第6話 なんで人の話を聞かないの?

 マトペの背中には面影がない。

 量販店での自由時間。何一つ欲しいものがなく、そもそも何かを買う金のない私は、いつでも都会に放牧された牛の気持ちになった。ここに私の求める牧草がないことは明らかだが、ここに牧草を探す以外の時間の過ごし方はない。

 仕方がないので、人間の考える速歩きと普通の歩きの境目はどこか、ということを念頭において、棚と棚の間の通路をしゃにむに歩き回った。同じ階ばかりを歩いていると不審に思われるので、何度か階を変え、四階の一番端の棚を歩いている時、棚の前に見知った洋服の色を発見した。白いミニスカート。

 長方形の箱々の前にしゃがみこんでいるその背中は、ずんぐりと丸く、大きく、ともかく広い。ちょっとした鳥ならフットサルくらいできそうな広さだ。マトペは私と同じで小さいころから体が大きかったが、小さいころにはこんな背中はしていなかった。人間が成長することを考えれば、背中が変化するのだって当然だろうけれど、それにしたって、今のマトペの背中には見覚えがない。服装が大いに変わったからだろうか。でも、骨格自体はそう変わっていないように思う。

「またカラコン?」

 車用品でなければマトペはいつもカラコンを見ている。でなければ香水。

 突然上から声を掛けたのに、マトペはもうずっと横に私がいたみたいな態度で、箱々の中から二つを手に取り、どっちがいいと思うかと聞いてきた。何か言っても聞きやしないくせに、マトペはいつも私に意見を求めてくる。箱にはやけに薄い茶色と、やけに濃い紫色の瞳が写っていて、よその子が遊んでいたリカちゃん人形を思い出した。

「茶色いの前買ってなかった?」

「買った」

「じゃ紫にすれば」

「でもこっち高い」

「いくら?」

「二千五百円」

「ならこっちにすりゃいいじゃん」

「でも紫がいい」

 参考にされることがないとわかっているのに、なぜか私はいつも真剣に考えてしまう。棚の中から似たような紫色のものを探して、度なのかカーブなのか、何がしかを表している数字を見比べてみる。マトペは異様に目がいいので度のことは考えなくていいだろう。現世ばかりか前世でだって、私より罪を犯しているはずなのに視力がいいというのは納得がいかない。

 色々見比べたが、何にも魅力を感じなかった。目に色をつけてどうしたいのだろう。

「これは? 一番安い」

「それ前買った」

「こっちは?」

「そのモデル嫌い」

「じゃあもうそれしかない」

 迷いに迷い続けて、結局マトペはどちらも買わなかった。それどころか当初の目的だったクッションも買わなかった。金持ちなのにどうしてそうケチるのだろう。

「そういや軟骨開けたのけ」

「まだ」

「絶対開けないよそれ」

「開けるし。あ、チョコフレークあるよ」

「もうそのターンは終わった」

「これなんて読むの」

「こうじ」

「なにそれ」

「知らん。なんか米関係」

「おいしい?」

「酒粕のがうまい」

「ふーん」

 マトペとふたりで放牧のされたところで、今更実のある話などできるはずもなく、一頭と一頭がより色濃く時間を空費するだけだった。

「こんなとこにいたのかよ!」

 ふと声がして顔を上げると、サキマリがすぐ近くまでやってきていた。サキマリは私たちの居場所を突き止めるのが得意だ。どこにいてもすぐに見つける。逆に私たちは、サキマリがどこにいるかいつもわからず、今も探していたつもりだったのに、いつの間にか小さなクレーンゲームの前で二人してじっとしていた。サキマリはどうして私たちがこんなとこにいることが分かるのだろう。

「なに、これ欲しいの?」

 透明な箱の中にはパステルカラーのうさぎが申し訳程度に詰まっていた。

「いや別に」

「じゃあなにしてたの」

 サキマリの手にはビニール袋があって、その中には様々なものが入っている気配があった。

「特に何もしてない」

「二人して?」

 サキマリはマトペを見た。マトペは情熱的にカラコンの話をし始めた。結局買わなかったという事実を聞くと、サキマリは顔をしかめた。

「発展がないな」

 発展がない。まさにそのとおりだ。サキマリはときどき、天才的な現実把握能力を発揮する。

 私とマトペが一緒にいて、何かが発展することは金輪際ない。もう何年一緒にいるのか数えることもなくなったが、ずっと横にいて、マトペから何かを与えられたこともなければ、マトペに何か与えたという実感をもったこともない。

 私たちが二人きりになってすることと言えば、話す前と話した後で一切の変化がないどうでもいい会話と、やりたくもやりたくなくもないクレーンゲームをじっと眺めるということだけだ。発展の余地がない。もう十年以上私たちは何も得ることのない人間関係を続けている。

