第23話 魔剣 七大刀目

 両者の死力を尽くした剣戟は、窓から入る僅かな月の光によって照らされてる廊下に金属光沢が星の如き幾十の煌めきを、儚き命となりて散らしていく。


「────っ」

「っ────」


 避けて。逸らして。相殺して。


 一寸の間により多くの斬撃をし、一寸の間により多くの一閃を閃かせて閃光のように消える。


 もはや死地となった剣士たちの間合いにおいて、その間に入ろうものなら瞬く間に木っ端微塵と切り刻まれるだろう。

 それ程までに両者の剣戟は拮抗しており、だが、勝機があるのならば一歩、先へ進めた者だ。


 稲荷は的確に攻撃を躱しながら今か今かと機会を伺う。

 地道ながら着実に一歩づつ進み……男の体の軸が蛇腹剣に引っ張られて崩れたところを見逃さず圧が薄くなった斬撃の間に擦り抜け、左斜めの切り裂き────寸止め。


「な……んだとっ」


 蛇腹剣の刀身を片手剣に戻しながら稲荷の太刀を躱そうとしたフロムチレンは、途中で攻撃を中断した稲荷に驚きながらもフェイントだと気付いた。


 しかし動作はもう完了している。

 勝負を決める一手としてわざと隙を晒して攻撃を仕掛けて来たところでカウンターするつもりだったが、その上を稲荷が上回ったため目論みは無味と成した。


 このまま攻撃すれば同じく返し手で殺られる。だけど攻めなければ無防備になってる自分が攻められる。


 戸惑う思考の中、直勘が囁く。

 機を与えるな……と。


 しからば刃交りの際に『魔剣』を着火させる。そう意気込んだフロムチレンの瞳に殺意が、鋭い眼光となりて剣を相手の脳天めがけて大振り。


「────幻と言うのは」

 

 激突音、衝撃波、感触、どれも無い。

 感じ取れるのは五感の内まさに今、信じられないとばかりに目を見開いて女が取る鍛錬の塊とも言える所作。


「現実とはまろばし表裏ひょうりのない夢なのですよ」


 受け流されたと感じた時には既に遅く、返しの振り落とされる一刀が首を切断しようとするが間一髪のところで見えない障壁が拒む。


 その隙にフロムチレンは体制を直して稲荷の間合いから逃れようとするが、


「そして夢幻ゆめまぼろしは無限によって潰える。 私の無限は────縫い目を無くす事です」


 廻す。

 針の穴に糸を通すような繊細さではない。

 むしろ更にきめ細やかに精密に正確に剣を紡ぎ、機械とも取れる無駄のない動作は、そこに至るまでの果てしない鍛錬を物語っていた。



 神楽導家には異界の書物を古文書と称して保管されている。

 その中には日本の剣術の書類もあり、それらは鍛錬の指導書として古くから活用されてきた。


 稲荷も家業上、その書類を使って鍛錬してきた。中でも体格差を埋めて技術によって相手を制する柳生新陰流は女性である稲荷にとって重宝するほど身に合っていた。


 相手の斬撃を技術によって後の先、先に切らせて後より切り裂く守りの型は、今日に至るまで活用していた。が、後の先では後の先の後で防がれる。


 ならばどうするか、簡単な問いだ。


 "先の先を取りつつければいい"。


 相手に動く機会を与えるな。

 第三者の付託など、新陰流の流儀などお構いなしに稲荷は刀を振る。


 右腕、防がれる。左手、防がれる。両太腿、防がれる。

 左上腕部、首頸動脈、鎖骨、右肘、股関節、腰回り、左肩、全部防がれてもなお滞りなく続く斬撃。

 防がれるたび速く、鋭く、止まらない途切れさせない。


 いつしか壁は、男の身体全体を囲っているように見え、無限回廊だった廊下の奥から光が、見えた気がした。


「おぉ……おぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 フロムチレンの意気込んだ叫びも、壁に衝突する度に響く斬撃音にかき消される。

 しかし、蛇腹剣はその叫びに呼応する。


 チッ…チッ…と聞こえ、刀身に、炎が流れる────風、叫びだけでなく炎の爆音すら掻き消すつもりで突風が吹き荒れる。


 爆炎は爆音に、爆音は爆風と変じて『魔剣』によって歪められた空間に暴虐の限りを尽くす。


 稲荷とフロムチレンは己が用いる手法によって爆発から身を守るがそれももう限界。


 炎が吸収されていくがその量は少なく吐かれた分よりも下回る。取り残された炎は霧散し消えていくのを稲荷は噴煙が染み込んだ鼻を燻る匂いを常に漂わせる巫女装束を着付けし直しながら静観する。


