第35話 転機
歩み寄る。
なんて武の達人っぽい事はしない。
あーゆーのはその道を極めた者だから出来る武芸であって、俺はその域に達していないからだ。
だから走る。
無我夢中でともすれば自分の命を顧みない特攻とでも呼べる。
実際自分より優れた相手に挑むのに自殺行動にしかならないだろう。
だが、それは俺が特攻する場合に限る。
「安剣、お前が今の俺の切り札だ。 どりゃぁーいけぇーー!!」
いつだったか、俺はこの護身のために持ってきた安っぽい剣をいざとなったら使い捨てようと考えた事があるが、まさかここで有言実行する事になるとは。
助走を付けて、弓を射る感じに構えた剣をそのまま左腰、背中に回し、そして右腕を勢いよく横払い。
同時に足を止め、剣の握り手が前斜め右に前腹を通過したところで手を離す。
そのイメージで体を動かし、その通りに動いた結果、剣はブーメランのように慣性に従い重心力を欲しいがままに横回転を刻む。
狙いは無論、チンチクリンだ。
(よし軌道は弓習わされたがあまりの才能の無さに師範代が匙を投げた俺にしては上々だな!)
まあ投擲物が物なだけに当たりやすいと思うし、投げ方も工夫してこれで別の方角行ったらもう泣き寝入りだよ。
しかしブーメラン剣は俺とは違って迷わず真っ直ぐと方向先に飛んでいき、チンチクリンの、脚。
そこに当た────らない!?
「その図体で飛べるのはズルいでしょ……」
チンチクリンの背中に当たる部位から折られていた羽が急遽姿を現し、役割通りに空中に身を浮かせた。
ブーメラン剣は狙いがなくなった事で虚しくも空を切り、重力に従って地面に落ちた。
「はぁぁ……アホらし。 陸空両対応とかホント面倒くさいんだが」
チンチクリンは安全に着地出来るまで降りてこないつもりか、空中に避難したままだ。
……あ、よく見てみると一部の脚にヒビは入ってら。どうやら完全に避け切れたわけではないようだ。
「分かりましたか? アレがあるから私、魔物と戦いたくないんですよ」
水が軽快に流れる音が心地良く聞こえるこの場所は川であり、俺達はその川沿いの草原地帯で戦っていた。
見れば大量の石が己の大きさを鼓舞するように陸と水中の境に割拠していて、更に向こうを見ると「いや穴だろ」と門らしくない異界の門が不自然にも開いている。
広くもなく、狭くもない場所でまあ歩いて数十秒くらい離れていた先生は俺の元に来るなりそう言う。
「人が悪いですよ。 あーなるって知ってて俺が主役とか仰ったんですね」
「そこは否定しません。 ですが悪気だけではないのですよ。 貴方がどれ程実践で戦えるか、それを測る意図もありました」
尚更タチが悪くないか?
草食動物に肉食動物を対戦させたらどうなるか的な実験を人でしてるって理解してるのかこの人。
「で、どうでしたか俺は」
「結論から言えば発想力は良かったですよ。 だけど詰めが甘かったですね」
チンチクリンは未だ降りてこず、てかむしろ何処かに羽ばたこうとしてないかアイツ。
「血には魔力が含まれてる事を利用し、刻印の札を剣に貼り、そこに武器を構えるふりをして刃で手を切り血を武器に塗る。 そして投擲と同時に魔力変換する事で[刻印魔術]を発動して遠距離攻撃をした訳ですよね」
「あ、はい。 合ってます……今思えば浅はかだとは思いますけど」
言い訳させてもらうがチンチクリンが飛行能力を持ってる事は予想出来ていた。
大まかに知識があるだけだが虫が羽を持っていて飛行するって事は分かっている。だが、飛行はつまり重力に逆らう事であり人間サイズを大きく上回ってる奴はそれなりに重量があって。
ようは自重により飛べないと結論付けていた。
「飛ぶにしたって予兆とかあるだろうに一瞬消えたかと思いましたよ」
「私も初めて戦った時同じ事を思いましたよ。 かなり、種族差の理不尽を感じました」
こんな辟易した先生の様子は見たことがない。
余程嫌な出来事だったのだろう。
「だからってあんな危険生物を押し付けないで下さいよ。 命がすり減る思いでした」
「巫覡になったらこんな事、日常茶飯事ですよ」
「いや、あんな化け物といつも戦ってられないでしょ。 神社に滞在していた時にそんな素振りも見なかったですし」
「危険生物には"人"も、含んでます」
「………Σ(゚д゚lll)」
この人、人を人として見てない!?
