校からお声のかかるスター選手だったのだ。部活というくくりの中では私たちと彼女たちとの間には、大きな隔たりがあった。なにせサキマリとなっちゃんはバレーが好きだったのだ。小学校だけでは飽き足らず中学でもその部活を選ぶくらいには。

 それが一番大きな違いだった。少なくとも私は、中学の三年間で一瞬もバレーボールを面白いと思ったことがない。もちろん嫌いで、憎んでさえいた。

 名実共に落ちこぼれの私とマトペは、罰としての外周を走るふりをして、よくマトペの家に寄った。マトペの家は酒屋でなんでも売っていて、私たちは店の前に座ってちみちみと時間をかけて駄菓子を食べ続けた。

「あちーな」

「あちー」

「部屋入るべ」

「汗かいてないと怪しまれるだろ」

「そっか」

「そー」

 ポスト横の些細な日陰を取り合って険悪になることもあったが、基本的には何も起こらないので平和だった。そんな様子だったので、私たちは劇的にバレーがうまくなることはなかったが、サボっていた割にはいい結果を残した方だと思う。そのほとんどがサキマリ一人の実力だったとしても、辞めずに最後までやっただけ偉い。恵まれた図体を生かしたことが一度もなかったので、顧問は最後までため息を吐き続けていた。褒められて伸びるタイプを叱る方が悪いのだ。

 総じて幸福だった中学時代は、分別といえるほどの判断力さえなく、流されたり踊らされたり諦めたりして、透明な濁流の中にいるようだった。だからうっすらとずっと楽しく、うっすらとずっと理解が追いつかないまま、あっという間に終わっていた。

 私とサキマリは進学校を標榜しているそれほど頭のよくない高校に入学し、なっちゃんは公立高校に落ちて少し遠い私立の高校へ、マトペは商業高校に進んだ。なっちゃんはともかく、そこで私とマトペとの腐れ縁は切れるはずだった。実際、高校の一年間はほとんど切れかかっていたのだ。

 しかし高校二年の春、なんの前触れもなくマトペから電話がきた。とはいえマトペのような人間の連絡に前触れがあるはずはない。メールで状況を伺うなどという文化は、おそらく終生獲得しないだろう。ディスプレイに写ったマトペという文字を何秒か眺めて、私は仕方なく通話ボタンを押した。

「ねぇ、うちでバイトする?」

 出し抜けにさもいいことを提案してやった、という声を出すのでまず腹が立った。

 もしかするとサキマリあたりから連絡がいっていたのかもしれない。

 高校一年の冬、私は突然自我が目覚め、哲学的煩悶を繰り返した結果、今まで希望だと思ってきたものがすべて絶望だったということに気がついて発狂したのだった。

 そうして何もかもやめた。

 まず懲りずに入ってしまっていたバレー部をやめ、勉強をするという行為をやめた、眠ることや歌うことや走ることもだいたいやめた。ともかく、やめられることは全部やめつくした。やめようと思ってやめたというより、気がつくと何もかもをやめていたのだ。

 いつか生きるのもやめるのではないかと、家ではいつも兄が私を監視していた。

 今となっては、何を希望と感じ、何を絶望だと判じていたのか正しく思い出せないが、思春期というフィルターを外して単純な言葉で表すとすれば、自分が人間生活に向いていないことに気がついた、といったところだろう。

 高校に入学したあたりで、マトペの家の酒屋はコンビニに変わっっていて、外見とシステムがかなり変わっていた。私は人見知りが激しく、その違いに慣れることができなかったため、あまり立ち寄らなくなっていた。そもそも、何もかもをやめていたので、コンビニに行くことがなかった。

「時給いくら?」

「710円」

 当然のごとく最低賃金だ。けれど、金は金だ。

 何もかもをやめて私が得たものがあるとすれば、やばいという感情だけだった。生きているだけでいいという言説はどうも詭弁らしく、この世界でただ生きているというのはだいぶやばい。何がどうやばいのか分からず、説明も思いつかないので、ただただやばいという感慨だけが毎日募っていた。

 その生活の中に飛び込んできた時給という概念は、閃きに似た存在感を持っていた。

「いつから?」

「明日でも明後日でも」

「じゃ明日から」

「おっけー」

 次の日にマトペの家に行くと、特に面接というものはなく、挨拶らしいものもなかった。顔を出すとすぐにマトペの母から制服の説明が始まった。子供にお手伝いを頼むような気軽さで、適当にレジの打ち方を説明し、あとはマトペに投げ出してマトペの母は犬の散歩へでかけた。