「ぁ……かはぁ!! はぁはぁ……もはや……ここまでか……」

「そう言う割には……諦念を感じさせませんね」

「いいや、諦めてるさ。 この状況ではもう、貴殿に勝てない。 ……そう、判断してる」


 先の激闘で緩んでしまった緋袴をきつく結ぶ。


 魔剣には何かしらの制約がある。


 それが魔力や生命力を『魔剣』の能力の糧として置換される事なのかは定かではないが、稲荷は確信しながらも戦意を失わない立ち振る舞いをしている男の言葉に耳を傾ける。


「次で最後だ……それで俺が死のうが貴殿が死のうがそれで……終いだ」


 戦いの反動が身体の至る所に随所に現れている。

 二度目の剣戟の時よりも弱々しく今にも消えて果てる姿は消失する炎と酷似しており……蝋燭そのものだった。


「ですね……私も……そろそろ終わりにしたかった所です……」


 弟子の安否、吐き気、爆発への防御。


 稲荷はこの戦いで二度と味わうことの無いだろう精神を削る出来事のオンパレードに濁流する胃液を無理に抑え込みながら戦ったのと魔力酔いで頭も心も摩耗していた。


 すぐに慣れたから吐き気は最小限だったがキツい事には変わらず、魔術師としての素質はあるが魔力量が少ないのが問題で起こりやすい魔力酔いもまた、精神疲労には充分な理由である。


 正直、弟子タロウも眼前の敵らも何もかも放り投げて布団の中に入りたいけどそうは問屋が卸させてくれない。


 だったらもう、次の一太刀で終わらせるしか無いだろう。


 青岸の構えを解いて刀を鞘に諌める。

 姿勢は二度目の剣戟、見合いの際にした納刀状態から一振りで葬る為の抜刀、即ち居合。


 稲荷が最も得意とする技でこの勝負を終わらせる。


「…………」


 勝負は一瞬。


 敵を殺すために自らを殺し、静寂を持って心を制す。

 一秒が永遠に感じられる瞬間の刻。


 見合い。


 読み合い。


 計らい合い。


 ────そして訪れる居の合い。


 抜刀する。

 流星の如く抜かれた究極の初撃の大刀は、稲荷ほどでは無いにしろ培った対人経験から来る勘によって辛うじて防いだ。


 だが、それも二度目は無い。


 振り抜け、一定の距離を稼いだ後、足裏に温存していた魔力を集め、疾走した勢いを宙返りする事で相殺し、ここで[魔術]を発動。


「風よ、我が身に糸巻く自然よ、シルクを解き理と成せ──『ウィンド操風』」


 フロムチレンがした反復法の詠唱ではなく、詩のような呪文を早口で唱える。

 すると突然、吹き出た風が稲荷の足を空中に引き留めた。


「…………っ!」


 踏み込む足。

 本来なし得ない空中起動を物理をもって物理法則を超えていく。


 力みは充分、駆け出した勢いは刀だけではなくその身を閃光とし、フロムチレンに与えた一刀の時の比ではない最高速度を叩き出す。


 睨める、眼前の敵を。そして驚愕する。


 フロムチレンの闘志は燃え尽きるどころか自らを糧とし滾らせる。

 稲荷はそれを眼を通して感じ、『魔剣』を通して実感する。


 畝るように蠢く様子はさながら大蛇。

 『魔剣』は刀身を伸ばして第三者によるものか壁を反射し空間に固定される。


 ワイヤートラップの要領で張り巡らされた刀身は元が元であるため疎らに大きめの隙間が生じていたが、止まれない相手を迎撃するにはこれ以上にないほど有効的でこのまま突っ込めば稲荷は自滅する。


 だが、仮に隙間から抜けたとしても、


「アイト……ワラス!!」


 刀身と言う導火線を火花が伝い、炎の障壁となりてフロムチレンと稲荷の間を隔てる。


 こうなってしまえばもう、隙間を抜けようが無駄である。隙間は炎によって補われ、余力が無いのもあるが爆発を抑える事で燃焼分にエネルギーを割けている。


 燃え盛る炎によって稲荷の姿は見えないが────手を通じて感じる軽い感触で実感した。


「ああ………大敗だ……」


 軽い、軽すぎる持ち手から伝わる感触は確かに物が障壁に当たった物だ。しかしそれなら軽いと感じるのはおかしい。


 人が高速で衝突するのだ。

 ならばその分の威力が壁から伝わる筈なのにそれが無いと言うことはつまり、


「────私の……勝ちです」


 握り手から左手がずり落ちる。いや、落とされる。そして体に沿うように力なく床に着く左腕とは対照的に右腕は上がり、捻れて関節を絞めていく。

 重さが、炎の壁の時には感じられなかった人の重さが背中から感じられる。


「さあ……話して貰いますよ、洗いざらい全て」


 完全に関節を決められ拘束されたフロムチレンは今度こそ、観念した。

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