いや正確には害ある者か?
何にしても初対面のあの日、先生と戦ってた二人組、アイツらを下した後ぞんざいに扱ったのはその時点で人扱いではなくなったからか……
(可能性の範疇に過ぎないけど……真相を知る気にはならないなぁ……)
知ったところで意味のない事を調べても無駄骨だ。
先生の闇を垣間見て、危うくこの人の禁忌に触れる寸前だった俺は逸れそうだった話題を掘り返すべくチンチクリンの様子を……アレ?
「アイツあんな遠かったけ?」
チンチクリンが垂直飛びをした時は大体10mくらいだったはず。
しかし今のアイツはそれよりも高い位置にいると言うか、何というか……
「離れてますね」
そうだ。
離れてるんだ。
……は?
「先生……あれ逃げてません?」
「そうですね」
「先生……あれ逃走してません?」
「そうですね」
「先生……そうですね。 じゃないと思います……」
「ええ追いかけないとですね」
分かってるのになんで動かないんだこの人は!
「こんな掛け合いしてる場合じゃねぇ! とっとと追い捕まえて火葬始末しないと!」
「まあ落ち着いた下さい。 ……せめて土葬の方が準備や費用面で楽ですよ」
「埋葬の問題じゃないですよ!? 早くチンチクリンを追わないと!」
「チンチクリン? ……ああ魔物の事ですか。 それについては一旦置いといて先ずは落ち着いて下さい。 そして──」
「落ち着ける訳ないだろ!」
奴を逃したらどんな被害が出るか。
邂逅一番に襲い掛かって来た奴のことだ。
もし逃走ルートの先に人が居たならば、想像に難くない。
「奴は本能で動いてた。 祖先が築いた戦闘の遺伝子、その本質は生存……生きる為に他者を狩り、食う。 だから……」
格好の
何より俺達がそうだったのだ。
それが他の人に当て嵌まらない理由がない。
「誰かが危険な目に合う可能性があるんです! 先生が戦わないのは勝手ですけど、奴を始末する、その邪魔はしないでください!」
早く奴を追わなければ。
もし奴に襲われた人が居るのなら。
もし奴が人を……殺したならば。
想像が焦りを生み、焦りが怒りを起こす。
非常事態にあるのに呑気にしてる先生はこの際どうでもいい。
一刻も早く奴を始末しないと、俺が逃してそのせいで犠牲になる人なんてもう見たくないんだ。
先生に背を向け、チンチクリンが逃げた方角へと歩を踏み出そうとした時、裾を引っ張られた。
「先生……邪魔はしないでって────!」
ピシッ……と睨み付けようと振り返った俺にデコピンが出迎えた。
「安心しました……ちゃんと『心』が成長しているようで……」
「…………、………っ! ふざけないで」
「
そう言い切った先生の瞳は、俺のとは対象的に照り輝き潤沢な光を、強い意志を感じさせる光を、映し出している。
「貴方の方こそ、周りを見たらどうですか」
「周りをって何を……あ……」
「解りましたか? チンチクリン、貴方が言ったソレは魔物と呼ばれ、その発生源は」
俺が目を当ててる現象に晒し合わせるように人差し指を腕ごと刺す。
「異界の門。 もうそこまで考えが至っていたのかも知れませんが先の貴方は焦燥に駆られて己の役目も、事の元凶もほっぽり投げてただ目先の危険を追う所でした」
「……………………」
「「仏の顔も三度まで」と言う諺が異界にはあるそうです。 タロウさん、落ち着いて下さい。 そして今何をすべきかを考えて優先順位を決めなさい。 "最優先"で対処しなければならないのは?」
「……異界の門……」
「はい。 正解です」