 それでも、二人の間柄がなにも変わっていない、ということもないのだ。

「お前、あんま買わないもん触るなよ」

「いいじゃん別に」

 たとえば、第三者と一緒にいる時に、お互いやや乱暴な口を聞くようになったとか。並んで歩かずにどちらかが前を歩くようになったとか。理由は分からないしそもそも理由なんてないのだろうけど、なぜだか、いつの間にか、細やかにさまざまなことが変わっていた。

 それも、変わったところで何も変わらないような変化だ。

「幼馴染がいるっていいよね」

 というようなことを、中学高校成人と言われ続けてきた。けれど私はマトペのことを幼馴染と思ったことは一度もない。なぜってマトペとは保育園が一緒じゃないからだ。私には保育園が一緒の幼馴染が二人いて、だからマトペとの関係を幼馴染と言われると気持ちが悪い。

 一般的には小学校から成人を通り越し、その後も何年もこんな風に交流を持っている存在は、幼馴染以外の何者でもないのだろう。現に保育園が一緒だった幼馴染とは今は交流がない。でもやはり気持ちが悪い。

 強いていうのなら腐れ縁と形容してほしい。なにせ私は、出会ってから今まで、マトペと馴染んだという記憶が一切ないのだから。

 出会いの瞬間である小学校の入学式の日のことを、今でもお互いよく口にする。あの日は校庭にひどい砂埃が立っていた。こんな日に、と其処此処で父母たちが言っていた。

 私たち新一年生は教師たちに背の順で整列させられて、私は一番うしろ、その前にマトペがいた。この並びは中学を卒業するまで一回も変わらなかった。可愛らしさを演出するためか、あるいは協調への準備か、式の入場は二人一組で、手をつないで並んで入らなければならなかった。背の順の前から二人組を作るというのは、見栄えを配慮したものだろうが、私は自分たちだけが他の子供とくらべて頭ひとつ以上飛び抜けているのが恥ずかしかった。

 マトペは髪を高い所で一つ結びにしていて、何か赤いボンボンのようなものをつけていて、私はそのぼんぼんがカチカチ音を立てるのを聞きながら、羞恥心から逃れようと床だけを見て歩いた。

 校長やら教師やらの話を聞いている間中、カチカチという音は止まらなかった。マトペはずっと知り合いらしい近くの子供と話していて、ひどく悪目立ちしていた。帰りもこいつと手を繋ぐのかと思うと憂鬱でしかたがなかった。

 式が終わると、顔見知りの母親たちが、そこここで社会的な会話を繰り広げはじめすぐにでも帰りたい気持ちだった私はさらに憂鬱になった。どうも私の母とマトペの母は面識があるらしく、これからよろしくとかいうようなことを話していた。

 子供たちもまた、知り合い同士でぎゃあぎゃあ話しているようだったが、私は母の足の後ろに隠れていた。早く帰りたかった。このような辱めを受けたのだから、なにかの償いがなければ耐えられない。たとえば犬を買ってもらうとか、横になってテレビを見るとか。

 母親たちの会話は盛り上がるばかりだった。

 しばらくして、誰かと大声で喋りちらしていたマトペが走ってこちらへ寄ってきた。マトペの母親が、その頭を軽く叩いたのを今でもよく覚えている。

「そんな格好で走って転んだらどうすんだ!」

 子供に手を出したこととその口の聞き方が恐ろしく、私は母の足を同化するため、じっと身を固めた。マトペの母親は私の母親に向かって大きく笑い、どうもお転婆で、というようなことを言った。それから、マトペに向かって今日の式はどうだったかと聞いた。

 マトペは顔の全部が真っ赤で、少し鼻がたれており、膝にかさぶたがあった。

「あのね! 男の子と手つないだよ!」

 その一週間前、私は腰下まであった髪を突然母に切り取られ、猿のような髪型にされてしまっていた。実際には自分たちの図体の大きさより、マトペの髪のカチカチより、そのことを気にして憂鬱な思いでいたのだった。

 こら、と大声でマトペの母親がまたマトペを叩いた。

「男の子じゃなくて女の子でしょうが!」

「ちがうよ、男の子だよ!」

 マトペはなおもそう主張した。いくら髪型や顔が男の子に見えたとしても、手をつなぐ相手は男女で分かれていたし、そもそも私はスカートを履いていた。こいつはどれだけ頭が悪いのだろう、とその時は端的に思った。母親の訂正を退ける意味もわからなかった。

「りかちゃん、ごめんね。こんなやつだけど、仲良くしてね」

 マトペの母がそういうので、私は母の足から少し顔をだして笑おうと努力したが、伝わっているかどうかは分からなかった。

「ほら、きよこ! あんたも挨拶しなさい」

 マトペの母はまた別の友達の方へ向かおうとしているマトペの肩を乱暴に捕まえて、ぐるりと私の方へ向きを直した。私の顔を見ると、マトペは礼服で鼻をこすった。鼻水が袖につくのが見えた。

「やっぱり、男じゃん!」

 なんだこいつは、と強く思った。

 今でも思っている。

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