 酒屋は黒壁で裸電球に近い色味の電気が付いていたが、コンビニの壁は一面が白く、天井に驚くほど大量の蛍光灯をたずさえていた。精神が光量で焼かれていくような、奇妙な感慨があった。何もかもやめてしまっている間、私はその原因となったもの――あるいは単にきっかけと呼ぶべきもの――について絶えず考え込んでいたのだが、無論、そこには明かりの差し込む余地はひと隙間もなかった。

 蛍光灯が否応なくそれらを光で焼き続けた。

 嫌だとか苦しいとか止めてくれとか、そういう感情さえ生まれないくらいの圧倒的な光量の下、ただ焼かれているという感触を持ちながら、私は隣から飛んでくるマトペのうるさい声を聞いていた。

「セッターは分かるべ?」

 煙草の箱は色彩がさまざまで、これも光と似たような存在の仕方をしている。

「これ」

「そー。んでこっちがセタメン。セッターはブンタとか言うやつもいる」

「文太?」

「こっちは赤マル」

「あかまる」

「で、これマルボロ、こっちマルメラ、こっちマルメン、これマイセン」

「は?」

「おい!」

 振り返ると不機嫌そうな中年の男がレジ前に立っていた。マトペが何かを取ってレジに通す。男がカウンターへ小銭を叩きつける。マトペはレジを操作して、男以上の勢いで小銭をカウンターへ叩きつけた。男は小さく舌打ちをして、わざとらしく音を立て小銭を拾い、小さな箱をひったくってすごすご帰っていった。

「なに今の、決闘?」

 マトペは怒り心頭といった様子で壁を蹴った。

「あいつマジ嫌い、ぜってー煙草の名前いわねぇの」

「何買ったの」

「ショッポ」

「ショッポ?」

「ショートホープ」

 覚えられるわけがない。

 なぜこんなに短い言葉を略そうとするのだろう。喫煙者が内輪でなんと呼んでようがこっちの知ったことじゃない。店の商品を買うという公的な行事に、自分のクセを押し付ける意味が分からない。挙げ句、その名前さえも言わないとはどういうわけなのだ。

 にわかに私にも怒りが湧いた。

「煙草三つちょうだい」

「はい」

 でもすぐに慣れた。やっと覚えたね、と言われた日には殴り殺してしまおうかと思ったが、そんなことをしていたらコンビニで働き続けることは出来ない。世の中には色んな人間が存在する、ということを知れたコンビニでのバイトは、良いか悪いかは別として、得るものはあった。人間は人間と分かり合うことはできないという肉感とか、言葉の通じない人間には本当に言葉が通じないのだという発見だとか。

 一方でマトペは人間を諦めず、よく客と喧嘩をしていた。

「ふざけんな、こっちは客だぞ!」

「てめぇがふざけんな! 口ついてんだろ喋れよ」

「もう来ねえよこんな店」

「二度と来るんじゃねえ! 死ね!」

 一度は客の顔を引っ掻いて、さすがに店長である母親に怒られていたが、慢性的な人手不足によりクビになることはなかった。あの頃はまだ時代もそれを許していたのだ。今やったら情報社会に晒されて燃やされるに違いない。

 学校に行くまでの朝二時間と、終わってからの四時間、時間の許す限り私はマトペの家でバイトをした。と言っても、ほとんど遊んでいるようなものだった。

 ポテトをわざと作り間違えて自分で食べるとか、入ってきた週刊雑誌をまずは自分が読むとか、廃棄になりそうな弁当を廃棄時間より前に裏に持っていっておくとかいうことをもっともらしい態度でマトペに教えられていた。

 基本的に私とマトペとの間に仲が良いとか悪いとかいう概念は存在しないが、強いて言うのならばこの頃は仲がよかった。根っからの商いの家の子であるマトペは、仕事をしているとやや頼もしく感じることがあったし、自分の家ということもあり、その友達である私もかなりの自由が許されていた。何より、働いているときに「おい」とか「あれ」とか「それ」ですべて完結するのは楽だった。

 今思えば、高校一年の冬以降、学生生活を暗闇に近い憂鬱の中で暮らしていた私が人間の形を保っていられたのは、この否応なしの光量の中で過ごす早朝と放課後のバイトの時間があったからなのかもしれない。

 まったく幸福ではなかったが、不幸とは言い切れない。そういう人生の中に、マトペという人間がいたことは確かだ。それは認めなくてはならないだろう。

 認めたところでまた手に入るわけでもないのだから、やはりこれもどうでもいいことだ。

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