俺はなんてバカなんだ。
率先すべき事を投げ出して剰え自分の危惧さえしていた。
「戦闘に於いて最も重要な事、それは冷静な判断です」
先生が諭すような口調で語る。
「どんなに技術があっても、どんなに知識があっても、どんなに力があっても冷静さを欠いて判断を見誤れば後悔に繋がります」
「………っ、すみません……でした……」
さっきまでの気持ちの昂りが嘘だと感じられるほど今は申し訳なさが心を締め付けてる。
勢いに任せて怒鳴り散らした。
何の力もないくせに、粋がっていた。
惨めな自分を垣間見て意気消沈と頭が垂れ下がりそうになった時、
「謝らない。 何も間違ってはいないのだから目を背ける必要も、謝罪も要りません」
か細い指が頬を通り、先生の両手が俺の顔を押さえてると認識した後にはグイッと引っ張られていた。
引き寄せられた先に真剣な眼差しが、こうして視線を交わしてようやくその自信とも取れる意志の正体、それは────
「誰かが襲われると思ったから、その人を守りたいと思って動こうとしたんでしょ? なら自信を持ちなさい。 その"正義"は間違いじゃない」
──正義感。
未来視で観たヒロトと同じ、俺が殺した友達と似た、太陽のように眩しいくらいに輝く、純粋な気持ち。
それが瞳に帯びる、先生から伝わる強い意志の正体。
「あの日の晩、貴方が頭を下げてまで私の元に志願した初めての日の事です。 私はどんなに申し込んでも追い返すつもりでした。 だけど貴方の必死な様子に、貴方から誰かを守りたいと言う思いを感じたから
俺が憧れて諦めた正しさ。
それが今、俺を照らしている。
「私はですね……タロウさん、貴方が誰かが危険な目に遭ってるかもと言った時、安心したんです……貴方の正義を、ちゃんと表に出せるんだな、って」
「俺の正義……あるんですかそんなの……」
「無ければ作れば良い! 例え自負から生まれた使命感でも、突き詰めれば誰かを守る正義になるます。 ですから、」
頬を抑えていた手が離れる。
だが、代わりに励ましの言葉が送られ──
──俺に、もう一度目標を見せてくれた。
「ここが貴方の転機です。
人を助ける為に、強くなれる。
貴方の正義の発祥の地です!」
色々な考えを振り切り、俺は今、一つの正しさの為に、、、奮い立つ。
「先生、[体言魔術]には儀式道具は必要なんですか」
「……体裁と言う観念を考慮しなければ身一つで行えます」
「今から奴、あの魔物に追いつく事は」
「異界の門を閉じる事が優先ですから追い駆ける頃には何処に行ってるか、少なくとも今日中にまた遭遇するのは難しいかと」
「ならやっぱり……」
先生に門を任せて一人で行く事。
二手に分かれて行動するのがさっきまでの俺が考えた得策だったが、それよりももっと良いアイデアが今の俺にはある。
けどそれを言うには────
「タロウさん」
軽快な声音で呼ばれ、その微笑みを見て、
勇気を得た。
「危険な賭けになりますが、夕暮れ前には逃した魔物を倒す策があります。 ……先生、協力してください」
今度は遠回しには言わない。
今度は図々しく願わない。
味方と力を合わせるのに上下関係など不要なのだ。
だから、頭を下げないで、ちゃんと目を向けて、ハッキリと言った。
「主役は貴方です。 今の貴方にならどんな指示でも従います。 遠慮なく言って下さい」
了承を聞いた俺は、先生に策を伝えた。
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